昨年末に、早川書房の秋の半額キャンペーンを利用して、エド・マクベインの「87分署シリーズ」54冊を購入した。
その最後の一冊、『最後の旋律』を昨日読み終わった。
シリーズ最初の一冊である『警官嫌い』を読み始めたのがいつだったか、Amazon Kindle の読書履歴を見てもサッパリわからない。
「17週連続で読書しました!」「連続読書日数は43日です!」といった記録はあるが、それがどうだというのだ。
小学生の読書運動じゃないんだから。
儂が欲しいデータは「どの本をいつ読んだか」という単純なものなのだが、これが Kiindle アプリではわからない。
Amazon の個人データにログインしても、購入履歴(どの本をいつ買ったか)はわかるが読書履歴(どの本をいつ読んだか)はわからない。
まぁ、儂の個人的意見として、Kindle の読書履歴管理機能はイマイチである、と言っておく。
だいたい1日に平均1冊のペースで読んだことから考えて、最初の1冊を読んだのは1月の終わりか2月のはじめのはずだ。
最初のころはダウンジャケットを着て、裏起毛のパンツ(暖パン)にひざ掛けという装備でタブレットを操作したが、その手が凍えた。
読み終わりの昨日は、Tシャツにウインドブレーカーを羽織ってジャージ履きでタブレットを操作した。
いつの間にか、土筆が顔を出し桜の花咲く春になっていた。
冬から春まで、晴耕雨読というか、晴れていれば庭仕事や散歩と読書、雨が降ったら終日読書、という日々であった。

さて、「87分署シリーズ」は、ニューヨークをモデルとする架空の都市アイソラの警察署を舞台とするミステリであり、群像劇である。
「87分署シリーズ」についての解説や書評はネット上に溢れているので、ここでは詳しい説明を省く。
巨大で邪悪な都市(ビッグ・バッド・シティ)で起こる様々な犯罪に地道に取り組む刑事たち皆が「主人公」で、毎回数人がクローズアップされ、何件かの捜査が同時並行的に描かれる。
少なくともエド・マクベインは「刑事たち皆が主人公」と考えていたようだが、二級刑事スティーブ・キャレラが実質的な(シリーズを通しての)主人公となっている。
マクベインは3冊目の『麻薬密売人』でキャレラを殺すつもりだったが、読者に人気のため殺せなかったそうだ。
シャーロック・ホームズや鉄腕アトム、島村ジョー(サイボーグ009)と似たようなもんですな。
「87分署シリーズ」は1956年の『警官嫌い』から2005年の『最後の旋律』までの50年にわたって刊行された。
単に長寿シリーズであるというだけでなく、それぞれの話の中で、時代背景が描きこまれている点でも興味深い。
たとえば、32冊めの『死者の夢』(1977年)には、次のような記述がある。
刑事のひとりはイタリア系だが、薄汚れたレインコートも着ていないし、たえず言葉をとちったり、自分が阿呆だというふりもして見せない。もうひとりの刑事は禿げだが、棒付きキャンデーをしゃぶったりしないし、脳天をきれいに剃って、まるで市長みたいなもったいぶった服装もしていない。
ここに描かれている二人の刑事は、どちらも1970年代のテレビドラマ「刑事コロンボ」と「刑事コジャック」のことである。
49冊めの『ビッグ・バッド・シティ』(1999年)には、次のような記述がある。
二人の殺人課の刑事は、この暑い夏の夜にも黒のスーツを着ていた。黒は死の色、だから彼らはこの色を選ぶ。この市では、昔から黒が殺人課の刑事の色だ。黒のスーツに黒の帽子。この市では、殺人課の刑事はサングラスをかけるだけで青い制服組の兄弟らしく見える。あるいは、映画《メン・イン・ブラック》に出てくる二人のエイリアン追跡者のように見える。
このように時代背景はリアルタイムなのだが、登場人物である刑事たちは、年を取らない。
いや、年は取るのだが、年の取り方が遅い。
キャレラは50冊目くらいで「40歳になってしまう」と嘆くが、(後述するように)本当は80歳くらいのはずだ。
まぁ、「サザエさん」みたいなもんである。
まったく年を取らない「ドラえもん」や「名探偵コナン」には負けるが。
登場人物が年を取らない件については、かなり以前に「アイソラは光速の98.6%で飛んでいる?」という記事を書いて考察してみたことがある。
もちろん、「ウラシマ効果」によるものである。
「87分署シリーズ」はじつはミステリではなくSFだったのか?なんちゃって。
さて、小説の登場人物とはいえ、刑事たちも人間なので、悩んだり、撃たれて入院したり、恋したりする。
「87分署シリーズ」なのに、なぜか隣の88分署のオリー・ウィークス刑事(口の悪いデブで嫌なやつだけど捜査能力は優秀)が主役になったりする。
しまいには、なんとオリーの純愛が描かれたりする。
残念ながら、オリーの純愛の気になる結末は、誰も知ることができない。
エド・マクベインが『最後の旋律』を書き上げた直後に咽頭癌で亡くなったからだ。
半世紀にわたる「87分署シリーズ」の登場人物たちには、いくつかの戦争が影を落とす。
というか、戦争で負った傷が犯罪の引き金になったりする。
『死者の夢』と『最後の旋律』では、どちらも冒頭で盲人が殺されるが、二人とも、ベトナム戦争で視力を失っている(次の引用は『最後の旋律』から)。
「軍隊が無理矢理ベトナムに引っ張っていった。そこで彼の青春は終わってしまった。すべて終わってしまった。戻ってきたときは盲目だ。くだらない戦争に若者を送り込む強がりの大統領に言ってやってくださいよ」
何しろ長きにわたるシリーズなので、登場人物たちの年齢設定がおかしくなっていることは前述の通り。
『歌姫』(2004年)の次の記述ではどの戦争か明示していないが、ホースもキャレラも第二次世界大戦で戦っていたのだ(本当は80歳代?)。
コットン・ホースは、沿岸警備隊の小艇三十八フィートのDPB(引用者注:展開追跡艇(Deployable Pursuit Boat))の上ですっかりくつろいでいた。この小艇は、彼が小さな戦争を戦った時に指揮を執っていたのと同じような船だった。アメリカでは、誰もが自分自身の小さな戦争を戦い、その戦争の中で自分自身の小さな役割を果たす。キャレラは歩兵連隊の架線作業員としてぬかるみを苦労して歩いた。ホースは、これとは異なる船のブリッジに立ち、飛び交う弾丸や水しぶきをものともせずに、にやにや笑っていた。アメリカでは、この国の数え切れない小さな戦争を戦ったり、戦争のために尽くした人はみな、自分が関わった戦争を決して忘れない。時には忘れたいと思うこともあるが。しかし、これからも小さな戦争はさらに増えるだろうし、大きな戦争もある。従って、思い出す機会が増えるだろう。あるいは忘れる機会も。
エド・マクベイン自身も従軍経験があるので、人生を滅茶苦茶にする戦争というやつを容認することはできなかったのだろう(次の引用は『最後の旋律』から)。
キャレラは、幾つ戦争をしたら我々は学ぶんだろうと思った。
「87分署シリーズ」の話はここまで。
次の写真は、家事と庭仕事と読書の間の散歩中に、近所で見かけたキジのオス。

キジは日本の国鳥だそうだ(1947年に日本鳥学会が選定)。
「国」なんてのは、国鳥とか国土とか国民とかいった具体的なものに冠する言葉であるべきだと思う。
愛国とか報国とかいったワケのわからない抽象度の高い使い方は、戦争の匂いがする。