2023/05/31

『はだしのゲン』を読んだ

はだしのゲン』を最初に読んだのは、1970年代はじめ、中学校の図書室だったと思う。
当時は原爆投下とその直後の悲惨さだけが印象に残ったが、読み直してみると、戦後の話のほうが長い。

そしてある意味で、原爆投下直後よりも非道い。
ゲンの一家や仲間たちの「敵」は、原爆を投下したアメリカ軍、被爆者を実験サンプルとしか見なさないアメリカ政府だけではない。
むしろ、日本人の大人たちに対する憤りのほうが大きいのではないか。

子どもたちを(大人たちが始めた)戦争の道連れにして命を奪い、親兄弟を奪い、住む家を奪い、教育の機会を奪い、肉体的・精神的に傷付け、被爆者を差別する……。

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儂の親の世代は、ゲンと同じように終戦時に小中学生だった。
その親の話を聞くと、やはり大人たちの変わり身の速さに腹が立ったという。

玉音放送の翌日、軍事教練で生徒に体罰を加え続けてきた教官は、中学生からの仕返しを恐れて逃亡する。
英語の教師が急に威張りだす。
鬼畜米英、一億火の玉、と叫んでいた大人たちが「じつは戦争には反対だったのだ」「竹槍で勝てるわけがないと思っていた」と言い始める。

太平洋戦争への道 1931-1941』などでは戦前の状況について、慎重な軍部を国民が煽り、無謀な戦争へと突き進んだ側面もあると書かれている。
いまを「新しい戦前」にしないために、戦争を体験せずに老人となった儂らは、何ができるだろうか。

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2022/03/20

風評被害

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2021/09/26

植物は「端だけ」成長する

約15年前、「トトロの大木は一夜にして成らず?」という記事を書いた。
アニメ映画『となりのトトロ』の有名なシーンをネタにしたものだ。

どのシーンかというと、このシーン。
スタジオジブリ提供の「場面写真」を載せておく(ジブリさん、ありがとう。使わせてもらいます)。

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植物の成長については学生時代から観察してきたので、現実の成長のしかたとは違うなぁ、と思い、模写したのが次の図である(当時、DVDを一時停止して、テレビのブラウン管にトレーシングペーパーを押し当てて、トレースした)。

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木の成長につれて、下のほうにあった小さな枝の位置が、上へと移動している。

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このように描いたほうが、より成長しているように見えるのはわかるが(だから作品世界の中の描写としては否定しないが)、植物の成長の法則は、動物とは大きく異なる。

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ウチの庭で「緑のカーテン」にしているリュウキュウアサガオは、彼岸を過ぎても元気に成長を続けていて、地を這う茎(つる)が、2.7メートルのウッドデッキの下を抜けて、テラスを横断しつつある。
その伸びる様子を、2日ほど観察してみた。
茎についている葉と脇芽の位置をパステルでマークし、写真に撮ったのだ。

約24時間で伸びた長さを調べてみたところ、次のようになった。
ちなみに、植物学では葉と脇芽の出ているところを「節(せつ)」といい、節から節までの茎の部分を「節間(せっかん)」という。

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先端のほうの節は約20cm移動している。
その次の節は約11cm移動しているので、この節間は1日で約9cm伸びていることになる。
同様に、約11cm移動した節の次の節が約2cm移動していることから、この節間も約9cm伸びている。

しかし、その次の節間の伸びは約2cmだ。
根に近いほう(写真の右側)に行くにつれて伸び方が鈍くなり、葉が展開すると、もう節間は伸びない。
ウチのリュウキュウアサガオの場合、地上を這う茎の節間は、どれも約20cmで止まっている(9cm+9cm+2cm=20cm)。

トトロの世界の植物と異なり、現実の植物は茎の先端部分だけが伸びていき、根元のほうは伸びないのである(もちろん、地中では根の先端部分が伸びている)。

植物の細胞は体の先端(成長点)で分裂を繰り返し、新しくできた細胞が大きくなることで、茎や根や葉が伸びていく。
体中の細胞が分裂する動物とは、成長の法則が違うのだ。

さて、茎や根の先端が伸びるだけでは、植物は太れないはずだが、実際には太っていく。
そこで、茎や根が太ること(肥大成長)は、先端が成長することと違うじゃないか、と思うかもしれない。

だが、茎や根が太るのは、表皮のすぐ下の部分の細胞が分裂して、その後大きくなるからだ。
茎や根の中心から見れば「端」にあたる外側へ、外側へと成長していく。

だから、やはり植物は「端だけ」成長するといってよかろう。

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2021/06/16

『進撃の巨人』と生命の目的

『進撃の巨人』の最終巻(34巻)を読んだ。

何を書いてもネタバレになりそうなので、本筋に関することは書かない。

そこで登場人物の一人が語った「生命が生きる目的は『増える』ことだ」というコトバについて。

その、生命についての話の背景に描かれていたのはアノマロカリスやハルキゲニア、オパビニアなどのカンブリア紀の生物だった。

長さ数センチの化石生物ハルキゲニアは、かなり奇妙な生物である。

アノマロカリスなど、カンブリア紀に登場した生物たちをめぐるノンフィクション『ワンダフル・ライフ』(スティーブン・J・グールド著)に描かれていたハルキゲニアの復元図は次のような具合である。

