Time to die
昨日の夕方、干してあった布団を取り込むために2階のベランダに出ると、アブラゼミが死んでいた。
肢を縮め、仰向けに転がっていた。
手に取ると、その軽いこと。
2階の壁あたりに止まっていたセミが、そこで命が尽きたのか……。
寿命が尽きたセミが落ちる瞬間を見たことはないが、スイッチが切れるように生命が途切れるのだろうか。
傷ついたり年老いたりした鳥や獣の命が尽きるときは、健康で元気に活動していたのに突然停止する、というような、スイッチが切れるような終わり方ではない。
あぁ、これはもう駄目だな、死ぬな、ということがわかる。
フィクションの世界では、スイッチが切れるように生命活動が停止する様が描かれることがある。
印象に残っているのは、映画『ブレードランナー』の中で、植民惑星から逃亡したレプリカント(アンドロイド)のグループのリーダー、ロイが「停止」するシーンだ。
奴隷として造られ、4年という短い寿命をセットされ、逃亡すれば機能停止するまで追われるレプリカントの悲哀と誇りを、賞金稼ぎのデッカードの前で語った後、ロイは絶命する。
その直前まで超人的な力を発揮してデッカードを追い詰めていたのに。
その最期の言葉が「Time to die」である。
昆虫の生態は、鳥や獣のようなセキツイ動物とは大きく異なる。
セットされた寿命が尽きて死ぬ様も、鳥や獣よりもロボットに近いかもしれないなぁ、と思ったりした。
メメント・モリ(memento mori)、「死を思え」
生きているということは、いつか死ぬということである。
あんまり考えたくないことではあるが、愛するものも自分もいつかは死ぬということを忘れてはならない。
なんていう具合に死について考えた後、庭のカツラについた巨大なアオイラガの幼虫を駆除した。
死について考えたからといって、人畜に危害を与えるおそれのある虫を殺すのをためらうようなことはないのだ。
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