2025/08/05

見えないけれどあるんだよ、と思ったら、ないのかも

一昨日の記事で書き漏らしたことがある。

NHKのテレビ番組『ブラタモリ』の富士山スペシャルを見ているときのこと。
富士山のできかたについての小山先生の説明を聞いていたムスメたちが、驚いて言った。

「ウチの下には、プレートがないってこと?」

見えないけれど(地下だから)あるはずと思っていたフィリピン海プレートが、実際にはないのかもしれない。

4年前の「なゐの国」という記事に載せた図を再録する。この図は、「伊豆半島ジオパーク」に掲載されているもので、日本列島を構成するプレートの境界と火山(赤い点)を示している。

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伊豆半島はもともとフィリピン海プレート上の海底火山群だった。
フィリピン海プレートの移動に伴って、本州を構成するアムールプレート(ユーラシアプレート)とオホーツクプレート(北米プレート)にぶつかり、乗り上げて陸地(半島)になった。

……というのが従来の説明だったが、じつはフィリピン海プレートは陸のプレートの下にそのままスルリと潜り込んでいるわけではなく、左右に(東西に)裂けているらしいのだ。

次の図は、内閣府防災情報「第1章 富士山の山としての特性」からの引用である。
フィリピン海プレートがグレーで示されていて、その深さを等高線で表している。

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フィリピン海プレートは伊豆半島の北で裂けていることがわかる。
ウチのあたりでは、ユーラシアプレートの下にフィリピン海プレートがあると思っていたが、フィリピン海プレートはなくて、裂け目となっている。

フィリピン海プレートの下には、東から太平洋プレートが沈み込んでいる。
地下深く沈み込んだ太平洋プレートから染み出した水によりマントル(固体)の融点が下がり、マグマ(液体)となって上昇する。
そのマグマが、フィリピン海プレートの裂け目あたりの地下、15kmくらいの深さに大きなマグマ溜りを作っているらしい。

富士山の特徴として、玄武岩質のマグマであることと、短期間に大量の溶岩を噴出したことが挙げられる。
この特徴が、フィリピン海プレートの裂け目にマグマ溜りがあることで、説明できるのだそうだ。

昨年11月28日に香貫山に登ったときの写真を見てみよう。

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富士山の手前に愛鷹山、その手前に広がる沼津市街。
このあたりが、フィリピン海プレートの裂け目の上にあたる。

先ほどの図に、富士山と愛鷹山、香貫山の位置を書き入れてみた。

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香貫山はちょうど、フィリピン海プレートが沈み込み、裂け始めるあたりのようだ。
富士山も愛鷹山も、裂け目のマグマ溜まりからの噴出物でできた山だ。
沼津市街の地質は河川堆積物や火山灰だが、その地下にプレート境界があるのだろうか。

香貫山から南方向には、伊豆半島の山々や、沼津アルプス(海底火山の名残が隆起したもの)が眺められる。
この景色はほぼすべてフィリピン海プレートの上の地形である。

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うーむ。
フィリピン海プレートの裂け目の上、巨大なマグマ溜まりができるあたりに住んでいると思うと、ちょっとお尻がムズムズして落ち着かないぞ。

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2025/08/03

近隣で起こった衝撃的なこと

7月30日(水曜日)8時25分にカムチャツカ半島沖を震源とする地震により津波が発生し、太平洋岸の交通網は大混乱に陥った。
ウチの娘も東海道線が運休となったので、新幹線を使っての帰宅となった。
交通網の混乱以外にも、避難時の車の渋滞や避難場所の冷房の有無など、多くの課題が明らかになった。

近隣での津波の状況はというと、沼津市内浦で最大0.4mだったようだ。
警報発令時に予想されていた3mに達することはなく、それはそれで被害が生じなくてよかった。
ただし、驚くべきはその津波がやって来た時刻である。

最初の津波到着は発生から3時間後の11時半ごろで、このときには「若干の海面変動」だったようだ。
その後、津波は何度も到着し、発生から9時間後の17時23分に0.3m、発生から13時間半後の21時48分に0.4mだった。

津波はジェット機ほどの速さで海中を進むが、陸地に近づくと、浅い海底の抵抗を受けて自動車ほどの速さになる。
そこで先行する津波に後続の津波が追いつき、後の津波ほど高くなるという。

