2024/11/15

SFについて

SFを言い訳に使うな、というかSFとは何かをわかっているのか?
少子化対策として、適齢期の女性に子供を産むように強制する、そのために「あくまでSFだけど」と前置きをして「30歳を過ぎたら子宮摘出」なんてことを言った元ベストセラー作家がいた。
とんでもない発言なので、当然謝罪・撤回に追い込まれたが、儂は別の点にも腹が立った。

これはまったくSFではない。
サイエンス・フィクション(空想科学小説)でもなければ、スペキュレーティブ・フィクション(思弁小説)でもなく、「すこし・ふしぎ」でもない。
この元作家には、SFマインドというかSF魂というか、SFについての理解がまったくないのだろう。

「適齢期の女性に子供を産むように強制する」なんていうのはサイエンスでもスペキュレーティブでもなく、邪悪なポリティカルな視点である。
「子育て罰」なんていう言葉が生まれてしまう社会で、誰が子供を産み育てたいと思うだろうか。
なぜ子供を持つことを選択しない若者、そもそも結婚しない若者が増えたのか、ということを考え、社会を変えていくことこそが、まっとうなポリティクスだと思うのだが。

さて、少子化対策を「本当に」SFにするなら、どうするだろうか。
じつは、すでに幾多のSFに書かれている。

労働力不足が問題なら、ロボット(アシモフ『我はロボット』)や動物(小松左京「期待される人間象」)、死者(伊藤計劃+円城塔『屍者の帝国』)などを活用する。
高齢者や身体障碍者、戦傷者をサイボーグ化したり、パワードスーツを使ったり、脳をリモート接続したりして、労働力とするというSFも数多くある。

子供を増やしたいなら、社会制度や環境は整っているという前提ではあるが、男性も妊娠できるようにするとか、老人を若返りさせるとか、体外環境(工場?)で胎児を育てるようにするとか、そういうSFもあるだろう。

男性中心社会が問題なら、女性だけで政治経済を維持し、男性を不要とすることも考えられる。
生物学的には、もともとオスはメスの劣化版だ。
オスに乳首があるのは退化した名残だからだし、オスのY染色体はX染色体が欠けてできたものだ(Y染色体は数万年後に消滅すると言われている)。
X染色体を含むゲノムと卵細胞さえあれば、Y染色体なしで完全なヒト個体が作れるので、女性だけで妊娠・出産することは、原理的には可能だ。

男性のいない、女性だけの社会。
こういう設定のほうがSF的だよね。

遠い未来、男性は知能を基準に分化して、脳以外が退化した「脳人」か、性器以外が退化した「アダムの裔(すえ)」になる、というSFもある。
脳人は有機コンピュータとして、アダムの裔は快楽・生殖用途の道具として、女性中心社会に奉仕するのだ(小松左京「アダムの裔」)。

どうもSF的に考えると、男性は分が悪い。
というか、男性優位社会というものが非SF的、守旧的価値観に基づくもので、男性の既得権益を維持しようとすると少子化が進んでしまうのかもしれない。

こういうことを書くと、貴様はそれでも男か、男の意地や誇りはないのか、とか言い出す輩がいそうだね。
でも儂は、男性優位社会で男性として生まれたという既得権だけで威張るような輩は、小学生メンタルのガキだと思うのだよ。
成熟した男性としては、いかなる状況についても、冷静に思慮できるようにしたいものだ。
そのほうがカッコイイではないか。

なお、そもそも少子化は問題なのか?対策しなければならないものなのか?という観点もSFになる。

前世紀末には、人口爆発とそれに伴う食糧危機と環境破壊が大問題となっていたのだから、人口が増えないことは、むしろ良いことではないのか?
そういえば、儂が大学で農学を学んだのも、映画『ソイレント・グリーン』(原作:ハリイ・ハリスン『人間がいっぱい』)みたいな世界に恐怖を感じたからだった。

少子化により経済的「成長」が見込めないのであれば、「成長」ではなく「成熟」した落ち着いた社会を目指せないものだろうか(これはSFではない)。

将来、不老不死が実現すれば……不死は無理でも健康寿命が200年とか300年とかになれば、人口は増える一方となるだろう。
すると、子供を作ることが犯罪となったり、「赤ん坊狩り」が行われるようになるかもしれない(木城ゆきと『銃夢 Last Order』)。
まさに「子育て罰」そのもののディストピアだ。
ここに至ると、少子化はまったく問題ではなくなってしまう。

さて、SF思考(SFプロトタイピング)がイノベーション創出や課題解決に役立つのではないかといわれて久しい。
こういう「そもそもどうなの?」という視点の逆転や、ちゃぶ台返し、そしてセンス・オブ・ワンダーこそ、SFの醍醐味である。
センス・オブ・ワンダーによってもたらされる「そういうことだったのか」という感覚、そして「そんなことがあり得るだろうか」「やっぱりそうなっちゃうか」「そうなっちゃった社会はどうなるか」といった思索の重要性に、気がつく人は気づいているのだ。

ちなみに、センス・オブ・ワンダーはSFだけから感じるものではない。
身近な自然現象に触れたときも、人はセンス・オブ・ワンダーを感じるものだ(レイチェル・カーソン『センス・オブ・ワンダー』)。
というわけで、SFとは無関係な、庭の小さな自然(変形菌の一種)の写真を載せておく。

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はて、果たしてこの写真はSFとは無関係なのだろうか?

