2023/11/21

生物学と物理学の埋まらない溝

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唐突に2020年4月(COVID-19パンデミックの始まりのころ)の写真を載せた。
こんを連れて沼津千本浜公園に言ったときのものである。
ここでの主題は、こんではない。

千本浜公園には、その名の通りたくさんの松が植えられて、防風林になっている。
そのアカマツの樹皮に注目する。

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樹皮の模様は、幹が太くなるときに裂けた表皮がコルク化したものである。
裂け目をよく見ると、縦に長い六角形や方形のように見える。
方向性と周期性があるので、何らかの物理的法則があるのだろうと思われる。

このような樹皮の模様は、アカマツだけでなくクヌギやコナラなどでも見られる。
サクラやシラカバの樹皮は、横方向(水平方向)に裂けている。
一方、プラタナスやサルスベリのように、古い樹皮が剥がれ落ちて新しいすべすべの樹皮ができ続けるので、裂け目ができないものもある。

植物は、単なる物理的最適解を採用しているわけではないのだ。
生物の形態や生態には、必ず進化、つまり現在に至るまでの「歴史」が関係している。

3年半前の写真を持ち出したのは、『キリンの斑論争と寺田寅彦(岩波科学ライブラリー)』を読んで、その中に掲載されていたメロンの縞模様の写真を見たとき、樹皮にも似たような模様があったなぁと思い出したからだ。

以下、Amazon の『キリンの斑論争と寺田寅彦 』のリード文を引用する。

キリンの斑模様は何かの割れ目と考えることができるのではないか.そんな論説を物理学者が雑誌『科学』に寄稿したことに生物学者が危険な発想と反論したことから始まった有名な論争の顛末は? 現在の科学から論争の意味と意義を評価する.主導的な役割を果たした寺田寅彦の科学者としての視点の斬新さ・先駆性が浮かび上がる.

なぜか、生物学者と物理学者は仲が悪い。
生物学者は「物理学者は生物学的現象を単純に考えすぎる、生物はもっと複雑で能動的なものだ」と言い、物理学者は「生物学者は複雑な現象を複雑なまま扱おうとして失敗し、生命の神秘に逃げようとする」と言う。

そういえば儂も若いころ、物理学出身の人に「生物学は複雑すぎて嫌。だいたい、生物は種類が多すぎるし、相互の関係が入り込みすぎてる」と言われたこともある。
生物学徒としては、多様性と関係性が面白いんだけどね。

また、塾の夏期講習で教えているとき、同僚の物理学修士に「僕はビッグバンから1秒後より後のできごとには興味ないんですよ」と言われた。
いやぁ、生物はその、興味ないところに全歴史があるのですが。

まぁこの人は、「理科で摩擦力とか表面張力とか遠心力とか抗力とか、いろいろな力を持ち出すのはいかがなものか。自然界の力は強い力、弱い力、電磁力、重力の四つしかないのに」と面白いことを言っていたが。
まぁどんな力も還元すれば四つの力のどれかだけど、強い力と弱い力は原子核レベルでしか働かない核力だから、普段(マクロなスケールで)見かける力は電磁力か重力のどちらかになってしまう。
突き詰めれば電磁力になってしまうとはいえ、やっぱり摩擦力と表面張力とファンデルワールス力は区別したいよねぇ。
ハエとかナメクジとかヤモリが垂直な壁を歩くときのことを考えるときなんかに……。

ということで、若いころには生物学と物理学の間には、埋めがたいギャップがあるのかもなぁと思ったものである、

しかし現在(というか1980年代以降?)単純な物理法則と生物の生理生態とのギャップを、複雑系の科学、カオス学が埋められるのではないかと期待されている。
キリンやヒョウの毛皮や、サバの背中のような模様については、チューリング理論により説明できそうである。
ちなみにチューリング理論のチューリングは、チューリングマシンやチューリングテストを考案し、エニグマの暗号を解読した、あのチューリングである(ベネディクト・カンバーバッチがチューリングを演じた映画『イミテーション・ゲーム』は必見である)。

