2024/04/14

次の災害がやってくる前に忘れてしまうバカ

熊本地震から8年。
災害は忘れた頃にやってくる……と言われるが(寺田寅彦自身が随筆に書いている文面はちょっと違うが)、どうも最近は忘れる前に災害がやってくるような気がする。
もちろん、個人の体験としての災害は、50年とか100年とかの間が開けば忘れてしまうだろう。
しかし現在は情報共有が進んだ社会なので、個人が被災しなくても、大災害についての間接的な経験や教訓を得て、「次の災害」に備えることができるはずだ。
それなのに、地震や豪雨の災害が起こる度に、避難所の体育館に雑魚寝、自衛隊とボランティア頼みの災害復旧となってしまうのはなぜだろう?

次の災害がやってくる前に手立てを講じておけばよいのに、眼の前の金儲けや不祥事隠蔽に「全力」になっちゃうような人たちが為政者をやっているせいではないか、などと考えてしまう。

それはさておき、近所の山を歩く度に、この国土の成り立ちについて考える。
自宅は北米プレート(またはオホーツクプレート)にフィリピン海プレートが潜り込んでいるあたりにある。
そのため、沼津アルプスから伊豆半島の山々は、フィリピン海プレート上の海底火山に由来するし、伊豆半島の火山や愛鷹山や富士山や箱根は、さらにその下の太平洋プレート境界から噴出した溶岩でできている(次の図は伊豆半島ジオパークより引用)。

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写真は先週木曜日、志津山山頂からの風景。
手前から静浦漁港、大瀬崎、遠く三保の海岸。

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プレートテクトニクスによって形作られた地形の上を歩きながら、ほんの50年前にはこれらの地形の成因が「なんらかの原因で隆起・沈降」と教わったことを思い出す。

たとえば1980年(昭和55年)に改訂2版が発行された『神奈川県の自然』(野村出版刊)の油壷の地質の解説には、次のような記述がある(カッコ内は引用者注)。

このようなこと(火山灰層や不整合)から、地殻というものはゆっくりとまたは急激に隆起し、ときには陸地となって侵食をうけたり、また沈降して海底となりたい積の場になったりするものであることがわかる。またこのような変化に伴って火山活動もいろいろと変化していくことに気づくであろう。

プレート運動や付加体について一般人が知るようになるのは、1985年以降である。
災害への手立てを考えるべき人たちは、プレート運動や付加体をはじめ地震や土砂崩れなどの成因について「理解」しているだろうか?
「何も知らない」ままに指導的立場に立っていて良いものだろうか?

次の災害がやってくる前に忘れてしまうバカには、絶対に投票してはなるまいぞ。

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2024/04/01

植物由来成分の逆襲

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近所の公園でもようやくソメイヨシノが咲き始めた。
植物の発芽や開花が相次ぐ季節となった。

さて、エイプリルフールネタとして、次のようなものを考えた。

最新サプリメント情報!

ダイエットに最適なソラニン!
肌を劇的に変化させるウルシオール!
ときめきのアルカロイド!
植物由来成分だから安心です‼

小林製薬のサプリメントで死亡者が出ているので不謹慎だとは思ったが、以前からサプリメントとか機能性表示食品とか「植物だから安全です」とかいった「体に良さそう」みたいなモノが好きではないのである。

小林製薬の紅麹サプリメントからは、本来は含まれないはずのプベルル酸が検出されたという。
プベルル酸はアオカビ類が生産する有機化合物で、ペニシリンのような抗生物質の類と考えればよかろう(初めて聞いた物質名なので、後ほど詳しく調べようと思う)。

もちろん、プベルル酸が腎障害から死に至る被害の原因物質かどうかは、まだわかっていない。
……なんていうことを報道しているニュースショーのCMが、機能性表示食品だったりするから、そっちのほうが不謹慎な気がする。

なお、プベルル酸にしろペニシリンにしろ、植物由来成分ではない
コウジカビもアオカビも、菌類だから植物ではないからだ。

昭和の古い教育では、生物は動物と植物の二つの界(キングダム)に分けていたが、現在では五つかそれ以上の界に分ける(細胞の構造などの着目点によって、界の数は異なる)。
割とわかりやすいホイッタカー/マーギュリスの5界説によれば、モネラ(細菌など)、原生生物(アメーバなど)、菌類(カビ・キノコ)、動物、植物、という分類になる。