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2024/10/23

愛鷹連峰袴腰岳・馬場平稜線散策……のつもりが……

愛鷹連峰を南側の麓から眺めると、最高峰の越前岳(1504.2m)は見えず、愛鷹山(1187.5m)から位牌岳(1457.5m)に至る稜線が目立つ。

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愛鷹山と位牌岳、その間の袴腰岳(1248m)には登っているが、愛鷹山と袴腰岳の間の稜線は歩いたことがなかった。
この稜線には馬場平(1203m)があり、昨年愛鷹山から眺めたときにはブナとヒメシャラの巨木がたくさんあって面白そうなところだと思った。
次の図は地理院地図を利用して作成したもの。

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昨日(10月22日)、どうやらこの日が最後の晴天であり、その後雨が続きそうな気配だったので、馬場平を目指してみることにした。

ルートは水神社から愛鷹山登山口まで地図にない登山道を歩き、一服峠(約1300m)まで登って稜線に到達、そこから南下して袴腰岳、馬場平を経て愛鷹山北側の鞍部に至る。
そこから登山口(林道の柳沢橋)へ下り、水神社に戻る。
推定コースタイム6時間15分。

結構長丁場になるので、風呂掃除はカミさんに託して9時前に出発。
9時20分水神社駐車場着。
9時25分発。

これまで一服峠や愛鷹山に登るときには、登山口まで林道を1時間歩いたが、今回は地図にない登山道を登った。
地図にないといっても、整備された道なので危険なことはない。

10時15分、登山口着。
ハシゴを登り、一服峠へ至る尾根に取り付く。

ススキが茂り赤土がむき出しになった崩壊地から箱根を眺めたり、崩れやすい細い道にヒヤヒヤしながら登る。

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ヒノキの植林地を抜ける頃から腹が鳴り始める。
おまけに足がなかなか上がらなくなる。

体力よりも先に足に来たか!
このあたりが高齢者登山(もはや中高年登山ではない)の怖いところだ。
ヒーヒー言いながらも歩けることは歩けるものの、足が上がらない。

トレッキングポール代わりのモノポッド(一脚)にすがって登り続けたが、一服峠の手前のブナ林で昼食休憩をとることにした。
もともと気持ちの良いブナ林で昼飯にしようと思っていて、一服峠から袴腰岳の稜線東側あたりかなぁと考えていた。
ちょっと手前になってしまったが、まぁ良しとしよう。

12時10分、ブナの疎林の緩やかな斜面にザックを下ろし、座布団用のパッドを敷き、ガスストーブ(コンロ)を設置する。

例によって湯を沸かしてカップラーメン(シーフードヌードル)を食べた。
湯を沸かす間、湯を注いで3分間待つ間にチーかまとペンシルカルパスを食べた。

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湯を沸かす間、食べている間、聞こえる音は鳥の声と風の音、葉のそよぐ音だけ。
見上げれば、やや色づいた枝葉が空をゆるく覆っている。

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こうやって林の中でゆっくり食事することも、今回の山歩きの大きな目的の一つである。

40分ほど休んだ後、登りを再開し、13時に一服峠着。
ここから稜線を南下する。
稜線にはツツジやアセビなどの低木が茂っているが、ブナやヒメシャラの大木も見かける。
ヒメシャラは幹の表皮が赤っぽくてツルツルなので目立つ。

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この稜線からは鋸岳(次の写真の手前の岩峰)や越前岳の眺めが良い。
雲がなければ富士山もよく見えるのだが、この日は五合目くらいから下しか見えなかった。

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13時25分、袴腰岳を通過。
富士市街や相模湾が見えるようになる。
駿河湾越しに三保の松原が(松原というより砂嘴が)見える。

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上の写真、田子の浦港近くの田んぼのあたりをズームアップすると、トンボが飛んでいるのがわかる。
たぶんアキアカネで、このあたりから馬場平を過ぎるあたりまで、たくさん飛んでいた。

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馬場平の手前で、一度赤土の斜面を下る。
このあたりの稜線は、門池公園を散歩中にギリギリ見えるところだ(愛鷹山から東に伸びる尾根に遮られて、馬場平は見えない)。
そこで、ここから門池公園が見えるはず……と思って探したら、見えた。
次の写真の中央が門池、右下にはグルメ街道、右上には国道1号バイパス。