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イモムシ状というかミミズ状というか、細長い胴体には7対の長いトゲのようなものがあり、それで海底に突っ立っていて、背中には触手のようなものが生えている。この触手のようなものの役割や、何を食べていたのかなどの生態は一切不明。丸い頭のような部分も、不定形で本当に頭なのか不明。

……ということだったが、その後の研究により、なんと上下が逆だったことがわかった。しかも前後も逆で、頭かと思われた部分は押し潰されたときに肛門から出た内容物(要するにウンコ)だった。科学とはアップデートし続けるものだから、次々と新しい発見があり、それまでの仮説は覆されるものなのである。

最近の復元図でどのように描かれているかは、『進撃の巨人』137話を参照していただきたい。

さて、「生命が生きる目的は『増える』こと」なのだろうか?

果たして生命に「目的」があるのだろうか?

逆に、発生して以来ずっと存在し続けようとしてきた物質系、生き延びて来た核酸とタンパク質(および脂質や炭水化物などなど)の塊を生命と呼ぶのだろう。

しかも「死」を避けるために増え続けるのではなく、「死」を発明し、すべてを食いつぶすことを避けているのかもしれない。

アメーバやゾウリムシなどの単細胞生物は、分裂して増えるので、事実上死なない。病気や事故、あるいは食われて死ぬことはあるが、老衰はないのだ。

ヒトのような多細胞生物は、体細胞(生殖細胞以外の細胞)の分裂回数には制限があり、病気や事故、あるいは(巨人に)食われるなんてことがなくても、やがて老衰により死ぬのである。そして、後に続く世代に、この地球を明け渡す。

この場合、「『増える』という目的のために死ぬ」と言ってよいものだろうか?

ハルキゲニアのような生物に限らず、生命とはすべて奇妙だ。

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2017/03/19

バルス実行確認ダイアログ

アニメ映画『天空の城ラピュタ』を観るたびに思うのだが、滅びの呪文「バルス」は危険なのではないか?


短すぎるので、うっかり言っちゃったりするとマズイから、長くしたらどうかと考えたこともある。
しかし、長いと言い間違えたり、途中でムスカに遮られたりする可能性もあるなぁ。


やはり、delete などのコマンドと同様、確認ダイアログを出すのがよいだろう。


Balse_confirm


ここで[OK]と答えて初めてコマンドが実行されるのである。


Balse_alert


なお、これらのダイアログボックスはJavaScript の標準的な確認ダイアログボックスと警告ダイアログボックスで、タイトルなどはいじっていない。
実装の際にはもうちょっとデザインに工夫が必要だろうね。

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2015/04/26

『花井沢町公民館便り(1)』を読んだ

ヤマシタトモコ著『花井沢町公民館便り(1)』を読んだ。
怖い話である。

 

ある日突然、小さな町が通過不能な見えない「境界」に包まれてしまう。
無機物か、死んでいれば通り抜けられるが、鳥も虫も、生きている人間も出入りできない。
その「境界」の内外で、人々はどのように生きていくのか……。

 

この境界というか壁というか、バリアーのようなものが「事故」によってできたという設定が絶妙だ。
刑務所やシェルターとして利用することを目的に実験中の装置が故障したらしい。

 

「銀河ヒッチハイク・ガイド」シリーズの『ほとんど無害』の中のエピソードのようである。
「絶対壊れないはずの機械」が壊れたときには、そばに近づくことも、修理することもできなくなるのである。

 

事故によって閉じ込められてしまった花井沢町の人たちと、外部の人たちとの間に生じるどうにも越えがたい「感覚」の差などを含めて、どうしても福島第一原子力発電所の事故を思わせる。
まさに「3.11後のマンガ」と言えるだろう。

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2014/07/09

ロボットの七つの力

ロボットの七つの力
子供のころの記憶によると、鉄腕アトムの七つの力(威力)は図のようなものだった。
まぁ、ロボットならではの能力というか、人間にはできないこと、人間を超える能力として設定されたのだろう。

子供サイズのボディに原子力エンジンなんていう不可能なものもあれば、数十ケ国語を話すなんていう実現可能性の高そうなものもある。

「善悪の区別がつく」なんてのは、まず「善とは何か、悪とは何か」という非常に難しい問題を含んでいる。
善人なおもて往生を遂ぐ。いわんや悪人をや。
あいまいな善悪の判断に基づいてマシンガンをぶっ放されてはかなわないぞ。

現実のロボットで実現している、というか「これが威力?」ってのがサーチライト。
目(光学受容器)は照明と別にしておいたほうが良いと思うが。

それはさておき、現実のロボットに欲しい能力というと……。

→安定したニ足歩行、二足走行
→人の顔を(老いたり人相が変わっても)見分けるパターン認識能力
→創造力
→共感能力
→自己複製能力
→自己修復能力
→「なにくそっ」と言って空に向かって拳を突き上げる能力

