2023/08/18

湧き上がる雲の下のバーベンハイマー

昨日草を刈り少しスッキリした庭の、カツラの木でツクツクボウシが鳴いている。

台風7号が通り過ぎても晴れず、一昨日まで雨が降り続いた。温暖化のせいで「台風一過」もなくなってしまったのだろうかと思った。だが夏は確かに過ぎつつあるようで、クマゼミやミンミンゼミの骸を見ることも多く、蝉たちの編成が移り変わっていることを実感する。湧き上がる入道雲と同じ空に、薄く流れる雲を見るようになった。

8月は新聞を読むのもテレビを観るのも苦痛だが、その原因はもちろん「太平洋戦争」と称される戦争にある。今年の広島の平和記念式典では、湯崎英彦知事がその挨拶の中で「核抑止論者に問いたい」と真っ向から意見していた。なぜか、NHKをはじめTV各社のニュース報道では取り上げられていなかったが……。

核兵器といえば、原爆の開発を主導した科学者を描いた映画『オッペンハイマー』と、コメディー映画『バービー』の同時公開を発端とする「バーベンハイマー」騒動があった。

原爆をギャグにするアメリカ人のセンスは、核兵器の被害に対する無知から来ているのだろうなぁ、と思う。ハリウッド映画で描かれる核爆発の描写を観ると、その甘さにため息が出ることがある。最近テレビで見た中で酷かったのは、『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』かなぁ。核兵器の実験施設、というか効果測定用の標的の建物内にいても、鉛で被覆された冷蔵庫に隠れれば、爆風や放射線にさらされても大丈夫だと?

まぁ、核保有国の感覚、核抑止論者の感覚はそんなものなのかなぁと思いつつ、「そんな人たち」に核兵器を持たせておくのは危険だとも思う。自分だけは生き残れると思っているのだろうか?

Barbenheimer

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2023/08/09

タイムトラベルは可能か?

前回の記事「歴史の改変は可能か」の図に誤りがあった。映画『ターミネーター2』の終盤で、ターミネーターとそのCPUをすべて溶鉱炉で融かしたのだから、歴史は変わった(未来は変更された)ことになる。

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『ターミネーター』の時系列(①)では、未来からの干渉によってジョン・コナーが生まれ、人類とAIが闘うことになる。『ターミネーター2』の時系列(②)では、未来からの干渉によって、スカイネット(人類を滅ぼそうするAI)は生まれないことになる。

Terminator_timeline_2

「タイムトラベルは可能か」という議論において、「このような未来からの干渉の事例がないから、タイムトラベルは不可能」という考え方がある。しかしこれには、大きな弱点がある。

未来からの干渉があって時系列が変更されたとき、その渦中にいる人間は変更されたことに気づくのだろうか? たとえば、サラとジョンや、ダイソン博士の妻は1997年8月29日午前2時5分にスカイネットが自我に目覚め、核ミサイルを発射することを知っているので、1997年8月30日になったときにはホッとしたであろう。しかし、そのほかの人々にとっては、誕生日などの記念日でない限り、1997年8月29日はいつもと変わらない1日として、いつもと変わらない日常を過ごすだろう。

したがって、「未来からの干渉があったかないか知るすべはないから、タイムトラベルが不可能とは言い切れない」ということになる。

量子論の多世界解釈によれば、未来からの干渉があろうかなかろうが世界線(点粒子の時空上の軌跡)は分岐する。そのそれぞれの(無数の)世界の中のどの世界に自分がいるのかによって、自分にとっての歴史は一つしかない。ほかの世界の自分は、ほかの歴史を体験するのだろう。

ということを考えると、タイムトラベルが可能か不可能かわからないが、あるがままの歴史を受け入れるしかないよなぁと思うのである。

時間は存在しない」という理論もあり(だとしたらタイムトラベルは不可能だが)、自分たちが生きられるのは現在だけで、過去を変えることはできないとしたら、より生きやすい未来にするために、現在を生きるしかないだろう。

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2023/08/04

歴史の改変は可能か?