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14時、馬場平着。
山頂付近は広い平坦地で、ブナやヒメシャラの巨木が目立つ林となっている。
林床にはブナの果実もたくさん落ちていた。

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平坦で歩きやすいのでモノポッドを突くこともなく(両手に持って横に構えたりしながら)のんびり歩く。
鼻歌や変な笑い(ヘヘッ)が出てきそうなくらいである(出ていたかもしれない)。

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林を抜けると湿った草原状の植生になり、シカの痕跡がやたらと多い。
集団で駆け抜けたらしい足跡や、大量のフンやヌタ場もあった(次の写真はブナ林を振り返って見たところ)。

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ブナの巨木が枯れて林に明るいところができ、シカが増えて草原状態を維持しているのだろうか。
アセビ(上の写真の右側の丸っこい茂み)やマユミ、ミヤマシキミ(次の写真)といった有毒植物が多く見られるのも、シカが忌避するからで、シカがこの景観を作っていることの証拠といえそうだ。

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マユミが亜高木(やや大きな木)になっていることには少々驚いた。

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ミヤマシキミにしろマユミにしろ、赤くて綺麗な果実をつけるが、有毒である。
この場合の赤は警告色で、サクランボやイチゴの誘引色とは異なる。
「この色ならば食べられる」というような単純な線引きはできないのだ。

今回の山歩きでは、キノコもたくさん見かけたが、食べようとは思わなかった。
キノコこそ、有毒か食用可の見分けが難しい。
今回、他の登山者とは行き会わなかったが、新しい登山靴の足跡は見かけた(その足跡の上にシカの蹄の跡が載っていたが)。
登山道の脇にツキヨタケが落ちていて、おそらく登山者がシイタケやヒラタケかと思って採ったものの、結局捨てたものだと思う。
それを何箇所かで見かけたので、なんとなく笑ってしまった。
というか笑い事でないと困る。持って帰って食ったりしていないだろうね……。

馬場平からシカ臭い赤土とササの斜面を下りて、愛鷹山北側の鞍部に到着(14時40分)。
次の写真は振り返って馬場平の方を見たところ。

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鞍部は草原状で、ここはおそらくシカの楽園なのだろう。
昼間なのでシカの姿は見なかったが、ブナ林の中では気配を感じた。
動物の気配、というか小枝を踏んで歩く音がしたのだ(ザックに熊鈴をつけて鳴らして歩いているので、ケモノはみんな避けていく)。

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体力に余裕があれば愛鷹山(上の写真)の山頂まで往復しようかと考えていたのだが、体力ではなく脚力がヤバい。
この場合のヤバいは本来の意味、つまりよろしくない事態である。
時間もかかることから(往復想定40分程度)、愛鷹山登頂は諦めて、ここから下山することにする。
秋の陽のつるべ落とし、早くも日差しが傾いてきた。

林道柳沢橋までの道は、昨年往復したときよりも荒れていた。
赤土が露出して滑りやすくなっているところや、沢筋の板状節理が崩れてルートがわかりにくくなっているところがあった。

安山岩の板状節理はマグマが地上近くで固まったものだから、愛鷹連峰が火山であることを示す。
赤土も元は火山灰だから火山活動の結果だが、これは愛鷹山(火口は位牌岳西側)に由来するのか、他の火山に由来するのか?
沢筋では赤土が流れ落ちて板状節理が見えるので、赤土のほうが年代が新しいと考えてよいのか?

それにしても下り道では、赤土やら溶結凝灰岩(火砕流が冷え固まったもの)が風化してできたかけらやらが登山靴に入り込むのが厄介だ。
適度な防寒耐風性があるモンベルのジャージパンツを履いていたので、裾をミドルカットの登山靴の履き口を覆うように心がけていたのだが、それでも土くれや小石、落ち葉や小枝が入り込む。
ショートスパッツを買ったほうが良いのかもしれない。

なんてことを考えながら、16時に林道柳沢橋着。
ここから林道をたらたら歩くと1時間かかり、文字通り日が暮れてしまう。
愛鷹山登山口はすぐ東側なので、そこから水神社目指して、来た道を下る。

ヒノキの成林の中を行く道は、早くも薄暗く、木の根につまづいたり、重なった板状節理で滑ったりする。
これだから山を歩くときには、ミドルカットの登山靴が欠かせない。
ローカットだったら足首を捻挫してしまうだろう。

トレッキングポール代わりのモノポッドの力(というか自分の腕力)を借りて転倒を防ぎつつ、16時35分、水神社駐車場着。
そういえば今回の山歩きでは、モノポッドは転倒防止や登降の補助に使っただけで、カメラ撮影には使わずじまいだった……。

