2022/07/22

文明崩壊・人類絶滅のシナリオ

スティーブン・ウェッブ著『広い宇宙に地球人しか見当たらない75の理由』を再読した。
定期的な通院の待ち時間には Kindle を持って行って読んでいる。
Kindle にダウンロードした書籍の中で、2年前に読んだ本書の内容をあまり覚えていなかったので、もう一度読むことにしたのだ。
「もし宇宙人が存在するなら、いったいどこにいるのか」というフェルミのパラドックスへの回答は、もちろん、判断材料が少なすぎて確定できない。

さて、フェルミのパラドックスへの回答の中には、「文明の存続期間は短い」というものがある。
いくら宇宙に生命と知性があふれるほど存在していても、宇宙へ出ていくような文明を数百年、数千年しか維持できなとすれば、他の文明と接触することはないだろう。

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昨今の国内や世界の情勢を見ていると、文明の崩壊、人類の絶滅の日近いかもなぁ、などと考えてしまう。
SFなどでよく見る(よく読む?)人類絶滅のシナリオに書かれているような出来事が、現実世界でもお起こりそうだからだ。
それも、小惑星の衝突のような、そう滅多に起こりそうもない、稀な出来事が原因ではなくて。

カルト
反知性主義的なカルト教団が各国政府を乗っ取り、科学を「黒魔術」と断じて文明を崩壊させる。宇宙へ出ていくことなど論外(というSFを読んだ記憶がある)。

核戦争
核兵器が使用されて「核の冬」となり、文明は崩壊、悪くすれば人類を含む多くの生物種が絶滅する。
大国間の全面核戦争でなくも、限定的な核兵器の利用でも核の冬になりうることを、カール・セーガンが指摘していた気がする。

温暖化
温室効果による地球温暖化が進み、異常気象と海水面上昇により食糧危機となる。
文明は崩壊、悪くすれば人類を含む多くの生物種が絶滅する。

氷河期の到来
温室効果による地球温暖化の影響で深海の海流が変化し、氷河期が到来する。
映画『デイ・アフター・トゥモロー』がそんな話だったね。

太陽フレア
太陽フレアにより、通信インフラなどが途絶し、脆弱な科学技術文明が崩壊。
原発のメルトダウンや核廃棄物の飛散が起これば、生活基盤が破壊されるだけでなく、人類を含む多くの生物種が絶滅する。

地殻変動
地殻活動の活発化により火山噴火・地震・津波の影響で文明のライフラインが分断・崩壊。
とくに原発のメルトダウンや核廃棄物の飛散が起これば、生活基盤が破壊されるが、これは地域が限られるだろうか。

パンデミック
パンデミックを甘く見て、終息前に感染予防策を解除したために感染者が急増。
感染時あるいは後遺症による男性不妊が増加し、人口は激減。文明が維持できなくなる。

小惑星の衝突のような天変地異ではなく、現在の生活と地続きのところから文明崩壊・人類絶滅に至るシナリオは、まだまだあるだろう。
星から星へ旅するような高度な文明まで発展することは、この広大な宇宙でもなかなか難しいことなのかもしれない。

そうすると、異星人の侵略だけは心配しなくてもよいかな。

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2022/06/11

異星人による地球侵略の可能性

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散歩のたびに泣きそうになってしまう毎日であるが、それはさておき(写真は2020年10月の香貫山にて。以下の文章とは、まったく関係がない)。

アメリカ国防総省がUFO(未確認飛行物体)を調査しているという(https://www.bbc.com/japanese/59411997)。
もちろん、UFOが異星人の乗り物である可能性は限りなく低い。
レーダーの画像に残された異常な運動をする「物体」は実体ではなく、妨害電波などにより生成されたものなのかもしれない。
もちろん、ペンタゴンは妨害電波の発信元は異星人ではなく、ロシアか中国だと考えているだろう。

異星人が地球にやってくる可能性はあるのか?
そしてその異星人は友好的だろうか?敵対的だろうか?

