2023/11/27

宇宙からの視点

11月19日、富士山が雪をかぶっていたので写真に撮った。

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場所は例によって門池公園である。

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快晴無風の池の水面にイチョウの黄葉が映えていた。

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翌日の11月20日もよく晴れたので、夕方に散歩し、同じような景色を見た。写真は撮っていないが。

さて、NASA の Gateway to Astronaut Photography of Earth というサイトに、11月20日7時7分に ISS(国際宇宙ステーション)から撮影した写真が載っていた。

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Image courtesy of the Earth Science and Remote Sensing Unit, NASA Johnson Space Center

解像度の高い写真は下記でご覧いただきたい。

https://eol.jsc.nasa.gov/SearchPhotos/photo.pl?mission=ISS070&roll=E&frame=27849

GMT の7時7分は日本時間で16時7分だから、儂がちょうど門池公園を散歩していたときに、上空を ISS が通過し、宇宙飛行士が写真を撮っていたわけである。

雪を戴く富士山と、その周りの山々がよくわかる。
富士山の影が右上(東北東)方向に長く伸びている。

江戸時代に噴火した宝永火口や、有史以前に噴火した愛鷹山の火口がはっきり見える。
箱根のカルデラが驚くほど大きいこともわかる。なにしろ横浜まで到達するほどの火砕流を起こした巨大火山だからね……。

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人類は宇宙からの視点を得て、広く見渡すことや、新たな観点で自然を理解することができるようになった。
なったはずなのだが、なぜいまだに領土を奪い合って戦争なんてことをやっているのか、とても不思議である。

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2023/11/21

生物学と物理学の埋まらない溝

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唐突に2020年4月(COVID-19パンデミックの始まりのころ)の写真を載せた。
こんを連れて沼津千本浜公園に言ったときのものである。
ここでの主題は、こんではない。

千本浜公園には、その名の通りたくさんの松が植えられて、防風林になっている。
そのアカマツの樹皮に注目する。

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樹皮の模様は、幹が太くなるときに裂けた表皮がコルク化したものである。
裂け目をよく見ると、縦に長い六角形や方形のように見える。
方向性と周期性があるので、何らかの物理的法則があるのだろうと思われる。

このような樹皮の模様は、アカマツだけでなくクヌギやコナラなどでも見られる。
サクラやシラカバの樹皮は、横方向(水平方向)に裂けている。
一方、プラタナスやサルスベリのように、古い樹皮が剥がれ落ちて新しいすべすべの樹皮ができ続けるので、裂け目ができないものもある。

植物は、単なる物理的最適解を採用しているわけではないのだ。
生物の形態や生態には、必ず進化、つまり現在に至るまでの「歴史」が関係している。

3年半前の写真を持ち出したのは、『キリンの斑論争と寺田寅彦(岩波科学ライブラリー)』を読んで、その中に掲載されていたメロンの縞模様の写真を見たとき、樹皮にも似たような模様があったなぁと思い出したからだ。

以下、Amazon の『キリンの斑論争と寺田寅彦 』のリード文を引用する。

キリンの斑模様は何かの割れ目と考えることができるのではないか.そんな論説を物理学者が雑誌『科学』に寄稿したことに生物学者が危険な発想と反論したことから始まった有名な論争の顛末は? 現在の科学から論争の意味と意義を評価する.主導的な役割を果たした寺田寅彦の科学者としての視点の斬新さ・先駆性が浮かび上がる.

なぜか、生物学者と物理学者は仲が悪い。
生物学者は「物理学者は生物学的現象を単純に考えすぎる、生物はもっと複雑で能動的なものだ」と言い、物理学者は「生物学者は複雑な現象を複雑なまま扱おうとして失敗し、生命の神秘に逃げようとする」と言う。

そういえば儂も若いころ、物理学出身の人に「生物学は複雑すぎて嫌。だいたい、生物は種類が多すぎるし、相互の関係が入り込みすぎてる」と言われたこともある。
生物学徒としては、多様性と関係性が面白いんだけどね。

また、塾の夏期講習で教えているとき、同僚の物理学修士に「僕はビッグバンから1秒後より後のできごとには興味ないんですよ」と言われた。
いやぁ、生物はその、興味ないところに全歴史があるのですが。

まぁこの人は、「理科で摩擦力とか表面張力とか遠心力とか抗力とか、いろいろな力を持ち出すのはいかがなものか。自然界の力は強い力、弱い力、電磁力、重力の四つしかないのに」と面白いことを言っていたが。
まぁどんな力も還元すれば四つの力のどれかだけど、強い力と弱い力は原子核レベルでしか働かない核力だから、普段(マクロなスケールで)見かける力は電磁力か重力のどちらかになってしまう。
突き詰めれば電磁力になってしまうとはいえ、やっぱり摩擦力と表面張力とファンデルワールス力は区別したいよねぇ。
ハエとかナメクジとかヤモリが垂直な壁を歩くときのことを考えるときなんかに……。

ということで、若いころには生物学と物理学の間には、埋めがたいギャップがあるのかもなぁと思ったものである、

しかし現在(というか1980年代以降?)単純な物理法則と生物の生理生態とのギャップを、複雑系の科学、カオス学が埋められるのではないかと期待されている。
キリンやヒョウの毛皮や、サバの背中のような模様については、チューリング理論により説明できそうである。
ちなみにチューリング理論のチューリングは、チューリングマシンやチューリングテストを考案し、エニグマの暗号を解読した、あのチューリングである(ベネディクト・カンバーバッチがチューリングを演じた映画『イミテーション・ゲーム』は必見である)。