……ということで、休憩時間を含めて7時間超、歩いている時間だけで(推定)6時間超の山歩きは、脚力に不安を感じて「散策」どころではないという結果となった。
いやまぁ、袴腰岳から馬場平までの稜線や、馬場平のブナ林あたりは「散策」の気分だったのだが、そこまでの登りのアプローチと下りがしんどい。
急な登り下りでは脚力の限界を感じるし、膝も傷める。

こういうハードな山歩きは年齢的にも難しくなってきたのだろうか。
歩行時間3時間くらいの気軽な山歩きや、標高差の小さい平坦なルートを選んで歩くようにしたほうが良いのかもなぁ。

とはいえ、山歩きを辞める気はまったくないので、近隣で面白そうな、そして楽そうなルートを探そうと思うのだ。

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2024/10/20

紫金山・アトラス彗星を見た

本日(10月20日)18時過ぎ、沼津市の自宅二階のベランダから紫金山・アトラス彗星を見た。

日没から約1時間後の西の空、金星の右斜め上、地平線から30度くらいのところに見えるという情報を元に、双眼鏡で探したところ、へびつかい座ラムダ星のすぐ右にぼんやりとした光を発見。
プロミナー(ネイチャースコープ/地上望遠鏡)で確認したところ、太陽と反対の方向(左上)に尾を引いているようすが確認できた。

カミさんとムスメたちも見たが、残念ながら「長大な尾を引く明るいほうき星」ではなく「なんだか恒星や惑星ではないぼんやりした天体」としてしか観察することができなかった。

さて、OM-5 は星空を撮影するのに適したカメラらしいのだが、まだそこまで使いこなしていない。
うまく撮る自信がないので、とりあえず「星空AF」で星にピントが合うようにして、広角の14mm(35mm換算で28mm相当)を西の空に向けた。
絞り優先オートで F4(開放)、1/4秒、ISO6400 である。

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画面上方の明るい線は、ウチの雨樋に反射した街灯の光で、星の光は拡大しないと見えない。
画面下方の影は隣家とその庭木で、金星は庭木の陰に隠れてしまっている。

画面中央やや上をトリミングして拡大すると、次のような具合。
左側の光がへびつかい座ラムダ星、黄色い丸の中のぼんやりした光が紫金山・アトラス彗星である。

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もう少し狙いを定めて望遠で撮るとか、多重露光で明るくするとか、工夫の余地はあるのだが、何しろ昨日から10℃くらい気温が下がって寒くなったので撤収した。

紫金山・アトラス彗星の軌道は、双曲線だそうだ。
ハレー彗星のように何年か(何十年か何百年か)ごとに回帰する彗星の軌道は楕円で、太陽の近くをぐるっと回ってまた戻ってくる。
双曲線軌道を描く彗星は、生まれ故郷の太陽系外縁部(オールトの雲)から太陽の引力に引かれて落ちてきて、太陽の近く(つまり地球の近く)を通って、そのまま太陽から遠ざかり、太陽系から出ていく。

つまり、儂ら地球上の人類が紫金山・アトラス彗星を目にするのは、今回が最初で最後なのである。

紫金山・アトラス彗星は9月24日に近日点を通過し、現在太陽から遠ざかりつつある。
太陽から遠ざかるにつれて彗星本体(核)は冷えて、放出されるガスや塵も減っていく。
今月末には確認するのが難しくなるだろう。

去っていく紫金山・アトラス彗星を、今月中にもう一度見られるだろうか。

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2024/08/14

驚きの(あるいは驚きもしない)日々

8月8日(木)、宮崎県で震度6弱(マグニチュード7.1)の大きな地震があって驚き、その夜に南海トラフ地震臨時情報「巨大地震注意」が出てまた驚いた。
この日の地震の震源が南海トラフの西端の日向灘であったために、大規模地震が発生する可能性が高まった(100倍から500倍)ということである。
ちなみに、儂が住んでいるのは南海トラフの東端のほど近くであるから、大地震や大津波に襲われる可能性がある。

電車止めたり速度を落としたりしているくせに、原発の核燃料を抜かないのはなぜだろう?
その政府の鈍感さに驚く。
いや、いまさら驚きもしない。

8月9日(金)、G7各国大使が長崎平和祈念式典に参加しなかったことに憤る(驚きはしない)。

8月10日(土)、アシナガバチに刺される(昨日のブロク記事参照)。
刺されたときはそこそこ驚いたが、その後体調に異常なし。

8月11日(日)、8月12日(月)、相変わらずの熱中症警戒アラートの日々。
最高気温が体温ほどになっても、もはや驚きもしない。

8月13日(火)夕方、庭に水を撒いてから散歩に出る。
門池公園に、なぜか各種のサギが集結(それぞれ1羽だけど)。
ちょっと驚く。

ダイサギとアオサギ。
ダイサギではなくチュウダイサギかもしれない。

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カワウ、コサギ、ダイサギ、アオサギ。
もちろんカワウはサギではない。