なんか、人間のみならず動物全般のもつ能力も含まれてるね。
つまり動物が40億年の進化で獲得した能力を、まだ現実のロボットは持てないでいるのだ。

アトムは、「21世紀のロボットは人間と同等の能力を持つ」という仮定に立って、並のロボットにはない「威力」を持つスーパーロボットとして描かれたわけだ。

そういえばアトムはよく「なにくそっ」って言ってたなぁ。
SFに出てくるコンピュータなら、「ロボットと闘っている最中のロボットの発言としては不適切です」とツッコミを入れそうだなぁ。

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2014/04/25

『いちえふ』と原発作業員

一昨日、原発作業員によるルポマンガ『いちえふ』を読んだ。

タイベックスーツや防護マスクに身を包み、放射性物質の埃が舞い散り、放射線の飛び交う現場に赴く。
線量の限界に達するため、長時間の作業はできない。
汗まみれで、かゆくなった鼻もかけない。

……等々、現場でなければわからない現実の描写が淡々と続く。

作業員の多くは現地の人たちで、ふるさとを取り戻すために働いている。

だが、原発事故現場の作業には、根本的な問題が内在している。
それは、熟練作業員が「居られない」ということだ。

線量の高い場所で作業を続ければ、被曝線量の限界に達して、現場を離れざるを得ない。
そうして、現場からは熟練作業員が減っていく。

ちょうど今日、NHKスペシャルの『シリーズ 廃炉への道 第2回 誰が作業を担うのか』でも、同じ問題を扱っていた。

廃炉にいたる工程は長い。
30年とも40年ともいわれるその長期にわたり、廃炉の作業にあたる人材を確保できるのか。

40年後、ワシは100歳近い。
廃炉の完了を見届けることはできないだろう。

だいたい、廃炉に伴って大量に発生する放射性廃棄物は、その後何百年も、何万年も残るのである。

40年後に生きていないような人たちが、原発推進を言うのは無責任ではないのかねぇ?
……って、似たようなことを先週も書いたな。

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2014/02/23

『ヴィンランド・サガ』14巻を読んだ

『ヴィンランド・サガ』14巻を読んで、「本当の戦士」について考えた。

14巻で奴隷編完結。 ようやくこれからヴィンランドを目指すことになるのかな?

主人公であるトルフィン・トールズソンはデンマーク王クヌートに刃を向けた罪により奴隷の身分に落とされた。 農奴として働く中で本当の戦士とは何かを考えるトルフィン。

14巻では、トルフィンの働く農場を接収すべく侵攻してきたクヌートに対し、徒手空拳で停戦交渉に挑む。 死ぬほど殴られても抵抗せず、話し合いで解決しようとする。

まさしく非暴力不服従である。 争いを避け、平和裡に問題を解決する。

なぜ現実の世界では、このようにものごとが解決しないのだろう? 考えてみると、クヌートが聞く耳を持った知的な人間であったからだ。 非暴力不服従という手法は、知的な相手に対してしか通用しないのだろうか。

クヌートへの謁見を阻止すべくトルフィンの前に立ちはだかり、殴り倒そうとした従士が、最後にトルフィンを戦士と認めたのはなぜか。 トルフィンが強い人間だったから、というだけではあるまい。 自身の戦士としての誇りが、恥ずかしい真似をしたくない、と思わせたのだろう。 もちろんここでの戦士とは、職業軍人という意味ではない。

恥を知らない人間に対しても、非暴力不服従は通用しないのだろうか。

作者がそうあってほしいと望むように、この世界の人々が互いに敬意を持って暮らしていけることを願うよ。ホントに。

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2013/12/15

イルメナイト争奪戦勃発?

中国の無人探査機が月に着陸した。
国威発揚だとか軍事目的とか資源確保とか、いろいろな目的が取りざたされているが、なんだかSFで描かれた世界が現実化しているようだ。

世界初の恒常的月面基地を建設したのは中国だった、という話は、小川一水が『第六大陸』で書いている。

月面から見れば地球上のすべての場所が「眼下の低地」であることを利用して、リニア加速器から発射した岩の塊で「爆撃」する話は、ハインラインが『月は無慈悲な夜の女王』で書いている。

そして、幸村誠の『プラネテス』では、核融合発電が人類の主要なエネルギー源となった時代を描いているが、その原料は月面のチタン鉱物イルメナイトに吸着されているヘリウム3である。

願わくは、地球上のゴタゴタを月に持ち込むことなく、資源にせよ「高地」という立地にせよ、平和裏に利用して欲しいものである。

宇宙技術は軍事技術に転用できる。
だからこそ、冷戦下のアメリカとソビエトがロケット開発にしのぎを削り、その結果アメリカは1969年に人類初の月面着陸に成功したわけだ。

「はやぶさ」や「かぐや」のことを考えると、日本の宇宙技術もいい線行っていると思うのだが、そうした技術が「軍事機密」とならないことも、切に望む。

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