津波は普通の波ではなく、ソリトン(孤立波)である。
ソリトンはなかなか減衰せず、遠くまで到達するという特徴がある。
カムチャツカ半島沖で発生した津波は、太平洋岸に直接届く第1波だけでなく、海底地形で反射して第2波、第3波と、次々にやってくる。
今回の津波は、カムチャツカ半島からハワイ列島へと南北に伸びる海底火山の連なり(天皇海山列)で谺(こだま)のように反射したと考えられている。

規模が大きいのに揺れを感じないほど遠方の地震による津波。
それが、これほど長時間に渡って影響を及ぼすとは、驚くべきことである。

地球儀で見ればカムチャツカ半島もハワイも日本列島の近隣だが、本当に間近の南海トラフを震源とする地震が発生すれば、沼津市には10m程度の津波が数分後に襲来すると想定されている。
距離的にも時間的にも近隣に潜む恐怖だが、まぁ覚悟して備えるしかあるまい。

さて、昨日(8月2日)は、近隣の門池公園で花火大会の予定だったが、予定の時刻になっても花火の音がしない。
どうしたのかと思ったら、夕方に水難事故があったため、花火大会は中止になったという。

この水難事故では、高校生二人が亡くなったそうだ。
その場所は、先日トンボの写真を撮ったあたりらしい。
十代で将来を絶たれるとは、なんとも痛ましいことである。

最後に、衝撃的ではあるがむしろ興味深い話題について。

昨日のNHKのテレビ番組『ブラタモリ』は富士山スペシャルだった。
富士山は(雲がなければ)ウチから見られる近隣の山である。
その富士山の中腹に、宝永火口がある。
次の写真は2004年10月17日に水ヶ塚公園から撮ったもので、正面のくぼみが宝永火口、右側に突き出た明るい褐色の部分が宝永山である。

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富士山の六合目から宝永火口に向かう登山道から見ると、宝永山のところだけ、色も表面の様子も異なることがわかる。

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宝永山のこの部分が、古富士山の名残だろうと思っていた。
富士山の形成に関する書籍にもそう書いてあるし、実際に眺めてみて、なるほどなぁと思っていたのだが……。

なんと、ここ10年の研究で、宝永山は古富士山の名残ではなく、宝永火口からの噴出物だとわかったという。
10年前の『ブラタモリ』では「古富士山」だと言っていた静岡大学の小山名誉教授も、今回は「研究者は50年間騙されていた」と語っていた。
2018年の豪雨で表層が崩れ、実態が明らかになったそうだ。

定説となっていた仮説は、ある日新たな発見や知見により覆される。
常にアップデートすることにより、科学は進歩していくのである。

そこで勘違いしてはいけないのは、歴史についてである。

歴史学が科学的であるためには、当然のことながら、新たな発見や知見により、アップデートしていく必要がある。
アップデートしていくことと、「歴史修正」とは違う。
歴史修正主義者は、「自分が信じたい歴史が正しい歴史である」と主張するが、これは明らかに非科学的である。

科学とは、仮説を立て、その仮説を徹底的に叩きのめして(検証して)生き残るかどうかを確かめることだ。
「この仮説が気に入っている」「この仮説が正しいと権威者が言っている」なんてことは、捨て去るべきなのである。

だから、「歴史修正主義」なんていう紛らわしい呼び方はやめて、「歴史改竄主義」とか「歴史ご都合主義」とか呼んだほうがいい。
……なんてことを考えていて、「歴史修正主義」を笑い飛ばしたほうが効果的かもなぁ、などと思いついた。
ということで……

歴史無修正主義宣言
黒塗りしたり、モザイクを掛けたり、ぼかしたりして、(権威者の都合の悪い部分を)隠すことを拒否する!
捏造したり、ツギハギ(コラージュ)することも拒否する!
無修正の「裸の歴史」を、ありのままに直視せよ!