佐々木譲の『図書館の子』を読んだ。

道警シリーズや『地層捜査』など、佐々木譲の小説には好きな作品が多い。しかし、『図書館の子』収録の六編については、まぁ、再読することもなさそうだし、関連作品も読まなくてもよいかなぁ、と思った。

昭和初期の情景を描く文体は読みやすく、情景も浮かんでくるので、小説としての完成度は高い。どうも儂は「歴史改変」ならば普通の小説ではなくSFであることを求めてしまうので、そこがマッチしていないだけなのだろう。

物語の必要上、時系列の出来事(タイムライン)を変更するなら、変更された結果の意外性(センス・オブ・ワンダー)や、理論的背景の説明が欲しい。もちろん架空で構わないので、タイムトラベルの理論や、タイムパラドックスについての言及がないと、物足りなく感じてしまうのだ。

ということで、タイムパラドックスについて。

タイムパラドックスの典型は「親殺しのパラドックス」である。子供が過去に戻って幼い頃の親を殺すと、子供自身が生まれないはずなので、過去に戻ることも親を殺すこともできないはずだ、というパラドックスである。

例えば、映画『ターミネーター』では、近未来、人類を駆逐しようとするスカイネット(AI)が、レジスタンスのリーダーであるジョン・コナーに手を焼いている。そこでスカイネットは、ジョン・コナーを排除するため、ジョンが生まれる前の時代(現代)にターミネーター(殺人ロボット)T-800を送り、母親(サラ・コナー)を殺害しようとする。

ジョンを産む前にサラが死ねば、未来のジョンは存在しなくなり、スカイネットはレジスタンスに手を焼くこともなくなる。子供の存在を消すために親を殺すという「親殺しのパラドックス」の別バージョンである。

T-800が過去に送られたことを知ったジョンは、部下の戦士(カイル)を過去に送る。カイルはサラと協力してターミネーターを破壊する。カイルは死ぬが、その前にサラはカイルの子、後のジョンを宿している。

Terminator_timeline

……というのが映画『ターミネーター』のあらすじで、結局、スカイネットの企みは回避され、ジョンが人類の存続をかけてAIと闘うという未来は変わらない。

だがちょっと待てよ……。そもそもスカイネットがターミネーターを過去に送らなければ、サラとカイルが出会うこともなく、ジョンが生まれることもないわけだ。つまり、スカイネット自身がジョンの登場のきっかけを作ったということにならないか? そして未来のジョンは、部下のカイルが自分の父親になること、そして母と出会ったら死ぬことを知りながら過去へ送り出したのか?

……というわけで、いろいろと考えさせられるほど、時間を扱ったSFは面白くなる。

続編の『ターミネーター2』では、少年期のジョンを抹殺すべくスカイネットは新型のターミネーター(T-1000)を過去へ送る。未来のジョンは旧型のターミネーター(T-800)を人類側の味方として過去へ送って対抗する。

この場合も結局、T-800がT-1000を倒し、元のタイムライン(時間線)が維持される。つまり「歴史の改変は不可能」ということなのだろうか?

じつは『ターミネーター2』ではまた、新たな「親殺しのパラドックス」の変形版が描かれる。スカイネットのCPUは、サラを殺しに来たT-800のCPUを元に設計される。つまりスカイネットの生みの親は、未来の(ターミネーターを送り込んだ)スカイネット自身だったというわけだ。そこで少年のジョンはT-800のCPUを破壊し、スカイネットが開発されないようにする。

サラを殺しに来たT-800のCPUは溶鉱炉に投げ込まれる。そしてジョンを助けに来たT-800は、自身のCPUを破壊するために溶鉱炉に沈んでいく。なんでロボットが死ぬシーンが悲しくなるのかわからないが、ここは感動的な場面だ。

それはともかく、この時点(過去)でT-800のCPUが破壊されれば、スカイネットは生まれないはずだ。スカイネット開発者のダイソン博士も死んでしまったし。したがってスカイネットによる人類殲滅戦という未来は回避され、タイムラインは変更されたことになる。

えーと、そうなると、スカイネットが人類を皆殺しにかかるという「未来の歴史」は起こらないので、スカイネットがターミネーターを送ってきてサラとジョンを殺そうとしたという「歴史的事実」はサラとジョン(およびその関係者)の記憶の中だけのものになってしまうのか?