無機物から有機物を合成する能力をもつ植物に対し、植物の生産した有機物を利用して生きてるという点において、菌類と動物は近い関係と言えるだろう。
昭和の教育を受けた人は、カビやキノコは植物ではない、ということを再確認しておくと、余生が豊かになるかもよ。

植物が生産する有毒成分には、菌類や動物に「食われる」ことを防ぐ機能がある。
菌類が生産する有毒成分(抗生物質)には、他の菌類や細菌類や動物に「食われる」ことを防ぐ機能がある。

植物由来、または菌類由来の成分には、このような有毒な物質が含まれているわけだから、「植物由来成分だから安全です」とか「自然由来成分で安心」とか言う宣伝文句はである。

こういう嘘は「エイプリルフール!」と言って済ませられるものではないよね。

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2024/01/03

2024年1月1日

退職後初の正月。
元旦だからといって特別な感慨を抱かないのだが、雨戸を開けたら穏やかに晴れて雪化粧し直した富士山が見えた。

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朝食後は有明の月を見ながら布団を干し、いつも通り掃除をした。

昼には義父を迎えて、家族揃ってお節を食べた。

義父を一人住まいのマンションに送り、その後いつも通り散歩した。

日没を前に、先月中旬に庭に作ったピザ窯に火を入れる準備をしていたところ……。

北陸で地震発生。
地球は人間の営みには無関心で、優しくもなんともない。
元日だろうとなんだろうと、断層は動く。

最大震度7の激震と津波発生の報に言葉を失う。
ピザを焼くのは中止した。
ウチのあたりは異なるプレート(フィリピン海プレート)の上なので、少々揺れた程度(震度2程度)だが、すっかり気を削がれた。

被害の全容や今後の推移については、1月3日現在わからないことが多すぎるので、アレコレ書くのは控える。

しかし、あれだけ断層の多いところに原発をいくつも建設したことは、やはり愚行だと思う。
それを言えば日本全国、原発を建設・稼働してよいところなどないのだが。

志賀原発では変電設備の油漏れ、主電源の一系統喪失、使用済燃料プールの水漏れ、3メートルの津波襲来、高さ4メートルの防潮堤が傾いていることなど、不安な要素だらけ。
今でも震度5強クラスの地震が続いているので(また震度7の地震がないとも言い切れないし)、重大事故が起こらないことを祈るしかない。
祈るしかない、ということからして、ダメダメなエネルギー源だよねぇ。
非科学的じゃん(気が滅入っているので八つ当たり気味)。

非科学的といえば、「令和6年能登半島地震」という正式呼称もなんとかならないものか。
元号というやつは資料や検索には不向きなんだよなぁ(だから法制化の際に反対したのに)。

せめて「2024年(令和6年)能登半島地震」とするとか、最初の大きな地震の日付も入れて「2024.1.1令和6年能登半島地震」とか、ISO 8601の表記に従って「2024-01-01令和6年能登半島地震」または「20240101令和6年能登半島地震」とか、国際的・歴史的検証に耐えられるような名前にしたほうがよいのではないだろうか。

とかいったことをブツクサ言っていても仕方がないので、これから献血に行く。

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2023/12/20

シュレーディンガーの猫と現実の世界

パー券裏金、モリカケ桜で見た顔ばかり

というわけで生臭く胸糞悪いニュースばかりを目にする昨今、現実とは何かがゆらぐような思考実験の話を。

気密構造で不透明な箱に、薬品の入ったフラスコと猫を入れる。
フラスコが割れて薬品が空気に触れると毒ガスとなり、猫が死ぬ。
フラスコが割れない限り、猫はいつまでも箱の中で元気に過ごせるものとする。

ここで、1時間のうちに50%の確率で分裂して放射線を放出する放射線源を用意する。
そして、放射線を検出したら、ハンマーを動かしてフラスコを割る装置をセットする。

1時間後、猫は生きているだろうか、死んでいるだろうか?