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ゴイサギ(幼鳥)。

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生態的地位が同じ(餌が同じ)なので、排他的に競合しそうなもんなのだが、仲良く(少なくとも喧嘩することなく)並んでいた。
餌となる魚のサイズの微妙な違いで棲み分けているのだろうか。

西の空に大きな入道雲(雄大積雲)が湧き上がっていて驚いた(写真は色補正して夕暮れ感を強調している)。
頂上は対流圏の上端(成層圏の下端)に達し、横に広がって「かなとこ雲」になっている。

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スマートフォンアプリ tenki.jp の雨雲レーダーで確認してみたところ、静岡市の山間部(井川・畑薙のあたり)で大雨になっていた。
70km離れたところに大雨を降らせている雲が見えていることに驚いた。

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こりゃあ、80km先の浜岡原発がメルトダウンしてキノコ雲が上がったら、見えるかもしれないなぁ。

小さな驚き(と憤り)を積み重ねつつ、人生は続く。

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2024/07/31

地球が人類に優しかった時代は終わるのか

連日、熱中症警戒アラートが発報されている。
昨日は夕方になっても気温が33℃を超えていたので、散歩を諦めた。

庭のカツラは相変わらずセミに人気で、アブラゼミとクマゼミが並んで樹液を吸っている。

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居間から3メートルほどのところでセミに鳴かれると、テレビの音声も家人との会話も落ち着いた思考も邪魔される。
そこで、午前中の掃除を終えたとき室温が30℃を超えていたら、エアコンを設定温度28℃で始動する。
昨年秋に掃き出し窓に断熱仕様の内窓を追加したので、セミの鳴き声は囁きほどになり、エアコンの効きも良い。

ほっと一息……。

しかしまぁ、冷房しないと生命に危険が及ぶような高温とは……。

日本の夏はもはや、生命維持装置なしには生存できない環境なのだろうか。

エアコンが壊れたり停電したりすると、人々が死ぬ……って、まるでSFである。
シュワルツェネッガー主演の映画『トータル・リコール』で、火星のスラムの人々が、権力者によって停止された換気装置のプロペラを見つめる絶望的な表情を思い出す。

地球の歴史を考えてみれば、ここ数万年は例外的に気温が安定している時期だった。
人類の活動に伴う二酸化炭素濃度の極端な増加をきっかけに、一気に不安定化していっても不思議はない。

このまま温暖化が暴走して「地球沸騰時代」となるのか、海底深層流の変化や太陽放射の異常などにより、逆に氷河期に突入するのか。

どちらにせよ、人類の生存と、脆弱な文明の維持は困難になるだろう。
……なんてことを、今のところエアコンが順調に作動していることに感謝しつつ考えた。

梅雨明け後は雨が少ないが、それでも庭の草は伸びる。花も咲く。

昨年10月、まだ咲いていると書いた抱葉荒地花笠(ダキバアレチハナガサ:バーベナの一種)が咲き始め、ときおり蝶もやってくる。

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昨年、花が咲いた後どうなるかと見ていたら、芥子粒のように細かい種子をたくさんばら撒いて、地上部は枯れた。
根は冬越しをして、春に出てきた芽から育った株に、いま花が咲いている。

種子は庭のあちこちに散ったようで、芝生からいくつもの小さな株が出てきている。
厄介な害草(狭義の雑草)になりそうなので、今年は種子をばら撒く前に刈ってしまおうと思っている。

さて、次の写真もダキバアレチハナガサだが、食物連鎖の現場を撮ったものである。

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中央の花穂と左の花穂の間に、ハナグモがいる。
このクモは、どうやらアリを食べているようだ。
そのアリは、ダキバアレチハナガサの蕾についているアリマキ(アブラムシ)の世話をして、分泌液をもらっていたのだろう。
アリマキは、もちろん、ダキバアレチハナガサの樹液(木じゃないけど)を吸っている。

ダキバアレチハナガサ→アリマキ→アリ→ハナグモ、という食物連鎖が、小さな花の先で見られたわけだ。
ウチの庭でさらに観察していれば、クモがトカゲに食われるシーンに出くわしたかもしれない。
熱中症警戒アラートが出ているので、じっと観察するのはやめたほうが良いけどね。

(補足)
セミもアリマキも、半翅目というグループの昆虫である。
注射針のようになっている口器を植物に突き刺して、樹液を吸う。
また、翅を畳んだとき、後翅は前翅に覆われるが、その前翅は甲虫類と違って硬くない、という特徴が共通している。

ちなみに、「半翅目」は「カメムシ目」と呼ばれることもあり、当然カメムシも同じグループに入っている。
カメムシも翅を畳んだとき、後翅は前翅に覆われる。
その前翅は、付け根のほうの半分くらいが(甲虫ほどではないが)革のように硬くなっている。
これが「半翅目」の名前の由来らしい。

