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2011/10/16

無時間仮説とビデオテープ

時間というものを、何となく「流れ」のようなものだと考えるようになったのは、小学生のころだろうか。
過去(川上)と未来(川下)が実在する、川の流れのようなものだと思うから、時間を遡って過去へ赴いたり、時間の流れを超越して未来を知ることができるのではないか、と考える。
すると、過去へ行って独身時代の自分の父親を殺すなど、改変行為を行なったら現在の自分はどうなってしまうのだろう、と、SF的なタイムパラドックスについて悩むことになる。
同様に、未来を知ったとして、その未来は固定された不可避な「運命」なのか、現在を変えることで変化しうる「可能性」にすぎないのか、なんてことにも悩むのだ。

しかし、もしも時間というものそのものが仮想的なもの、実在しないものだったとしたら、どうだろう?

変化する現在だけが存在し、過去も未来もない。
過去は記憶に過ぎず、未来は推測に過ぎないとしたら?
(cf. 茂木健一郎+細谷暁夫「物理学を認識論にする」『日経サイエンス』2010年4月号)

過ぎてしまったものは仕方がない。
取り返すすべも、やり直すすべもない。
しかし、記憶は残るのだから、「現在」においていいかげんなことをすることはできない。

未来は確定していないのだから、思い悩む必要はない。
すべては運……いや、確率により決まるのだから。
成就させたいことの確率を高めるように、あってほしくないことの確率を低くするように、「現在」において努力するほかない。

まぁ、この考え方(もしくは、現実)では、タイムトラベルはあり得ないので、タイムパラドックスも起こり得ない。
『タイムマシン』も『バック・トゥ・ザ・フューチャー』も『ドラえもん』も、SF ではなくファンタジーになってしまう。
まぁ、ある意味では、誰でも常に未来へのタイムトラベルを続けているので、「現在」の変化の速度をコントロールすることにより未来の状態を変えることは可能だ。
ウラシマ効果などの SF 的な素材は生き続ける(というか、これも「現実」なのだけど)。

過去は記憶に過ぎないが、ビデオテープなどに「記録」として残すことができる。
ビデオテープは磁気の濃淡を読む「技術」があれば過去を知ることができるが、「技術」が失われれば、ただの磁気の濃淡でしかない。
「技術」として残された「記憶」があって初めて、「記録」の中の過去が再生可能となる。

逆に言えば、「記憶」の消滅とともに、過去は消え失せてしまうのだ。
過去の英雄や偉人たちが、必死に名を残そうとしたのは、記憶の消滅とともに自分が生きていたという事実が消えてしまうのを恐れたからだろう。

凡人であるワシは、跡形なく消えてしまうのも良いかな、などと思うのだが。

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