なんていうことを言っていないと不安になる8月である。

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2025/04/03

卒業アルバムは停止液の臭い

昨日(4月2日水曜日)の午前中、晴れたので散歩に出かけた。
下の娘に誘われた形である。
普段は夕方に散歩に出るのだが、この日は午後雨の予報で、実際午後にはまとまった雨が降ったので、午前中の散歩は有効であった。

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桜はまだ満開に至らないが、欅や柳が芽吹いていて、水辺の景色は優しげになっていた。

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午後は、NHK BS で放送された映画『天国と地獄』(1963年)をカミさんと観た(録画しておいたもの)。
エド・マクベインの87分署シリーズの『キングの身代金』を原作とする黒澤明監督作品である。
前半は原作に沿っているが、特急「こだま」を利用した身代金受け渡しや、後半の犯人を追い詰めていく展開は黒澤オリジナルである。

いちばんの感想は、「昭和三十年代って、あんなだったっけ?」というものだ。
街はごみごみしているし、川は汚れているし、冷房はないし、どこでも(病院の待合室ですら!)タバコを吸うし……。
記憶の彼方にある、あの臭いが、モノクロームの画面から微かに漂ってくるような気がした。

舞台となった横浜や江ノ電沿線は、実家に近く土地勘があるので、その点でも興味深く観ることができた。

その実家に2月に行ったとき、納戸にあった小中学校の卒業アルバムを持ち帰った。
一昨日(4月1日)の午後、その卒業アルバムをバラし、一部をスキャンして処分した。

卒業アルバムのほか、小学校の卒業文集もあり、儂が小学6年生のときに、小学2年生のころを振り返って書いた文章があったので、引用してみよう。
固有名詞を伏せ字にしたほかは、原文ママである。

転校一日目
 ぼくが引っ越して来たのは、昭和四十一年一月十八日のことだった。前にいたのは、「Y国立大学学芸学部付属K小学校」と言う学校だった。略して「付属」と言っている。ぼくは引っ越してきた次の日にもう学校へ行くなんて早いと思ったが、行くことにした。しかし、もしこんどの学校の方が進んでいたらどうしよう。おかあさんは「付属のほうがきっと進んでいるから平気よ。」と言っていたが、なんとなく心配だった。その日は雪が少しつもっていたので、学校に行っても、運動場で遊んでいる子はいなかった。
 そのとき入った組は二年三組、K先生の組だ。ぼくの席はF君のとなりになった。その時間は算数だった。「二円の鉛筆かぶせ六つではいくらですか?。」K先生の声が飛ぶ。F君が「二✕六のことだよ。」と教えてくれたが、なんのことだかぜんぜんわからない。なぜかと言えばまだ付属では、かけ算の九九の「か」の字も習っていなかったからだ。そのときはF君に答えを見せてもらったが、どうしてこうも勉強の進み方がちがうのだろうと思った。
 なんども泣きそうになってしまったその日。家に帰って九九の猛練習をしたその日。けれども今思い出せば楽しい一日だった。けれどももう二度と転校したいとは思わない。

母の想像と違い、教育学部附属小学校は実験的なカリキュラムを組むこともあるので、一般的な公立学校とは進度が違い、掛け算の九九については遅れていたのである。
ちなみに「鉛筆かぶせ」は鉛筆キャップのことで、こういうカルチャーショックもキツかった。

「もう二度と転校したいとは思わない」と書いた2年後、中学2年生のときに再び転校することになる。
さらに中学3年生のときにも転校したので、中学の卒業アルバムは3校分、つまり3冊持っている。

小学校を含めて計4冊の卒業アルバムをバラしてスキャンする工程では、室内に異様な臭いが漂った。
古い卒業アルバムは印刷ではなく「写真」なので、印画紙に染み込んだ現像停止液(希釈酢酸)と、埃や黴の臭いが入り混じった臭いである。

幼少期のアルバムは既にスキャンしたので、これで儂の昭和三十年代・四十年代はすべて電子化され、無臭となった。

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2025/03/05

『フルメタル・ジャケット』と『プラトーン』

NHK BS で放映された『フルメタル・ジャケット』を観た。

ベトナム戦争を描いた映画のうち、公開当時に観たのは『グッドモーニング・ベトナム』くらいである。
他の話題作は機会があったら観よう、と思っているうちに、半世紀近く経ってしまった。
なんてこった。

