もし東電幹部がドラッカーの『マネジメント』を真面目に読んでいたら
もし東電幹部がドラッカーの『マネジメント』を真面目に読んでいたら、こんな酷いことにはならなかっただろうに。
ドラッカーは問う。
「われわれは何者か」
「顧客はどこにいるのか」
……というか、組織のマネジメントに携わる人は、こう問わなくてはならないのだ、と書いてあったと思う。
じつは、『マネジメント』から正確な引用をすることができない。
ビジネス書をまとめて古紙回収に出したときに、同じダンボールに『マネジメント[エッセンシャル版]』と『抄訳マネジメント』が入っていたのを忘れていたのだ。
そんなわけでうろ覚えだが……。
「顧客はどこにいるのか」
はいはいはい。ワシはここにいますよ。
東電の電気を使っている。
過去30年以上、きちんと電気料金を払っているふつうの顧客である。
で、原子力発電で作った電気を売って欲しいなんて言ったことは一度もない。
原子力発電が「正しい発電方法とは思えない」旨は、たびたびネット上などで公言している。
そういう顧客に対しても、原発事故に伴うコストを、電気料金に転嫁させようとするわけ?
「われわれは何者か」
東京電力が民間企業だというのであれば、コストに利潤を上乗せして、それを顧客に要求するなんてコトができるはずがない。
顧客に商品やサービスを提供し、その正当な対価を受け取って、その中から「結果として」利潤を得るのが営利企業というものであろうが。
これまでのやり方で利潤を得ることができないというのであれば、企業が行うべきことは一つしかない。
イノベーションである。
原子力発電は危険でコストがかかることがよ~くわかったのだから、別の方法で電気エネルギーを得る方向へ舵を取るしか、選択肢はないと思うのだが。
東電の全部の原発が止まったことだしね。
ちなみに、これも『マネジメント』を読んだ人ならご承知のとおり、ドラッカーのマネジメント哲学は営利企業についてだけ当てはまるものではない。
行政機関にも当てはまる。
「われわれは何者か」
「顧客はどこにいるのか」
もういっぺん、よく考えて欲しいものである。
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コメント
波涛庵でございます。
「科学的逍遙日誌」のタイトルはよいと思います。「もし東電幹部がドラッカーの『マネジメント』を真面目に読んでいたら」の見出しもよいと思います。記事もよいと思います。ちゃらけず、新聞記事のようにかいらならもっとよくなると思います。
元雑誌編集者、輩。
投稿: 波濤庵 | 2012/04/10 20:11
コメントありがとうございます。
どうしても軽いノリで書いてしまうのには、理由があります。
一つは、まず読んでもらうためです。
硬い文章だと、なかなか読んでもらえないものです。
もう一つは、理不尽なものと闘うには、ユーモアを交えるしかない、と考えているからです。
もっとも、なかなかウィットに富んだユーモアを飛ばすのは難しく、おちゃらけや悪ふざけや軽いノリで誤魔化してしまう嫌いがあります。
ときには本気で主張するために、硬い文章で書く必要があるかも知れません。
投稿: M.SHI. | 2012/04/14 14:43