« 2024年4月 | トップページ | 2024年6月 »

2024/05/28

フォッサマグナ西端を行く

先週の旅はフォッサマグナの西の端を、南側(太平洋側)三分の二くらいの部分を往復するものだった。
糸魚川静岡構造線に沿って移動したわけではないので、フォッサマグナの本当の西の端というわけではない。

Sketch1716792551486

ウチの近所の箱根愛鷹の火山群を後に、中部横断自動車道(E52)を富士川沿いに北上する。
富士川は下流域が極端に短く、遡ると山間で上流の様相になり、甲府盆地では中流の様相になるという妙な川である。
中部横断自動車道からは、東側(右)の天子山塊の稜線の上に、ときおり富士山が見える。

いま見えている富士山は、2万年前に噴火を開始した比較的若い山である。
1200年前の貞観噴火では青木ヶ原溶岩原が形成されたし、300年前の宝永噴火では大きな火口ができて、関東に火山灰が降り注いだ。

中部横断自動車道が中央道に接続する双葉JCTに近づくと、西(左)に南アルプスの山々、北に八ヶ岳が見える。
南アルプスはまさにフォッサマグナの西端で、逆断層の隆起した側である。
隆起した高さは2000メートルを超えるが、断層そのものはさらに下に6000メートルくらい続いているらしい。

逆断層の隆起しなかった側は、甲府盆地や関東平野含み、日本海から太平洋に至る広大な地溝帯になっている。
八ヶ岳はその地溝帯の中に出現した火山だ。
山頂部が噴火の際に吹き飛んでいるため標高は3000メートルに満たないが、もし吹き飛ばなければ富士山よりも高かったと考えられる、巨大な火山である。

中央道から降りて八ヶ岳の東側の山麓を北上する。
右側(東側)の山並みは、奥秩父山地へと続く。
奥秩父山地は火山ではない。
フィリピン海プレートに載っていた海底堆積物が、地溝帯の上に押し上げられて隆起した「付加体」である。
海底火山に由来する花崗岩だったり、砂岩や泥岩だったり、サンゴ礁由来の石灰岩だったり、変成岩だったり、さまざまな地質のごちゃ混ぜの山々である。
実際に山を歩いてみると、ごちゃ混ぜの地質であることを実感できる。

北八ヶ岳の登り口(麦草峠へ至る道)のあたりから、中部横断自動車道(E52)の無料区間に入る。
右側(東)に妙義荒船山系の特異な稜線が見える。
これらの山々は巨大なカルデラの火口部分らしいが、詳しく調べていないのでわからない。
というか、そのうち登ってやろうと思っているうちに40年経ってしまい、いつ登ることができることやら。

やがて前方(北)に浅間山が見える。
言うまでもなく、活発に活動中の活火山であり、山頂付近は現在も立入禁止である。

こうしてみると、巨大な地殻変動の結果生じた地形を実感する旅でもあった。
プレート運動は不断に続き、それに伴って断層や土地の隆起が生じる(断層のズレは2000メートルを超える……)。
海洋プレートの上の海底堆積物は、陸のプレートの上に押し上げられて付加体となる(盛り上がった高さは2000メートルを超える……)。
地下に潜り込んで融けたプレートがマグマとなり、地上に噴出して火山となる(積み上がる噴出物の高さは2000メートルを超える……)。

このような地殻変動に思い至ると、大規模な建設物は大丈夫なのかと心配になる。
長いトンネルを通っているとき、高い橋梁を通っているとき、いま大地震があったら命がないかもなぁ、などと思う。

それにしても、フォッサマグナ西端の大断層を突っ切るトンネルを掘って、そこに時速500キロの列車を通そうなんていうのは、ちょっと正気の沙汰ではないような気がするなぁ。

| | コメント (0)

2024/05/27

キャンプ場で焚き火三昧してきた

23日(木)に松原湖高原オートキャンプ場(長野県南佐久郡小海町)に泊まり、焚き火三昧してきた。

次の写真は翌朝(24日)の撤収時のものだが、車3台の間に3台の焚き火台を置き、各自てんでに火を起こし、煮炊きをした。

Img_20240524_0701432

このキャンプ場は、とにかくトイレが綺麗だった。
水洗で、ウォシュレット付き。
お蔭でとても快適に過ごせた(腹具合がイマイチだったので助かった)。

Img_20240524_0702042

温泉施設もあって、キャンプ場利用者は400円(300円引き)で温泉に入れた。

閑散期の平日なので、キャンプ場の料金も車1台2000円で、テント1張1500円だった。
儂はテント代をケチって車中泊とした(ケチったテント代で、帰路に道の駅しらねでさくらんぼを買って家族への土産とした)。

スズキ・ハスラーで初の車中泊だったが、トヨタ・ランドクルーザー・プラドと同様に足を伸ばして寝ることができた(もちろん、多少窮屈さはあるが)。

さて、そもそもは例年カモシカの観察をしていた仲間から、ハヤブサを見に行かないかと誘われたのが19日(日)。
ハヤブサの観察場所はここには書かない(ハヤブサと近隣住民の迷惑になるから)。