『フルメタル・ジャケット』の監督はスタンリー・キューブリックだから、またクセがあって毒のあるユーモアをかましたりするのだろうなぁ、と思っていたら、ほぼ全編、セリフは下半身関連であった。
前半では海兵隊の新兵訓練、後半ではベトナムの市街戦が描かれるが、そのどちらでも教官や兵士の口から出てくる言葉は「フ●●●」と「シ●●」ばかりなのである。

『フルメタル・ジャケット』のタイトルは、前半の最後にライフル弾(被覆鋼弾、完全被甲弾)を用いた殺人で回収される。
若者を殺人兵器に変える訓練の完成を表している、と言っていいのかどうか……。

『フルメタル・ジャケット』は、戦争の狂気と理不尽を描いている点では、他のベトナム戦争映画と共通しているが、オリヴァー・ストーンの『プラトーン』などと比べると、より狂気の度が強いように思う。
コッポラの『地獄の黙示録』の狂気も相当なものだが、コッポラほどドラマティックではない。

なんでかなぁ、と考えていて思い至ったのは、『フルメタル・ジャケット』には、状況に抗おうとする人物が一人も出てこない、ということだ。

『プラトーン』や『7月4日に生まれて』、『グッドモーニング・ベトナム』では、主人公や周囲の人たちが、正気を保ち(保とうとし)、不条理に抗おうとする様子が描かれるが、『フルメタル・ジャケット』では、誰も状況に抗わない。
諦めているのか、流されているのか、染まっているのか……。

人間の本質というものを考えると、より現実的に戦争を描いているのは、『フルメタル・ジャケット』のほうなのかもなぁ、と思ったりもした。

さて、『プラトーン』というと、よく次のシーンがパロディなどに用いられる。

Platoon

両手を挙げたこの姿勢を『ショーシャンクの空に』あたりと混同している人がいるが、『プラトーン』のポスターやディスクのジャケットに描かれているこの人は主人公ではないし、開放されて喜んでいるところでもない。

小隊(プラトーン)の中では比較的まともだった軍曹が、ベトコンに背後から撃たれてまさに死のうとしているときなのである。
しかも、その前にもう一人の軍曹(悪辣なやつ)に撃たれて、ベトコンのいるジャングルに置き去りにされていたのだ。
意識を取り戻し、ジャングルから脱して主人公たちの乗るヘリコプターに駆け寄ろうとして、背後から撃たれた、そのシーンなのである。

まぁ、ある意味で、地獄の戦場から開放されたとき、と言えるかも知れないが……。

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2023/08/18

湧き上がる雲の下のバーベンハイマー

昨日草を刈り少しスッキリした庭の、カツラの木でツクツクボウシが鳴いている。

台風7号が通り過ぎても晴れず、一昨日まで雨が降り続いた。温暖化のせいで「台風一過」もなくなってしまったのだろうかと思った。だが夏は確かに過ぎつつあるようで、クマゼミやミンミンゼミの骸を見ることも多く、蝉たちの編成が移り変わっていることを実感する。湧き上がる入道雲と同じ空に、薄く流れる雲を見るようになった。

8月は新聞を読むのもテレビを観るのも苦痛だが、その原因はもちろん「太平洋戦争」と称される戦争にある。今年の広島の平和記念式典では、湯崎英彦知事がその挨拶の中で「核抑止論者に問いたい」と真っ向から意見していた。なぜか、NHKをはじめTV各社のニュース報道では取り上げられていなかったが……。

核兵器といえば、原爆の開発を主導した科学者を描いた映画『オッペンハイマー』と、コメディー映画『バービー』の同時公開を発端とする「バーベンハイマー」騒動があった。

原爆をギャグにするアメリカ人のセンスは、核兵器の被害に対する無知から来ているのだろうなぁ、と思う。ハリウッド映画で描かれる核爆発の描写を観ると、その甘さにため息が出ることがある。最近テレビで見た中で酷かったのは、『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』かなぁ。核兵器の実験施設、というか効果測定用の標的の建物内にいても、鉛で被覆された冷蔵庫に隠れれば、爆風や放射線にさらされても大丈夫だと?

まぁ、核保有国の感覚、核抑止論者の感覚はそんなものなのかなぁと思いつつ、「そんな人たち」に核兵器を持たせておくのは危険だとも思う。自分だけは生き残れると思っているのだろうか?

Barbenheimer

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2023/08/09

タイムトラベルは可能か?

