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2009/08/05

きっと神はどちらの味方でもない

昨日の朝のこと。
こんの散歩から帰ってきて、近所の庭木(ヒメシャラ)の下に立ったところ、上からイモムシが降りてきた。
長さ1cmに満たない、小さなガの幼虫である。

こんはヒメシャラの根元あたりにトカゲがいないかと嗅ぎまわっているので、ちょっと観察してみることにした。

糸を引きながらツツーッと降りてきたので、上に何かいるのかな、と見てみると小さなハチがいた。
葉の上を探索しているようなので、イモムシを探しているのだろう。
イモムシは糸を吐いて数十センチ降りることで、そのハチから逃れたのだ。

イモムシは音か匂いか何かでハチを感知したのかな、と見ていると、ツイと飛び立ったハチが糸にぶら下がったイモムシを捕まえた。
ハチはそのまま近くのセンリョウの葉にとまり、腹を折り曲げて、イモムシのからだに針を突き立てている様子。
そのハチは、トックリバチとかジガバチとか、そういった狩人蜂の仲間だったのだ。

ハチはどうやって、獲物が食草の葉の上でなく、そこから下にぶら下がっていることを知ったのだろう?
イモムシが降りてからしばらく経ってから狩ったので、降りるところを見ていたわけではなさそうだ。
葉の上に獲物の痕跡(噛み痕? 匂い?)があるのに姿が見えないとき、その葉の下を探索するようなプログラムを、ハチが持っているのだろうか。

このようなハチに対しては、イモムシの「糸を吐いてすばやく下に逃れる」という戦略は無効である。
一方、イモムシのほうも他の戦略を開発して、ハチに容易に捕まらないようになるかも知れない。
進化とは、そうした相互作用によって進む「軍拡競争」のようなものなのだ。

イモムシが新たな逃避戦略を編み出せば、ハチが飢え死ぬかもしれない。
しかしごく少数のハチは、その裏をかく探索術を編み出すだろう。
すると、また多くのイモムシがハチの餌食となる。
この世に万物を創成した神がいるとしたら、ハチとイモムシのどちらの味方だろうか。

きっと、神はどちらの味方でもないに違いない。
いや、神などいない、と考えたほうがすっきりする。
ハチの飛んで行った空の上には天国などなく、ただ空が広がっているだけなのだ。

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