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2011/08/02

KYのすすめ

若者言葉の「KY」は「空気読めない」だが、ワシの勧めたい「KY」は「空気を読まない」である。

場の「空気」というか、上司の思惑とか会社の意向とか、そういうものに「気遣い」するのは無用だ、いやむしろ、気遣いするのは良くない、悪くすれば犯罪的なことになっちゃったりするのではなかろうか、と思うのだ。

「原発再開反対の意見ばっかりだったら困るよねぇ」
と言われて関連会社に連絡してやらせメール(賛成意見)を送らせちゃうとか。

「あれ、やっといてね。ハッキリ言わなくてもわかるよね」
「御意」
みたいな、ベタなドラマのようなこと、現実の世界にあるとは思わなかったよ。

だいたい、ふつうなら上司に気遣いを要求されるわけないじゃん。
もし、気遣いを要求するような上司だとしたら、そんな無能段階(ピーターの法則の無能レベル)の上司に気に入られたってしょうがないよね?
無視無視。
KYと言われても、気にしない。

業務命令なら、ハッキリ聞いておかないと、独断でやってしくじった場合の責任を全部かぶらなきゃならない。
もちろん、権限委譲されて好きなようにやっていいと言われたときには独断でやって良いわけだが、ちゃんとそう言ってもらわないと。

キチンと命令され(あるいは権限委譲され)、結果を(誤魔化したりせずに)キッチリ報告する。
それが上司と部下の正しい関係ではないのか?

そういう業務命令もホウレンソウ(報告・連絡・相談)もキッチリできない会社が、自由主義経済において存続できるはずがない。
存続できていたら、何かおかしい。
存続できちゃうから、重大事故を起こすのか?

社内の空気なんか読まず、顧客は誰か、顧客はどこにいるのか考え、顧客のためになる、と納得できる仕事をしよう。

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