Catbox

箱は不透明なので、箱を開けて観察するまで、猫が生きているか死んでいるかはわからない。
箱を開けて観察するまでの間、猫は半分生きていて半分死んでいる状態で、観察した瞬間に生きているか死んでいるかが確定した(生または死の状態に収束した)と言ってよいだろうか。

これは「シュレーディンガーの猫」と呼ばれる有名な思考実験である。
観察(観測)することが実験に影響するので、観測者問題と呼ばれている。
核分裂のような量子論的なできごとを説明するときに、「分裂していない/分裂した」「生きている/死んでいる」のような状態の重ね合わせを考えると気持ちの悪いことになる、という批判のために考え出されたものだという。

もちろん、猫の生死のようなマクロなスケールでは、50%生きていて50%死んでいるというような状態はあり得ない。
しかし、電子とか原子核とかのミクロなスケールでは、こういう確率的な現象が起こりうる。

以前、「トリチウムへの長い道(2)」という記事に、次のような水素原子の模式図を載せた。

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これはじつは19世紀以前の古典的な原子モデルであって、現在のモデルでは、電子は決まった軌道をぐるぐる回っているわけではないとされる。
原子核から一定の距離をおいたところに存在するが、どこにあるかははっきりとはわからない。
そこで、電子軌道を回る粒子というより原子核の周囲を漂う「電子雲」として示される。
電子は原子核の周囲に確率的に存在しているのである(原子核の周囲のある1点に存在する確率が何%、という具合)。

電子雲の話は深入りすると長くなるので、またの機会に譲るとして、シュレーディンガーの猫に話を戻す。

箱の中では半分生きていて半分死んでいた猫が、観測した瞬間に生死のいずれかに収束するという説明は、観測者問題のコペンハーゲン解釈と呼ばれる。

科学的な理論と実生活との関わりを考えるとき、SFがヒントを与えてくれる。

劉慈欣の『三体0【ゼロ】球状閃電』では、コペンハーゲン解釈に基づいて、マクロな物体が量子状態になったらどうなるかを描いている。
観測すると死んでいる人も、量子状態では死んでいないのではないか?
いろいろ書くとネタバレになってしまうので詳しくは書けないが、コペンハーゲン解釈が正しくない、ということになったら成立しない物語になっちゃうのではなかろうか。

観測者問題のもう一つの説明として、多世界解釈がある。
この世界(宇宙)は絶えず無数の世界(パラレルワールド)に分岐していると考えるのである。
すると、1時間後に猫が生きている確率と死んでいる確率がそれぞれ50%のとき、1時間後には猫が死んでいる世界と生きている世界がそれぞれ50%ずつ存在している。
1時間後に箱を開ける人(観測者)は、それら多数の世界のうちのどれかにいる。
その世界のうち猫が生きているほうの世界にいる人は、箱を開けたとき生きている猫を目にするだろう。
当然、猫が死んでいるほうの世界にいる人は、箱を開けたとき死んでいる猫を目にすることになる。

観測した瞬間に状態が収束する、なんていう無理やりなことを考えずに済むのが、多世界解釈のよいところだ。

テッド・チャンの「不安は自由のめまい」(短編集『息吹』に収録)では、パラレルワールド間で通信ができるようになった近未来が描かれる。
分岐した他の世界では、自分は重要な場面で異なる選択をして、異なる人生を送っているかもしれない。
パラレルワールドの自分と話してみた結果、より幸せな日々を過ごしていることがわかったとしたら、その後の行動にどんな影響をおよぼすだろうか?

パラレルワールドが存在するかどうかはわからない。
そしてパラレルワールド間で情報のやり取りができるものかどうかも、わからない。

コペンハーゲン解釈にしろ多世界解釈にしろ、現実的にあり得るのかどうかわからないような解釈をしないと説明できないのが量子論の世界である。
もっと勉強しないとなぁと思うのだが、数学が苦手なので波動関数とかには手が出せないのであった。

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2023/11/27

宇宙からの視点

11月19日、富士山が雪をかぶっていたので写真に撮った。

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場所は例によって門池公園である。

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快晴無風の池の水面にイチョウの黄葉が映えていた。

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翌日の11月20日もよく晴れたので、夕方に散歩し、同じような景色を見た。写真は撮っていないが。

さて、NASA の Gateway to Astronaut Photography of Earth というサイトに、11月20日7時7分に ISS(国際宇宙ステーション)から撮影した写真が載っていた。

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Image courtesy of the Earth Science and Remote Sensing Unit, NASA Johnson Space Center

