2020/03/20

『神の目の小さな塵』のポケットコンピュータの仕様

ラリー・ニーヴンとジェリー・パーネルの共著『神の目の小さな塵』は、1974年に刊行されたSF小説である。いまから千年後、恒星間宇宙に進出し、第二次人類帝国を築いていた人類が知的な異星人にであるという、ファースト・コンタクトを主なテーマとしている。

1979年に創元推理文庫版を読んだとき、登場人物たちが使うポケット・コンピュータが非常に気になった。当時のコンピュータといえば、ホストまたはメインフレームと呼ばれるような、コンピュータルームに鎮座している巨大な機械か、さもなければ登場したばかりの、個人が趣味でプログラミングするパソコンくらいだった。とにかく本体はでかい箱で、入力はキーボード、出力はブラウン管のモニタだから、持ち歩いて使うことなど不可能だった。

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1982年にシャープのポケット・コンピュータ PC-1251 を入手して、小さなQWERTYキーをポチポチと押して、BASICでプログラムを組んだ。横長の液晶画面には大文字の英字と数字といくつかの記号を24桁で1行表示できるだけだった。PC-1251は酔っぱらって帰宅中にどこかで落としたので、1985年に後継機種PC-1261を買った。液晶画面は24桁2行表示になり、カタカナも表示できるようになった。とはいえ、ポケット・コンピュータとは(名前が同じだけで)程遠い仕様だった。

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時は下って2011年、富士通のスマートフォンF-12C を入手した(左がF-02C、右がF-06E)。電話やメールのやりとりやインターネット経由での情報検索はもちろん、スタイラスや指で入力でき、写真撮影や動画の視聴もできる。まだまだ『神の目の小さな塵』のポケット・コンピュータには及ばないが、近いものが出てきたな、と嬉しかった。

さて、現在のスマートフォンは、『神の目の小さな塵』のポケット・コンピュータを凌いでいるだろうか?

スマートフォンと同等の機能

  • コートや軍服のポケットに入るサイズに、CPUとメモリー、タッチスクリーンが搭載されている。
  • 入力はスタイラスペンまたは指。キーボードはない。
  • 手書きのメモを入力できる(お絵かき)。
  • 時計・スケジューラ(カレンダー)の機能。
  • 音声入力(口述録音)可能。
  • マルチタスク。口述しながら検索したりできる。
  • 無線データ通信機能。近距離用(屋内)だけでなく基地局との通信ができる。
  • 関数電卓的な数値計算、グラフ出力。複雑な学術的な計算処理は外部のコンピュータ(サーバ)で行い、その結果を表示できる(スマートフォンやタブレットでも、Googleの計算機を使って次のようなグラフを表示できる)。
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  • データ検索。端末のメモリー内のデータ検索のほか、サーバ内の動画なども検索できる。検索した動画はポケット・コンピュータのディスプレイだけでなく、外部のディスプレイなどに表示させることもできる。

上巻 p.95(引用部分は池央耿訳の創元推理文庫版による)

彼はポケット・コンピュータを取り出し、対話スクリーンに「チャーチ・オブ・ヒム」と書いて情報照会ボタンを押した。船内のデータバンクに接続されているポケット・コンピュータのスクリーンに求める情報が映し出された。

下巻 p.419

「記録を見られるかな? わたしの記録を出してもよいが」
「いや、わたしのを見せよう」ホーヴァートはポケット・コンピュータに数字を書き込んだ。壁のスクリーンに映像が浮かんだ。

スマートフォンを凌ぐ機能

  • 充電しているシーンがないので、ひょっとするとものすごく電池が長持ちするのではなかろうか(電卓並みとか?)。
  • 通常はスタンドアロンで動作し、必要に応じて外部接続する。接続時には、接続先や速度に応じて異なる「唸り」でユーザーに知らせる(というユーザーインターフェースなのだろう、たぶん)。

下巻 p.373

「どんな話をしたんだ?」
「はっきりとは憶えていないわ」彼女はポケット・コンピュータを取り出して情報を照会した。小さなコンピュータは微かな唸りを発した。音色が変わって、コンピュータが車の無線機を通じて宮殿のデータ・バンクと交信していることを告げた。「それに、いつのことだったかも、よく憶えていないのよ……」彼女はさらにコンピュータに情報の検索を指示した。「もっと検索が楽な情報整理の方法を考える必要があるわね」