寺田寅彦の随筆を読むと、自然界に見られる縞模様や金平糖の角の配置、市電の混み方と運行遅延など、カオス学を先取りしたような論考が見られる(青空文庫で読むことができる)。
寺田寅彦が複雑系やコンピュータシミュレーションを知っていたら、面白い研究をしただろうに、と思う。

以前、動物の縄張りの分布の解析などに使われるボロノイ分割と、溶岩が固まってできた柱状節理や木々の枝の張り方が似ているなぁと思って「ボロノイ分割、柱状節理、林冠のすき間」という記事を書いたことがある。
儂のような科学のシロウトとしては、寺田寅彦のような鋭い観察・考察はできないまでも、身の回りの不思議なことに気づくだけの感性を持ち続けたいと思うのだ。

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2023/08/04

歴史の改変は可能か?

佐々木譲の『図書館の子』を読んだ。

道警シリーズや『地層捜査』など、佐々木譲の小説には好きな作品が多い。しかし、『図書館の子』収録の六編については、まぁ、再読することもなさそうだし、関連作品も読まなくてもよいかなぁ、と思った。

昭和初期の情景を描く文体は読みやすく、情景も浮かんでくるので、小説としての完成度は高い。どうも儂は「歴史改変」ならば普通の小説ではなくSFであることを求めてしまうので、そこがマッチしていないだけなのだろう。

物語の必要上、時系列の出来事(タイムライン)を変更するなら、変更された結果の意外性(センス・オブ・ワンダー)や、理論的背景の説明が欲しい。もちろん架空で構わないので、タイムトラベルの理論や、タイムパラドックスについての言及がないと、物足りなく感じてしまうのだ。

ということで、タイムパラドックスについて。

タイムパラドックスの典型は「親殺しのパラドックス」である。子供が過去に戻って幼い頃の親を殺すと、子供自身が生まれないはずなので、過去に戻ることも親を殺すこともできないはずだ、というパラドックスである。

例えば、映画『ターミネーター』では、近未来、人類を駆逐しようとするスカイネット(AI)が、レジスタンスのリーダーであるジョン・コナーに手を焼いている。そこでスカイネットは、ジョン・コナーを排除するため、ジョンが生まれる前の時代(現代)にターミネーター(殺人ロボット)T-800を送り、母親(サラ・コナー)を殺害しようとする。

ジョンを産む前にサラが死ねば、未来のジョンは存在しなくなり、スカイネットはレジスタンスに手を焼くこともなくなる。子供の存在を消すために親を殺すという「親殺しのパラドックス」の別バージョンである。

T-800が過去に送られたことを知ったジョンは、部下の戦士(カイル)を過去に送る。カイルはサラと協力してターミネーターを破壊する。カイルは死ぬが、その前にサラはカイルの子、後のジョンを宿している。

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……というのが映画『ターミネーター』のあらすじで、結局、スカイネットの企みは回避され、ジョンが人類の存続をかけてAIと闘うという未来は変わらない。

だがちょっと待てよ……。そもそもスカイネットがターミネーターを過去に送らなければ、サラとカイルが出会うこともなく、ジョンが生まれることもないわけだ。つまり、スカイネット自身がジョンの登場のきっかけを作ったということにならないか? そして未来のジョンは、部下のカイルが自分の父親になること、そして母と出会ったら死ぬことを知りながら過去へ送り出したのか?

……というわけで、いろいろと考えさせられるほど、時間を扱ったSFは面白くなる。

続編の『ターミネーター2』では、少年期のジョンを抹殺すべくスカイネットは新型のターミネーター(T-1000)を過去へ送る。未来のジョンは旧型のターミネーター(T-800)を人類側の味方として過去へ送って対抗する。

この場合も結局、T-800がT-1000を倒し、元のタイムライン(時間線)が維持される。つまり「歴史の改変は不可能」ということなのだろうか?