解像度の高い写真は下記でご覧いただきたい。

https://eol.jsc.nasa.gov/SearchPhotos/photo.pl?mission=ISS070&roll=E&frame=27849

GMT の7時7分は日本時間で16時7分だから、儂がちょうど門池公園を散歩していたときに、上空を ISS が通過し、宇宙飛行士が写真を撮っていたわけである。

雪を戴く富士山と、その周りの山々がよくわかる。
富士山の影が右上(東北東)方向に長く伸びている。

江戸時代に噴火した宝永火口や、有史以前に噴火した愛鷹山の火口がはっきり見える。
箱根のカルデラが驚くほど大きいこともわかる。なにしろ横浜まで到達するほどの火砕流を起こした巨大火山だからね……。

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人類は宇宙からの視点を得て、広く見渡すことや、新たな観点で自然を理解することができるようになった。
なったはずなのだが、なぜいまだに領土を奪い合って戦争なんてことをやっているのか、とても不思議である。

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2023/11/21

生物学と物理学の埋まらない溝

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唐突に2020年4月(COVID-19パンデミックの始まりのころ)の写真を載せた。
こんを連れて沼津千本浜公園に言ったときのものである。
ここでの主題は、こんではない。

千本浜公園には、その名の通りたくさんの松が植えられて、防風林になっている。
そのアカマツの樹皮に注目する。

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樹皮の模様は、幹が太くなるときに裂けた表皮がコルク化したものである。
裂け目をよく見ると、縦に長い六角形や方形のように見える。
方向性と周期性があるので、何らかの物理的法則があるのだろうと思われる。

このような樹皮の模様は、アカマツだけでなくクヌギやコナラなどでも見られる。
サクラやシラカバの樹皮は、横方向(水平方向)に裂けている。
一方、プラタナスやサルスベリのように、古い樹皮が剥がれ落ちて新しいすべすべの樹皮ができ続けるので、裂け目ができないものもある。

植物は、単なる物理的最適解を採用しているわけではないのだ。
生物の形態や生態には、必ず進化、つまり現在に至るまでの「歴史」が関係している。

3年半前の写真を持ち出したのは、『キリンの斑論争と寺田寅彦(岩波科学ライブラリー)』を読んで、その中に掲載されていたメロンの縞模様の写真を見たとき、樹皮にも似たような模様があったなぁと思い出したからだ。

以下、Amazon の『キリンの斑論争と寺田寅彦 』のリード文を引用する。

キリンの斑模様は何かの割れ目と考えることができるのではないか.そんな論説を物理学者が雑誌『科学』に寄稿したことに生物学者が危険な発想と反論したことから始まった有名な論争の顛末は? 現在の科学から論争の意味と意義を評価する.主導的な役割を果たした寺田寅彦の科学者としての視点の斬新さ・先駆性が浮かび上がる.

なぜか、生物学者と物理学者は仲が悪い。
生物学者は「物理学者は生物学的現象を単純に考えすぎる、生物はもっと複雑で能動的なものだ」と言い、物理学者は「生物学者は複雑な現象を複雑なまま扱おうとして失敗し、生命の神秘に逃げようとする」と言う。

そういえば儂も若いころ、物理学出身の人に「生物学は複雑すぎて嫌。だいたい、生物は種類が多すぎるし、相互の関係が入り込みすぎてる」と言われたこともある。
生物学徒としては、多様性と関係性が面白いんだけどね。

また、塾の夏期講習で教えているとき、同僚の物理学修士に「僕はビッグバンから1秒後より後のできごとには興味ないんですよ」と言われた。
いやぁ、生物はその、興味ないところに全歴史があるのですが。

まぁこの人は、「理科で摩擦力とか表面張力とか遠心力とか抗力とか、いろいろな力を持ち出すのはいかがなものか。自然界の力は強い力、弱い力、電磁力、重力の四つしかないのに」と面白いことを言っていたが。
まぁどんな力も還元すれば四つの力のどれかだけど、強い力と弱い力は原子核レベルでしか働かない核力だから、普段(マクロなスケールで)見かける力は電磁力か重力のどちらかになってしまう。
突き詰めれば電磁力になってしまうとはいえ、やっぱり摩擦力と表面張力とファンデルワールス力は区別したいよねぇ。
ハエとかナメクジとかヤモリが垂直な壁を歩くときのことを考えるときなんかに……。

