必要と無駄
今日は朝から低気圧と前線の通貨に伴い激しい雨風。
満開の桜の花も散ってしまうだろうか。
次の写真は日曜日(7日)の渡戸川放水路沿いの桜並木。
渡戸川放水路は門池公園の縁を流れている。
ソメイヨシノの花も散り始め、護岸のブロックが花びらで斑模様になっている。
桜の季節にはいつも思うのだが、こんなにたくさんの花を咲かせることに、メリットはあるのだろうか。
もちろん、人間の経済的/心理的メリットの話ではなく、桜の生理学的/生態学的/進化的なメリットのことだが。
たくさんの花を咲かせるには、資源とエネルギーが必要だ。
その資源(細胞を構成する炭水化物やタンパク質や脂質)と貯蔵エネルギー(炭水化物)は、前年の秋までに準備しておかなくてはならない。
そして、春になったらエネルギーを使って水を吸い上げ、花芽の細胞を膨らませて、花を開かせる。
花粉を作り、蜜も作る。
その花粉や蜜を目当てに虫や鳥(メジロやヒヨドリ)がやってくる。
虫や鳥は、花粉や蜜を摂っているとき、花粉を媒介する(雄しべの花粉を雌しべに付けている)。
花は受粉の結果、種子と果実を作ることによって繁殖できる。
そこで、桜はたくさんの花をつけることによって、たくさんの種子を作り、ばら撒いている……のだろうか?
しかし、ソメイヨシノなどの園芸品種は、実生(種子から発芽した苗木)ではなく挿し木で殖やす。
ヤマザクラなどの野生種はともかく、園芸品種の桜には、たくさんの花を咲かせるメリットはあるのだろうか?
ひょっとすると、たくさんの花を咲かせることにより、人間に世話をさせ、殖やさせているのか?
だとすると、人間が滅んだら、園芸品種は絶滅するのだろうなぁ、などと考えた。
ソメイヨシノなどの園芸品種ほどではないにしろ、ヤマザクラやフジザクラなどの野生種も、まぁけっこうな数の花を咲かせる。
これらの花がすべて果実になるわけではないし、種子がすべて発芽するわけでもない。
ましてや、発芽した後、花を咲かせるまでに成長する苗木はごくわずかだ。
生物というやつは、必要を大きく上回る「無駄」を生産することで、40億年、なんとか生き延びてきたのだろう。
さて、公園からちょっと外れた竹林の縁で、木苺の花を見かけた。
これは多分ニガイチゴで、今月末か来月の始めには、赤い果実をつけるだろう。
そこから10メートルほど離れたところにも木苺の花が。
花びらの大きさや葉の形から、これはニガイチゴではないなぁ、と思ったが、手持ちの図鑑では同定できなかった。
Google レンズを試すと、カジイチゴとかモミジイチゴとかいった検索結果が出てきた。
しかし、カジイチゴなら葉がもっと大きいはずだし、モミジイチゴなら花は下向きに咲くはずだ。
まぁ、木苺は葉や花よりも果実のほうが、その色や形、大きさ、味から区別しやすい(個人の感想です)。
今月末か来月始めまで待って、果実を見て(食べて)解決したいと思っている。
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