Google マップでは自宅から3時間少々で行けるということだったが、実際には5時間かかった。
時間がかかったのは、儂の体調と経路の問題である。
腹具合がイマイチで、高齢者のためすぐに尿意を催すので、パーキングエリアごとにトイレを利用する必要があったのだ。

富士山を迂回して山梨・長野方面へ向かうルートはいくつかあるが、今回は新しくできた中部横断自動車道を利用した。
自宅から新東名高速道路で西に向かい、新清水ジャンクションで中部横断自動車道に入って、富士川沿いに山梨・長野方面に向かったのである。

ところが、中部横断自動車道には、パーキングエリアがないのだ。
いったんインターチェンジから下道に降りて、近くの道の駅を利用する必要があった。

そのため、時間のロスが大きくなってしまった。
健康でトイレが近くなければ、問題ないのだろうが……。

パンデミックが始まってからは遠出を控えていたので(まだパンデミックが終息したわけでは無いが)、久々のロングドライブであった。
……疲れた。
もはやロングドライブを楽しむ年齢ではないのかもしれない。

しかし、久々の焚き火は楽しかった。
剪定した庭木の枝を一冬乾かしたものを持って行ったのだが、これがよく燃えて気持ちが良かった。

焚き火を囲んで(鳥の目付きとかカメラのマニュアル操作とかいった)しょうもない話をだらだらしたのも楽しかった。

ロングドライブせずに焚き火を楽しめるところを探して、仲間を招待しようかなぁ。

| | コメント (0)

2024/05/14

水とキノコとフォールアウト

先日の愛鷹山行の際、水を1.35リットル持って行った。
その内訳は、水道水が0.5リットル、スポーツ飲料(粉末を水道水で溶いたもの)が0.5リットル、熱湯(サーモスに入れたもの)が0.35リットルである。

8時間でほぼすべて飲み切ったのみならず、沢の水も結構飲んだ。
やはり汗をかく時期の山行には、1.5リットル以上の水が必要だなぁ……。

愛鷹山は火山なので、常時水の流れている沢は少なく、多くは伏流水になっている。
そこで、先日のように雨の後の晴天時は、沢の水を味わう良い機会なのだ。

ザックには、いつもシェラカップをぶら下げている。
そこで、良さそうな水場を見つけたら、ザックを下ろすことなく水をすくって飲むことができる。
これは熊よけを兼ねていて、歩行中は熊よけの鈴と一緒にチリンチリン、カランカランと音を立て、無用の遭遇を避けている。

Img_20240510_121549

つるべ落としの滝の上の沢で昼食にしたときに、持参した熱湯を使った。
ラーメンを作るためには0.5リットルの熱湯が必要だが、そのうち0.35リットルをサーモスで保温した湯を使って、湯を沸かす時間を短縮したのだ。
残りの0.15リットル(もちろん目分量である)は、眼の前の沢の水をシェラカップですくって加えた。

ちなみにラーメンはサッポロ一番塩ラーメンで、乾燥わかめをたっぷり加えた。
塩ラーメンは失敗がないのがよい(味噌ラーメンは薄いと不味い)。

Img_20240510_123222

さて、沢沿いから稜線へと登る登山道の脇に、アミガサタケが出ていた。

P5100877

アミガサタケはフランス語でモリーユ、英語でモレル、高級食材である。

作業手袋(Lサイズ)と比べるとわかるが、ほどよい大きさである。

P5100878

しかし、食べることはできない。

静岡県の『「野生きのこ」における放射性物質の検査について』によると、御殿場市内、小山町内、裾野市内、富士市内及び富士宮市内のキノコから基準値を超える放射性セシウムが検出されているとのことだ。

福島第一原子力発電所の事故に伴って放出された放射性降下物(フォールアウト)が、300キロ以上離れた静岡県まで到達しているのだ。

写真のアミガサタケが生えている地点は長泉町だが、稜線の向こうは裾野市である。
フォールアウトに市町の境界線は関係ない。
距離にして数パーセントなど誤差のうちだから、「隣町はダメだけどこの町ならOK」と言えるだろうか?

稜線のブナ・モミ混成林のあたりまで登ると、ブナの枯死木にサルノコシカケが生えていた。

P5100886

このキノコも食べられない。
裾野市との境界線上に生えているからではなく、木質で硬いからである。

福島第一原子力発電所の事故後の調査により、フォールアウトに含まれる放射性セシウムは森林の土壌に留まり続けることがわかった。
どうもキノコは金属元素を選択的に取り込むので高濃度になりがちらしいが、当然、沢の水にも検出不能な程度の微量の放射性物資がふくまれているだろう。

だが検出不能なレベルであれば、大した外を及ぼさずに人体を通過していってくれるのではないか、と、それを願って、儂は今後も沢の水を飲む。

愛鷹山の南西(つまり風上の)80キロには浜岡原子力発電所があり、そこは南海トラフ巨大地震の想定震源域である。
浜岡原子力発電所でメルトダウン事故が起これば、大量のフォールアウトが儂の親しんでいるフィールドを襲うだろう。