ということで、若いころには生物学と物理学の間には、埋めがたいギャップがあるのかもなぁと思ったものである、

しかし現在(というか1980年代以降?)単純な物理法則と生物の生理生態とのギャップを、複雑系の科学、カオス学が埋められるのではないかと期待されている。
キリンやヒョウの毛皮や、サバの背中のような模様については、チューリング理論により説明できそうである。
ちなみにチューリング理論のチューリングは、チューリングマシンやチューリングテストを考案し、エニグマの暗号を解読した、あのチューリングである(ベネディクト・カンバーバッチがチューリングを演じた映画『イミテーション・ゲーム』は必見である)。

寺田寅彦の随筆を読むと、自然界に見られる縞模様や金平糖の角の配置、市電の混み方と運行遅延など、カオス学を先取りしたような論考が見られる(青空文庫で読むことができる)。
寺田寅彦が複雑系やコンピュータシミュレーションを知っていたら、面白い研究をしただろうに、と思う。

以前、動物の縄張りの分布の解析などに使われるボロノイ分割と、溶岩が固まってできた柱状節理や木々の枝の張り方が似ているなぁと思って「ボロノイ分割、柱状節理、林冠のすき間」という記事を書いたことがある。
儂のような科学のシロウトとしては、寺田寅彦のような鋭い観察・考察はできないまでも、身の回りの不思議なことに気づくだけの感性を持ち続けたいと思うのだ。

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2023/11/02

愛鷹連峰愛鷹山に登る

昨日(11月1日)午前9時半に家を出て、水神社に車を駐め、愛鷹山まで往復してきた(16時半に帰着)。

水神社に車を留めて林道を歩くのは今年三回目で、一回目は山桜を見て歩いたとき(4月13日)、二回目は位牌岳の手前まで登ったとき(5月10日)である。
次の写真は位牌岳方面への登り口に当たる「つるべ落としの滝ハイキングコース入口」で、このあたりはあまり紅葉していないように見える。

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ちなみに、各地でクマが出没して被害が出ているため、愛鷹山に紅葉を見に行くと言ったらカミさんにだいぶ心配された。
そこでザックに熊鈴をぶら下げ、シェラカップがポットに当たるようにして、チリンチリン、カンカンと音を立てて歩いた。

林道の整備工事中で林野庁の作業者が入っていたり、有害鳥獣駆除(シカ)を行っていたりして、その警告の看板を見たが、「熊出没注意」はなかった。
代わりに「カエンタケ注意」の表示が林道のゲートに掛かっていた。

林道沿いにはリンドウやセキヤノアキチョウジ、ノジギク、マツカゼソウ(次の写真)などが咲いていた。

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マツカゼソウはミカン科としては珍しい草本で、たおやかだがしたたかな感じがして好きなのだ。
林床で、陽の当たるところに咲いている。

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林道の脇のマツカゼソウを撮っていたら、上から小石が降ってきた。
「なんだ?」と声を上げたら、崖の上でシカが「ピャッ」と鳴いた。

ちなみに別のところでもう一回シカに石を落とされた。
クマに遭遇し被害を受けることはなかったが、シカに遭遇し被害を受けかけたわけである。

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林道を歩いていくと、次第に紅葉・黄葉が増えてくる。

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5月にヒーヒー言いながら下った、位牌岳から池の平展望台に至る尾根の斜面も色付いていた。

一服峠への登り口(ここへは4月に下見に来た)を過ぎ、柳沢橋の手前から伐開地を登る。
よく晴れて暑いので、ウインドブレーカーを脱いでTシャツになる。

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伐開地の防鹿柵沿いの広い道を登り、振り返ると箱根の山並みを望むことができる。
箱根の手前の町並みは三島市と長泉町のあたりだろう。

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この伐開地を抜けて行く道は、安山岩の板状節理の平たい石だらけで、半ば石畳のようになっている。
この石は林道沿いにもいっぱいあって、林道脇の大きな板状節理の露頭から剥がれ落ちたものだった。

この伐開地の石も、一部は板状節理の露頭から剥がれたものだろうが、大半は土(火山灰に由来するもの)に埋まっていたもののようだ。

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なぜ板状節理に由来する石が、火山灰の中に埋まっているのか?

