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2020/08/28

科学の役割

オガサワラシジミが絶滅の危機にあるそうだ。
小笠原諸島だけに棲むシジミチョウ科ルリシジミ属の小さな蝶である。

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写真はオガサワラシジミではなく、長野県で撮影したルリシジミ。
近縁だが、全く別の種である。

この小さな蝶の近縁種が、海で隔てられた小さな島に棲息しているのはなぜか、などと考え出すとわくわくしてくる。
……ワシはわくわくしてくるのだが、まぁ、当然、しない人のほうが多いだろうなぁ。

さて、こんな小さな蝶の一種が絶滅したところで、人間の社会や経済活動にどんな影響があるのか?といったことをよく耳にする。

じつは科学は影響があるのかないのか、説明できない。
だが、生物と生物の関係、生物と環境の関係についてわかってことをもとに考えると、影響があると考えるほうが妥当だろう。

直接の影響がなくても、間接的な影響があるかもしれない。
たとえば、オガサワラシジミの絶滅の原因が「温暖化」であるなら、すでに影響があるわけで、そしてこれから続いて起こるであろう自然界の異変の前触れの一つであるわけだし。

絶滅のおそれのある生物や、その生物と共生する微生物が生産する物質が医薬品に使えたり、といった未知の直接の影響もあるかもしれないが、それこそ研究が進まないとわからない。
……のであるが、絶滅されてしまったら、もはやすべて手遅れである。

生物の絶滅というのは、知り合いの誰かが亡くなることに似ている。
もっと話を聞きたかったなぁ、と思っても、もう手遅れなのである。

それはさておき、最近科学の役割が危うくなるような出来事が多いような気がする。
このブログに「科学的」と冠しているのは、科学的な方法論以外に自然界や人間の営みについて正しく(というかより正しく)知る方法はなく、民主的で自由な生活を維持するには科学的な考え方が必須だと思っているからだ。
そこで、科学の役割がぐらぐらしてしまうと、困るのである。

予測できない気象災害、核のゴミの処理、リニア新幹線工事の水問題、COVID-19(新型コロナウイルス感染症)、等々。

科学者同士の意見が異なるのは当然なのだが、それを取りまとめられずに混乱した様子だけがマスコミを通じて流れてしまっては「世間」には不信感が募るだろう。
その調整の役割が科学者のコミュニティ自体でできればよい。
しかし無理な場合には、政治家や役所のような別の「しくみ」で調整して公表してくれればいいのに、結局科学者の意見を無視して経済効果を優先したりする。

とくに感じが悪いのは、「自由闊達な意見を募るために議事録を作成しなかった」とかいう寝言みたいなやつ。
記録され公開されることを前提の場で発言できないような「専門家」なんか不要だ。
というかそういう「自称専門家」やそのまとめ役の小役人にワシの払った税金を使ったら怒るぞ。

そういえば今日、首相が辞任すると表明していたが、その中で例の「歴史の評価を待ちたい」的なことを言っていたような気がする。
今日じゃなかったかもしれないが、よく政治家が言うやつだ。
だが、記録や公文書を改竄したり削除したりシュレッダーしたりしちゃっているから、歴史的な評価も糞もないように思う。

科学としての歴史学は史料があってこそなのだから、その意味で、最後まで科学の役割を重んじない政権ではあったな。

 

 

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