タイムラインの変更による歴史の改変や、そもそもタイムトラベル(タイムスリップ、タイムリープ)が可能なのかという話は、さらにいろいろ考えるネタになりそうだ。

それよりも昨今気になるのは、タイムトラベルやパラドックスとは関係なく、歴史の捏造や改変をやりたがる連中のことだ。地層や化石、進化、放射性物質による年代測定のように物理・化学・生物・地学的なエビデンスのある「歴史」と違い、人間の歴史は記録にしろ記憶にしろ不完全な部分や都合よく書き換えられた部分がある(当時の権力者にとっての都合だ)。記録はまた、つねに廃棄されたり改竄されたりしてきた。「歴史的真実」を見極めるのは容易ではない。

SF的な「歴史の改変」は面白いネタだが、実生活での「歴史の改変」は警戒すべき事柄だと思うのだ。

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2022/06/11

異星人による地球侵略の可能性

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散歩のたびに泣きそうになってしまう毎日であるが、それはさておき(写真は2020年10月の香貫山にて。以下の文章とは、まったく関係がない)。

アメリカ国防総省がUFO(未確認飛行物体)を調査しているという(https://www.bbc.com/japanese/59411997)。
もちろん、UFOが異星人の乗り物である可能性は限りなく低い。
レーダーの画像に残された異常な運動をする「物体」は実体ではなく、妨害電波などにより生成されたものなのかもしれない。
もちろん、ペンタゴンは妨害電波の発信元は異星人ではなく、ロシアか中国だと考えているだろう。

異星人が地球にやってくる可能性はあるのか?
そしてその異星人は友好的だろうか?敵対的だろうか?

映画『コンタクト』では、地球人が発している電波(意図的に宇宙に向けたものではなく、漏れ出たラジオやテレビ放送の電波)を聞いた異星人が、信号を送り返してくる。その信号を受信するシーンにはドキドキするし、受信した内容にはビックリするのだが、ここには書かない。映画をご覧いただきたい。
もちろん、この映画の原作者はカール・セーガンだから、異星人は善意の存在である。

だが、異星人が存在するとして、善意の存在であるとは限らないのではないか。
SF小説『三体』では、宇宙に向けてメッセージを発信したことから侵略が始まってしまう。その侵略の方法がまた奇想天外なのだが、ここには書かない。小説をお読みいただきたい。

おそらく「UFO=空飛ぶ円盤」と思っている人は、こう考えるのではないか。
恒星間の深淵を超えてやってくる異星人は、地球人よりもはるかに技術的に進んでいるのだから、きっと倫理的にも高潔で、友好的なはずだ、と。

だけどねぇ。
環境汚染や資源の枯渇、地球温暖化、パンデミックなどの危機に対して、世界中の国々が結束して立ち向かわなければならない21世紀なのにねぇ。
曲がりなりにも「大国」とされる国が、国連の常任理事国が、隣国に侵略するといった、信じられないことをやっちゃうのだからねぇ。
核兵器の使用を脅し文句にしたり、化石燃料の供給停止を人質代わりにしたりして。
なんだかなぁ。
科学技術が「進歩」しても、脳の構造は狩猟採集生活のころから「進化」しないわけだから、進んだ文明だからといって、高潔とは限らないよねぇ。

異星人が存在しているとしたら、そしてその精神構造に少しでも地球人に似たところがあるとしたら、いくら技術的に進んでいても、地球侵略はあり得るかもなぁ。
もちろん、生命の発生そのものが稀な現象なら、異星人による地球侵略の可能性はまず、ない。

小惑星探査機「はやぶさ2」が持ち帰った「りゅうぐう」のサンプルからアミノ酸が見つかった(https://curation.isas.jaxa.jp/topics/22-06-10.html)。
原始地球上ではアミノ酸の生成が難しいと考えられることから、地球の生命の起源は小惑星であるという可能性がある。
このことから、宇宙には生命が溢れていると思ってよいのだろうか?

