『進撃の巨人』と生命の目的
『進撃の巨人』の最終巻(34巻)を読んだ。
何を書いてもネタバレになりそうなので、本筋に関することは書かない。
そこで登場人物の一人が語った「生命が生きる目的は『増える』ことだ」というコトバについて。
その、生命についての話の背景に描かれていたのはアノマロカリスやハルキゲニア、オパビニアなどのカンブリア紀の生物だった。
長さ数センチの化石生物ハルキゲニアは、かなり奇妙な生物である。
アノマロカリスなど、カンブリア紀に登場した生物たちをめぐるノンフィクション『ワンダフル・ライフ』(スティーブン・J・グールド著)に描かれていたハルキゲニアの復元図は次のような具合である。
イモムシ状というかミミズ状というか、細長い胴体には7対の長いトゲのようなものがあり、それで海底に突っ立っていて、背中には触手のようなものが生えている。この触手のようなものの役割や、何を食べていたのかなどの生態は一切不明。丸い頭のような部分も、不定形で本当に頭なのか不明。
……ということだったが、その後の研究により、なんと上下が逆だったことがわかった。しかも前後も逆で、頭かと思われた部分は押し潰されたときに肛門から出た内容物(要するにウンコ)だった。科学とはアップデートし続けるものだから、次々と新しい発見があり、それまでの仮説は覆されるものなのである。
最近の復元図でどのように描かれているかは、『進撃の巨人』137話を参照していただきたい。
さて、「生命が生きる目的は『増える』こと」なのだろうか?
果たして生命に「目的」があるのだろうか?
逆に、発生して以来ずっと存在し続けようとしてきた物質系、生き延びて来た核酸とタンパク質(および脂質や炭水化物などなど)の塊を生命と呼ぶのだろう。
しかも「死」を避けるために増え続けるのではなく、「死」を発明し、すべてを食いつぶすことを避けているのかもしれない。
アメーバやゾウリムシなどの単細胞生物は、分裂して増えるので、事実上死なない。病気や事故、あるいは食われて死ぬことはあるが、老衰はないのだ。
ヒトのような多細胞生物は、体細胞(生殖細胞以外の細胞)の分裂回数には制限があり、病気や事故、あるいは(巨人に)食われるなんてことがなくても、やがて老衰により死ぬのである。そして、後に続く世代に、この地球を明け渡す。
この場合、「『増える』という目的のために死ぬ」と言ってよいものだろうか?
ハルキゲニアのような生物に限らず、生命とはすべて奇妙だ。
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