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2024/06/23

カッコウの巣はない

先日、愛鷹山でカッコウ類4種全部の声を聞いた

それぞれの声は何度も聞いたことがあるのだが、姿を見ることは稀だ。
というか、姿を見ても区別できる自信がない。

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カッコウ(郭公)は「カッコー、カッコー」と鳴く。
オオヨシキリ、コヨシキリ、モズ、ホオジロなどに托卵する。

ホトトギス(時鳥、不如帰、杜鵑、子規 etc.)は「テッペンカケタカ」「特許許可局」などと鳴く。
ウグイス、ミソサザイなどに托卵する。

ツツドリ(筒鳥)は「ポンポン」あるいは「ポッポッ」といった木の筒を叩いているかのような鳴き声を立てる。
センダイムシクイ、メジロなどに托卵する。

ジュウイチ(十一)は「ジュイチー、ジュイチー」と鳴く。だんだん早くなったりする。
コルリ、オオルリなどに托卵する。

ジュウイチだけは他のカッコウ類と違って腹が赤いので、見れば区別できそうに思うが、むしろ小型の猛禽と見間違えるかもしれない。

カッコウ類のどうにも不思議な習性は、他の小鳥の巣に卵を産んで雛を育ててもらう「托卵」だ。
自分で子供を育てないので、カッコウ類は巣を作らない。

『カッコーの巣の上で』という映画があるが、これは鳥の話ではなく、人間の話。
題名はマザーグースの詩の一節から採ったものだ。

托卵に話を戻す。

カッコウ類は、いったいどんな偶然から、他の鳥の巣に卵を産み、育児を代行してもらうなんていうことをするようになったのだろう。
進化というやつは、こういう「なんでそうなった?」と思わせる習性や生態や形態をもたらすから面白い。

もちろん、進化を否定して神とかそういったものが生物を設計し製造したという考え方もあるだろうが、そうすると、托卵する鳥を創造するなんて、なんて底意地の悪い臍曲がりの神なんだろうか。

カッコウ類はハトや小型の猛禽ほどの大きさがあるのに、托卵される小鳥のほうは、ウグイスやメジロである。
巣いっぱいに羽を膨らませたカッコウの幼鳥の上に乗って、餌を与えているウグイスの写真などを見ると、なんとも複雑な気分になる。

ウグイスは自分の巣の中で大きな口を開けるものは、どんなに大きくても自分の子供であると認知する。
これも進化の結果であり、ウグイスには自分の子供を大きさや匂いで判別するような機能は備わっていないのだ。
たぶん、そういう機能を実装するとコスト(脳容積や栄養資源やエネルギー)が余分にかかるので、カットされているのだろう。

進化には善悪も優劣もない。
ただ、日々変化し、新しい生態(個体間・種間の関係や行動や形態)が生まれたり、消えたりする。

カッコウやツツドリの声が響く山の道を歩くとき、そこいらの木の葉の上や沢の水の中で、人知れず進化の一歩が進んでいるのかもしれない、などと思うのである。

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2024/05/14

水とキノコとフォールアウト

先日の愛鷹山行の際、水を1.35リットル持って行った。
その内訳は、水道水が0.5リットル、スポーツ飲料(粉末を水道水で溶いたもの)が0.5リットル、熱湯(サーモスに入れたもの)が0.35リットルである。

8時間でほぼすべて飲み切ったのみならず、沢の水も結構飲んだ。
やはり汗をかく時期の山行には、1.5リットル以上の水が必要だなぁ……。

愛鷹山は火山なので、常時水の流れている沢は少なく、多くは伏流水になっている。
そこで、先日のように雨の後の晴天時は、沢の水を味わう良い機会なのだ。

ザックには、いつもシェラカップをぶら下げている。
そこで、良さそうな水場を見つけたら、ザックを下ろすことなく水をすくって飲むことができる。
これは熊よけを兼ねていて、歩行中は熊よけの鈴と一緒にチリンチリン、カランカランと音を立て、無用の遭遇を避けている。

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つるべ落としの滝の上の沢で昼食にしたときに、持参した熱湯を使った。
ラーメンを作るためには0.5リットルの熱湯が必要だが、そのうち0.35リットルをサーモスで保温した湯を使って、湯を沸かす時間を短縮したのだ。
残りの0.15リットル(もちろん目分量である)は、眼の前の沢の水をシェラカップですくって加えた。

ちなみにラーメンはサッポロ一番塩ラーメンで、乾燥わかめをたっぷり加えた。
塩ラーメンは失敗がないのがよい(味噌ラーメンは薄いと不味い)。

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さて、沢沿いから稜線へと登る登山道の脇に、アミガサタケが出ていた。