アミノ酸が存在するだけでは、自己増殖する「生命」にはならない。DNAやRNAのような遺伝物質と出会うことが必要だ。
ひょっとしたら、冷えつつある原始地球上で生成されたRNAと、小惑星からもたらされたアミノ酸が結びついて、最初の生命が誕生したのかもしれない。

そうすると、たまたま地球上にRNAが存在する時期に、たまたま小惑星が落ちてきて、たまたま焼け残ったアミノ酸が地上まで到達し、たまたまRNAとアミノ酸が結びついて、たまたま生命が誕生した、ということになりはしないか?
その「たまたま」が起こる確率はどれくらいだろう?
ひょっとしたら、ひょっとして、この宇宙において、生命は稀なものなのだろうか?

生命が稀なものだとすると、「異星人の侵略という人類の存立危機事態に備えるため、地球人の間で争っている場合ではない、協力しなくては」という国際社会の動きは期待できない(『三体』では国連が活躍するのだが、その活躍の仕方がまた奇想天外である)。
まぁ、地球温暖化やパンデミックを前にして、協力ではなく分断を選ぶような人類だから、異星人がいようがいまいが関係ないか。

生命が稀なものだとすると、国家間の争いによって地球環境を悪化させることなどもってのほか、と思うんだけどなぁ。

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2022/02/07

イマジン

まずはウチの近辺の様子から。

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ウメ開花。昨年より一週間くらい遅いかも。

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カワヅザクラも咲き始めた(ピントが合ってない)。

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北海道や日本海側の地方はたいへんな大雪だそうだが、静岡県東部は(寒いけれど)雪の気配はなく、富士山も地肌が見えている。

雪が少ないといえば北京五輪。
人口降雪で対応しているとか。
温暖化が進めば、冬季オリンピックはすべて人工雪になるのでは、なんて話もあるが、そう単純ではない。
地球の平均気温が上がっても、地球上の全地域が温暖になるわけではない。
気候は極端化するので、「経験したことのない大雪」に見舞われる地方も出てくるのだ。

それはさておき、近代オリンピックの精神はどこへやら、商業主義と国家の威信をかけた五輪の開会式で、なぜイマジン。
価値観の押し付けや国家主義とは相容れない歌詞なのに。

変なのは商業オリンピックに乗っかるマスコミも同様で、「メダル」とか「日の丸」とか絶叫するアナウンサーがウザい。
スキーのジャンプ競技で、前に飛んでいます(当たり前だろ)、とか、双曲線を描いて(もちろん正しくは放物線)、とか、どうにかならんか。

その点、スノーボード(スロープスタイル)やフリースタイルスキー(モーグル)の解説は面白かった。
というか、解説してもらわないと、その凄さがわからなかったりする。
なんでそんな格好で跳べるの、とか、何回回ってるの、とか、何気なくやってることが実は難しい、とか、斜面の先が見えないまま翔んでる、とか……。

そして、凄い技やスピードで高い得点が出れば、各国の選手が互いに健闘を称え合う。
そこには国境も宗教もない。
まさにイマジン。

でも、団子になって抱き合ったり叩きあったりするのはいいけれど、感染には気を付けて。
ウイルスにも国境はないからね。

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2021/11/14

「科学的」は科学的なのか?

ニコチンは毒である。

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ニコチンの構造式(出典:Wikipedia)

そりゃそうだ。ナス科の植物は、虫に食われるのを防ぐために、神経毒であるニコチンを生成するように進化し、そのニコチンをヒトは精神安定剤代わりに使ってきた。

いや、この言い方は正しくない。

ニコチンを生成するように変異した植物は、虫に食われにくいので生き残った。

このように目的論を排し、結果論的に考えるの「進化」の正しい解釈である。

それはさておき、ニコチンは神経毒で、昆虫には少量で作用するので、殺虫剤に使える。ヒトにも経口投与では数mgで致死的に作用するので、タバコの吸い殻を漬け込んでおいたペットボトルの水は、殺虫剤に使えるが、飲んではいけない。

このようにニコチンは危険なので、ニコチンに似た殺虫剤として、ネオニコチノイド系農薬が開発された。

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ネオニコチノイド系農薬クロチアニジンの構造式(出典:Wikipedia)