映画『コンタクト』では、地球人が発している電波(意図的に宇宙に向けたものではなく、漏れ出たラジオやテレビ放送の電波)を聞いた異星人が、信号を送り返してくる。その信号を受信するシーンにはドキドキするし、受信した内容にはビックリするのだが、ここには書かない。映画をご覧いただきたい。
もちろん、この映画の原作者はカール・セーガンだから、異星人は善意の存在である。

だが、異星人が存在するとして、善意の存在であるとは限らないのではないか。
SF小説『三体』では、宇宙に向けてメッセージを発信したことから侵略が始まってしまう。その侵略の方法がまた奇想天外なのだが、ここには書かない。小説をお読みいただきたい。

おそらく「UFO=空飛ぶ円盤」と思っている人は、こう考えるのではないか。
恒星間の深淵を超えてやってくる異星人は、地球人よりもはるかに技術的に進んでいるのだから、きっと倫理的にも高潔で、友好的なはずだ、と。

だけどねぇ。
環境汚染や資源の枯渇、地球温暖化、パンデミックなどの危機に対して、世界中の国々が結束して立ち向かわなければならない21世紀なのにねぇ。
曲がりなりにも「大国」とされる国が、国連の常任理事国が、隣国に侵略するといった、信じられないことをやっちゃうのだからねぇ。
核兵器の使用を脅し文句にしたり、化石燃料の供給停止を人質代わりにしたりして。
なんだかなぁ。
科学技術が「進歩」しても、脳の構造は狩猟採集生活のころから「進化」しないわけだから、進んだ文明だからといって、高潔とは限らないよねぇ。

異星人が存在しているとしたら、そしてその精神構造に少しでも地球人に似たところがあるとしたら、いくら技術的に進んでいても、地球侵略はあり得るかもなぁ。
もちろん、生命の発生そのものが稀な現象なら、異星人による地球侵略の可能性はまず、ない。

小惑星探査機「はやぶさ2」が持ち帰った「りゅうぐう」のサンプルからアミノ酸が見つかった(https://curation.isas.jaxa.jp/topics/22-06-10.html)。
原始地球上ではアミノ酸の生成が難しいと考えられることから、地球の生命の起源は小惑星であるという可能性がある。
このことから、宇宙には生命が溢れていると思ってよいのだろうか?

アミノ酸が存在するだけでは、自己増殖する「生命」にはならない。DNAやRNAのような遺伝物質と出会うことが必要だ。
ひょっとしたら、冷えつつある原始地球上で生成されたRNAと、小惑星からもたらされたアミノ酸が結びついて、最初の生命が誕生したのかもしれない。

そうすると、たまたま地球上にRNAが存在する時期に、たまたま小惑星が落ちてきて、たまたま焼け残ったアミノ酸が地上まで到達し、たまたまRNAとアミノ酸が結びついて、たまたま生命が誕生した、ということになりはしないか?
その「たまたま」が起こる確率はどれくらいだろう?
ひょっとしたら、ひょっとして、この宇宙において、生命は稀なものなのだろうか?

生命が稀なものだとすると、「異星人の侵略という人類の存立危機事態に備えるため、地球人の間で争っている場合ではない、協力しなくては」という国際社会の動きは期待できない(『三体』では国連が活躍するのだが、その活躍の仕方がまた奇想天外である)。
まぁ、地球温暖化やパンデミックを前にして、協力ではなく分断を選ぶような人類だから、異星人がいようがいまいが関係ないか。

生命が稀なものだとすると、国家間の争いによって地球環境を悪化させることなどもってのほか、と思うんだけどなぁ。

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2022/03/30

『太平洋戦争への道 1931-1941』を読んだ

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庭のスミレやらハナニラやらユスラウメやらが咲き、近隣ではサクラも花咲く日々であるが、心は晴れない。

ロシアはウクライナへの侵攻を続けているし、経済制裁のために物価の上昇やモノ不足は懸念されるし、この戦争が終結しても元の世界秩序には戻らないのだろうなぁなどと思っては、先行きが不安になる。

戦後生まれの儂らは「戦争を身を以て体験せずに済んだ世代」になれるかなぁと思っていたのだが、そうはいかないのだろうか。

なんてことを考えつつ、『太平洋戦争への道 1931-1941』を読んだ。半藤一利さん、加藤陽子さん、保阪正康さんの2017年のラジオ番組での鼎談を書籍化したものだ。

