2019/06/20

『最初の接触』を読んだ

『伊藤典夫翻訳SF傑作選 最初の接触』(ハヤカワ文庫)を読んだ。
ラインスターの「最初の接触」ほか全7編はいずれも1950年代の宇宙テーマSFである。
宇宙へ進出した人類が、異星人やその文明、あるいは不可解な存在と出会う。
今も次々と発表される新しいSFでも繰り返し語られるテーマである。
ただし、さすがに1950年代の作品らしく、宇宙服の電源が超小型の原子炉だったりするのだ。
異星人との接触を描く物語は、相手の科学技術のレベルが地球人より上で、相手が攻撃的か指導的か、という座標軸で表されることが多い。
『スタートレック』のバルカン人は指導的、『宇宙戦争』の火星人や『インデペンデンス・デイ』の異星人は攻撃的、といった具合だ。
ラインスターの「最初の接触」の異星人は、地球人と同等の科学技術レベルで、攻撃的でも指導的でもない、という点で(おそらく当時は)ユニークである。
7編の中で、とくに印象に残ったのはアンダースンの「救いの手」だ。
『宇宙戦艦ヤマト』のガミラス人とイスカンダル人の戦争を地球人が終結させた、というような状況から始まる話である。
『宇宙戦艦ヤマト』と異なり、地球人のほうが科学技術が進歩している。
スコンタール人はガミラス人というより、『スタートレック』のクリンゴン人みたいだしね。
ともかく、科学技術に優れるソル(太陽系)連邦が、スコンタール人の戦後復興は手助けせず、イスカンダル人みたいに優美なクンダロア人にだけ救いの手をさし延べる。
……その後の展開は、『スタートレック』のアンチテーゼのようだ。
宇宙SFというより、現在の発展途上国支援のあり方を見ているようでもある。

作中でも言及されているように、歴史に学ぶことが本当に重要なのだなぁ、と考えさせられた。

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2019/04/27

『トコトンやさしい地質の本』を読んだ

以前から地学分野の本を読んで勉強というか知識の補強に努めている。

火山や地震の本はけっこういろいろ読んだが、「地質調査」とか「地質図の読図」とかいった観点での解説書を読んだことがなかったので、基礎知識を補強しておこうと思って『トコトンやさしい地質の本』(日刊工業新聞社)を読んだ。

内容的には平易で知りたかったことが網羅されていたが、とても不満な点がある。

誤植(というか原稿の入力ミス?)も散見されたが、それはさておき、不満なところは次の2点。

  • 本文がゴシック体であること
  • 本文が縦組なのにツメ組であること

印刷物の本文は、明朝体のほうが読みやすい。

また、縦組の場合はプロポーショナル書体を使わず、ベタ組にするほうが読みやすい。

プロポーショナル書体を使ったツメ組だと、平仮名や片仮名が隙間なく詰めて表示されるため、読むときに視線の速度が一定せず、内容が頭に入りにくい。

プロポーショナルでない、等幅の書体であれば、ベタ組にすると文字が同じ間隔で並ぶので、視線の速度が一定になる。

視線の速度が一定のほうが、変化するよりも読みやすいのだ。

……ということについては、日本工業規格(JIS X 4051)や日本語組版処理の要件(JLreq)に書いてあったように思う。

大丈夫ですか、日刊工業新聞社さん。

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2019/02/08

漱石の個人主義

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夏目漱石の著作(文庫本)を解体してスキャン(いわゆる自炊)しようとして、いやいや、夏目漱石なら青空文庫で読めるじゃないか、と気付いた。
ブラウザでも読めるけれど、電子書籍リーダーアプリを使えば縦組で読めて快適である。

ということで、Google Play ブックスを使って、『私の個人主義』を読んだ。
大正三年に学習院で講演した、その中身である。

現代にも通じる内容で、頗(すこぶ)る面白い。

漱石の個人主義は、要するに「自分の生き方を決めるのは自分」ということであり、「他人の評価を気にするな」「ほっといてくれ」というものである。
そして、自分の生き方を尊重して欲しければ、他人の生き方も認めなくてはいけない、自分の好悪や価値観を他人に押し付けてはいけない、という。