ところが、このネオニコチノイド系の殺虫剤が、ミツバチの失踪事件(蜂群崩壊症候群)の原因ではないかと疑われ、フランス政府は使用禁止とした。

先週11月6日のTBSの番組「報道特集」では、宍道湖で魚が激減した要因として、ネオニコチノイド系農薬によりプランクトンが死滅したことが原因ではないかと報道していた。

魚やトンボだけでなく、ヒトにも影響があるのではないか……ということで、マウスを使った実験なども紹介されていて、なかなか衝撃的であった。

ネオニコチノイド系農薬にたいする規制に乗り出したEUに対し、日本はどうか。

番組の取材に対し、農林水産省の農薬対策課は、「提出された試験成績に基づき、科学的に安全が確保されている農薬だけを登録」しているので問題ないとしていた。

ここで気になったのは「科学的」だから「安全」だという論法が、はなはだ非科学的である、ということだ。

科学的方法論が有効なのは、誤り訂正機能を含むからである。

つまり、一度科学的に検証したから(安全であることが)決定される、というものではなく、科学的検証を繰り返して常に確認し続けなければ、安全とは言えないはずだ。

「提出された試験成績」というところも気に入らない。

人は嘘をつくことがあるし、そのつもりがなくても誤って虚偽の報告をすることがある。

だから、科学的な条件の一つが「再現性」であり、再現実験をして同じ結果が得られなければ、科学的とは言えない。「提出された試験成績」を鵜呑みにした時点で、すでに科学的ではない。

それだけではない。

試験(実験)結果というものは、ちょっとした設定条件の違いによって、大きく異なってしまう(科学的な実験をやったことがあれば、誰でも知っているはずのことだ)。

ここで思い出すのは水俣病の原因である有機水銀(メチル水銀)のことである。

チッソは工場廃液に含まれる水銀は無機水銀(硫酸水銀)なので、工場廃液と水俣病は無関係と主張したが、後に工場廃液に有機水銀が含まれることが判明し、水俣病の原因であることが確定した。
原因判明までの過程では、例によって御用学者が「工場廃液が原因ではない」と「科学的に」主張したりしている。

経済を優先し、環境保全や市民の健康・安全を軽視する「公害」は、過去の話ではないのだ。

疑わしきは禁止、という予防原則が日本において常識的となるのはいつの日だろうか。

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2021/10/17

静脈の色を実測してみた

先日のNHKの番組「チコちゃんに叱られる」では、血は赤いのに血管が青く見えるのはなぜか?という問いを扱っていた。

じつは、これに関して2015年に立命館大学の「文学部 北岡明佳教授が“人間の静脈は実は灰色で、錯視によって青色に見えている”ことを発見!」に基づいて「静脈は青脈にあらず」という記事を書いている。

この記事を書くとき、図解の静脈の色は画像ソフトのカラーパレットから「暖色系の灰色」を選んだ。

しかし本当に、静脈は「灰色」なのだろうか?

ここはやはり、実際に観察して確かめてみなくては。

ということで、スマートフォンを使って自分の腕の皮膚と血管のRGB値を調べた。

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うーむ。実測値を元に描くと、色の差が小さいためか、ちょっと薄くてわかりにくいが、やはり静脈は青みがかって見える。

ちなみに、RGB値の測定には、「何色?」というアプリを使った。

スマートフォンのカメラを通してRGB値や色名がわかるだけでなく、次のように画像の保存ができる。

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このときすでに血管の色が「おちついた きいろ」と表示されている。

「見た目」には青緑色っぽく見えていたのだから、錯覚というやつは本当に恐ろしい。

人間の感覚って、あてにならないねぇ。

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2019/09/16

『ブレードランナー2049』を観た

衛星放送で深夜に放映されていた『ブレードランナー2049』(2017年)を、録画して観た。

前作『ブレードランナー』(1982年)の雰囲気(音楽も含めて)を踏襲した風景。
雨にけぶり無秩序に積み重なったロサンジェルスの街には、PAN-AM(パンナム)やCCCP(ソ連)の文字が見て取れる。