1931年の満州事変から1941年の真珠湾攻撃までの「過ち」について概要をコンパクトに、というか手っ取り早く知り、考える材料とすることができる。

読後に思ったことは、戦争には派閥間の争いとか個人の思惑とかが大きく関わるのだな、ということ。

そして世論というか雰囲気が戦争を後押しする。市井の個人の責任、メディアの責任、ということを考えると、今の世も怖い。

マンボウ明ければ花見に行く国民と、選挙目当てに金をばらまこうとする政治家。

「先週の同じ曜日と比較して感染者数は減っている」ように見えるから第六波が終息に向かっているかのように報道しちゃうマスコミ。

なんだかなぁ。

いまこのときが、「第三次世界大戦への道」の途上でなければよいのだが。

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2022/01/30

『プロジェクト・ヘイル・メアリー』を読んだ

『プロジェクト・ヘイル・メアリー』を Amazon Kindle で買って読んだ。

『オデッセイ』というタイトルで映画化された『火星の人』を書いたアンディ・ウィーアーの第3長編である。

『火星の人』は、ポジティブな主人公が孤軍奮闘し、次々と遭遇するアクシデントを乗り越えて火星から生還するまでを描いていた。

『プロジェクト・ヘイル・メアリー』もポジティブな(陽気なキャラクターというわけではなく、ユーモアのセンスがあってめげない)主人公が孤軍奮闘する物語である。

何を書いてもネタバレになってしまいそうなので、舞台が太陽系にとどまらない、ということだけ書いておく。

太陽系から出ていくのに、そんな都合の良い方法があるか?などと突っ込みたくなるが、まぁそこは、SFは所詮ホラ話。
話のスケールを大きくするには、大きなホラを吹かないと。

さて、『プロジェクト・ヘイル・メアリー』の読後感はすこぶる良い。
クラークやアシモフやベンフォードや(初期の)ホーガンが好きな人なら、楽しめるだろう。

実は、読後感が「個人的に」すこぶる良かったのには理由がある。

『プロジェクト・ヘイル・メアリー』を読む前に、『三体』三部作を再読し、『サピエンス全史』を読了していたのだ。

人類(ホモ・サピエンス)と、宇宙における人類の位置付け……というか、宇宙にほかの知的生命体がいるとしたら、どんな出会い方をするのか(あるいは出会うことはないのか)について、ちょっと悲観的な気分になっていたのである。

ちなみに、『プロジェクト・ヘイル・メアリー』と『三体』は Kindle Oasis で、『サピエンス全史』は単行本で読んだ。

物理的な書籍は一覧性に優れていてランダムアクセスしやすいので好きなのだが、歳とともに活字(もちろん活版印刷ではないので印字だが)を読むのが辛くてかなわない。

その点、電子書籍は文字サイズや行間、明るさや色調まで自在に変更できるので読むのが楽だ。

まぁしかし、Amazon Kindle を使っていていちばん面倒なのは、「おすすめの書籍」やキャンペーンの通知がしょっちゅう来ることかもしれない。

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2022/01/15

オミクロン株は「まだ」風邪ではない

COVID-19(新型コロナウイルス感染症)について、ナショナルジオグラフィックに「オミクロン株はなぜ感染しやすく、重症化しにくいのか、最新研究」という記事が乗っていたので、気になったところをピックアップしておく。
まぁ、自分用のメモのようなものである。
今後明らかになったり、書き換えられたりすることもあるだろう。

重症化しにくい。

肺炎のような症状や免疫系の暴走が見られる患者は減っているそうだ。
ただし、高齢の人、基礎疾患のある人、免疫力が低下している人、ワクチン未接種の人は感染しやすく、重症化の要因となる。

重症化しにくいからと言って甘く見てはいけない。

たとえ病院に行くほどではないにせよ苦しい思いをし、入院したり死亡したりする人もいる。

感染しやすい。

オミクロン株はデルタ株の2〜4倍うつりやすい。

肺の細胞に感染しにくく、上気道に感染しやすい。

上気道(鼻や副鼻腔)ではデルタ株の100倍以上の速さで複製される。

検査の方法が変わるかもしれない。

PCR検査では、デルタ株の場合は鼻腔ぬぐい液を検査するほうが正確で、オミクロン株は唾液検査のほうが正確。
鼻腔ぬぐい液を用いる迅速抗原検査では、オミクロン株の感染を特定するのに時間がかかる。PCR検査で陽性になってから数日後に抗原検査で陽性となる。

(ということは、オミクロン株に感染している場合、感染の初期には抗原検査では検出できないのかもしれない。)