じつは『ターミネーター2』ではまた、新たな「親殺しのパラドックス」の変形版が描かれる。スカイネットのCPUは、サラを殺しに来たT-800のCPUを元に設計される。つまりスカイネットの生みの親は、未来の(ターミネーターを送り込んだ)スカイネット自身だったというわけだ。そこで少年のジョンはT-800のCPUを破壊し、スカイネットが開発されないようにする。

サラを殺しに来たT-800のCPUは溶鉱炉に投げ込まれる。そしてジョンを助けに来たT-800は、自身のCPUを破壊するために溶鉱炉に沈んでいく。なんでロボットが死ぬシーンが悲しくなるのかわからないが、ここは感動的な場面だ。

それはともかく、この時点(過去)でT-800のCPUが破壊されれば、スカイネットは生まれないはずだ。スカイネット開発者のダイソン博士も死んでしまったし。したがってスカイネットによる人類殲滅戦という未来は回避され、タイムラインは変更されたことになる。

えーと、そうなると、スカイネットが人類を皆殺しにかかるという「未来の歴史」は起こらないので、スカイネットがターミネーターを送ってきてサラとジョンを殺そうとしたという「歴史的事実」はサラとジョン(およびその関係者)の記憶の中だけのものになってしまうのか?

タイムラインの変更による歴史の改変や、そもそもタイムトラベル(タイムスリップ、タイムリープ)が可能なのかという話は、さらにいろいろ考えるネタになりそうだ。

それよりも昨今気になるのは、タイムトラベルやパラドックスとは関係なく、歴史の捏造や改変をやりたがる連中のことだ。地層や化石、進化、放射性物質による年代測定のように物理・化学・生物・地学的なエビデンスのある「歴史」と違い、人間の歴史は記録にしろ記憶にしろ不完全な部分や都合よく書き換えられた部分がある(当時の権力者にとっての都合だ)。記録はまた、つねに廃棄されたり改竄されたりしてきた。「歴史的真実」を見極めるのは容易ではない。

SF的な「歴史の改変」は面白いネタだが、実生活での「歴史の改変」は警戒すべき事柄だと思うのだ。

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2023/07/21

科学者が科学的であるとは限らない

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島崎邦彦著『3.11 大津波の対策を邪魔した男たち』を読んだ。

元日本地震学会会長の島崎さんによれば、東日本大震災の津波被害も原発事故も、けっして「想定外」ではなかったそうだ。想定されていたが「起こらないだろう」ということにされていたのだ。

本書を読みながら考えたことは、「科学者や技術者が常に科学的に思考し判断するとは限らないのだよなぁ」ということだ。科学者や技術者には「立場」があり、その立場……というかはっきり言って「権益」を守るために、判断を誤ったり、解釈を捻じ曲げたりするのだ。

そして科学者や技術者も人間である以上、知識や情報収集力には限界がある。過去の(地震津波などの)事象をすべて知ることもできなければ、未来に起こることを予知することもできない。さらに、その専門性から知りうること・判断できることにも限りがある。

島崎さん自身もあとがきでこう書いている。

この本に登場する人たちは、一人一人はみんな良い人だと思う。しかし結果として、大惨事につながることをしてしまった。それぞれの役割、その時々の立場……いろいろなことがあったのだろう。

私自身、原発のことを、もっと知っていればよかったと思う。

それにしても不気味なのは「原子力ムラ」の力(権力?財力?)、原子力関係者への忖度である。高木仁三郎さんの著作に見られるほど露骨な脅しはなかったようだが、島崎さんの知らないところで裏会議が行われて報告書の重要な数値が変更されたり、警告が無視されたりしていたようだ。

ロシアのウクライナ進行に伴うエネルギー危機に便乗して、またぞろ原発再稼働が取り沙汰されている昨今、「原子力ムラ」の存在はとても不気味だ。

さて、本書のタイトルに「邪魔した男たち」とあるが「邪魔した女たち」はいなかったのだろうか。いなかったとしたら、そのこと自体が、この国の産・学・官の歪みを表しているような気がする。