パンナムとソ連、そのどちらも、1982年には存在したが、現在は存在していない。
現実の現在の延長線上の2049年ではなく、前作の架空世界の2019年の延長線上の2049年なのだ。
ちなみに映画『2001年宇宙の旅』にもパンナムとソ連が登場するが、現実の2001年には、どちらも存在しなかった。

ここでは、ネタバレになりそうなことは避けて、細かいところで気になったことなどを書く。

この世界では、コンピュータ出力はブラウン管から一足飛びにホログラムに移行したのだろうか。
ネオンサインや研究所のディスプレイはホログラムなのに、警察の機器などがアナログっぽいのだ。
まてよ、警察の中にもフラットなディスプレイがあったような気がするなぁ。
もう一度観てみないと。

さて、主人公のネクサス9型アンドロイド、“K” には、「電子的な恋人」がいる(いた)。
その “Joi” のホログラムが可愛くて、そして健気なのである。

前作の原作である、フィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』では、人間と、人間そっくりのネクサス6型アンドロイドとの違いは何か、ということが主要なテーマだった。
ディックは共感能力の有無が人間とアンドロイドの違いであるという答えを用意していた。
前作冒頭で奇妙な器具を使っておこなわれていたフォークト・カンプフ検査も、共感能力の有無を調べるためのものだ(残念ながら、今作ではフォークト・カンプフ検査は直接的には出てこない。「解任」対象のネクサス8型アンドロイドは、眼球を調べれば製造番号がわかるからだ)。

前作では、アンドロイドには共感能力がまったくない、というわけではないことが示唆されていた。
仲間の死を悼み、復讐し、自らの生命の終焉に際して追跡者を救う(ルトガー・ハウアー演じるネクサス6型アンドロイドのロイ・バッティ)。

さらに今作では、“K”がネクサス8型アンドロイドのサッパー・モートンと会話する部分で、もはやアンドロイドが人間と区別できないほど「人間的」であることが知らされる。
そしてAIの“Joi”もまた“K”を気遣い、スタンドアロンになって、つまりネットワークから切り離されバックアップもできない状態で、“K”とともに逃亡/追跡の旅に出る。

むしろ、人間のほうがアンドロイド的な感じである(つまり俳優の演技が上手いということだろう)。
コイツは表情に乏しいからアンドロイドかな、と思っていると、アンドロイドに対して差別的な発言をするので人間だとわかる、といった具合だ。

誰が人間かわかりにくいこと、まったくもってすべて不確かになり、足元が崩れ落ちるような感覚は、ディックの世界をうまく描けているということかもしれない。

あと、これはワシの考えすぎかもしれないが、「不毛の子宮」とか遺伝子コドン(ATGC)への言及とかは、シルヴァーバーグの『ガラスの塔』を意識したものだろうか。
『ガラスの塔』は、恒星間通信のためにタキオンを利用した放送塔を北極に建設する話だが、過酷な環境で重労働を強いられるのは、もちろんアンドロイドである。

さて、終盤になって登場するデッカードは年取ったハン=ソロだし(同時期のハリソン・フォードなのだから当たり前だ)、相変わらず折り紙を折っているガフは養老院にいるし、まぁみんなリアルに年取ったこと!
まぁワシも年取ったしな、と思って見ていたら、まったく変わらぬ美貌のレイチェルが出てきてびっくり。
しかもタイトルバックを見ていたら、演じていたのはショーン・ヤング本人だと書いてあるし。
これだけは本当に驚いたので、Wikipedia で調べてからくりがわかったわけだが、ここには書かない。

さてさて、どうも回収されてないと思われる伏線がいっぱいあったので、続編ありそうだなぁ。

 

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2018/11/24

クイズの漢字にゴシック体は不適切

テレビのクイズ番組で、書き順の問題にゴシック体が使われているとガックリくる。

次の図の書体は、テロップなどにもよく使われるモリサワの「新ゴ」だが、「北」や「ム」をこんなふうに書く人がいるだろうか?
「糸」の画数は6画なのだが、ゴシック体だと8画のように見えないか?