寺田寅彦の随筆を読むと、自然界に見られる縞模様や金平糖の角の配置、市電の混み方と運行遅延など、カオス学を先取りしたような論考が見られる(青空文庫で読むことができる)。
寺田寅彦が複雑系やコンピュータシミュレーションを知っていたら、面白い研究をしただろうに、と思う。

以前、動物の縄張りの分布の解析などに使われるボロノイ分割と、溶岩が固まってできた柱状節理や木々の枝の張り方が似ているなぁと思って「ボロノイ分割、柱状節理、林冠のすき間」という記事を書いたことがある。
儂のような科学のシロウトとしては、寺田寅彦のような鋭い観察・考察はできないまでも、身の回りの不思議なことに気づくだけの感性を持ち続けたいと思うのだ。

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2023/11/02

愛鷹連峰愛鷹山に登る

昨日(11月1日)午前9時半に家を出て、水神社に車を駐め、愛鷹山まで往復してきた(16時半に帰着)。

水神社に車を留めて林道を歩くのは今年三回目で、一回目は山桜を見て歩いたとき(4月13日)、二回目は位牌岳の手前まで登ったとき(5月10日)である。
次の写真は位牌岳方面への登り口に当たる「つるべ落としの滝ハイキングコース入口」で、このあたりはあまり紅葉していないように見える。

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ちなみに、各地でクマが出没して被害が出ているため、愛鷹山に紅葉を見に行くと言ったらカミさんにだいぶ心配された。
そこでザックに熊鈴をぶら下げ、シェラカップがポットに当たるようにして、チリンチリン、カンカンと音を立てて歩いた。

林道の整備工事中で林野庁の作業者が入っていたり、有害鳥獣駆除(シカ)を行っていたりして、その警告の看板を見たが、「熊出没注意」はなかった。
代わりに「カエンタケ注意」の表示が林道のゲートに掛かっていた。

林道沿いにはリンドウやセキヤノアキチョウジ、ノジギク、マツカゼソウ(次の写真)などが咲いていた。

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マツカゼソウはミカン科としては珍しい草本で、たおやかだがしたたかな感じがして好きなのだ。
林床で、陽の当たるところに咲いている。

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林道の脇のマツカゼソウを撮っていたら、上から小石が降ってきた。
「なんだ?」と声を上げたら、崖の上でシカが「ピャッ」と鳴いた。

ちなみに別のところでもう一回シカに石を落とされた。
クマに遭遇し被害を受けることはなかったが、シカに遭遇し被害を受けかけたわけである。

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林道を歩いていくと、次第に紅葉・黄葉が増えてくる。

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5月にヒーヒー言いながら下った、位牌岳から池の平展望台に至る尾根の斜面も色付いていた。

一服峠への登り口(ここへは4月に下見に来た)を過ぎ、柳沢橋の手前から伐開地を登る。
よく晴れて暑いので、ウインドブレーカーを脱いでTシャツになる。

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伐開地の防鹿柵沿いの広い道を登り、振り返ると箱根の山並みを望むことができる。
箱根の手前の町並みは三島市と長泉町のあたりだろう。

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この伐開地を抜けて行く道は、安山岩の板状節理の平たい石だらけで、半ば石畳のようになっている。
この石は林道沿いにもいっぱいあって、林道脇の大きな板状節理の露頭から剥がれ落ちたものだった。

この伐開地の石も、一部は板状節理の露頭から剥がれたものだろうが、大半は土(火山灰に由来するもの)に埋まっていたもののようだ。

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なぜ板状節理に由来する石が、火山灰の中に埋まっているのか?

おそらく、このあたりは火砕流か山体崩壊に伴う土石流の跡なのだろう。
もっと高いところにあった板状節理(つまり冷えたマグマだまりか火道)が、噴火か山体崩壊によって崩れて火山灰とごちゃまぜになったのだ。

なんというか、こういうぐちゃぐちゃな地質から成る日本列島で、原発を稼働させたり核のゴミを埋めたりするのは間違っていると思うぞ。

標高1000mを超えるあたりまで、ヒノキ林と、ヒノキ林に挟まれた雑木林の中を行く。
道は枯れ沢をトラバースしたり、ヒノキの根っこを踏んで歩いたり、火山灰の赤土でずるずる滑ったり。

高齢者にとっては楽な道ではない。
それなのに、同年輩と思しき登山者二人にあった。
一人はトレールランニングのようだったし、もう一人はトレッキングポールも使わずに赤土の斜面を降りてきた。

うーむ、負けてられないなぁ、と一踏ん張りして稜線の鞍部に登る。

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風が吹き抜けて涼しいが、少しシカ臭い。
この鞍部の草原はシカがササやスゲを食べることで維持しているようで、あちこちに踊り場(休息場所)やヌタ場(泥浴びをするところ)があった。

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ブナ林とササの組み合わせは丹沢と似ているが、ブナ林にヒメシャラの大木がけっこう混ざっているところがちょっと違う。
上の写真の大木の左側がブナ、右側がヒメシャラで、どちらも葉を散らせている。
ちなみにヒメシャラは伊豆半島に多く見られる。

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南側は愛鷹山本体で塞がれているので沼津市方面は見えないが、西側の富士市や駿河湾が望めた。
南アルプスも見えるはずだが、雲の中でよくわからなかった。

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鞍部から愛鷹山山頂まで10分の急登だが、途中から富士山が見えるようになる。

富士山の右側には位牌岳、富士山の右下に越前岳も見える。

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12時50分、愛鷹山山頂(1188m)に到着。
山頂からも北側の展望があり富士山が望めたが、東側・南側・西側の展望はない。

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ウクライナのクラッカーとペンシルカルバス、チーズかまぼこの昼食。
たったひとり、富士山を眺めながらの贅沢で簡素な昼食。
ちなみに飲み物はポットの中の氷水(沼津の水道水だから水源が柿田川なので、富士山の水)。