おそらく、このあたりは火砕流か山体崩壊に伴う土石流の跡なのだろう。
もっと高いところにあった板状節理(つまり冷えたマグマだまりか火道)が、噴火か山体崩壊によって崩れて火山灰とごちゃまぜになったのだ。

なんというか、こういうぐちゃぐちゃな地質から成る日本列島で、原発を稼働させたり核のゴミを埋めたりするのは間違っていると思うぞ。

標高1000mを超えるあたりまで、ヒノキ林と、ヒノキ林に挟まれた雑木林の中を行く。
道は枯れ沢をトラバースしたり、ヒノキの根っこを踏んで歩いたり、火山灰の赤土でずるずる滑ったり。

高齢者にとっては楽な道ではない。
それなのに、同年輩と思しき登山者二人にあった。
一人はトレールランニングのようだったし、もう一人はトレッキングポールも使わずに赤土の斜面を降りてきた。

うーむ、負けてられないなぁ、と一踏ん張りして稜線の鞍部に登る。

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風が吹き抜けて涼しいが、少しシカ臭い。
この鞍部の草原はシカがササやスゲを食べることで維持しているようで、あちこちに踊り場(休息場所)やヌタ場(泥浴びをするところ)があった。

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ブナ林とササの組み合わせは丹沢と似ているが、ブナ林にヒメシャラの大木がけっこう混ざっているところがちょっと違う。
上の写真の大木の左側がブナ、右側がヒメシャラで、どちらも葉を散らせている。
ちなみにヒメシャラは伊豆半島に多く見られる。

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南側は愛鷹山本体で塞がれているので沼津市方面は見えないが、西側の富士市や駿河湾が望めた。
南アルプスも見えるはずだが、雲の中でよくわからなかった。

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鞍部から愛鷹山山頂まで10分の急登だが、途中から富士山が見えるようになる。

富士山の右側には位牌岳、富士山の右下に越前岳も見える。

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12時50分、愛鷹山山頂(1188m)に到着。
山頂からも北側の展望があり富士山が望めたが、東側・南側・西側の展望はない。

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ウクライナのクラッカーとペンシルカルバス、チーズかまぼこの昼食。
たったひとり、富士山を眺めながらの贅沢で簡素な昼食。
ちなみに飲み物はポットの中の氷水(沼津の水道水だから水源が柿田川なので、富士山の水)。

山頂の狭い草地には、キタテハが舞い、ハナアブが右往左往していた。
ズボンにダニが付いていたので、指で弾いて飛ばした。

食べながら下山ルートを検討する。
南へ下ることも考えたが、林道を延々と歩くのも辛そうなので、来た道を戻ることにした。
来た道もけっこう辛かったが。

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山頂から鞍部へ下ってしまえば、遮るもののない景色も見納めである。
位牌岳から池の平展望台に至る稜線を見ていたら、遠くに見覚えのある山並みが。

若い頃に毎月のように通っていた丹沢である。
もう30年以上前……いや、40年も前になるのか。
たかだか5〜6時間の山行でヘトヘト、ガタガタになるのも当たり前か。

愛鷹山から位牌岳への稜線も歩いてみたいと思っていたが、考え直したほうが良いかもなぁ。

 

 

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2023/10/30

尾状突起をどうやって動かしているのか?

金木犀(キンモクセイ)の花も終わり、桂(カツラ)の黄葉が始まった。

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庭で咲いている花はローズマリーと抱葉荒地花笠(ダキバアレチハナガサ)くらいになった。

そのダキバアレチハナガサにウラナミシジミが蜜を吸いにやってくる。

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翅の色は茶色っぽいが、構造色で青く光る。

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角度によってはミドリシジミ類のような緑色にも見える。

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動画を撮ってみた。手ブレ補正機構が効いているので、花がゆらゆら揺れているのは手ブレではなく風のせいである。

 

さて、ウラナミシジミの後翅には触角のような尾状突起がある。よく見ると、この尾状突起をうにょうにょと動かしている。

 

昆虫は触角や付属肢(あし)、翅(はね)を筋肉で動かす。昆虫の成虫を解剖すると、胸の中は付属肢を動かす筋肉と翅を動かす筋肉でぎっしりである。

だが、尾状突起の部分には、筋肉はないはずである。そこで、うにょうにょと動かすには、体液(血液)の圧力変化を使っているのだろう。

チョウの口はストロー状で蜜などの液体を吸うことに適した構造になっている。この口も普段はゼンマイのように巻いているが、体液の圧力を使って伸ばして蜜を吸う。

尾状突起も同様に体液を移動させて動かしているのだと思うが、いまのところ未確認である。どういう気分のときにうにょうにょさせるのかも、わからない。

秋の庭先で発見した、ちょっとした疑問である。

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2023/09/10

科学的に安全、とはどういうことか?