スマートフォンに及ばないこと

  • AIの機能を使えない(『神の目の小さな塵』には人工知能やロボットが出てこない)。従って、音声コマンド入力や画像認識ができない。
  • 引用した部分では、機械学習を用いた検索用インデックスの自動生成などができていないことを示唆している。動画の検索も、呼びだし用の数字(ID?)で行っている。
  • 音声コマンド入力に関しては、スタートレックみたいにしたくない、という作者の意図があったかな?
  • ポケット・コンピュータで(ポケットベルのように)呼び出されるが、通話は無線通信機やインターカム(テレビ電話)を使っている。音声通話やビデオ通話はできないようだ。
  • カメラやマイクロフォンも、本体には装置されておらず、外付けである。

第二次人類帝国と現代社会

人類が世界平和を実現し、恒星間宇宙に進出して築いた第一次人類帝国に比べ、分離戦争で分断・疲弊した第二次人類帝国は、技術的には後退している。そのためか、遺伝子工学やロボット工学は21世紀と比べてもそれほど進歩していない。分離戦争の際にはサイボーグ技術により人体機能を強化した兵士もいたようだが、その反動なのか、科学技術だけでなく社会制度も保守的である。

何といっても皇帝が統べる「帝国」で、政治を担うのは貴族階級である。

幸いにして皇帝や貴族たちが優秀な人たちらしく、強力な軍事力を使って辺境の惑星の反乱を抑え、人類をまとめているようだ。

だが、民主主義がうまく機能しないので帝政になってしまうという未来は、なんか寂しいね。

21世紀の社会も民主主義が選挙主義みたいになっていて、うまく機能しているとは言い難い。

人類帝国では発展しなかった人工知能であるが、現実の世界で今後どのように「進化」するかは未知数である。もちろん「進化」には方向性がないので、人類にとって都合の良い方向に発展するとは限らない。

千年後の銀河系に広がっているのは、人類帝国ではなく機械帝国かもしれないし、ウイルス帝国かもしれない。

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2020/01/04

『時間は存在しない』を読んだ

年末年始の休みにカルロ・ロヴェッリ著『時間は存在しない』(NHK出版)を読んだ。
冬至の約10日後に新年となるシステムが疑問なので、とくに正月がめでたいとは思わないのだが、仕事が休みなのでのんびり過ごしている。
そこで時間について考えながら、散歩と昼寝の合間に読んだ。

この本の本文中に記された数式は一つだけ(エントロピーは増大する、ということを表す式)。

ΔS≧0

そのほかは、アリストテレスから始まる諸賢の時間に関する考察と、著者の詩的な文章から構成されている。
物理学の本というより、哲学の本のようである。
一部、著者の専門であるループ量子重力理論などの理論物理学への言及があるが、そこは読み飛ばしても差し支えない(巻末の注釈のテンソル式など、ワシにはサッパリわからん)。
以下、この本についてというより、読んで考えたことを記す。

今日は過ぎ、昨日は戻らず、人は去り、エントロピーは増大する。

現代の物理学では、時間は存在しないのだという(無時間仮説)。
過去も未来も存在せず、10の44乗分の1秒というプランク時間だけ持続する現在だけしかない。
時間の経過は重力場などの周囲の状態によって変わるから、「現在」にある範囲は(最小では)10の35乗分の1メートルのプランク長の量子である。
プランク時間ごとの量子の位置や速度の変化(というか量子間の相互作用)が、時間と空間を織り上げている。
この宇宙は、ピクセル画のアニメーションみたいなものなのだ。

ではなぜ、時間は過去から未来へと流れるのか。

フッサールによる「時間の構成」を図解して示すと、次のようになる(181ページ図34を改変)。
この宇宙のこの領域では、たまたま初期状態のエントロピーが小さかったため、エントロピーが増大する向きに時間が経過する。
図のKが現在を表し、時間の経過とともに右へ移動していく。
イベント(出来事)Aが起こり、K(現在)の「私」が記憶する(A' で示す)。
しばらくしてイベントBが起こり、記憶される(B')。

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過去は記憶の中だけにあり、実在しない。
イベントAやBはすでになく、記憶の中だけにあるのだ。

記憶と言っても人間のそれだけではない。
化石の陰刻や結晶の中の磁場の向きなど、無生物にも過去が記憶されている。

人間は記憶を他者に伝えることができ、互いの記憶を確認しあうことができるので、さも過去が実在するかのように感じてしまうのだろうか。
実際には、個人の記憶はニューロンの発火に過ぎず、ニューロンが発火をやめれば消えてしまう。
死ねばその個人にとっての過去は消滅するのだ。
そこで一つの詩を思い出す。

わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です

(宮沢賢治『春と修羅』序より)

過去は思い出であり、未来は確率存在に過ぎない。
だから、取り返せない過去を悔やむのは無駄であり、未来を知ろうと占い悩むのもまた無駄である。
過去を想いながら現在を生き、未来をより良いものにできるように過ごせばよいと思うのだ。

生命や文明にとって必要なのは「高エネルギーではなく低エントロピーである」とか、そういう面白い話もあったが、長くなるので改めて書こう。

無時間仮説は、恒星間の通信とかタイムマシンを作ることができるかとか、いろいろSFにからむ話題に発展できるのだけれど、本書と直接関係ないので、また別の機会に(スターウォーズあたりとからめて)書くつもりだ。

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2019/08/18

『消滅』を読んだ

カミさんに薦められて、恩田陸の『消滅』を読んだ。

超大型台風が接近し、閉鎖された国際空港の入管で、足止めされた11人の(普通の)人たちと、1匹の犬。

なぜかそこに混じって泣いていた若い女性が、ヒューマノイド・ロボットだった。

キャスリンと名乗るそのアンドロイド(女性型だからガイノイド?)が言うには、この中にテロリストがいる、そのテロリストを見つけ出し、「消滅」を阻止してほしい。

はたしてテロリストは誰なのか、期限である深夜0時までに明らかにできるのか、そしてテロリストの目的である「消滅」とは、いったい何を消滅させるというのか?

というような風にあらすじを書くと、なんかすごいサスペンスみたいだが、実際にはユーモアにあふれたSFである。

人物描写や、それぞれの視点から見た他の人の言動の描写が巧みで、一気に読んだ。

マレーシアから帰国して早く肉ワンタン麺を食べたいのに足止めされてしまうエンジニアとか、なぜだかいつも怪しい人物と想われてしまう編集者とかには、同情を禁じ得なかった。
それはさておき、SFとしては、これはどうだろうと思った点があるので、指摘しておきたい。

以下、ネタバレを含むので結末を知りたくない人は読んではいけない。

SFは、大きく分けると2種類になる(細かく分けると切りがない)。

一つは、サイエンス・フィクションつまり空想科学小説で、とくにハードSFは(現実に存在するものか空想的なものかは問わず)科学技術が核心にあり、それを抜いたり、別のもの(魔法とかそういったファンタジックなもの)に置き換えると、小説が成立しなくなる。

クラークやアシモフ、ベンフォードやイーガンのSFは、サイエンス・フィクションだ。

もう一つはスペキュレイティヴ・フィクションと呼ばれ、思弁小説・思索小説などと訳される。

「もしも……だったら、……はどうなる?」を突き詰めたもので、いわゆるSF的な小道具(ロボットとか宇宙船とか)は、あくまでも脇役である。

エリスンやディック、ゼラズニイに優れた作品がある。

 

恩田陸のSFは(自身もあとがきに書いている通り)スペキュレイティヴ・フィクションである。

そのため、どちらかというとハードSF好きのワシは、おや、と思ってしまったのである。

好みの違いに由来する違和感の表明であって、批判というわけではないので、念のため。

 

キャスリンはどう見てもオーバーテクノロジーだよなぁ。

作中でも触れられていたが、実社会で運用されている、人間と見分けのつかないヒューマノイド・ロボットの存在は、ちょっとリアリティに欠ける。

 

あとは「消滅」を実現するツールであるところの量子コンピュータ。

市販の耳栓やデンタルフロスをソフトウェアだけで量子コンピュータ化するなんて、ドラえもん級の反則では?

 

