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2024/02/29

「ほとけのざ」だらけの早春

2月29日、たまたま閏日の今日、玄関ドアの交換工事。
冬は結露、夏は(開けられないので)風通しが悪いことに悩まされてきたドアを、断熱・通風対応のドアに交換中。
効果の程は、この冬と夏を越えてみないとわからないが。
ドアクローザーの動作が変になってバタンと勢いよく閉まったり、油が漏れたり、鍵が閉めにくくなったり等々、あれこれあった不具合も解消されることになる。

さて一昨日、快晴で雪を冠った富士山と愛鷹山がよく見えたが、用事がいろいろあって山歩きはできず。

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庭ではホトケノザが咲き始めた。
葉にも花にも蕾にも、短い毛がぽやぽやと生えていて可愛らしい。
茎が長く伸びると邪魔くさいし、うどんこ病で枯れることもあるので、鑑賞に耐えるのは早春のうちだけである。

茎の上部では、向かい合って付いた葉が重なっていて、仏の座、つまり蓮華座に見えることからホトケノザという。

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しかし、このシソ科オドリコソウ属のホトケノザは、春の七草の「ほとけのざ」ではない。
ホトケノザは茎の筋が固くて、食えたものではない(儂は食ったことがあるのだ)。

春の七草の「ほとけのざ」は、キク科ヤブタビラコ属のコオニタビラコ(子鬼田平子)である。

コオニタビラコを「ほとけのざ」と呼ぶのは、地べたに広がった葉を蓮華座に見立てたことによる。

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じつは、この写真は「タビラコ」ではあるが、コオニタビラコではない。
果実ができてから確認しないと確定できないが、おそらくキク科オニタビラコ属のオニタビラコ(鬼田平子)である。
コオニタビラコは無毛で果実にとげがあるが、オニタビラコは茎や葉に毛が生えていて、果実には冠毛がある。

地べたに葉を広げて冬を越す「ロゼット葉」を持ち、そこから茎を伸ばして花を咲かせるという生活形態は、どちらの「タビラコ」にも共通している。
だったらどっちも「ほとけのざ」だよなぁと思ったが、それを言うと、ユウゲショウ(上の写真のオニタビラコの左右のロゼット)もタンポポもハルジオンもノゲシもキュウリグサも、みんな「ほとけのざ」になってしまうから、早春の庭は「ほとけのざ」だらけなのである。

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2024/02/21

梅に鶯ならぬ河津桜に目白

最高気温が20℃を超えた昨日、門池公園で咲き誇るカワヅザクラに何羽ものメジロが訪れて、蜜を吸っていた。

「梅に鶯」ならぬ「河津桜に目白」である。

チーチーと鳴きながら、枝から枝へと飛び回るメジロを見て、親子連れが「カワイイねぇ」と言っていた。

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しかし「梅に鶯」は、ほぼ「嘘」である。
嘘というより、思い違いかもしれないが。

ウメの花咲く枝で囀るウグイス、なんて図は花札でしかお目にかかれない。

ウメの花の咲く頃、ウグイスは地鳴きといって、ジャッジャッと鳴くだけで、ホーホケキョとは囀らない。
ただし、今年は今日(21日)にウグイスの初鳴を確認したので、温暖化が進むと状況が変わるかもしれない。

だが、ウグイスという鳥はとてもシャイ、というか臆病というか、滅多に裸の枝先に止まらない。
藪から藪へと、低く飛んで移動する。
だからウグイスを実際にじっくり見たことがある、という人は少ないだろう。

鶯色という色も、ウグイスの羽の色ではない。
ウグイスの羽の色は、緑色というより褐色だ。
鶯色と呼ばれる色に近いのは、メジロの羽の色である。

そしてメジロは遠目に見ればカワイイが、クローズアップしてみると……。

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なかなか精悍な目付きである。
目の周りの白い縁取りのせいで漫画的な可愛らしさを感じてしまうのだろうが、じつはこんな目付きで、真剣に花の蜜を探している。
上の写真では、その嘴が花粉で黄色くなっている様子も見て取れる。

そりゃそうだ。
この小さな体で冬を越すのだから。
食料調達のためには、必死に、真剣にならざるを得ない。

母なる自然は容赦ない。
冷たい雨の降る今日、メジロたちはどこで過ごしているのだろうか。

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2024/02/18

65歳最後の日の散歩

明日の誕生日で66歳になる。

65歳最後の日は曇りがちだが晴れて暖かかったので、午後の散歩には上着(マウンテンパーカー)を着ずに出かけた。

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門池公園の河津桜も満開に近くなった。

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散策する人たちをものともせず、メジロが群れて花の蜜を吸っていた。


今日は風が弱かったので、紙飛行機を飛ばした。

もう10年ほど前になるが、学研の『子供の科学』に掲載する広告原稿の作成に関わったことがあって、掲載誌をもらった。
先週、その『子供の科学』の付録の紙飛行機を作ったものの、風が強い日が続いたので飛ばせずにいたのだ。