「福島第一原発事故に伴う汚染水から放射性核種を取り除いたけれどトリチウムが残っている水」の海洋放出に関して、「科学的に安全なのだから反対するのはおかしい」という意見があるようだ。ただ、どうもそれが「IAEAのお墨付きを得ているのだから安全」、つまり「公的機関が安全と言っているのだから安全」という言説を「科学的に安全」と言い換えているように聞こえる。

「科学的である」ということを「科学者の肩書を持つ人が立派な実験施設とか数学とかを用いて定めたこと」と勘違いしているのではなかろうか。
しかし、公的機関や科学界の権威の言うことが、必ずしも科学的とは限らない。

では、「科学的」とはどういうことなのか。身近な例で考えてみよう。

【問題】モンシロチョウやアシナガバチなど、昆虫の成虫のあし(脚)の数は何本か?

小学校の教科書には「昆虫の成虫のあしの数は6本」と書かれている。
文部科学省の学習指導要領には「昆虫の成虫の体は頭,胸,腹の三つの部分からできていること,頭には目や触角,口があること,胸には3対6本のあしがあり,はねのついているものがあること(中略)などの体の特徴を捉えるようにする」とある。
では、答えは、科学的な正解は「6本」と言ってよいだろうか。

しかし、次の写真を見てほしい。羽化したばかりのツマグロヒョウモンのオスで、チョウの上に羽化して抜け殻となった蛹と、脱皮して抜け殻となった幼虫の表皮が見える(2022年7月28日撮影)

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脚の数は……4本である。

昆虫の脚は6本なのかそうではないのか、科学的に検証してみよう。

まず仮説を立てる。
「昆虫の成虫の脚の数は6本である」
仮説が成り立たなければ、
「昆虫の成虫の脚の数は、6本とは限らない」
ということになる。

次に、この仮説が正しいかどうかを検証する。
すでに、検証用のデータ(観察結果)は、いくつかある。
先程の写真は、「6本ではない」という仮説を反証するデータである。
そして、このブログの他の記事には、「6本である」という仮説を支持するデータにあたる昆虫の写真がたくさんある。セミとかトンボとかキチョウとか……。

風もない穏やかな晩秋の休日、庭の手入れをした。枯れたローズマリーの枝を切っていると、キチョウが飛んできて、ローズマリーの花に止まった。蛹で越冬するアゲハチョウなどと違い、キチョウは成虫で冬越しする。この個体は無事に冬を越せるだろうか。

ここで、「間違っているのはデータかもしれない」と考えてみよう。観察結果、つまりデータが異常なため、仮説が成り立たない場合があるからだ。

この個体だけ、脚が取れてしまったり、発達しなかったりして4本なのだろうか?
そこで、ほかのツマグロヒョウモンについても調べてみると、やはり4本である。
地域や時期や性別が違っても、やはり4本である(2005年9月9日に撮影したメス)。

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よくよく観察すると、2本の前脚が短く、折りたたまれたようになっている(上の写真の目の後ろの部分)。そのため、脚の基部は6本分あるが、花に留まったり歩いたりするときに用いる脚は4本である。
さらに言えば、ツマグロヒョウモン以外のタテハチョウ類の脚の数も、4本である。

Fh000194 (1989年8月10日に霧ヶ峰で撮影したアカタテハ)

……と儂が書いたからと言って、信用してはいけない。疑うことは科学の第一歩である。できれば読者自身で調査して欲しい。
データ(この場合は写真)を偽ることも可能なのだから、データが正しいかどうかを知るためには、その仮説を主張する本人以外による検証が必要だ。

このように、データや方法(実験観察の機材や手順など)がオープンで、誰でも仮説を検証できることが、「科学的である」ための必要条件である。
超能力や霊能力のような疑似科学が科学的でないのは、信奉者以外の人が検証することを許さないからである(疑う人がいると再現できない、などと言い訳をするのだ)。

じつは、すでにタテハチョウ類の成虫の脚の数が6本ではなく4本だということは、プロの科学者とアマチュアの研究者、教師、小中高生など多くの人々によって確認されている(昆虫学や教育関係の雑誌やサイトで確認できる)。