「自分がそれだけの個性を尊重し得るように、社会から許されるならば、他人に対してもその個性を認めて、彼らの傾向を尊重するのが理の当然になって来るでしょう。」

何だかLGBTをめぐる議論とか、そういったものが想起される。

後半は、聴衆である学習院の生徒に向かい、権力や金力を得たときの注意点というか、権力や金力をもつものの義務を語る。

「いやしくも倫理的に、ある程度の修養を積んだ人でなければ、個性を発展する価値もなし、権力を使う価値もな し、また金力を使う価値もない」

何だか「わが国」の権力者とか金持ちとかにも説教して欲しくなりますな。


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2018/10/30

『核攻撃から身を守ろう!』を読んだ

やはり原子力関係の人は、核兵器と「原子力の平和利用」は違うことを強調したいのかなぁ。
ホルミシス効果を持ち出して飯舘村がいちばん健康に良い村かも、とか書いてるし。
だったら、原発推進派の人達はこぞって福島へ移住すればいいのに。

ホルミシス効果については、『放射能と人体』(落合栄一郎著、講談社ブルーバックス)では、否定的だ。広島・長崎の被爆者の調査報告書をもとに、極低線量被曝でもガンによる死亡率が増える傾向にあると推定される。
何しろ内部被曝については、まだわからないことが多いのだ。

さて、この本を買ったのは、本当に核攻撃から身を守ることができるのか、直撃を食らわず生き延びたとして、どうすれば文明を再建できるのか、知りたかったからだ。
しかし、残念ながら満足のいく解答は得られなかった。

直撃を受けず生き延びた場合、約2週間シェルターにこもれば、環境中の放射線量は1000分の1になり、外へ出て活動できるようになるそうだ。
核の冬とか、内部被曝による長期的な影響がなければ、の話である。
非環境科学系、非生物科学系の人は、「一時的な外部被曝」以外の影響を軽視しているように思える。

それはさておき、やっぱり核攻撃から身を守る方法はシェルターかぁ。
確かに、日本では原発事故も火山噴火もあるから、シェルターの必要性も理解できる。
世界中の指導者が正気になれば核攻撃に対するシェルターは必要なくなるが、火山はなくならないからね。
それに、原発をすべて廃炉にしても、放射性廃棄物は残り続けるわけだし。

まぁ、シェルターにこもって生き延びるという選択肢のほかに、世界がしくじったら死んじゃうほうがいい、という考えかたもあるかなぁ。
それも無責任だから、核廃絶のために運動するとか、核軍縮に積極的な候補者に投票するとか、そのほうが建設的だよね。

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2018/07/27

「生産的でない」人を大事にするように進化したのだ

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写真は、アラスカの海岸近くの川で見たサケ。
サケは大量の卵を産むが、産みっぱなしである。
そのため、大部分の卵や子供は死んでしまい、再び産卵のために川に戻って来るまで成長する子供は、ごくわずかだ。
多産多死型の繁殖戦略なのである。

ヒトはサケとは異なり、少数の子供を大切に育てる、少産少死型の繁殖戦略をとっている。
しかも、母親だけが子育てをするわけではなく、周囲の未婚の女性だけでなく、年老いた女性も手助けする。

狩猟採集民の研究によれば、母親の採集した食料だけでは足りない分は、祖母、姉妹、いとこ、おばが手当する。なかでもとくに重要な役割を果たしているのが祖母であり、この経験豊富な先輩採集者は、通常、世話の必要な幼児を抱えていないことも手伝って、きわめて有能な助っ人となる。実際、人間の女性が出産可能な年齢を過ぎたあとまで長生きできるように自然選択が働いたのは、祖母として娘や孫への食料供給を手伝えるからだった、という説もあるほどだ。
(ダニエル・E・リーバーマン『人体600万年史』〔上〕p.133-134、ハヤカワ文庫)