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アミガサタケはフランス語でモリーユ、英語でモレル、高級食材である。

作業手袋(Lサイズ)と比べるとわかるが、ほどよい大きさである。

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しかし、食べることはできない。

静岡県の『「野生きのこ」における放射性物質の検査について』によると、御殿場市内、小山町内、裾野市内、富士市内及び富士宮市内のキノコから基準値を超える放射性セシウムが検出されているとのことだ。

福島第一原子力発電所の事故に伴って放出された放射性降下物(フォールアウト)が、300キロ以上離れた静岡県まで到達しているのだ。

写真のアミガサタケが生えている地点は長泉町だが、稜線の向こうは裾野市である。
フォールアウトに市町の境界線は関係ない。
距離にして数パーセントなど誤差のうちだから、「隣町はダメだけどこの町ならOK」と言えるだろうか?

稜線のブナ・モミ混成林のあたりまで登ると、ブナの枯死木にサルノコシカケが生えていた。

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このキノコも食べられない。
裾野市との境界線上に生えているからではなく、木質で硬いからである。

福島第一原子力発電所の事故後の調査により、フォールアウトに含まれる放射性セシウムは森林の土壌に留まり続けることがわかった。
どうもキノコは金属元素を選択的に取り込むので高濃度になりがちらしいが、当然、沢の水にも検出不能な程度の微量の放射性物資がふくまれているだろう。

だが検出不能なレベルであれば、大した外を及ぼさずに人体を通過していってくれるのではないか、と、それを願って、儂は今後も沢の水を飲む。

愛鷹山の南西(つまり風上の)80キロには浜岡原子力発電所があり、そこは南海トラフ巨大地震の想定震源域である。
浜岡原子力発電所でメルトダウン事故が起これば、大量のフォールアウトが儂の親しんでいるフィールドを襲うだろう。

ホント、原発なんかクソ喰らえ、原発を再稼働しようなんていう連中に、沢の水を味わう喜びを奪われてなるものか、と思うのである。

……なんていうふうに思わず毒づいてしまったので、解毒のために、清冽な沢の水の動画をどうぞ。

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2024/04/14

次の災害がやってくる前に忘れてしまうバカ

熊本地震から8年。
災害は忘れた頃にやってくる……と言われるが(寺田寅彦自身が随筆に書いている文面はちょっと違うが)、どうも最近は忘れる前に災害がやってくるような気がする。
もちろん、個人の体験としての災害は、50年とか100年とかの間が開けば忘れてしまうだろう。
しかし現在は情報共有が進んだ社会なので、個人が被災しなくても、大災害についての間接的な経験や教訓を得て、「次の災害」に備えることができるはずだ。
それなのに、地震や豪雨の災害が起こる度に、避難所の体育館に雑魚寝、自衛隊とボランティア頼みの災害復旧となってしまうのはなぜだろう?

次の災害がやってくる前に手立てを講じておけばよいのに、眼の前の金儲けや不祥事隠蔽に「全力」になっちゃうような人たちが為政者をやっているせいではないか、などと考えてしまう。

それはさておき、近所の山を歩く度に、この国土の成り立ちについて考える。
自宅は北米プレート(またはオホーツクプレート)にフィリピン海プレートが潜り込んでいるあたりにある。
そのため、沼津アルプスから伊豆半島の山々は、フィリピン海プレート上の海底火山に由来するし、伊豆半島の火山や愛鷹山や富士山や箱根は、さらにその下の太平洋プレート境界から噴出した溶岩でできている(次の図は伊豆半島ジオパークより引用)。

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写真は先週木曜日、志津山山頂からの風景。
手前から静浦漁港、大瀬崎、遠く三保の海岸。

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プレートテクトニクスによって形作られた地形の上を歩きながら、ほんの50年前にはこれらの地形の成因が「なんらかの原因で隆起・沈降」と教わったことを思い出す。

たとえば1980年(昭和55年)に改訂2版が発行された『神奈川県の自然』(野村出版刊)の油壷の地質の解説には、次のような記述がある(カッコ内は引用者注)。

このようなこと(火山灰層や不整合)から、地殻というものはゆっくりとまたは急激に隆起し、ときには陸地となって侵食をうけたり、また沈降して海底となりたい積の場になったりするものであることがわかる。またこのような変化に伴って火山活動もいろいろと変化していくことに気づくであろう。

プレート運動や付加体について一般人が知るようになるのは、1985年以降である。
災害への手立てを考えるべき人たちは、プレート運動や付加体をはじめ地震や土砂崩れなどの成因について「理解」しているだろうか?
「何も知らない」ままに指導的立場に立っていて良いものだろうか?