主に飛沫感染する。

ものの表面から感染する可能性は低いので、手洗い、フィジカルディスタンスの保持、(不織布)マスクの着用が有効。

後遺症(long COVID)については不明。

まだわからない。長期的に継続する症状を引き起こすかどうかが明らかになるのは数カ月後になるだろう。

(ということは、現時点で「オミクロン株はただの風邪」と言ってしまうのは時期尚早だということだ。)

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2021/06/19

『三体Ⅲ 死神永生』と『サイレント・ランニング』

『三体Ⅲ 死神永生』をKindleで読み終えたとき、まず思ったのは「えっ、ここで終わりか?」ということだった。

『三体』では数十年、『三体Ⅱ 黒暗森林』では数百年だった作中の年代が、『三体Ⅲ 死神永生』では一千万年を超えて、ひょっとしたらこのまま、ポール・アンダーソンの『タウ・ゼロ』のように宇宙の終わりと再生まで行くのか?と思ったのだが。

紙の書籍なら残りページ数がわかりやすい。もうじき終わりだなぁということが、文字通り体感的にわかる。しかし、ここが電子書籍の弱点で、唐突に最終ページが来たように感じたのだ。

以下、『三体Ⅲ 死神永生』をまだ読んでいない人は、ご注意いただきたい。

ページを閉じたとき、じゃなくてKindleのスイッチを切ったとき、思い浮かべたのは映画『サイレント・ランニング』のエンディングだった。宇宙船から切り離され、宇宙を漂うドームを描いた、あのシーンである。こんな感じだったかな。

Sketch1624026220462(背景画像 © NASA/JPL-Caltech/University of Wisconshin)

『三体Ⅲ 死神永生』では、主人公たちが退場した宇宙を、直径50cmの生態球(エコスフィア)が漂う。

このラストシーンこそ物寂しくもちょっとした希望を感じさせるが、そこへ至るまでがすさまじい。何しろ、人類の大部分は太陽系ごと葬り去られているのだ。

人類とか宇宙とか、この先どうなるとか、どんなことがあり得るのかとか、アレコレ考えさせてくれる、という点で、いろいろ楽しませてくれたSFである。

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2020/09/27

対話可能な異星人は存在するのか?

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ある夜、こんと散歩していると、月や星が明るかった。

夜空の星を眺めて思うことは、あの星ぼしは遠い太陽であって、その周りを廻る惑星があるだろう、そしてその惑星には、生物がすんでいるのだろうか、ということだ。
そしてその異星の生物は、夜空を眺めて「あの遠い星ぼしを廻る惑星には知的な生物がいるのだろうか」などと考えているのだろうか?

SF映画に出てくる異星人、つまりエイリアンや E.T. は対話可能であることが多い。
『スタートレック』や『スターウォーズ』の異星人は、撮影技術的な制約もあって「見た目の異なる地球人」だが、そもそも対話可能であることは、ストーリーを成立させるためには必須である。

だが現実には、対話可能であるとは限らないだろう。

地球上の生物であっても、犬とは対話することはできない。
意思の疎通はできても、抽象的な会話は不可能だ。

夜空の下を一緒に散歩していても、こんは星を見上げて「あの遠い星々を廻る惑星にも犬がいるのか?」などと考えることはなさそうだ。
散歩中は星を見上げるよりも、地表の匂いを嗅ぐことに忙しそうにしているからね。

さて、「あの遠い星ぼしを廻る惑星には知的な生物がいるのだろうか」?

宇宙が誕生してから100億年経っていること、そして宇宙には非常にたくさんの恒星があることから考えて、地球と同じような惑星には、地球人のような知的な生命体が発生しているだろう。
そして十分な時間をかければ、星ぼしの間の空間を渡って訪れてきたり、あるいは星ぼしの間で通信していたりしていそうなものだ。
それなのになぜ、まだ異星人が地球にやってきたり、異星人の会話を聞いたりしていないのか?
「もし宇宙人が存在するなら、いったいどこにいるのか」