人類は、子供を産まない(産めない、産めなくなった)人を大切にし、その人たちがヘルパーとなるように進化してきたのである。

それなのに、LGBTの人々を「生産的でない」と決め付けるような政治家が、この現代にいるとは。
しかもこの議員、農学部出身だそうだ。
もう、非科学的で恥ずかしいから、農学部卒を名乗ってほしくないと思うのである。

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2016/09/19

10万年の平和ボケ

巽好幸著『富士山大噴火と阿蘇山大爆発』(幻冬社新書)を読んだ。
書名はアレだが中身は至極真面目である。

火砕流で700万人が瞬殺され、北海道まで火山灰が降り積もると予想される、九州の巨大カルデラ噴火。
おそらく日本が壊滅するであろう大災害が発生する確率は100年間に0.3%だから、10万年のうちに3回は起こることになる。

えーと、核廃棄物を国が10万年間管理するとかいう話があるが、まさに平和ボケである。
これ以上、核廃棄物は増やさないに限る。

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2015/09/21

『天空の蜂』とプルトニウム

防衛庁(省ではない)に納入直前の巨大無人ヘリが奪われ、稼働中の高速増殖炉の上空でホバリングし、犯人からの要求が電力会社や政府・役場に届く。
燃料が切れてヘリが墜落するまでに、日本中の原発を停止させ、稼働できないように破壊すること。

無線操縦で離陸し、プログラムにしたがって滞空し続ける世界最大のヘリには、試験飛行を見学に来ていた技術者の息子が(誤って)乗っていた。

上空千メートルのヘリからその子を救い出すことはできるのか。
技術者たちは巨大ヘリの墜落を防ぐことができるのか。
ヘリの墜落に備えて原発ではどんな対応ができるのか。
日本政府は要求に応えて原発を停止させるのか。
犯人は誰か、警察は犯人にたどり着けるのか。

そして、犯人の本当の目的は何か?

(以下、ネタバレ注意)

1995年の小説である。
講談社文庫版で読んだのだが、第1刷の発行は1998年11月。
先日(9月12日)の映画公開に合わせて書店の店頭に山積みになっていたので買ってみたら、2015年6月発行の第67刷だった。

20年前の小説なのに、現在も変わらぬ原発の問題点が盛り込まれている。

不安を口にできない原発立地の住人。
「麻薬」のように交付金漬けになってしまう自治体。
労災認定されない原発労働者の死。
線量を誤魔化さないと回らない原発の下請け労働者の環境。
嫌がらせを受ける反原発運動家。
原発こそがエネルギー危機を救うと信じて疑わない……疑うことを恐れる……原発技術者。
じつは高速増殖炉よりも危険かもしれない、使用済み核燃料。
ないと困るが、あることを歓迎されない、原発と自衛隊。

一方、20年の間に変わったこともある。

高速増殖原型炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が起こった(1995年12月)。以後、高速増殖炉の計画は事実上頓挫した。
防衛庁は防衛省になった(2007年)。
ニューヨークの貿易センタービルが、テロにより崩壊(2001年)。航空機によるテロの恐怖がより現実的になった。
阪神淡路大震災(1995年)、新潟県中越大震災(2004年)、東日本大震災(2011年)の災害支援を通じて、「戦わない軍隊」としての自衛隊の評価が高まった。
原発が「想定外」の災害に弱いことが露呈した(2011年)。

そして、『天空の蜂』で原発の問題点として挙げられていなかった、使用済み核燃料、核廃棄物の問題。

1995年には16トンだったプルトニウムは、2011年には44トンと、3倍近くに増えている。
使用済み核燃料や廃棄物にいたっては、いったい何万トンあるのやら。

犯人の一人(そして主人公の一人でもある)が望んでいたことは、日常使われている電気がどうやって作られているかに無関心な人びとに、原子力について考えさせること。

これは、2011年3月11日以後、日本のみならず世界中の誰もが、考えざるを得なくなった。
だが、人々の思いはどうあれ、政府は原発を諦めようとしない。
いったいなぜだろうか?