前回の記事「歴史の改変は可能か」の図に誤りがあった。映画『ターミネーター2』の終盤で、ターミネーターとそのCPUをすべて溶鉱炉で融かしたのだから、歴史は変わった(未来は変更された)ことになる。

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『ターミネーター』の時系列(①)では、未来からの干渉によってジョン・コナーが生まれ、人類とAIが闘うことになる。『ターミネーター2』の時系列(②)では、未来からの干渉によって、スカイネット(人類を滅ぼそうするAI)は生まれないことになる。

Terminator_timeline_2

「タイムトラベルは可能か」という議論において、「このような未来からの干渉の事例がないから、タイムトラベルは不可能」という考え方がある。しかしこれには、大きな弱点がある。

未来からの干渉があって時系列が変更されたとき、その渦中にいる人間は変更されたことに気づくのだろうか? たとえば、サラとジョンや、ダイソン博士の妻は1997年8月29日午前2時5分にスカイネットが自我に目覚め、核ミサイルを発射することを知っているので、1997年8月30日になったときにはホッとしたであろう。しかし、そのほかの人々にとっては、誕生日などの記念日でない限り、1997年8月29日はいつもと変わらない1日として、いつもと変わらない日常を過ごすだろう。

したがって、「未来からの干渉があったかないか知るすべはないから、タイムトラベルが不可能とは言い切れない」ということになる。

量子論の多世界解釈によれば、未来からの干渉があろうかなかろうが世界線(点粒子の時空上の軌跡)は分岐する。そのそれぞれの(無数の)世界の中のどの世界に自分がいるのかによって、自分にとっての歴史は一つしかない。ほかの世界の自分は、ほかの歴史を体験するのだろう。

ということを考えると、タイムトラベルが可能か不可能かわからないが、あるがままの歴史を受け入れるしかないよなぁと思うのである。

時間は存在しない」という理論もあり(だとしたらタイムトラベルは不可能だが)、自分たちが生きられるのは現在だけで、過去を変えることはできないとしたら、より生きやすい未来にするために、現在を生きるしかないだろう。

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2023/08/04

歴史の改変は可能か?

佐々木譲の『図書館の子』を読んだ。

道警シリーズや『地層捜査』など、佐々木譲の小説には好きな作品が多い。しかし、『図書館の子』収録の六編については、まぁ、再読することもなさそうだし、関連作品も読まなくてもよいかなぁ、と思った。

昭和初期の情景を描く文体は読みやすく、情景も浮かんでくるので、小説としての完成度は高い。どうも儂は「歴史改変」ならば普通の小説ではなくSFであることを求めてしまうので、そこがマッチしていないだけなのだろう。

物語の必要上、時系列の出来事(タイムライン)を変更するなら、変更された結果の意外性(センス・オブ・ワンダー)や、理論的背景の説明が欲しい。もちろん架空で構わないので、タイムトラベルの理論や、タイムパラドックスについての言及がないと、物足りなく感じてしまうのだ。

ということで、タイムパラドックスについて。

タイムパラドックスの典型は「親殺しのパラドックス」である。子供が過去に戻って幼い頃の親を殺すと、子供自身が生まれないはずなので、過去に戻ることも親を殺すこともできないはずだ、というパラドックスである。

例えば、映画『ターミネーター』では、近未来、人類を駆逐しようとするスカイネット(AI)が、レジスタンスのリーダーであるジョン・コナーに手を焼いている。そこでスカイネットは、ジョン・コナーを排除するため、ジョンが生まれる前の時代(現代)にターミネーター(殺人ロボット)T-800を送り、母親(サラ・コナー)を殺害しようとする。

ジョンを産む前にサラが死ねば、未来のジョンは存在しなくなり、スカイネットはレジスタンスに手を焼くこともなくなる。子供の存在を消すために親を殺すという「親殺しのパラドックス」の別バージョンである。

T-800が過去に送られたことを知ったジョンは、部下の戦士(カイル)を過去に送る。カイルはサラと協力してターミネーターを破壊する。カイルは死ぬが、その前にサラはカイルの子、後のジョンを宿している。

Terminator_timeline

……というのが映画『ターミネーター』のあらすじで、結局、スカイネットの企みは回避され、ジョンが人類の存続をかけてAIと闘うという未来は変わらない。

だがちょっと待てよ……。そもそもスカイネットがターミネーターを過去に送らなければ、サラとカイルが出会うこともなく、ジョンが生まれることもないわけだ。つまり、スカイネット自身がジョンの登場のきっかけを作ったということにならないか? そして未来のジョンは、部下のカイルが自分の父親になること、そして母と出会ったら死ぬことを知りながら過去へ送り出したのか?