……なんて具合に大上段に振りかぶって「国」なんて言葉を使ってみたが、こういう曖昧で抽象的な概念を使うのは好きではない。仮想的な概念を廃して個人の視点で考えよう。すると要するに、自分の身分や権益の維持に汲々としている弱っちいオトコたち(平目男?蛙男?)がグズグズしていたために、大災害になってしまったんだよなぁ。……そう思うと、なおさら腹立たしいぞ。

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2023/05/31

『はだしのゲン』を読んだ

はだしのゲン』を最初に読んだのは、1970年代はじめ、中学校の図書室だったと思う。
当時は原爆投下とその直後の悲惨さだけが印象に残ったが、読み直してみると、戦後の話のほうが長い。

そしてある意味で、原爆投下直後よりも非道い。
ゲンの一家や仲間たちの「敵」は、原爆を投下したアメリカ軍、被爆者を実験サンプルとしか見なさないアメリカ政府だけではない。
むしろ、日本人の大人たちに対する憤りのほうが大きいのではないか。

子どもたちを(大人たちが始めた)戦争の道連れにして命を奪い、親兄弟を奪い、住む家を奪い、教育の機会を奪い、肉体的・精神的に傷付け、被爆者を差別する……。

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儂の親の世代は、ゲンと同じように終戦時に小中学生だった。
その親の話を聞くと、やはり大人たちの変わり身の速さに腹が立ったという。

玉音放送の翌日、軍事教練で生徒に体罰を加え続けてきた教官は、中学生からの仕返しを恐れて逃亡する。
英語の教師が急に威張りだす。
鬼畜米英、一億火の玉、と叫んでいた大人たちが「じつは戦争には反対だったのだ」「竹槍で勝てるわけがないと思っていた」と言い始める。

太平洋戦争への道 1931-1941』などでは戦前の状況について、慎重な軍部を国民が煽り、無謀な戦争へと突き進んだ側面もあると書かれている。
いまを「新しい戦前」にしないために、戦争を体験せずに老人となった儂らは、何ができるだろうか。

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2023/01/06

『三体0 球状閃電』を読んだ

劉慈欣著『三体0(ゼロ) 球状閃電』を読んだ。

『三体』シリーズの前日譚ということだが、直接繋がっている話というよりも関連するかもしれない世界で、共通する人物が登場する独立した話と思ってもよいようだ。

例によって壮大な科学的ほら話である。

球電という実在する不可思議な現象を研究し、兵器として利用しようとする科学者とエンジニア、軍人たち。

強力な自然現象を殺人の道具として使って良いものかという主人公の葛藤なども描かれるが、話のキモは球電の正体。

もっとも、ネタバレになるので球電の正体については、ここには書かない。

じつはこの球電の正体に関係するエピソードが『三体』の第34章「虫けら」に書かれている(訳者あとがき参照)。

確認してみたら、天才科学者丁儀(ディン・イー)がさらっとマクロ原子について語っていて、エンジニアの林雲(リン・ユン)の写真も出てきていた。

いやぁ、気づかなかったなぁ。しかしまぁ、量子論は科学的ほら話(SF)をオカルトすれすれのところまで話を膨らませられるから、便利すぎるような気もするなぁ。

もちろん、SFはしょせん科学的ほら話、そんなことあるかぁ?とつっこみながら、いやまぁ凄いこと思いつくなぁ、と楽しめればいいのだ。

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2022/12/28

『法治の獣』を読んだ

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春暮康一著『法治の獣』(ハヤカワ文庫)を読んだ。

「主観者」「法治の獣」「方舟は荒野をわたる」の中篇3編が収められていて、いずれも共通の未来世界を舞台にした宇宙SFである。

宇宙SFだが、どうやって宇宙を旅するかとか、そのあたりの物理化学的な部分が主題ではなく、主題は「生命と知性」である。

3編とも、宇宙に進出した人類が異星の生命体に遭遇するのだが、その生命体の設定がいずれもぶっ飛んでいる。生物学的ネタでセンス・オブ・ワンダーを味わうことができたのは、大変嬉しい。ワシは今でもアマチュア生態学者のつもりだからね。ちなみに〈方舟〉のような生命体のアイデアは、かつてワシも考えたことがある。ちょうどフィトンチッドとかアレロパシーとかが話題になっていたころ(1980年代)で、森林内の化学的ネットワークが……(以下ネタバレになりそうなので省略)。