山頂の狭い草地には、キタテハが舞い、ハナアブが右往左往していた。
ズボンにダニが付いていたので、指で弾いて飛ばした。

食べながら下山ルートを検討する。
南へ下ることも考えたが、林道を延々と歩くのも辛そうなので、来た道を戻ることにした。
来た道もけっこう辛かったが。

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山頂から鞍部へ下ってしまえば、遮るもののない景色も見納めである。
位牌岳から池の平展望台に至る稜線を見ていたら、遠くに見覚えのある山並みが。

若い頃に毎月のように通っていた丹沢である。
もう30年以上前……いや、40年も前になるのか。
たかだか5〜6時間の山行でヘトヘト、ガタガタになるのも当たり前か。

愛鷹山から位牌岳への稜線も歩いてみたいと思っていたが、考え直したほうが良いかもなぁ。

 

 

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2023/10/30

尾状突起をどうやって動かしているのか?

金木犀(キンモクセイ)の花も終わり、桂(カツラ)の黄葉が始まった。

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庭で咲いている花はローズマリーと抱葉荒地花笠(ダキバアレチハナガサ)くらいになった。

そのダキバアレチハナガサにウラナミシジミが蜜を吸いにやってくる。

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翅の色は茶色っぽいが、構造色で青く光る。

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角度によってはミドリシジミ類のような緑色にも見える。

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動画を撮ってみた。手ブレ補正機構が効いているので、花がゆらゆら揺れているのは手ブレではなく風のせいである。

 

さて、ウラナミシジミの後翅には触角のような尾状突起がある。よく見ると、この尾状突起をうにょうにょと動かしている。

 

昆虫は触角や付属肢(あし)、翅(はね)を筋肉で動かす。昆虫の成虫を解剖すると、胸の中は付属肢を動かす筋肉と翅を動かす筋肉でぎっしりである。

だが、尾状突起の部分には、筋肉はないはずである。そこで、うにょうにょと動かすには、体液(血液)の圧力変化を使っているのだろう。

チョウの口はストロー状で蜜などの液体を吸うことに適した構造になっている。この口も普段はゼンマイのように巻いているが、体液の圧力を使って伸ばして蜜を吸う。

尾状突起も同様に体液を移動させて動かしているのだと思うが、いまのところ未確認である。どういう気分のときにうにょうにょさせるのかも、わからない。

秋の庭先で発見した、ちょっとした疑問である。

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2023/09/10

科学的に安全、とはどういうことか?

「福島第一原発事故に伴う汚染水から放射性核種を取り除いたけれどトリチウムが残っている水」の海洋放出に関して、「科学的に安全なのだから反対するのはおかしい」という意見があるようだ。ただ、どうもそれが「IAEAのお墨付きを得ているのだから安全」、つまり「公的機関が安全と言っているのだから安全」という言説を「科学的に安全」と言い換えているように聞こえる。

「科学的である」ということを「科学者の肩書を持つ人が立派な実験施設とか数学とかを用いて定めたこと」と勘違いしているのではなかろうか。
しかし、公的機関や科学界の権威の言うことが、必ずしも科学的とは限らない。

では、「科学的」とはどういうことなのか。身近な例で考えてみよう。

【問題】モンシロチョウやアシナガバチなど、昆虫の成虫のあし(脚)の数は何本か?

小学校の教科書には「昆虫の成虫のあしの数は6本」と書かれている。
文部科学省の学習指導要領には「昆虫の成虫の体は頭,胸,腹の三つの部分からできていること,頭には目や触角,口があること,胸には3対6本のあしがあり,はねのついているものがあること(中略)などの体の特徴を捉えるようにする」とある。
では、答えは、科学的な正解は「6本」と言ってよいだろうか。

しかし、次の写真を見てほしい。羽化したばかりのツマグロヒョウモンのオスで、チョウの上に羽化して抜け殻となった蛹と、脱皮して抜け殻となった幼虫の表皮が見える(2022年7月28日撮影)

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脚の数は……4本である。

昆虫の脚は6本なのかそうではないのか、科学的に検証してみよう。

まず仮説を立てる。
「昆虫の成虫の脚の数は6本である」
仮説が成り立たなければ、
「昆虫の成虫の脚の数は、6本とは限らない」
ということになる。

次に、この仮説が正しいかどうかを検証する。
すでに、検証用のデータ(観察結果)は、いくつかある。
先程の写真は、「6本ではない」という仮説を反証するデータである。
そして、このブログの他の記事には、「6本である」という仮説を支持するデータにあたる昆虫の写真がたくさんある。セミとかトンボとかキチョウとか……。

風もない穏やかな晩秋の休日、庭の手入れをした。枯れたローズマリーの枝を切っていると、キチョウが飛んできて、ローズマリーの花に止まった。蛹で越冬するアゲハチョウなどと違い、キチョウは成虫で冬越しする。この個体は無事に冬を越せるだろうか。

ここで、「間違っているのはデータかもしれない」と考えてみよう。観察結果、つまりデータが異常なため、仮説が成り立たない場合があるからだ。

この個体だけ、脚が取れてしまったり、発達しなかったりして4本なのだろうか?
そこで、ほかのツマグロヒョウモンについても調べてみると、やはり4本である。
地域や時期や性別が違っても、やはり4本である(2005年9月9日に撮影したメス)。

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よくよく観察すると、2本の前脚が短く、折りたたまれたようになっている(上の写真の目の後ろの部分)。そのため、脚の基部は6本分あるが、花に留まったり歩いたりするときに用いる脚は4本である。
さらに言えば、ツマグロヒョウモン以外のタテハチョウ類の脚の数も、4本である。