公園の芝生広場で飛ばしてみたところ、じつにきれいに飛ぶ。
墜落して機首が潰れたりすることもなく、毎回きれいに着陸できたのは、二宮さんの設計が良いからなんだろうなぁ。

しかし高く長く飛ばそうとすると、斜め上へ、力いっぱい投げなくてはならない。
10回ほど飛ばしたら、腰が痛くなってしまった。
着陸した紙飛行機を(走っている子供やスケートボードに轢かれる前に)回収するため、ダッシュする必要があるし……。

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来週は雨模様の日が続くので、紙飛行機はしばらく屋内待機となる。

庭の黄水仙(キズイセン)も咲き、胡瓜草(キュウリグサ)も花韮(ハナニラ)も咲いた。
これから日々咲く花も増えていくだろう。

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2024/02/16

所得金額不明で提出してやろうか

自由民主党による企業献金隠しパーティー売上金のキックバック、というかもう、自由脱税党による裏金問題と言いたくなるようなニュースが毎日流れ、国会で珍問答(珍なのは答えのほう)が繰り返される昨今……。

……年金機構から扶養親族の所得金額の申告書が送られてきたので、思わず「不明」と書いて提出してやろうかと思った。

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もちろん、儂は真面目な納税者で年金受給者なので、上の画像は冗談である。

公的な書類に「不明」と書いて済むだろうと考えるような不明な政治家を支持するような人は、もはや同じ穴のムジナの税金泥棒か、余程騙されやすい人なのではあるまいか。

さて、そういえば10月頃にも同じ文書が来たような記憶が「うっすらと」あったので、確認した。
10月にはカミさんの内職の所得金額の見込みが不明だったので、後回しでいいか、と考えてそのまま忘れていたのだ。

年金機構からはメールも来ていて、「ねんきんネット」からも提出可能とのことだったが、マイナポータルから入る必要があるとのことなので、無視していた。
マイナポータルを利用するにはマイナンバーカードが必要だが、儂はマイナンバーカードが嫌いなので作っていないのだ。

何が嫌いって、「ポイント2万円分やるから身分証明カード作れや」みたいな、札びらでほっぺたペシペシやられるような行為には反感しか感じないからだ。

さてさて、「公的年金等の受給者の扶養親族等申告書」を、同封の「手引き」を見ながら書いたが、例によってこれがまたわかりにくい。

はっきり言って、ユーザーインターフェースが悪い(儂は去年まで、仕事の一部としてユーザーインターフェース設計もしていたので、ウルサイのだよ)。

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「配偶者の収入が年金のみ」の場合に「◯」を書くだけの欄があったり、所得金額によって異なる控除額を「手引きを参照して」求めて書かせたり、面倒で複雑な計算を要求される。

配偶者のマイナンバーを書く欄があるのだから、ここにマイナンバーを書けば、給与等の年間所得金額はわかるはずだ。
だからわざわざ、複雑な分岐処理や計算を申告者(一般ユーザー)にさせて、間違いを誘発させるようなことは不要だろうに。

ひょっとして、マイナンバーによる紐づけができてないのか?
電子政府には程遠いなぁ……。
デジタル庁は何やってるんだろう(やっぱりただの「マイナンバーカード普及庁」なんだろうか)。

まぁ役所を横断するシステムを組むのには、お金もかかるし(クリティカルなミスも発生するし)、時間もかかるからすぐにはできないとしても、条件分岐なんかは Excel でもできるじゃん。
申告者に(手引きの例を参照させたりして)計算させるより、所得金額をそのまま書かせて、年金機構のほうで計算すればいいじゃん。
……なんてことも思ったのだった(「エクセルが苦手」とか言わないよね?)。

そしておまけに、申告書を郵送するのに切手代がかかった。

そんなに面倒ならマイナンバーカードを取得してネットで提出すればいいじゃん、と言われそうだが、何しろ不誠実な政治家が牛耳っている政府のやることは気に食わないので、「持ってけ泥棒」という気分で切手を貼ったのだった。

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2024/02/14

変化していくもの

先日、鮎壺公園に行ったら、黄瀬川の河原の岩や小石・砂が撤去されていた。

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2022年10月の同じ場所で撮った写真と比べてみると、手前の河原がなくなっている。

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2023年9月28日の記事、「暑さ寒さも彼岸まで……と思って我慢してきたけれど」に載せた岩、溶岩樹型の残る岩も、見当たらなかった。

2019年の年末に散歩して、こんに「石だらけで歩きにくいから先へ進みましょう」と言われた(ように思った)河原は、そっくりなくなってしまった。

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なんか寂しい気もするが、河道の確保という、河川管理の必要上、必要な措置なのだろう。
増水時にこれらの岩が下流に流され、護岸や橋脚を破壊すると困ったことになる。