……というフェルミのパラドックスに答えるための仮説を集めた、スティーブン・ウェッブ著『広い宇宙に地球人しか見当たらない75の理由』を読んだ。

「すでに来ていて、ハンガリー人と名乗っている」といったジョークもあるが、SETI(知的異星生命探査)や宇宙論、生命科学の最近の学説まで紹介されている。

実際のところは「異星の生命」と出会うまではわからないが、この広い宇宙のどこかの惑星でも、生命が発生することはあるだろう。
しかし、異星の生命が人類と同じように対話をできるようになる可能性は、非常に小さいのかもしれない、と思った。

そもそも、「対話可能な異星人を探す」ということは、他の星で地球人を探そうとするようなものなのかもね。

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2020/09/08

Kindle Oasis で『三体』を読んだ

Kindle Oasis を買って『三体』をダウンロードして読んだ。
本が増える/古くなってカビる/字が小さくて読めなくなる/置き場所がなくなるといった問題点に対処するため、電子書籍への移行を図ってはいたのだが、スマートフォンやタブレットでは、どうも読みづらい。
そこで、E Ink なら目に優しいかな、ということで Kindle を買ってみたのだ。

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写真右が Kindle Oasis で、左は大きさの比較のために置いた文庫本。
最初は「小さいな」と思ったが、片手で持つには手ごろである。

面白いと評判なので以前から読みたいと思っていた中国SF『三体』をさっそく購入した。
文庫になるまで待とうかなと考えていたが、電子書籍なら場所も取らない。

Kindle Oasis での読書は、「読む」という点に関しては紙の本と同じくらい快適だ。
物理ボタンがあるのでページめくりも楽である(スワイプやタップだと行き過ぎたりするのだ)。
ただし、任意のページへの移動がちょっと面倒くさい。
ページの概念がないし。
脚注へ飛んで、戻ってくると位置がずれていたりするし。

パブリックコメント機能も余分かなぁ。
図書館の本じゃあるまいし、他人が引いた線なんか見たくもない。

自宅に Kindle Oasis を置いたまま、続きを会社でスマートフォンの Kindle アプリで読む、なんてこともやってみた。
物理的な本やビューアーデバイスを持ち歩かなくても続きを読めるのは楽ちんだ。

さて、そうやって読んだ『三体』は、評判に違わずたいへん面白かった。

第一部の文化大革命から第二部の現在に進んだところで、この感じは久々だなぁ、と感じた。
主人公の一人のナノマテリアル開発者の周囲で起こる奇怪な現象……ホラーというわけじゃなく、超科学の存在をにおわせるような……から、その背後で想像を絶する「何か」が進行している。
……というあたりで、なんか小松左京の『果てしなき流れの果てに』を読んだときの「センス・オブ・ワンダー」に近い感覚を味わったのだ。

あとで「訳者あとがき」を読んだら、大森望氏も「カール・セーガンの『コンタクト』とアーサー・C・クラーク『幼年期の終わり』と小松左京『果てしなき流れの果てに』をいっしょにしたような、超弩級の本格SFである」と書いていた。
やっぱりそう感じるよねぇ。

ガチガチのハードSFではないし、ツッコミどころもあるのだけれど、それはさておいて、面白い。
ついつい、続編の『黒暗森林』の上下巻も、Amazon の Kindle ストアで買って、週末に読んでしまったのだった。

三部作の完結編にあたる『死神永生』の日本語版は、来春に出るそうだ。
待ち遠しいなぁ。

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2020/03/20

『神の目の小さな塵』のポケットコンピュータの仕様

ラリー・ニーヴンとジェリー・パーネルの共著『神の目の小さな塵』は、1974年に刊行されたSF小説である。いまから千年後、恒星間宇宙に進出し、第二次人類帝国を築いた人類が、知的な異星人に出会うという、ファースト・コンタクトを主なテーマとしている。

1979年に創元推理文庫版を読んだとき、登場人物たちが使うポケット・コンピュータが非常に気になった。当時のコンピュータといえば、ホストまたはメインフレームと呼ばれるような、コンピュータルームに鎮座している巨大な機械か、さもなければ登場したばかりの、個人が趣味でプログラミングするパソコンくらいだった。とにかく本体はでかい箱で、入力はキーボード、出力はブラウン管のモニタだから、持ち歩いて使うことなど不可能だった。