Fh000194 (1989年8月10日に霧ヶ峰で撮影したアカタテハ)

……と儂が書いたからと言って、信用してはいけない。疑うことは科学の第一歩である。できれば読者自身で調査して欲しい。
データ(この場合は写真)を偽ることも可能なのだから、データが正しいかどうかを知るためには、その仮説を主張する本人以外による検証が必要だ。

このように、データや方法(実験観察の機材や手順など)がオープンで、誰でも仮説を検証できることが、「科学的である」ための必要条件である。
超能力や霊能力のような疑似科学が科学的でないのは、信奉者以外の人が検証することを許さないからである(疑う人がいると再現できない、などと言い訳をするのだ)。

じつは、すでにタテハチョウ類の成虫の脚の数が6本ではなく4本だということは、プロの科学者とアマチュアの研究者、教師、小中高生など多くの人々によって確認されている(昆虫学や教育関係の雑誌やサイトで確認できる)。

ここで、もうひとつの仮説が提示できるのだが、気付いただろうか? それは
「タテハチョウ類は成虫の脚が4本なので昆虫ではない」
というものだ。
しかし、脚の数以外の体の構造や生活史などから考えて、タテハチョウは昆虫である、といってほぼ間違いない(100%間違いない、と言わないところが科学的?)。

そこで、結論としては
「昆虫の成虫の脚の数は6本である」
という仮説を棄却する(正しくないと判断する)。

とはいえ、タテハチョウ類を除く大部分の昆虫の成虫の脚の数は6本なので、
「昆虫の成虫の脚の数は6本である」
を改めて、
「昆虫の成虫の脚の数は原則として6本であるが、4本の昆虫もいる」とするあたりが妥当であろう。
文部科学省が学習指導要領の記述を改めるかどうかはわからない。
しかし、子供がタテハチョウ類を見て、「教科書と違う」と言ったとき、教師や保護者が「教科書が違うはずがありません」と言うのはよろしくない(科学的でも、教育的でもない)。
どうする文部科学省。

さて、このようにデータを踏まえ、誤りを認めて仮説(理論)を訂正することは、科学が科学的であるために非常に重要である。
逆に言えば、「学会の権威である私の理論は絶対に正しい。疑ってはならぬ」などと言う科学者がいたとしたら、その人は非科学的で、有害である(老害の場合が多い)。もはや科学者ではなく、カルトの教祖みたいなもんである。

強力な誤り訂正機能をもつことによって、科学のみが世界(宇宙とか自然とか社会とか)の成り立ちや法則を知る手段となり得る。そして誤り訂正機能をもつ科学に基づく社会の仕組み(技術や法律)こそが、より多くの人々の健康や幸福に貢献できるのだと思う。

最初の「科学的に安全」の話に戻す。
「結論ありき」で「科学的に安全」という人は、「その人が科学的思考ができない」ことを宣伝しているようなものだ。

「汚染水」の疑いの残るALPS処理水の海洋放出を「科学的に安全」と言うには何が必要か。
有機結合型トリチウムの生物濃縮や内部被曝、トリチウム以外の放射性核種の残存などのリスクが「ない」ことを立証しなくてはならないだろう。
そのために必要なことは、データをオープンにすることと、懸念を持つ人たちによる検証を受け入れることだ。
東電や政府の過去のやらかしのせいで、データが信用できないことも困ったものだが、じつは「相手を信用できるか」は科学的にはどうでもよいのだ。
立場が異なる人や機関が調査して得たデータのばらつきが誤差の範囲内に収まって初めて、その「データが信用できるもの」となる。

ニュース番組を見ていると、「科学的に安全だということの理解を進める努力が必要」などと言う人がいるが、そういう人には「科学的とはどういうことか」を理解していただきたいものである。
「『科学的に安全』という政府の発表を疑うのはおかしい」と言うのは非科学的であり、疑うほうが科学的なのだから。

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2023/09/01

スーパーブルームーンを撮った

昨晩(8月31日)23時半ごろ、そろそろ寝ようと2階のベランダの雨戸を閉めようとしたとき、南の空高く満月が輝いていた。公転軌道上の位置関係で月が地球に最も近づくため、大きく見える「スーパームーン」だそうだ。さらに、今月は8月2日に続けて2回目の満月である。ひと月のうちに2回目の満月を「ブルームーン」と呼ぶので(青く見えるわけではないが)、この月は「スーパーブルームーン」だそうだ。

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慌ててカメラを持ち出し、手持ちで何枚か撮ったうちの1枚。本当の満月になったタイミングは8月31日の10時36分だったので、それから13時間経っている。そのため右側(西側)がほんの少し欠けている。上の写真の右端が円弧ではなく、クレーターの影で凸凹になっているのがわかる。

上の写真は、じつは下の写真をトリミングしたものだ。35ミリ換算300mmの望遠では、そんなに大きく撮れるものではない。

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カメラ:OM Digitai Solutions (OM SYSTEM) OM-5
レンズ:M.ZUIKO DIGITAL 14-150mm 1:4-5.6
f/6.3 1/400 150mm ISO200

プログラムオートで露出補正を-6.0EVくらいにしたら、月の海やクレーターがはっきり撮れた。

ちなみに、夜景モードで撮ると次のような具合になる。星や雲が写るが、月は飛んでしまう。意図した通りの写真を撮るのは、なかなか難しいものである。

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トリチウムへの長い道(4)

