『はだしのゲン』を読んだ
『はだしのゲン』を最初に読んだのは、1970年代はじめ、中学校の図書室だったと思う。
当時は原爆投下とその直後の悲惨さだけが印象に残ったが、読み直してみると、戦後の話のほうが長い。
そしてある意味で、原爆投下直後よりも非道い。
ゲンの一家や仲間たちの「敵」は、原爆を投下したアメリカ軍、被爆者を実験サンプルとしか見なさないアメリカ政府だけではない。
むしろ、日本人の大人たちに対する憤りのほうが大きいのではないか。
子どもたちを(大人たちが始めた)戦争の道連れにして命を奪い、親兄弟を奪い、住む家を奪い、教育の機会を奪い、肉体的・精神的に傷付け、被爆者を差別する……。
儂の親の世代は、ゲンと同じように終戦時に小中学生だった。
その親の話を聞くと、やはり大人たちの変わり身の速さに腹が立ったという。
玉音放送の翌日、軍事教練で生徒に体罰を加え続けてきた教官は、中学生からの仕返しを恐れて逃亡する。
英語の教師が急に威張りだす。
鬼畜米英、一億火の玉、と叫んでいた大人たちが「じつは戦争には反対だったのだ」「竹槍で勝てるわけがないと思っていた」と言い始める。
『太平洋戦争への道 1931-1941』などでは戦前の状況について、慎重な軍部を国民が煽り、無謀な戦争へと突き進んだ側面もあると書かれている。
いまを「新しい戦前」にしないために、戦争を体験せずに老人となった儂らは、何ができるだろうか。