ということで何を書いてもネタバレになるので詳しくは書かないが、堀晃やグレッグ・イーガンの生物学版といった感じである。著者自身が巻末の「作品ノート」に書いているように、イーガンの「ワンの絨毯」とも共通するテーマがあるし。登場する男女の間に色恋沙汰とかそういう雑音がなく、知的なやりとりがメインになっているところも堀晃やイーガンに似ているかも。

著者の筆名の由来はハル・クレメントだそうだから、ガチガチのハードSF好きによる、ハードSF好きのためのハードSFなのだ。

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2022/07/22

文明崩壊・人類絶滅のシナリオ

スティーブン・ウェッブ著『広い宇宙に地球人しか見当たらない75の理由』を再読した。
定期的な通院の待ち時間には Kindle を持って行って読んでいる。
Kindle にダウンロードした書籍の中で、2年前に読んだ本書の内容をあまり覚えていなかったので、もう一度読むことにしたのだ。
「もし宇宙人が存在するなら、いったいどこにいるのか」というフェルミのパラドックスへの回答は、もちろん、判断材料が少なすぎて確定できない。

さて、フェルミのパラドックスへの回答の中には、「文明の存続期間は短い」というものがある。
いくら宇宙に生命と知性があふれるほど存在していても、宇宙へ出ていくような文明を数百年、数千年しか維持できないとすれば、他の文明と接触することはないだろう。

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昨今の国内や世界の情勢を見ていると、文明の崩壊、人類の絶滅の日近いかもなぁ、などと考えてしまう。
SFなどでよく見る(よく読む?)人類絶滅のシナリオに書かれているような出来事が、現実世界でもお起こりそうだからだ。
それも、小惑星の衝突のような、そう滅多に起こりそうもない、稀な出来事が原因ではなくて。

カルト
反知性主義的なカルト教団が各国政府を乗っ取り、科学を「黒魔術」と断じて文明を崩壊させる。宇宙へ出ていくことなど論外(というSFを読んだ記憶がある)。

核戦争
核兵器が使用されて「核の冬」となり、文明は崩壊、悪くすれば人類を含む多くの生物種が絶滅する。
大国間の全面核戦争でなくも、限定的な核兵器の利用でも核の冬になりうることを、カール・セーガンが指摘していた気がする。

温暖化
温室効果による地球温暖化が進み、異常気象と海水面上昇により食糧危機となる。
文明は崩壊、悪くすれば人類を含む多くの生物種が絶滅する。

氷河期の到来
温室効果による地球温暖化の影響で深海の海流が変化し、氷河期が到来する。
映画『デイ・アフター・トゥモロー』がそんな話だったね。

太陽フレア
太陽フレアにより、通信インフラなどが途絶し、脆弱な科学技術文明が崩壊。
原発のメルトダウンや核廃棄物の飛散が起これば、生活基盤が破壊されるだけでなく、人類を含む多くの生物種が絶滅する。

地殻変動
地殻活動の活発化により火山噴火・地震・津波の影響で文明のライフラインが分断・崩壊。
とくに原発のメルトダウンや核廃棄物の飛散が起これば、生活基盤が破壊されるが、これは地域が限られるだろうか。

パンデミック
パンデミックを甘く見て、終息前に感染予防策を解除したために感染者が急増。
感染時あるいは後遺症による男性不妊が増加し、人口は激減。文明が維持できなくなる。

小惑星の衝突のような天変地異ではなく、現在の生活と地続きのところから文明崩壊・人類絶滅に至るシナリオは、まだまだあるだろう。
星から星へ旅するような高度な文明まで発展することは、この広大な宇宙でもなかなか難しいことなのかもしれない。

そうすると、異星人の侵略だけは心配しなくてもよいかな。

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2022/06/11

異星人による地球侵略の可能性

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散歩のたびに泣きそうになってしまう毎日であるが、それはさておき(写真は2020年10月の香貫山にて。以下の文章とは、まったく関係がない)。