100年前の9月1日の関東大震災。首都近傍で発生した地震は、建物の崩壊や火災によって甚大な被害をもたらした。物理学者の寺田寅彦は震災後に被災地を回り、文明化すると脆弱性が増して被害の規模が大きくなるのではないか、と随筆に書いている。軍備を整える国防ではなく、観測網の整備や防災などの国防のほうが重要ではないか、とも書いている。
「天災と国防」
https://www.aozora.gr.jp/cards/000042/files/2509_9319.html
「時事雑感」
https://www.aozora.gr.jp/cards/000042/files/2458_11112.html

44年前、大学生だった儂は放射線生物学を学んだ。ここ4回にわたって書いている記事の基礎知識は、だいたいこのときに得たものである。原子力を「最先端の科学」とか言う人がいるが、なんだかなぁ。IT関係で食ってた儂は、建造後60年を超える原発を稼働させるとか聞くとゾッとする。4〜5年前の技術が役に立たなくなるだけでなく、リスクになるような仕事をしてたからかもしれないが。 
もちろん、廃炉とか核廃棄物の長期保管とか生態系内の放射性物質の挙動とかについては未知の領域だから「最先端」と言える。しかし、増殖炉とか次世代型原発とかを持ち出されると、「トイレのないゴミ屋敷に住んでいるくせに新しいおもちゃを欲しがるんじゃありません」と言いたくなるわな。

それはさておき、ゴミの話。じゃない、放射性物質について、前回の続き。


トリチウムがヘリウムに変化する際にβ(ベータ)線が放出される。β線という名前は、α(アルファ)線と区別するためのものだ。透過力の弱いほうがα線、それより強いほうがβ線、というように名付けられた。

α線はヘリウム原子核(陽子2個と中性子2個)の流れである。透過力が弱く紙で遮蔽できる。とはいえ原子核だから大きくて重いので、体内に取り込まれたときの影響は大きい。

β線は放射性物質から放出される電子(または陽電子)である。紙や木材は透過するが、薄いアルミ板や厚いプラスチック板で遮蔽できる。

Radiation

19世紀末にラザフォードがウランから発生するα線とβ線を発見してから2年後、ヴィラールがさらに透過力の強い放射線を発見し、γ(ガンマ)線と名付けた。γ線を遮蔽するには鉛の板が必要だ。γ線の実体は粒子ではなく、高エネルギーの電磁波である。電波や光のようなものだ。

放射性物質から生じる放射線には、このほかに中性子線や陽子線もある。
ちなみに電子銃などの装置を使って放射線を発することもできる。電子銃からは電子線(エレクトロンビーム)が出るが、出自の違いのほかはβ線と同じである。一昔前の(二昔前かな?)テレビ受像機のブラウン管には電子銃が1〜3本使われていた。どの家庭にも放射線発生装置があったのだ。
電子線が金属にぶち当たると、X(エックス)線が放出される(制動X線という)。つまり、どの家庭にもX線発生装置があったわけだが、ブラウン管前面のガラスで遮蔽されていた。

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(2021年9月の記事「草原とスクリーンセーバー」より)

蛇足だが、既知の放射線の中にはウルトラマンの武器であるスペシウム光線は存在しない。そもそもスペシウムという名前からして元素名くさいので粒子線だと思うが、すると光線ではないんじゃないか、とツッコんでおこう。

トリチウムからはβ線が放出される。β線は透過力が弱いので、アルミやプラスチックの板で遮蔽できる。皮膚の表面の細胞は傷付くが、貫通できないので大きな被害はない、と言われている。

しかしそれは、放射線源が体外にあり、外から放射線を浴びる場合だ(外部被曝)。放射線源を体内に取り込んでしまい、体の内側で放射線が発生する内部被曝(体内被曝)は、外部被曝よりも深刻である。
どういうわけか、原子力ムラの人たちは内部被曝を軽視する傾向があるように見受けられる。内部被曝についてはわかっていない点も多いので、環境中の線量だけを見て「科学的に安全」とは言い切れないと思うのだが。

内部被曝はなぜ深刻なのか。
細胞の70%は水である。そこにトリチウム水が紛れ込み、β崩壊する。β線は水中を1cm程度進む。1cm進む間に、いくつの細胞を通過するだろう? 細胞の直径を10ミクロンとすると、1000個くらいか。そして、それらの多くの細胞の核内の遺伝子DNAや、免疫機構などを担う細胞膜のタンパク質を破壊する。

また、生物にとって放射線は危険なことは言うまでもないが、線量が低いときは、放射線そのものよりもイオン化作用の影響のほうが大きいという。どういうことか。

放射線が分子を通過するとき、分子を構成する原子に捕獲されたり、あるいは電子をはじき出したりして、原子をイオン化する。するとイオンになった部分で分子はちぎれてしまう。あるいは、活性酸素のような反応性の強いイオン(ラジカル)になる。

Ionize

放射線が原子に捕獲されなくても、近傍を通過するだけでイオン化作用は起こる。つまり1個の放射線粒子が通過しただけで、膨大な数のイオンが発生する(分子が破壊される)のである。

Direct_vs_ionize

放射線やイオン化作用ではなく、放射性崩壊によって元素が変わってしまうこと自体も生物体に影響を与える。

トリチウム水のトリチウムがβ崩壊したら、ヘリウムになる。ヘリウムは酸素と結合しないので、H2Oは活性酸素(OHヒドロキシラジカル)になる。この活性酸素がDNAの近傍にあれば、DNAを引きちぎるだろう。

人体にトリチウム水が取り込まれても、10日かそこらで排出されるから危険は少ないという。だが、トリチウム水が植物に取り込まれた場合は、それほど単純な話ではない。

植物は、二酸化炭素と水から糖分などの有機物を合成する。その際、ただの水の代わりにトリチウム水が使われれば、トリチウムが有機物に組み込まれる可能性がある。こうして糖分やアミノ酸に含まれるトリチウム、「有機結合型トリチウム」ができあがる。