最後に、耳栓があれば、デンタルフロスは要らないのでは、と思った。

みんなが耳栓型音声翻訳装置を付けていれば、それぞれ好きな言語で話しても、自国語として聞こえるのだから。

ちなみにこれは、ダグラス・アダムスのコメディSF『銀河ヒッチハイク・ガイド』に登場し、音声を食べて脳波を排出する寄生生物の使い方である。

耳に入れて使う、小さくて黄色い、魚に似たその生物の名は「バベル・フィッシュ」。

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『フォッサマグナ』を読んだ

藤岡換太郎著『フォッサマグナ』を読んだ。
驚いたのは、国内最大の大地溝帯で、世界で唯一の地形であるフォッサマグナがどのようにしてできたのか、まだ明らかになっていないということだ。
フォッサマグナの西の端は、糸魚川-静岡構造線と呼ばれる大断層帯だ。
その南のほうは高さ2000メートルに達する逆断層となっていて、「南アルプス」と呼ばれている。
あの山脈が断層だというだけでびっくりなのだが、フォッサマグナの基盤は地下6000メートルくらいだろうと思われていて、じつは確実な深さはわかっていない、ということにも驚かされる。
そして、フォッサマグナの東の端がどこなのか、これもはっきりしない。
八ヶ岳や大菩薩峠から南アルプスのほうを眺めると、眼下に諏訪盆地や甲府盆地が広がる。
その地下が得体の知れない状態なだけでなく、八ヶ岳や(大菩薩峠を含む)関東山地がフォッサマグナの端なのか内部構造なのかわからない。
フォッサマグナの北部では海底の堆積物、南部では火山の噴出物に覆われていて、その成因が異なることがわかる。
フォッサマグナの北部は、1500万年前に日本海が形成されたとき、東北日本と西南日本の間にできた割れ目(リフト)で、その後堆積物で埋められたものらしい。

日本海の形成がまた、プルームテクトニクス(プレートテクトニクスを引き起こす原因でもあるマントル物質の大循環)によって説明される大事件であって、アジア大陸の沿岸部にあった日本列島の素が、200万年で700キロも移動したという。

1年間あたり35cmだから、『日本沈没』にもリアリティを感じてしまう。
一方、同じく1500万年前、フィリピン海プレート上の伊豆・小笠原弧が南から日本列島に衝突する。

これによって日本沈没は阻止され、南部フォッサマグナが形成されたのだろう。

伊豆の火山島は伊豆半島になり、丹沢山地が形成される。
南からのプレートの圧力で、南アルプスはなお高くそびえ立つ。
沈み込んだフィリピン海プレートをマグマの供給源として、やがて富士山や周囲の火山が形成される。
いやはや、なんとも激動の大地の上に、ワシらは生活しているわけだ。
最近気になっているのは、リニア中央新幹線のこと。

静岡県内を通るけれども停車しないので静岡県民が非協力的だとか言われるけれど、ちょっと違うかな、と思う。

南アルプス北部にトンネルを通すそうだが、そこは大井川の水源なので、大井川の流量に影響が出るのではないかということで、県知事がJR東海に対応を迫っている。
南アルプス北部は大井川の水源というだけでなく、フォッサマグナの西の端、静岡-糸魚川構造線の断層帯である。
『日本沈没』の最初のほうのエピソードで、リニア新幹線の工事が進まず、主人公の友人がそれを気に病んで自殺してしまうというものがある。
日本沈没の予兆となる地形的な変動により、トンネルや橋梁がズレてしまうことが、工事の遅れを招いたのだ。
『日本沈没』はフィクションだが、現実のフォッサマグナは生きている地形である。
断層と付加体、それに火山の集合体の地下にトンネルを掘って、磁場を変動させながら高速で移動する物体を走らせて大丈夫なのか?と思ってしまうのである。

 

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(大菩薩峠から朝焼けの南アルプスを望む。甲府盆地は雲海の下)

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2019/07/02

『富士山はどうしてそこにあるのか』『富士山噴火と南海トラフ』を読んだ

江戸時代の宝永の大噴火から300年。

平均すると30年に1回噴火してきた富士山は、いまも地下にマグマをため込みつつ、不気味な沈黙を保っている……のだそうだ。

噴火のきっかけとなりそうな南海トラフの巨大地震は,2030年プラスマイナス5年あたりに発生する確率が高い……のだそうだ。

地震、津波、噴火、山体崩壊……その災害の規模は、まさに未曽有(みぞう)のものとなるだろう。

 

毎日富士山を見ながら考える。

会社は溶岩に飲まれるかもしれないが、自宅は愛鷹山に守れて大丈夫だろう。

……地震で潰れなければ。

火山灰は東に流れるだろうから、自宅のあたりにはあまり積もるまい。

……雨が降ったら重みで屋根が抜けるおそれはあるが。

等々。

 

家に居れば(潰れなけば)助かる確率が高いが、仕事に出かけたり、山や海に遊びに行っていると、災害に巻き込まれるかもしれない。

といっても、家にこもって過ごすわけにもいかない。

災害がやってくることを気に留めつつも、(還暦過ぎてるけど)老後のために働き、山や海に遊びにいくのだ。

Dsc_1868(写真は香貫山の夫婦岩。たぶん夫のほう。1000万年位前の海底火山の噴出物だそうだが、なんでこんな形になったかなぁ。)