ホント、原発なんかクソ喰らえ、原発を再稼働しようなんていう連中に、沢の水を味わう喜びを奪われてなるものか、と思うのである。

……なんていうふうに思わず毒づいてしまったので、解毒のために、清冽な沢の水の動画をどうぞ。

| | コメント (0)

2024/05/11

愛鷹山系の沢から稜線へ

昨日(5月10日)、つるべ落としの滝から位牌岳〜愛鷹山の稜線に登り、先月訪れた一服峠から下山した。

登山口の水神社を発ったのは9時40分。
林道を歩いてつるべ落としの滝ハイキングコースの入口を通過したのが10時20分。

よく晴れた日で、(最初は)快適に桃沢川上流の沢沿いに登った。
沢の水量は多いように思ったのだが、千畳岩の上の流れはチョロチョロだった。

P5100856

池の平との分岐の小滝。
岩の表面にはイワタバコがへばりついている。

P5100864

つるべ落としの滝の下で沢を渡る。
こんはこの沢を渡ることができなくて、つるべ落としの滝まで行けなかったっけ。

P5100867

正午ちょっと前に、つるべ落としの滝に到着。

滝の水量が多く、大音量?のため、ここで昼食を摂ることは諦めた。
ときおりカラカラ、カチンと音がして、小石が落ちてきたりして落ち着かないしねぇ。

P5100872

つるべ落としの滝の上の沢で昼食。
例によって年代物のコッヘルとガスストーブでラーメンを作った。

このまま沢でまったり過ごして下山することも考えたが、ブナの新緑をまだ見ていないし、晴れて展望が良いだろうと思ったので、稜線まで登ることにした。
沢沿いだと、携帯キャリアも圏外だし、GPSも効かなくて現在位置もはっきりわからず、少々不安でもあったしね。

30分ほどの昼食休憩ののち、沢から離れて位牌岳のほうへと登る。
ここ数日の雨のためか、登山道が崩落していたり、太い枝が倒れかかっていたりしていて、常ならぬ足さばきを要求される。
まぁ足が上がらないこと。
トレッキングポールを頼りにヒィヒィ言いながら登った。

14時過ぎに源頭部に到着。

P5100883

さらに登って、14時半に稜線のブナ林に到着。

P5100888

ここからブナの巨木の間の踏み跡を辿って位牌岳のほうへと向かうが、愛鷹山との分岐点で南に折れる。

Img_20240510_143725

稜線の道は、風のせいか木々の丈が低いところもあり、明るくて気持ちが良い。

P5100892

ところどころ富士市方面の展望が開ける。
富士川や田子の浦港、その向こうの三保の松原のあたりまで、よく見えた。

P5100895pano

富士山とその前の越前岳もよく見えた。
緑が濃くなると、鋸岳の岩峰が目立たない。

P5100901

ちょうどツツジが満開で、ブナの新緑とのコントラストが鮮やかだった。

P5100902

ミツバツツジかなと思ったが、アシタカツツジだろうか。

P5100903

15時過ぎに一服峠に着く予定だったが、道標を見逃して袴腰岳まで行ってしまい、折り返してくるのに40分ロスした。
そのため、一服峠から下山を開始したのは15時50分。

前回と同じルートで下山し、17時に林道に着いた。
先日献血したときにもらったチョコボールを食べながら林道をだらだらと歩いて、17時40分に水神社に到着。

ちょっと沢で昼食を摂って、ブナの新緑が見られればいいなぁと思っただけなのに、なんと8時間に及ぶ山行になってしまったのだった。

| | コメント (0)

2024/05/08

なんちゃって10回目の献血

カミさんと献血してきた。

10回目ということで、記念品をもらった。

Img_20240508_164322

10回記念として、塗箸と今治タオルとカトラリー(フォークとスプーン)の三種類の中から選んでほしいとのことだったので、タオルを選んだ。

ほかに、Web予約したのでチョコボールとか、ボールペンとかジップロックの容器(すぐに使おうと思って箱は捨てちゃった)ももらった。

じつは、儂の献血回数は10回ではない。

たぶん30回を超えているのだが、古い献血手帳が失効しただか紛失しただか、とにかくなくなったので、今のカードになってから10回なのだ。

まぁ、回数を競ったり記念品をもらったりするのが目的ではなく、短時間でできる社会貢献と考えて、献血をしている。

もちろん、健康でなければできないボランティアである。

実際、1月には血圧が高過ぎてできなかった

今回は家を出る前に水を飲んだりして備えたのが良かったのか……。

今後も健康を維持し、体調を整えて献血できる状態を保ちたいもんである。

献血可能な年齢の上限は69歳だから、あと3年ちょっとしかないしね。

| | コメント (0)

« 2024年4月 | トップページ | 2024年6月 »