【参考】環境中のトリチウム(環境省)
https://www.ies.or.jp/publicity_j/mini/2007-04.pdf

動物は(つまり人間も)必ず植物を食べる(または植物を食べた動物を食べる)。植物が作った糖分やアミノ酸に含まれる有機結合型トリチウムは、動物の体内に吸収される。糖分やアミノ酸はエネルギー源や細胞の構成素材として使われるが、過剰なものは脂肪として蓄積される。いったん脂肪になったらなかなか減ってくれないことは、皆さん御存知の通り。

つまり有機結合型トリチウムは、トリチウム水ほど短期間に体から出ていかないのだ。長期間体内に留まるので、ベータ崩壊による影響も大きい……と思われる。思われるのだが、有機結合型トリチウムの生物体内での挙動や影響については、よくわかっていないのである。それなのに安全だと言い切ることはできまい。

有機結合型トリチウムになってしまうと、もう一つ厄介な点が出てくる。食物連鎖を通じた生物濃縮である。植物よりも植食(草食)動物、植食動物よりも肉食動物というように、食物連鎖の上位にいる生物ほど、汚染物質を溜め込みやすい。水俣病の有機水銀やイタイイタイ病のカドミウム、有機塩素系農薬、PCB、PFASなどの不滅の化学物質、マイクロプラスチックなどと同様に、健康や生態系への影響を考える必要がある(このあたりも原子力ムラの御用学者が軽視する領域だ)。

Bioconcentration

トリチウムの生物濃縮の実態については、詳しいことはわかっていない。水に流せない形になったトリチウムについて、薄めて海に流せば大丈夫、安全だと言ってしまって良いのだろうか?

もちろん、前回書いたようにトリチウムは自然に生成されるものなので、地球上の生命はトリチウムの影響を受け続けてきた。DNAは二重らせんなので切断のリスクに多少は対応できる。だが、人工的に作ったトリチウムを環境中にばらまき、リスクを増やすことが賢いこととは思えないのである。

何より、他の方法を検討せずに海洋放出を強行したことが最大の問題点である。かなり難しいらしいがトリチウムを除去する方法はあるし、空気中に少しずつ放出する方法もある。汚染水の容量を減らして保管し続ける方法だってあるだろう。
安全だから海洋放出するというのなら、福島の海にではなく、原発推進派議員の地元の海や湖に撒けばいいのに……。
という変な話(変かな?)になってしまうのは、汚染水の海洋放出可否が科学の領域ではなく、倫理や政治の領域の話だからだ。

そもそも科学とは別領域で誤った決定をした結果が、あふれかえって処理に困っている汚染水なのだ。
地下水の多い立地に原発を建ててしまったとか。
津波被害を過小評価した(というか封殺した)とか。
全電源喪失を想定せず、本店の口出しで対応が遅れ、ベントなどの訓練を怠っていた結果としてメルトダウンを招いたとか。
最先端の技術とか言って地下水流入を防ぐ遮水壁に凍土壁を導入したけれど期待したほど効果がないとか。
はぁ、元気がなくなるなぁ。

「処理したけれど汚染水」の海洋放出については、トリチウム以外の放射性物質(セシウム、コバルト、ストロンチウムなど)についての懸念もある。これについては、またいずれ書くことになるだろう。

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2023/08/31

トリチウムへの長い道(3)

昨晩から今朝にかけてスーパーブルームーンだったが、ウチのあたりは曇っていて、でっかい月の出は見られなかった。寝る前に雨戸を閉めながら見上げると、薄雲がかかり、中天に掛かる普通の満月という風情で、少々残念だった。

雲の上はいつも星空、月も土星も明るく輝いているのにねぇ。……ということで前回の続き。


自然界におけるトリチウムの生まれ故郷は、はるかな空の上である。地球には、超新星爆発などに由来する大量の放射線が降り注いでいる。宇宙からやってくる放射線を宇宙線という。地球上の生物を大量に降り注ぐ宇宙線から守っているのは、厚さ100キロメートルほどの大気だ。

NASAの宇宙気候観測衛星が160万kmの距離から撮影した月と地球の写真を見ると、いろいろなことがわかる。<br /><br><br>
見えているのは月の裏側である。<br /><br><br>
見慣れた「海」や線条がない。<br /><br><br>
月の表側(ニアサイド)と裏側(ファーサイド)では、その表情がだいぶ違う。<br /><br><br>
地球のほぼ全面に太陽の光が当たっているので、満地球である。<br /><br><br>
そこで当然、観測衛星から見た月も満月のはずだが、妙に黒っぽい。<br /><br><br>
裏側だから黒っぽいのか?というと、そういうわけではない。<br /><br><br>
じつは月の表側・裏側を問わず、月面はこの写真のように黒っぽいのだそうだ。<br /><br><br>
地球から見た満月が明るく輝いているのは、背景(つまり宇宙)が黒いからだ。<br /><br><br>
漆黒の宇宙に比べれば、月ははるかに「白い」のである。<br /><br><br>
しかし、白い雲をまとう地球に比べれば、月は「黒っぽい」のである。<br /><br><br>
そりゃあまぁ、雲と熔岩を比べたら、熔岩のほうが黒いよね。
(NASAの宇宙気候観測衛星が160万kmの距離から撮影した月と地球の写真:月には大気がないので、月面基地を作るなら宇宙線を防ぐ仕組みが必要となる。写真の月が黒っぽく見える理由については、過去の記事を参照のこと)

大気中の酸素や窒素が宇宙線を止めて、地上に降り注ぐ量を百分の一位以下にしているのである。たとえば、宇宙からやってきた中性子線が酸素に当たると、酸素は壊れてトリチウムと炭素になる。