実際、黄瀬川流域の各所で、2021年7月3日の水害で破損した護岸の改修工事や、黄瀬川大橋の付け替え工事がいまだに続いている。

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台風などの大雨の度に、黄瀬川とその支流の川は増水する。
また大雨になれば、大きな岩石が流れてくることもあるだろう。

三島溶岩流の末端にある鮎壺の滝も、その溶岩が崩れることによって、少しずつ後退している。
崩れた岩は、砕かれて小さくなりながら下流へ、海へと流れて行く。

川の様相も、河原の石も、入れ替わり変化していく。
こんと一緒に歩いた川べりの道を、今は一人で歩いている。

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2024/02/01

奥沼津アルプス大平山に登る

1月31日、夕方まではなんとか天気が持ちそうなので、奥沼津アルプスの大平山に登ることにした。
大平山はウチからは直接見えないが、散歩中によく見る山なので、一度登っておきたかったのだ。

大平山へ至るルートはいくつかあるが、今回は西の日守山(大嵐山)から稜線を辿っていくことにした。
日守山は、沼津・三島・函南方面から伊豆中央道に乗って伊豆長岡・修善寺方面に向かうとき、狩野川を渡る橋の正面に見える小山である。

家の掃除を終えてから出発し、10時半ごろ、日守山公園の駐車場に車を止めた。
日守山公園の入口は伊豆中央道のトンネルの近くにあり、駐車場とトイレが整備されている。

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日守山の山頂までは約20分、広い山道を歩く。
危険なところもなく、軽い運動に適した道で、年配者も多い。

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日守山山頂(192m)からは富士山と狩野川の眺めがよい。
富士山にはやや崩れた笠雲がかかっていた。

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日守山山頂から見た大平山(中央の三角形の山)。
その右側に見えるのは鷲頭山(4月に登った)。

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日守山から大平山へ向かう尾根道の途中には、採石場(石切場)の跡があった。
このあたりの山体は、海底火山に由来する凝灰岩(伊豆石)なのだ。

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数百万年前の海底火山の噴火により、海底に火山灰や火砕流が堆積した。
その堆積物が隆起してここいらの山になった。

どうして隆起したか?
数十万年前に伊豆半島が本州に激突し、その海底ごと押し上げられたからだ。

どうして激突したか?
伊豆の山々(と、海底の堆積物)は、フィリピン海プレートに載ってはるか南方からやってきたからだ。
フィリピン海プレートは本州を構成する北アメリカプレート(またはオホーツクプレート)の下に潜り込んでいく。
フィリピン海プレート上の海底堆積物は本州の(陸の)プレートにこそぎ落とされて、陸のプレートの上に載って、山になったのだ。

そんなわけで、稜線は岩だらけで、痩せた尾根が続く。
シイやカシ、クスノキなどの常緑樹にクヌギやコナラ、サクラなどの落葉樹が混じり、ヒノキの植林も見られる。
林床にササが少ないのは、シカなどの動物の影響だろうか。

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稜線には巨大な岩もあり、ハシゴやロープにすがらないと通過できない場所もある。
低山とはいえ、ハードな山道が続く。

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大平山の手前(東側)のピークから伊豆長岡方面を眺める。
中央の山の間に、伊豆長岡温泉のホテル群が見える。
写真の右側には、ロープウェイのある葛城山も見える。
写真の奥のほう、天城山のあたりから雲が湧いて暗くなってきたので、午後は早めに下山するほうがよさそうだ。

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12時30分、富士山の見える小さなピークの岩の上で昼食。
雲が出てきて富士山はよく見えない(写真では白く飛んでいる)。

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例によってウクライナのクラッカーとペンシルカルパスを食べ、ペットボトルのコーヒーを飲む。
コンビニエンスストアでホットを買ったのだが、当然冷めきっている。
冬の山歩きには、重くてもコンロを持ってきて湯を沸かしたほうがいいかもなぁ、と思った。

写真手前の緑色の四角いものは、登山用品店で298円で買った「座布団」。
これまではスタッフバックに入れた雨具を座布団代わりにしていたが、滑ったりして安定しなかったので、期待せずに買ってみたのだ。
思いのほか快適だった。
ザックの中ではクラッカーやカメラのクッションになったし。

20分ほどで昼食休憩を終え、それから20分ほどの直登で大平山山頂(356m)に到着。

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山頂の北側は、ヒノキの植林で展望がない。
南側は木立ち越しに江浦湾を望むことができた。

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風が出てきて、枯れた枝が落ちてきたりして剣呑なので、早々に大平山から折り返す。
日守山に登り返すのが嫌だったので、新城尾根を通って北へ、狩野川のほうへと降りた。

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途中、北条氏の末期の城である大平新城の跡があるようだったが、風に雨が混じってきたので、先を急いだ。
円教寺の墓地から狩野川沿いの道に出た。
車道の脇を15分ほど歩き、15時15分に日守山公園駐車場に戻った。

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