ゴシック体は「見るため」「読むため」の文字であって、「書き文字」ではないのだ。

K_shingo

次の図はAndroid スマートフォンなどで使われている Google の Noto というゴシック体(Adobe の「源ノ角ゴシック」も同じ字形)。
やっぱり、ゴシック体のデザインだと、見たり読んだりすることには適しているが、書く文字の形ではない。

K_noto

では、明朝体ならどうだろう。
iPad では次の図のヒラギノ明朝(大日本スクリーン製造)も表示できるが、明朝体もはやり「見る/読む文字」である。

K_hiragino_mincho

次の図は、書籍によく使われるモリサワの「リュウミン」。
大変読みやすい書体だが、やはり画数は正しくない。

K_ryumin

次の図は、楷書体(モリサワの「正楷書体CBSK1」)。
「書き文字」をもとに作られているので、画数などは正しいが、デザイン上「ため」が多いようだ。

K_cbsk1

そこで、小学校の教科書では、「書き文字」のお手本となる教科書体が使われる(次の図はモリサワの「教科書体ICA」)。
「北」や「ム」の形は手書き文字の通りだし、「糸」の画数も正しい。

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ただし、印刷物である教科書の文字は、デジタルデバイスの画面では読みづらい場合がある、ということで開発された新しい教科書体もある。

次の図は、モリサワ(タイプバンク)の「UDデジタル教科書体」で、デジタル教科書でも読みやすく、ディスレクシアの人にも配慮された字形となっている。

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UDデジタル教科書体は Windows 10 にも標準搭載されるようになったので、もっと使われても良いと思う(モリサワやタイプバンクの宣伝をしようと思っているわけではないけどね)。

少なくとも、クイズで教科書の漢字を出すときには、教科書体を使って欲しいもんである。

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2018/10/28

映画『エリジウム』を観た

SF的な設定はいいのに、CGやSFXの質はいいのに、そして豪華名優を並べているのに、B級感が否めない、という点で『アルマゲドン』に通じるところがあるかも。

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まず、宇宙を描けてない。
上の図でスペースコロニーに接近するシャトルは、当然前方に噴射して減速していないと変だ。ところがエリジウムに接近するシャトル(映画ではこの図のようなわかりやすい形ではなくて、もっと凝っているが)は、まるで大気中のジェット機のように後方に噴射し続けているのだ。

それだけでなく、コロニーの居住区の上に着陸しちゃう。
いやいや、コロニーのトーラス(円環)に内側からランデブーするには、かなり複雑な軌道操作が必要で、燃料も浪費するだろう。
だから普通、宇宙船やシャトルはハブ(車軸)にドッキングし、人や物資はスポークを通じてトーラスに降ろすはずだ。

そもそも、トーラスの居住区の「空」が宇宙に解放されているのが変だ。
トーラスの遠心重量が1Gだとしても、数十~数百メートルの壁では、空気の漏出は防げない。
エベレストの頂上だって空気が(薄いけど)あるのだから、空気を留めるための壁の高さは1万メートル以上必要だろう。
そんな壁を作るより、天井を作って密閉したほうがいい。

密閉しなければならない理由はほかにもある。
紫外線や放射線への対策だ。せめて天井をUVガラスにしないと、イリジウムの住人は日焼けや皮膚ガンで苦しむことになる(すぐ治療できるのかも知れないが、苦しむだろう)。
じつはUVガラス程度では太陽からの荷電粒子などは防げないので、コロニーの居住区への光は、二つの反射鏡を使って取り込むことになる。
そのしくみは、ホーガンの『未来の二つの顔』にわかりやすく描かれている(星野之宣が漫画化している)。

・・・という具合で、ツッコミどころ満載なのである。
まぁ、ツッコミを入れることを楽しむ映画だと思えばいいのだが。

名優を生かしきってない点も残念だ。
『コンタクト』で科学者を演じていたジュディ・フォスターが冷徹な長官なのは新鮮で面白かったのに、あっさり死んじゃうし。
同じく『コンタクト』で盲目の科学者、『ブラックホーク・ダウン』では果敢な軍曹を演じていたウィリアム・フィクナーが人間味のないCEO役で、やっぱり死んじゃうし(しかもシャトルの座席に座ったまま)。

もうちょっと、兵器や人体破壊とは別のところにSF的なネタが欲しかったかなぁ。

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