トリチウムは水素だから、酸素と結合して水になる。水分子は1個の酸素原子と2個の水素原子からできている。その2個の水素原子の一方、あるいは両方がトリチウムの場合、「トリチウム水」となる。

Tritium_water_20230831160001

はるか上空で生まれたトリチウムは、トリチウム水となり、やがて地上に降りてくる。雲になり、雨になり、川となって海に注ぐ。その過程でさまざまな生物の体を通過する。だから、あなたの飲む水の中にも、あなたの体にも、必ずトリチウムが含まれている。ごくわずかではあるけれども。

トリチウムは高層大気で自然にできるほか、人工的にも作られている。1950年代から1960年代にかけて、核保有国は大気中で核実験を行っていたので、その時期に作られた(核爆発の際に生成された)トリチウムが大量にばらまかれている。まったく余計なことをしてくれたもんである。

現在もトリチウムは作り続けられていて、その場所は原子炉だ。

原子炉というのは要するに核分裂エネルギーを使ったボイラーみたいなものなので、熱エネルギーを取り出すために水で冷却する必要がある。その水の中の水素が、中性子を捕獲してトリチウムになる。

原子炉の燃料棒を空気中にむき出しに束ねておいておくと、核燃料から放出される大量の中性子によって核分裂反応が暴走し、メルトダウン(炉心溶融)する。メルトダウンしては困るので、燃料棒と燃料棒の間に冷却用の水と、中性子を吸収する制御棒を入れる。制御棒には減速材としてホウ素(B)が使われているが、このホウ素が中性子を捕獲するとトリチウムが生じる。

また、トリチウムは水素爆弾や中性子爆弾の原料なので、核保有国では原子炉を使ってわざわざ製造しているようだ。まったく余計なことである。

福島第一原発では、1号機から3号機までがメルトダウンしてしまった。建屋が壊れ、地下水が原子炉内に残る核燃料デブリによって日々トリチウムが作られている。まったく余計なことになっちまっている。

東京電力「汚染水対策の状況」
https://www.tepco.co.jp/decommission/progress/watermanagement/
のページの中の「汚染水とは」という見出しの下に、「対策前の状況」というわかりにくいタブがある。そのタブを開くと、トリチウムを含む汚染水が海に垂れ流しになっていたときの状況が図示されている。

トリチウムが厄介なのは、放射性物質であることだ。言い方を変えると、トリチムは放射能を持っているのである。

トリチウムは半減期12.32年で崩壊してヘリウムになる。つまり、トリチウムが100個あったとすると、約12年後、そのうち50個はトリチウムのままだが、50個はヘリウムになっている。

Beta_decay

トリチウムがヘリウムになる際に、β(ベータ)線が放出される。β線は放射性の原子から飛び出して超高速で飛んでいく電子である。トリチウムの原子核の中性子2個のうちの1個が陽子に変わり、その際に電子が飛び出すのだ(β崩壊という)。

β線は透過力が弱いので、アルミやプラスチックの板で遮蔽できるとか、皮膚を貫通できないと言われる。では、少量のトリチウムのβ崩壊は、気にするほどのものではない、と言えるのだろうか?

……ということで、次回へ続く。

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2023/08/30

トリチウムへの長い道(2)

ウチの水道の水源は柿田川の水なので、とても旨い。だがなぜか、水道水に細かい砂粒が混じることがある。水の出が悪くなるのを防ぐため、ストレーナを清掃する必要がある。

今朝、風呂掃除の際についでに風呂場のストレーナを清掃しようと思い立った。元栓を閉じたり配管カバーを外したりストレーナをバラしたりと四苦八苦したが、大量の砂が出てきてスッキリしたので良しとしよう。

ちなみに、ウチの水道の水にも「必ず」トリチウムが混ざっている。どうしてトリチウムが混ざるのか、という話まで行けないだろうなぁ、今回は。次回説明できるかなぁ。

ということで、前回の続き。


分子模型を組み立てたり、結晶構造を説明するときには、原子は丸くて硬い玉と考えると都合がよい。

しかし原子は中身がぎっしり詰まった玉ではなく、さらに内部構造があるのだ。というか、原子というのはスカスカで、中心の原子核から離れたところに電子が動き回る軌道がある。

太陽の周りを惑星が回っているように、原子核の周りを電子が回っているという、太陽系に似た模式図がよく用いられる。この図には大きな問題があるのだが、とりあえず説明するのに便利なので使うことにする。

Atom_size

すべての原子は1個の原子核と何個かの電子で構成されている。水素は最も簡単で、1個の陽子と1個の電子で構成されている。水素の原子核イコール陽子1個なのだ。

原子核を1円玉(直径2mm)まで拡大すると、1個の原子の大きさは陸上競技場くらいになる。ただし、原子核をめぐる円形のトラックを走っている電子のサイズは人間のアスリートではなく、精子くらい(長さ数ミクロン)になる。だから「原子はスカスカ」なのである。

電子は小さいだけでなく軽い。電子の重さは陽子の重さの1840分の1だから、水素原子の重さはほぼ陽子の重さと言って良い。その陽子はプラスの電気を帯びていて、原子の中央に位置する。一方の電子はマイナスの電気を帯びている。そこで水素原子としてはプラスとマイナスが釣り合っていて、電気的に中性である(電気的に釣り合わないとイオンになる)。

原子核を構成する粒子(核子)は、陽子だけではない。中性子(ニュートロン)という核子がある。

Helium

二番めに軽い元素であるヘリウムの原子核は、陽子2個と中性子2個からできている。中性子のサイズや重さはほぼ陽子と同じだが、電気的に中性である。そこで、ヘリウムの原子核は水素の原子核の二倍のプラスの電気を帯びている。ヘリウムの原子核の周りを回る電子は2個で、ヘリウム原子としてはプラスとマイナスが釣り合って、電気的に中性となる。