……というわけで、いろいろと考えさせられるほど、時間を扱ったSFは面白くなる。

続編の『ターミネーター2』では、少年期のジョンを抹殺すべくスカイネットは新型のターミネーター(T-1000)を過去へ送る。未来のジョンは旧型のターミネーター(T-800)を人類側の味方として過去へ送って対抗する。

この場合も結局、T-800がT-1000を倒し、元のタイムライン(時間線)が維持される。つまり「歴史の改変は不可能」ということなのだろうか?

じつは『ターミネーター2』ではまた、新たな「親殺しのパラドックス」の変形版が描かれる。スカイネットのCPUは、サラを殺しに来たT-800のCPUを元に設計される。つまりスカイネットの生みの親は、未来の(ターミネーターを送り込んだ)スカイネット自身だったというわけだ。そこで少年のジョンはT-800のCPUを破壊し、スカイネットが開発されないようにする。

サラを殺しに来たT-800のCPUは溶鉱炉に投げ込まれる。そしてジョンを助けに来たT-800は、自身のCPUを破壊するために溶鉱炉に沈んでいく。なんでロボットが死ぬシーンが悲しくなるのかわからないが、ここは感動的な場面だ。

それはともかく、この時点(過去)でT-800のCPUが破壊されれば、スカイネットは生まれないはずだ。スカイネット開発者のダイソン博士も死んでしまったし。したがってスカイネットによる人類殲滅戦という未来は回避され、タイムラインは変更されたことになる。

えーと、そうなると、スカイネットが人類を皆殺しにかかるという「未来の歴史」は起こらないので、スカイネットがターミネーターを送ってきてサラとジョンを殺そうとしたという「歴史的事実」はサラとジョン(およびその関係者)の記憶の中だけのものになってしまうのか?

タイムラインの変更による歴史の改変や、そもそもタイムトラベル(タイムスリップ、タイムリープ)が可能なのかという話は、さらにいろいろ考えるネタになりそうだ。

それよりも昨今気になるのは、タイムトラベルやパラドックスとは関係なく、歴史の捏造や改変をやりたがる連中のことだ。地層や化石、進化、放射性物質による年代測定のように物理・化学・生物・地学的なエビデンスのある「歴史」と違い、人間の歴史は記録にしろ記憶にしろ不完全な部分や都合よく書き換えられた部分がある(当時の権力者にとっての都合だ)。記録はまた、つねに廃棄されたり改竄されたりしてきた。「歴史的真実」を見極めるのは容易ではない。

SF的な「歴史の改変」は面白いネタだが、実生活での「歴史の改変」は警戒すべき事柄だと思うのだ。

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2022/06/11

異星人による地球侵略の可能性

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散歩のたびに泣きそうになってしまう毎日であるが、それはさておき(写真は2020年10月の香貫山にて。以下の文章とは、まったく関係がない)。

アメリカ国防総省がUFO(未確認飛行物体)を調査しているという(https://www.bbc.com/japanese/59411997)。
もちろん、UFOが異星人の乗り物である可能性は限りなく低い。
レーダーの画像に残された異常な運動をする「物体」は実体ではなく、妨害電波などにより生成されたものなのかもしれない。
もちろん、ペンタゴンは妨害電波の発信元は異星人ではなく、ロシアか中国だと考えているだろう。

異星人が地球にやってくる可能性はあるのか?
そしてその異星人は友好的だろうか?敵対的だろうか?