ここで、もうひとつの仮説が提示できるのだが、気付いただろうか? それは
「タテハチョウ類は成虫の脚が4本なので昆虫ではない」
というものだ。
しかし、脚の数以外の体の構造や生活史などから考えて、タテハチョウは昆虫である、といってほぼ間違いない(100%間違いない、と言わないところが科学的?)。

そこで、結論としては
「昆虫の成虫の脚の数は6本である」
という仮説を棄却する(正しくないと判断する)。

とはいえ、タテハチョウ類を除く大部分の昆虫の成虫の脚の数は6本なので、
「昆虫の成虫の脚の数は6本である」
を改めて、
「昆虫の成虫の脚の数は原則として6本であるが、4本の昆虫もいる」とするあたりが妥当であろう。
文部科学省が学習指導要領の記述を改めるかどうかはわからない。
しかし、子供がタテハチョウ類を見て、「教科書と違う」と言ったとき、教師や保護者が「教科書が違うはずがありません」と言うのはよろしくない(科学的でも、教育的でもない)。
どうする文部科学省。

さて、このようにデータを踏まえ、誤りを認めて仮説(理論)を訂正することは、科学が科学的であるために非常に重要である。
逆に言えば、「学会の権威である私の理論は絶対に正しい。疑ってはならぬ」などと言う科学者がいたとしたら、その人は非科学的で、有害である(老害の場合が多い)。もはや科学者ではなく、カルトの教祖みたいなもんである。

強力な誤り訂正機能をもつことによって、科学のみが世界(宇宙とか自然とか社会とか)の成り立ちや法則を知る手段となり得る。そして誤り訂正機能をもつ科学に基づく社会の仕組み(技術や法律)こそが、より多くの人々の健康や幸福に貢献できるのだと思う。

最初の「科学的に安全」の話に戻す。
「結論ありき」で「科学的に安全」という人は、「その人が科学的思考ができない」ことを宣伝しているようなものだ。

「汚染水」の疑いの残るALPS処理水の海洋放出を「科学的に安全」と言うには何が必要か。
有機結合型トリチウムの生物濃縮や内部被曝、トリチウム以外の放射性核種の残存などのリスクが「ない」ことを立証しなくてはならないだろう。
そのために必要なことは、データをオープンにすることと、懸念を持つ人たちによる検証を受け入れることだ。
東電や政府の過去のやらかしのせいで、データが信用できないことも困ったものだが、じつは「相手を信用できるか」は科学的にはどうでもよいのだ。
立場が異なる人や機関が調査して得たデータのばらつきが誤差の範囲内に収まって初めて、その「データが信用できるもの」となる。

ニュース番組を見ていると、「科学的に安全だということの理解を進める努力が必要」などと言う人がいるが、そういう人には「科学的とはどういうことか」を理解していただきたいものである。
「『科学的に安全』という政府の発表を疑うのはおかしい」と言うのは非科学的であり、疑うほうが科学的なのだから。

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2023/09/01

スーパーブルームーンを撮った

昨晩(8月31日)23時半ごろ、そろそろ寝ようと2階のベランダの雨戸を閉めようとしたとき、南の空高く満月が輝いていた。公転軌道上の位置関係で月が地球に最も近づくため、大きく見える「スーパームーン」だそうだ。さらに、今月は8月2日に続けて2回目の満月である。ひと月のうちに2回目の満月を「ブルームーン」と呼ぶので(青く見えるわけではないが)、この月は「スーパーブルームーン」だそうだ。

P83103762

慌ててカメラを持ち出し、手持ちで何枚か撮ったうちの1枚。本当の満月になったタイミングは8月31日の10時36分だったので、それから13時間経っている。そのため右側(西側)がほんの少し欠けている。上の写真の右端が円弧ではなく、クレーターの影で凸凹になっているのがわかる。

上の写真は、じつは下の写真をトリミングしたものだ。35ミリ換算300mmの望遠では、そんなに大きく撮れるものではない。

P8310376

カメラ:OM Digitai Solutions (OM SYSTEM) OM-5
レンズ:M.ZUIKO DIGITAL 14-150mm 1:4-5.6
f/6.3 1/400 150mm ISO200

プログラムオートで露出補正を-6.0EVくらいにしたら、月の海やクレーターがはっきり撮れた。

ちなみに、夜景モードで撮ると次のような具合になる。星や雲が写るが、月は飛んでしまう。意図した通りの写真を撮るのは、なかなか難しいものである。

P8310378

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