アメリカ国防総省がUFO(未確認飛行物体)を調査しているという(https://www.bbc.com/japanese/59411997)。
もちろん、UFOが異星人の乗り物である可能性は限りなく低い。
レーダーの画像に残された異常な運動をする「物体」は実体ではなく、妨害電波などにより生成されたものなのかもしれない。
もちろん、ペンタゴンは妨害電波の発信元は異星人ではなく、ロシアか中国だと考えているだろう。

異星人が地球にやってくる可能性はあるのか?
そしてその異星人は友好的だろうか?敵対的だろうか?

映画『コンタクト』では、地球人が発している電波(意図的に宇宙に向けたものではなく、漏れ出たラジオやテレビ放送の電波)を聞いた異星人が、信号を送り返してくる。その信号を受信するシーンにはドキドキするし、受信した内容にはビックリするのだが、ここには書かない。映画をご覧いただきたい。
もちろん、この映画の原作者はカール・セーガンだから、異星人は善意の存在である。

だが、異星人が存在するとして、善意の存在であるとは限らないのではないか。
SF小説『三体』では、宇宙に向けてメッセージを発信したことから侵略が始まってしまう。その侵略の方法がまた奇想天外なのだが、ここには書かない。小説をお読みいただきたい。

おそらく「UFO=空飛ぶ円盤」と思っている人は、こう考えるのではないか。
恒星間の深淵を超えてやってくる異星人は、地球人よりもはるかに技術的に進んでいるのだから、きっと倫理的にも高潔で、友好的なはずだ、と。

だけどねぇ。
環境汚染や資源の枯渇、地球温暖化、パンデミックなどの危機に対して、世界中の国々が結束して立ち向かわなければならない21世紀なのにねぇ。
曲がりなりにも「大国」とされる国が、国連の常任理事国が、隣国に侵略するといった、信じられないことをやっちゃうのだからねぇ。
核兵器の使用を脅し文句にしたり、化石燃料の供給停止を人質代わりにしたりして。
なんだかなぁ。
科学技術が「進歩」しても、脳の構造は狩猟採集生活のころから「進化」しないわけだから、進んだ文明だからといって、高潔とは限らないよねぇ。

異星人が存在しているとしたら、そしてその精神構造に少しでも地球人に似たところがあるとしたら、いくら技術的に進んでいても、地球侵略はあり得るかもなぁ。
もちろん、生命の発生そのものが稀な現象なら、異星人による地球侵略の可能性はまず、ない。

小惑星探査機「はやぶさ2」が持ち帰った「りゅうぐう」のサンプルからアミノ酸が見つかった(https://curation.isas.jaxa.jp/topics/22-06-10.html)。
原始地球上ではアミノ酸の生成が難しいと考えられることから、地球の生命の起源は小惑星であるという可能性がある。
このことから、宇宙には生命が溢れていると思ってよいのだろうか?

アミノ酸が存在するだけでは、自己増殖する「生命」にはならない。DNAやRNAのような遺伝物質と出会うことが必要だ。
ひょっとしたら、冷えつつある原始地球上で生成されたRNAと、小惑星からもたらされたアミノ酸が結びついて、最初の生命が誕生したのかもしれない。

そうすると、たまたま地球上にRNAが存在する時期に、たまたま小惑星が落ちてきて、たまたま焼け残ったアミノ酸が地上まで到達し、たまたまRNAとアミノ酸が結びついて、たまたま生命が誕生した、ということになりはしないか?
その「たまたま」が起こる確率はどれくらいだろう?
ひょっとしたら、ひょっとして、この宇宙において、生命は稀なものなのだろうか?