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1982年にシャープのポケット・コンピュータ PC-1251 を入手して、小さなQWERTYキーをポチポチと押して、BASICでプログラムを組んだ。横長の液晶画面には大文字の英字と数字といくつかの記号を24桁で1行表示できるだけだった。PC-1251は酔っぱらって帰宅中にどこかで落としたので、1985年に後継機種PC-1261を買った。液晶画面は24桁2行表示になり、カタカナも表示できるようになった。とはいえ、ポケット・コンピュータとは(名前が同じだけで)程遠い仕様だった。

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時は下って2011年、富士通のスマートフォンF-12C を入手した(左がF-02C、右がF-06E)。電話やメールのやりとりやインターネット経由での情報検索はもちろん、スタイラスや指で入力でき、写真撮影や動画の視聴もできる。まだまだ『神の目の小さな塵』のポケット・コンピュータには及ばないが、近いものが出てきたな、と嬉しかった。

さて、現在のスマートフォンは、『神の目の小さな塵』のポケット・コンピュータを凌いでいるだろうか?

スマートフォンと同等の機能

  • コートや軍服のポケットに入るサイズに、CPUとメモリー、タッチスクリーンが搭載されている。
  • 入力はスタイラスペンまたは指。キーボードはない。
  • 手書きのメモを入力できる(お絵かき)。
  • 時計・スケジューラ(カレンダー)の機能。
  • 音声入力(口述録音)可能。
  • マルチタスク。口述しながら検索したりできる。
  • 無線データ通信機能。近距離用(屋内)だけでなく基地局との通信ができる。
  • 関数電卓的な数値計算、グラフ出力。複雑な学術的な計算処理は外部のコンピュータ(サーバ)で行い、その結果を表示できる(スマートフォンやタブレットでも、Googleの計算機を使って次のようなグラフを表示できる)。
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  • データ検索。端末のメモリー内のデータ検索のほか、サーバ内の動画なども検索できる。検索した動画はポケット・コンピュータのディスプレイだけでなく、外部のディスプレイなどに表示させることもできる。

上巻 p.95(引用部分は池央耿訳の創元推理文庫版による)

彼はポケット・コンピュータを取り出し、対話スクリーンに「チャーチ・オブ・ヒム」と書いて情報照会ボタンを押した。船内のデータバンクに接続されているポケット・コンピュータのスクリーンに求める情報が映し出された。

下巻 p.419

「記録を見られるかな? わたしの記録を出してもよいが」
「いや、わたしのを見せよう」ホーヴァートはポケット・コンピュータに数字を書き込んだ。壁のスクリーンに映像が浮かんだ。

スマートフォンを凌ぐ機能

  • 充電しているシーンがないので、ひょっとするとものすごく電池が長持ちするのではなかろうか(電卓並みとか?)。
  • 通常はスタンドアロンで動作し、必要に応じて外部接続する。接続時には、接続先や速度に応じて異なる「唸り」でユーザーに知らせる(というユーザーインターフェースなのだろう、たぶん)。

下巻 p.373

「どんな話をしたんだ?」
「はっきりとは憶えていないわ」彼女はポケット・コンピュータを取り出して情報を照会した。小さなコンピュータは微かな唸りを発した。音色が変わって、コンピュータが車の無線機を通じて宮殿のデータ・バンクと交信していることを告げた。「それに、いつのことだったかも、よく憶えていないのよ……」彼女はさらにコンピュータに情報の検索を指示した。「もっと検索が楽な情報整理の方法を考える必要があるわね」

スマートフォンに及ばないこと

  • AIの機能を使えない(『神の目の小さな塵』には人工知能やロボットが出てこない)。従って、音声コマンド入力や画像認識ができない。
  • 引用した部分では、機械学習を用いた検索用インデックスの自動生成などができていないことを示唆している。動画の検索も、呼びだし用の数字(ID?)で行っている。
  • 音声コマンド入力に関しては、スタートレックみたいにしたくない、という作者の意図があったかな?
  • ポケット・コンピュータで(ポケットベルのように)呼び出されるが、通話は無線通信機やインターカム(テレビ電話)を使っている。音声通話やビデオ通話はできないようだ。
  • カメラやマイクロフォンも、本体には装置されておらず、外付けである。

第二次人類帝国と現代社会

人類が世界平和を実現し、恒星間宇宙に進出して築いた第一次人類帝国に比べ、分離戦争で分断・疲弊した第二次人類帝国は、技術的には後退している。そのためか、遺伝子工学やロボット工学は21世紀と比べてもそれほど進歩していない。分離戦争の際にはサイボーグ技術により人体機能を強化した兵士もいたようだが、その反動なのか、科学技術だけでなく社会制度も保守的である。