映画『コンタクト』では、地球人が発している電波(意図的に宇宙に向けたものではなく、漏れ出たラジオやテレビ放送の電波)を聞いた異星人が、信号を送り返してくる。その信号を受信するシーンにはドキドキするし、受信した内容にはビックリするのだが、ここには書かない。映画をご覧いただきたい。
もちろん、この映画の原作者はカール・セーガンだから、異星人は善意の存在である。

だが、異星人が存在するとして、善意の存在であるとは限らないのではないか。
SF小説『三体』では、宇宙に向けてメッセージを発信したことから侵略が始まってしまう。その侵略の方法がまた奇想天外なのだが、ここには書かない。小説をお読みいただきたい。

おそらく「UFO=空飛ぶ円盤」と思っている人は、こう考えるのではないか。
恒星間の深淵を超えてやってくる異星人は、地球人よりもはるかに技術的に進んでいるのだから、きっと倫理的にも高潔で、友好的なはずだ、と。

だけどねぇ。
環境汚染や資源の枯渇、地球温暖化、パンデミックなどの危機に対して、世界中の国々が結束して立ち向かわなければならない21世紀なのにねぇ。
曲がりなりにも「大国」とされる国が、国連の常任理事国が、隣国に侵略するといった、信じられないことをやっちゃうのだからねぇ。
核兵器の使用を脅し文句にしたり、化石燃料の供給停止を人質代わりにしたりして。
なんだかなぁ。
科学技術が「進歩」しても、脳の構造は狩猟採集生活のころから「進化」しないわけだから、進んだ文明だからといって、高潔とは限らないよねぇ。

異星人が存在しているとしたら、そしてその精神構造に少しでも地球人に似たところがあるとしたら、いくら技術的に進んでいても、地球侵略はあり得るかもなぁ。
もちろん、生命の発生そのものが稀な現象なら、異星人による地球侵略の可能性はまず、ない。

小惑星探査機「はやぶさ2」が持ち帰った「りゅうぐう」のサンプルからアミノ酸が見つかった(https://curation.isas.jaxa.jp/topics/22-06-10.html)。
原始地球上ではアミノ酸の生成が難しいと考えられることから、地球の生命の起源は小惑星であるという可能性がある。
このことから、宇宙には生命が溢れていると思ってよいのだろうか?

アミノ酸が存在するだけでは、自己増殖する「生命」にはならない。DNAやRNAのような遺伝物質と出会うことが必要だ。
ひょっとしたら、冷えつつある原始地球上で生成されたRNAと、小惑星からもたらされたアミノ酸が結びついて、最初の生命が誕生したのかもしれない。

そうすると、たまたま地球上にRNAが存在する時期に、たまたま小惑星が落ちてきて、たまたま焼け残ったアミノ酸が地上まで到達し、たまたまRNAとアミノ酸が結びついて、たまたま生命が誕生した、ということになりはしないか?
その「たまたま」が起こる確率はどれくらいだろう?
ひょっとしたら、ひょっとして、この宇宙において、生命は稀なものなのだろうか?

生命が稀なものだとすると、「異星人の侵略という人類の存立危機事態に備えるため、地球人の間で争っている場合ではない、協力しなくては」という国際社会の動きは期待できない(『三体』では国連が活躍するのだが、その活躍の仕方がまた奇想天外である)。
まぁ、地球温暖化やパンデミックを前にして、協力ではなく分断を選ぶような人類だから、異星人がいようがいまいが関係ないか。

生命が稀なものだとすると、国家間の争いによって地球環境を悪化させることなどもってのほか、と思うんだけどなぁ。

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2022/02/07

イマジン

まずはウチの近辺の様子から。

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ウメ開花。昨年より一週間くらい遅いかも。

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カワヅザクラも咲き始めた(ピントが合ってない)。

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北海道や日本海側の地方はたいへんな大雪だそうだが、静岡県東部は(寒いけれど)雪の気配はなく、富士山も地肌が見えている。

雪が少ないといえば北京五輪。
人工降雪で対応しているとか。
温暖化が進めば、冬季オリンピックはすべて人工雪になるのでは、なんて話もあるが、そう単純ではない。
地球の平均気温が上がっても、地球上の全地域が温暖になるわけではない。
気候は極端化するので、「経験したことのない大雪」に見舞われる地方も出てくるのだ。

それはさておき、近代オリンピックの精神はどこへやら、商業主義と国家の威信をかけた五輪の開会式で、なぜイマジン。
価値観の押し付けや国家主義とは相容れない歌詞なのに。