生命が稀なものだとすると、「異星人の侵略という人類の存立危機事態に備えるため、地球人の間で争っている場合ではない、協力しなくては」という国際社会の動きは期待できない(『三体』では国連が活躍するのだが、その活躍の仕方がまた奇想天外である)。
まぁ、地球温暖化やパンデミックを前にして、協力ではなく分断を選ぶような人類だから、異星人がいようがいまいが関係ないか。

生命が稀なものだとすると、国家間の争いによって地球環境を悪化させることなどもってのほか、と思うんだけどなぁ。

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2022/03/30

『太平洋戦争への道 1931-1941』を読んだ

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庭のスミレやらハナニラやらユスラウメやらが咲き、近隣ではサクラも花咲く日々であるが、心は晴れない。

ロシアはウクライナへの侵攻を続けているし、経済制裁のために物価の上昇やモノ不足は懸念されるし、この戦争が終結しても元の世界秩序には戻らないのだろうなぁなどと思っては、先行きが不安になる。

戦後生まれの儂らは「戦争を身を以て体験せずに済んだ世代」になれるかなぁと思っていたのだが、そうはいかないのだろうか。

なんてことを考えつつ、『太平洋戦争への道 1931-1941』を読んだ。半藤一利さん、加藤陽子さん、保阪正康さんの2017年のラジオ番組での鼎談を書籍化したものだ。

1931年の満州事変から1941年の真珠湾攻撃までの「過ち」について概要をコンパクトに、というか手っ取り早く知り、考える材料とすることができる。

読後に思ったことは、戦争には派閥間の争いとか個人の思惑とかが大きく関わるのだな、ということ。

そして世論というか雰囲気が戦争を後押しする。市井の個人の責任、メディアの責任、ということを考えると、今の世も怖い。

マンボウ明ければ花見に行く国民と、選挙目当てに金をばらまこうとする政治家。

「先週の同じ曜日と比較して感染者数は減っている」ように見えるから第六波が終息に向かっているかのように報道しちゃうマスコミ。

なんだかなぁ。

いまこのときが、「第三次世界大戦への道」の途上でなければよいのだが。

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2022/01/30

『プロジェクト・ヘイル・メアリー』を読んだ

『プロジェクト・ヘイル・メアリー』を Amazon Kindle で買って読んだ。

『オデッセイ』というタイトルで映画化された『火星の人』を書いたアンディ・ウィーアーの第3長編である。

『火星の人』は、ポジティブな主人公が孤軍奮闘し、次々と遭遇するアクシデントを乗り越えて火星から生還するまでを描いていた。

『プロジェクト・ヘイル・メアリー』もポジティブな(陽気なキャラクターというわけではなく、ユーモアのセンスがあってめげない)主人公が孤軍奮闘する物語である。

何を書いてもネタバレになってしまいそうなので、舞台が太陽系にとどまらない、ということだけ書いておく。

太陽系から出ていくのに、そんな都合の良い方法があるか?などと突っ込みたくなるが、まぁそこは、SFは所詮ホラ話。
話のスケールを大きくするには、大きなホラを吹かないと。

さて、『プロジェクト・ヘイル・メアリー』の読後感はすこぶる良い。
クラークやアシモフやベンフォードや(初期の)ホーガンが好きな人なら、楽しめるだろう。

実は、読後感が「個人的に」すこぶる良かったのには理由がある。

『プロジェクト・ヘイル・メアリー』を読む前に、『三体』三部作を再読し、『サピエンス全史』を読了していたのだ。

人類(ホモ・サピエンス)と、宇宙における人類の位置付け……というか、宇宙にほかの知的生命体がいるとしたら、どんな出会い方をするのか(あるいは出会うことはないのか)について、ちょっと悲観的な気分になっていたのである。

ちなみに、『プロジェクト・ヘイル・メアリー』と『三体』は Kindle Oasis で、『サピエンス全史』は単行本で読んだ。

物理的な書籍は一覧性に優れていてランダムアクセスしやすいので好きなのだが、歳とともに活字(もちろん活版印刷ではないので印字だが)を読むのが辛くてかなわない。

その点、電子書籍は文字サイズや行間、明るさや色調まで自在に変更できるので読むのが楽だ。

まぁしかし、Amazon Kindle を使っていていちばん面倒なのは、「おすすめの書籍」やキャンペーンの通知がしょっちゅう来ることかもしれない。

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