次の災害がやってくる前に忘れてしまうバカには、絶対に投票してはなるまいぞ。

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2024/04/01

植物由来成分の逆襲

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近所の公園でもようやくソメイヨシノが咲き始めた。
植物の発芽や開花が相次ぐ季節となった。

さて、エイプリルフールネタとして、次のようなものを考えた。

最新サプリメント情報!

ダイエットに最適なソラニン!
肌を劇的に変化させるウルシオール!
ときめきのアルカロイド!
植物由来成分だから安心です‼

小林製薬のサプリメントで死亡者が出ているので不謹慎だとは思ったが、以前からサプリメントとか機能性表示食品とか「植物だから安全です」とかいった「体に良さそう」みたいなモノが好きではないのである。

小林製薬の紅麹サプリメントからは、本来は含まれないはずのプベルル酸が検出されたという。
プベルル酸はアオカビ類が生産する有機化合物で、ペニシリンのような抗生物質の類と考えればよかろう(初めて聞いた物質名なので、後ほど詳しく調べようと思う)。

もちろん、プベルル酸が腎障害から死に至る被害の原因物質かどうかは、まだわかっていない。
……なんていうことを報道しているニュースショーのCMが、機能性表示食品だったりするから、そっちのほうが不謹慎な気がする。

なお、プベルル酸にしろペニシリンにしろ、植物由来成分ではない
コウジカビもアオカビも、菌類だから植物ではないからだ。

昭和の古い教育では、生物は動物と植物の二つの界(キングダム)に分けていたが、現在では五つかそれ以上の界に分ける(細胞の構造などの着目点によって、界の数は異なる)。
割とわかりやすいホイッタカー/マーギュリスの5界説によれば、モネラ(細菌など)、原生生物(アメーバなど)、菌類(カビ・キノコ)、動物、植物、という分類になる。

無機物から有機物を合成する能力をもつ植物に対し、植物の生産した有機物を利用して生きてるという点において、菌類と動物は近い関係と言えるだろう。
昭和の教育を受けた人は、カビやキノコは植物ではない、ということを再確認しておくと、余生が豊かになるかもよ。

植物が生産する有毒成分には、菌類や動物に「食われる」ことを防ぐ機能がある。
菌類が生産する有毒成分(抗生物質)には、他の菌類や細菌類や動物に「食われる」ことを防ぐ機能がある。

植物由来、または菌類由来の成分には、このような有毒な物質が含まれているわけだから、「植物由来成分だから安全です」とか「自然由来成分で安心」とか言う宣伝文句はである。

こういう嘘は「エイプリルフール!」と言って済ませられるものではないよね。

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2024/01/03

2024年1月1日

退職後初の正月。
元旦だからといって特別な感慨を抱かないのだが、雨戸を開けたら穏やかに晴れて雪化粧し直した富士山が見えた。

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朝食後は有明の月を見ながら布団を干し、いつも通り掃除をした。

昼には義父を迎えて、家族揃ってお節を食べた。

義父を一人住まいのマンションに送り、その後いつも通り散歩した。

日没を前に、先月中旬に庭に作ったピザ窯に火を入れる準備をしていたところ……。

北陸で地震発生。
地球は人間の営みには無関心で、優しくもなんともない。
元日だろうとなんだろうと、断層は動く。

最大震度7の激震と津波発生の報に言葉を失う。
ピザを焼くのは中止した。
ウチのあたりは異なるプレート(フィリピン海プレート)の上なので、少々揺れた程度(震度2程度)だが、すっかり気を削がれた。

被害の全容や今後の推移については、1月3日現在わからないことが多すぎるので、アレコレ書くのは控える。

しかし、あれだけ断層の多いところに原発をいくつも建設したことは、やはり愚行だと思う。
それを言えば日本全国、原発を建設・稼働してよいところなどないのだが。

志賀原発では変電設備の油漏れ、主電源の一系統喪失、使用済燃料プールの水漏れ、3メートルの津波襲来、高さ4メートルの防潮堤が傾いていることなど、不安な要素だらけ。
今でも震度5強クラスの地震が続いているので(また震度7の地震がないとも言い切れないし)、重大事故が起こらないことを祈るしかない。
祈るしかない、ということからして、ダメダメなエネルギー源だよねぇ。
非科学的じゃん(気が滅入っているので八つ当たり気味)。

非科学的といえば、「令和6年能登半島地震」という正式呼称もなんとかならないものか。
元号というやつは資料や検索には不向きなんだよなぁ(だから法制化の際に反対したのに)。

せめて「2024年(令和6年)能登半島地震」とするとか、最初の大きな地震の日付も入れて「2024.1.1令和6年能登半島地震」とか、ISO 8601の表記に従って「2024-01-01令和6年能登半島地震」または「20240101令和6年能登半島地震」とか、国際的・歴史的検証に耐えられるような名前にしたほうがよいのではないだろうか。

とかいったことをブツクサ言っていても仕方がないので、これから献血に行く。

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