中性子の重さは陽子とほぼ同じなので、ヘリウムの原子核の重さは、水素の原子核(陽子1個)の4倍である。元素には「原子番号」というナンバーが振られていて、水素が1、ヘリウムが2である。原子番号は原子核に含まれる陽子の数を表している。この原子番号が、さまざまな元素の性質の違いの元になっている。

また、原子核の中の陽子と中性子の数の合計を「質量数」という。水素の質量数は1(陽子1個)、ヘリウムの質量数は4(陽子2個+中性子2個)である。

じつはヘリウムという物質はとても安定していて、ヘリウム原子はほかの元素と反応しない。燃えたり腐食したりしないので、不活性ガスと呼ばれる。だから安全で軽い気体として、風船や飛行船、医療機器に使ったり、変な声(ヘリウムボイス)を出すのに使う。一番軽い元素は水素だが、水素は反応しやすいので水素爆発を起こしたりして剣呑なのである。

ヘリウムがなぜ安定元素なのかという話を始めると、電子軌道のK殻がどうとかと、ややこしい話になるから割愛する。元素周期表の右端の「希ガス」と呼ばれるヘリウムやネオン、キセノンなどは反応しにくい元素だということだけ覚えておくとよいだろう。ネオンはネオンサイン、キセノンはストロボライトなどの放電管に使われる。不活性ガスの中なら、金属製の電極が高温になっても劣化しないからだ。

さて、ありふれた水素原子の原子核は陽子1個だが、まれに陽子1個ではない水素ができることがある。陽子1個と中性子1個の原子核を持つ水素を「デューテリウム(重水素)」、陽子1個と中性子2個の原子核を持つ水素を「トリチウム(三重水素)」という。

Hdt

トリチウムの原子番号(陽子の数)は1なので、元素としては水素だが、質量数(陽子と中性子の数の合計)が3なので、少し厄介なところがある。

やっとトリチウムが出てきたね……。
どうやってトリチウムができるのか、そしてなぜトリチウムが厄介なのか、については次回。

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2023/08/29

トリチウムへの長い道(1)

福島第一原発事故汚染水の海洋放出が、関係者の同意がないままに始まった。農水大臣が想定していなかったという中国の反発などもあり、なんか騒がしい。毎日のように新聞やニュースフィードで「トリチウム」という文字を見る。

「処理水に含まれるトリチウムは許容量以下だから科学的に安全だ」とする推進派と「トリチウムの生物体への影響は科学的に解明されていないので安全とは言い切れない」とする反対派が互いを非科学的と罵り合うような状況になっているが、さて、このように主張する人々は、実際のところトリチウムについてどの程度理解しているのだろうか。

ちなみに儂は、核燃料デブリに触れた地下水からトリチウム以外の放射性物質を完全に除去できているか疑問なので、「処理してもなお汚染水」を海洋放出することには反対である。もちろん、トリチウムの生物体や生態系への影響についての懸念もある。

儂はトリチウムなどの放射性物質の専門家ではない。大学で少しだけ放射線生物学を学んだし(優をもらった)、中学と高校の理科の教員免許を持っているので、基礎知識はある。小中高の理科教材を作ってきた経験を活かして、専門家の視点とは違う、わかりやすい説明を試みたいと思う。


身の回りの物質はすべて、100種類ちょっとの元素からできている。水素、炭素、窒素、酸素、ヨウ素、セシウム、アルミニウム、鉄、ウラン……といった名前の元素があることは、皆さんご存知の通り。これらの元素は、理科の教科書の見返しなどに「元素の周期表」として一覧表示されている。

Periodic

この元素の一覧の中に、トリチウムはない。トリチウムは元素の名前ではないのだ。では何か?というと、トリチウムは水素の一種なのである。トリチウムは水素の中では少数派で、自然界にはごくわずかしか存在しない。では何でそこいらにある水素と区別してトリチウムと呼んでいるのかというと、その名前自体にヒントがある。

トリチウム(tritium)のトリ(tri-)はラテン語で「3」を意味する接頭辞である。トリオ(三重奏)、トリニティ(三位一体)、トリエンナーレ(三年に一度開催される美術展)など、日常的に目にし、耳にする。

ではトリチウムの何が「3」なのかというと、ありきたりの水素の三倍の重さなのである。トリチウムは日本語では「三重水素」という。

何で重さが三倍になるのか?について説明するには、水素の原子核と原子核を構成する素粒子についておさらいする必要がある。

身の回りの物体を、その性質を保ったまま細かく分割していくと、たいていの場合、分子か原子になる。たとえば、バケツ1杯の水を二つに分ける作業を続けて行くと(その回数はたぶん恒河沙という途方もなく大きな数になるけれども)、1個の水分子になる。

水分子は2個の水素原子と1個の酸素原子に分解できるが、原子まで分解すると性質が変わり、水ではなくなってしまう。水素と酸素になってしまうのだ。水のような化合物の最小単位が分子で、物質としての最小単位は原子である、と思っておけば良い。

Water_mol

ついでに言えば、元素というのは原子の種類のことで、それぞれ特有の性質を持っている。水素はすべての元素の中で一番軽く、酸素はほかの元素と化合物を作りやすいという性質を持っている。

多くの人は、原子というと小さな小さな球体のようなイメージを持っているだろう。上の図にもそんな感じで描いた。教科書などでもそのような模式図で示すことがある。

だが原子は丸くて硬い玉ではない。……ということで次回に続く。

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