何といっても皇帝が統べる「帝国」で、政治を担うのは貴族階級である。

幸いにして皇帝や貴族たちが優秀な人たちらしく、強力な軍事力を使って辺境の惑星の反乱を抑え、人類をまとめているようだ。

だが、民主主義がうまく機能しないので帝政になってしまうという未来は、なんか寂しいね。

21世紀の社会も民主主義が選挙主義みたいになっていて、うまく機能しているとは言い難い。

人類帝国では発展しなかった人工知能であるが、現実の世界で今後どのように「進化」するかは未知数である。もちろん「進化」には方向性がないので、人類にとって都合の良い方向に発展するとは限らない。

千年後の銀河系に広がっているのは、人類帝国ではなく機械帝国かもしれないし、ウイルス帝国かもしれない。

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2020/01/04

『時間は存在しない』を読んだ

年末年始の休みにカルロ・ロヴェッリ著『時間は存在しない』(NHK出版)を読んだ。
冬至の約10日後に新年となるシステムが疑問なので、とくに正月がめでたいとは思わないのだが、仕事が休みなのでのんびり過ごしている。
そこで時間について考えながら、散歩と昼寝の合間に読んだ。

この本の本文中に記された数式は一つだけ(エントロピーは増大する、ということを表す式)。

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そのほかは、アリストテレスから始まる諸賢の時間に関する考察と、著者の詩的な文章から構成されている。
物理学の本というより、哲学の本のようである。
一部、著者の専門であるループ量子重力理論などの理論物理学への言及があるが、そこは読み飛ばしても差し支えない(巻末の注釈のテンソル式など、ワシにはサッパリわからん)。
以下、この本についてというより、読んで考えたことを記す。

今日は過ぎ、昨日は戻らず、人は去り、エントロピーは増大する。

現代の物理学では、時間は存在しないのだという(無時間仮説)。
過去も未来も存在せず、10の44乗分の1秒というプランク時間だけ持続する現在だけしかない。
時間の経過は重力場などの周囲の状態によって変わるから、「現在」にある範囲は(最小では)10の35乗分の1メートルのプランク長の量子である。
プランク時間ごとの量子の位置や速度の変化(というか量子間の相互作用)が、時間と空間を織り上げている。
この宇宙は、ピクセル画のアニメーションみたいなものなのだ。

ではなぜ、時間は過去から未来へと流れるのか。

フッサールによる「時間の構成」を図解して示すと、次のようになる(181ページ図34を改変)。
この宇宙のこの領域では、たまたま初期状態のエントロピーが小さかったため、エントロピーが増大する向きに時間が経過する。
図のKが現在を表し、時間の経過とともに右へ移動していく。
イベント(出来事)Aが起こり、K(現在)の「私」が記憶する(A' で示す)。
しばらくしてイベントBが起こり、記憶される(B')。

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過去は記憶の中だけにあり、実在しない。
イベントAやBはすでになく、記憶の中だけにあるのだ。

記憶と言っても人間のそれだけではない。
化石の陰刻や結晶の中の磁場の向きなど、無生物にも過去が記憶されている。

人間は記憶を他者に伝えることができ、互いの記憶を確認しあうことができるので、さも過去が実在するかのように感じてしまうのだろうか。
実際には、個人の記憶はニューロンの発火に過ぎず、ニューロンが発火をやめれば消えてしまう。
死ねばその個人にとっての過去は消滅するのだ。
そこで一つの詩を思い出す。

わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です

(宮沢賢治『春と修羅』序より)

過去は思い出であり、未来は確率存在に過ぎない。
だから、取り返せない過去を悔やむのは無駄であり、未来を知ろうと占い悩むのもまた無駄である。
過去を想いながら現在を生き、未来をより良いものにできるように過ごせばよいと思うのだ。

生命や文明にとって必要なのは「高エネルギーではなく低エントロピーである」とか、そういう面白い話もあったが、長くなるので改めて書こう。

無時間仮説は、恒星間の通信とかタイムマシンを作ることができるかとか、いろいろSFにからむ話題に発展できるのだけれど、本書と直接関係ないので、また別の機会に(スターウォーズあたりとからめて)書くつもりだ。

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