変なのは商業オリンピックに乗っかるマスコミも同様で、「メダル」とか「日の丸」とか絶叫するアナウンサーがウザい。
スキーのジャンプ競技で、前に飛んでいます(当たり前だろ)、とか、双曲線を描いて(もちろん正しくは放物線)、とか、どうにかならんか。

その点、スノーボード(スロープスタイル)やフリースタイルスキー(モーグル)の解説は面白かった。
というか、解説してもらわないと、その凄さがわからなかったりする。
なんでそんな格好で跳べるの、とか、何回回ってるの、とか、何気なくやってることが実は難しい、とか、斜面の先が見えないまま翔んでる、とか……。

そして、凄い技やスピードで高い得点が出れば、各国の選手が互いに健闘を称え合う。
そこには国境も宗教もない。
まさにイマジン。

でも、団子になって抱き合ったり叩きあったりするのはいいけれど、感染には気を付けて。
ウイルスにも国境はないからね。

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2021/11/14

「科学的」は科学的なのか?

ニコチンは毒である。

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ニコチンの構造式(出典:Wikipedia)

そりゃそうだ。ナス科の植物は、虫に食われるのを防ぐために、神経毒であるニコチンを生成するように進化し、そのニコチンをヒトは精神安定剤代わりに使ってきた。

いや、この言い方は正しくない。

ニコチンを生成するように変異した植物は、虫に食われにくいので生き残った。

このように目的論を排し、結果論的に考えるの「進化」の正しい解釈である。

それはさておき、ニコチンは神経毒で、昆虫には少量で作用するので、殺虫剤に使える。ヒトにも経口投与では数mgで致死的に作用するので、タバコの吸い殻を漬け込んでおいたペットボトルの水は、殺虫剤に使えるが、飲んではいけない。

このようにニコチンは危険なので、ニコチンに似た殺虫剤として、ネオニコチノイド系農薬が開発された。

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ネオニコチノイド系農薬クロチアニジンの構造式(出典:Wikipedia)

ところが、このネオニコチノイド系の殺虫剤が、ミツバチの失踪事件(蜂群崩壊症候群)の原因ではないかと疑われ、フランス政府は使用禁止とした。

先週11月6日のTBSの番組「報道特集」では、宍道湖で魚が激減した要因として、ネオニコチノイド系農薬によりプランクトンが死滅したことが原因ではないかと報道していた。

魚やトンボだけでなく、ヒトにも影響があるのではないか……ということで、マウスを使った実験なども紹介されていて、なかなか衝撃的であった。

ネオニコチノイド系農薬にたいする規制に乗り出したEUに対し、日本はどうか。

番組の取材に対し、農林水産省の農薬対策課は、「提出された試験成績に基づき、科学的に安全が確保されている農薬だけを登録」しているので問題ないとしていた。

ここで気になったのは「科学的」だから「安全」だという論法が、はなはだ非科学的である、ということだ。

科学的方法論が有効なのは、誤り訂正機能を含むからである。

つまり、一度科学的に検証したから(安全であることが)決定される、というものではなく、科学的検証を繰り返して常に確認し続けなければ、安全とは言えないはずだ。

「提出された試験成績」というところも気に入らない。

人は嘘をつくことがあるし、そのつもりがなくても誤って虚偽の報告をすることがある。

だから、科学的な条件の一つが「再現性」であり、再現実験をして同じ結果が得られなければ、科学的とは言えない。「提出された試験成績」を鵜呑みにした時点で、すでに科学的ではない。

それだけではない。

試験(実験)結果というものは、ちょっとした設定条件の違いによって、大きく異なってしまう(科学的な実験をやったことがあれば、誰でも知っているはずのことだ)。

ここで思い出すのは水俣病の原因である有機水銀(メチル水銀)のことである。

チッソは工場廃液に含まれる水銀は無機水銀(硫酸水銀)なので、工場廃液と水俣病は無関係と主張したが、後に工場廃液に有機水銀が含まれることが判明し、水俣病の原因であることが確定した。
原因判明までの過程では、例によって御用学者が「工場廃液が原因ではない」と「科学的に」主張したりしている。

経済を優先し、環境保全や市民の健康・安全を軽視する「公害」は、過去の話ではないのだ。

疑わしきは禁止、という予防原則が日本において常識的となるのはいつの日だろうか。

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