まさか、あの、プルトニウムを……

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2015/04/27

ようやく『ディアスポラ』を読み終えた

ネパールの地震は情報が入るたびに大きな被害が明らかになる。
ヒマラヤ登山のベースキャンプを襲う雪崩の映像を見ては、その速さに驚く。
プレート境界にできた巨大山脈は、当然地震の巣であるわけだが、その話はもう少し情報を整理してから書きたい。

さて、『ディアスポラ』はオーストラリアのSF作家グレッグ・イーガンのハードSF長編である。
ハヤカワ文庫なら、けっこう厚い長編であっても、たいがい二日か三日で読み終わる。
しかし、『ディアスポラ』は三週間かかった。
途中で別の本(マンガやユーザインタフェースの本)を読んでしまったということもあるが、それも『ディアスポラ』がけっこう取っ付きにくいからである。

何しろ、「人間」は数人しか出てこない。
主人公ヤチマやその仲間たちはみな、「ポリス」と呼ばれるコンピュータ内の都市に住むソフトウェアなのである。
中には生きた人間をスキャンして作られた「人」もいるが、主人公はイチから創造された人格である。
人間のDNAを元に仮想的なニューロンを作り、そのネットワークを発火させることで存在する人格……主人公がこんな具合だから、感情移入がしにくいのだ。

おまけに、ワームホールを用いた超空間航法の開発(結局失敗する)やら、自然発生した炭水化物オートマトン上の知性やら、五次元空間の惑星上のヤドカリに似た知的生命体やら、仕事で疲れたアタマでは付いていけない光景のオンパレードなのである。
もちろん、中性子連星の衝突によって発生したガンマ線バーストが地球環境に及ぼす影響とか、肉体を持つ人間とロボットにダウンロードされた「ポリス」市民のコミュニケーションとか、興味深いエピソードもたくさんあった。

だからイーガンのSFは面白いのだが、何しろ疲れるのである。

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2015/03/21

『SF映画で学ぶインターフェースデザイン』を読んだ

『SF映画で学ぶインターフェースデザイン』を読んだ
SF映画には「ありえない」インターフェースが多い。
情報量が多すぎたり、無意味なアニメーションが表示されたり。

だが、現実のインターフェース改良に役立ったり、新しいインターフェースのヒントになったりするものもある。

『スターウォーズ』の宇宙船の飛行音や射撃音や命中音は本来「聞こえない」はずのものだ。
しかし、これが(観客向けではなく)パイロット向けのものだとしたら、優れたインターフェースかも知れない。

敵機の接近やその方向、ちゃんと弾丸(光線?)が発射されていることの確認、命中したかどうかを、コンピュータが音を合成して知らせるというしくみは、音声メッセージやディスプレイよりも優れている。
メッセージの意味を考えたり、ディスプレイを見たりする必要がなく、ヒトがもともと持っている音源定位能力や感覚を活用できるからだ。

本来の目的に集中するために、「本来は聞こえない音」を合成して目の前の光景に合わせて重ね合わせる「拡張現実(AR)」ユーザーインターフェースは、宇宙船の射撃管制システム以外にも使えそうである。

ヒントはあらゆるところにある。ユーザーインターフェースをデザインするデザイナー/エンジニアに必要なのは、観察力と想像力なのだなあ。

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2014/10/24

『零式戦闘機』を読んだ

吉村昭著『零式戦闘機』を読んだ。
牛のエピソードから始まり、馬のエピソードで終わる。

宮崎駿のアニメ映画『風立ちぬ』にも描かれていた、飛行機を工場から飛行場まで牽いて行く、あの牛である。
牛で(後には馬で)、飛行機を運ばなくてはならない国が、工業大国と戦争したのである。
なんと無謀なことか。

まぁ、地震と火山の島国で、また原発動かそうなんて考えるのも無謀だけどね。
本質は変わっていないということか。

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