それにしても、大規模な火山活動や地殻変動の話を読んでいると、使用済み核燃料を地層処分するなんて言う話が「冗談」としか思えなくなる。

冗談でなければ、愚かしいファンタジーである。

だって、10万年前には富士山はなかったわけだし、6万年前には箱根が噴火して火砕流が横浜まで達したりしている。

高レベル廃棄物の放射能がバックグラウンド並みになるまで100万年ほどかかるそうだが、100万年前といえば、伊豆海底火山群が本州に衝突したころだ。

伊豆が半島となり、丹沢山地が盛り上がり、箱根や富士山が噴火を始めたのは、その後のことなのだよ。

 

やっぱりたまには地学や生物進化や宇宙SFを読んで、でっかいスケールで地球を見下ろすことも必要だね。

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2019/06/20

『最初の接触』を読んだ

『伊藤典夫翻訳SF傑作選 最初の接触』(ハヤカワ文庫)を読んだ。
ラインスターの「最初の接触」ほか全7編はいずれも1950年代の宇宙テーマSFである。
宇宙へ進出した人類が、異星人やその文明、あるいは不可解な存在と出会う。
今も次々と発表される新しいSFでも繰り返し語られるテーマである。
ただし、さすがに1950年代の作品らしく、宇宙服の電源が超小型の原子炉だったりするのだ。
異星人との接触を描く物語は、相手の科学技術のレベルが地球人より上で、相手が攻撃的か指導的か、という座標軸で表されることが多い。
『スタートレック』のバルカン人は指導的、『宇宙戦争』の火星人や『インデペンデンス・デイ』の異星人は攻撃的、といった具合だ。
ラインスターの「最初の接触」の異星人は、地球人と同等の科学技術レベルで、攻撃的でも指導的でもない、という点で(おそらく当時は)ユニークである。
7編の中で、とくに印象に残ったのはアンダースンの「救いの手」だ。
『宇宙戦艦ヤマト』のガミラス人とイスカンダル人の戦争を地球人が終結させた、というような状況から始まる話である。
『宇宙戦艦ヤマト』と異なり、地球人のほうが科学技術が進歩している。
スコンタール人はガミラス人というより、『スタートレック』のクリンゴン人みたいだしね。
ともかく、科学技術に優れるソル(太陽系)連邦が、スコンタール人の戦後復興は手助けせず、イスカンダル人みたいに優美なクンダロア人にだけ救いの手をさし延べる。
……その後の展開は、『スタートレック』のアンチテーゼのようだ。
宇宙SFというより、現在の発展途上国支援のあり方を見ているようでもある。

作中でも言及されているように、歴史に学ぶことが本当に重要なのだなぁ、と考えさせられた。

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2019/04/27

『トコトンやさしい地質の本』を読んだ

以前から地学分野の本を読んで勉強というか知識の補強に努めている。

火山や地震の本はけっこういろいろ読んだが、「地質調査」とか「地質図の読図」とかいった観点での解説書を読んだことがなかったので、基礎知識を補強しておこうと思って『トコトンやさしい地質の本』(日刊工業新聞社)を読んだ。

内容的には平易で知りたかったことが網羅されていたが、とても不満な点がある。

誤植(というか原稿の入力ミス?)も散見されたが、それはさておき、不満なところは次の2点。

  • 本文がゴシック体であること
  • 本文が縦組なのにツメ組であること

印刷物の本文は、明朝体のほうが読みやすい。

また、縦組の場合はプロポーショナル書体を使わず、ベタ組にするほうが読みやすい。

プロポーショナル書体を使ったツメ組だと、平仮名や片仮名が隙間なく詰めて表示されるため、読むときに視線の速度が一定せず、内容が頭に入りにくい。

プロポーショナルでない、等幅の書体であれば、ベタ組にすると文字が同じ間隔で並ぶので、視線の速度が一定になる。

視線の速度が一定のほうが、変化するよりも読みやすいのだ。

……ということについては、日本工業規格(JIS X 4051)や日本語組版処理の要件(JLreq)に書いてあったように思う。

大丈夫ですか、日刊工業新聞社さん。

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2019/02/08

漱石の個人主義

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夏目漱石の著作(文庫本)を解体してスキャン(いわゆる自炊)しようとして、いやいや、夏目漱石なら青空文庫で読めるじゃないか、と気付いた。
ブラウザでも読めるけれど、電子書籍リーダーアプリを使えば縦組で読めて快適である。

ということで、Google Play ブックスを使って、『私の個人主義』を読んだ。
大正三年に学習院で講演した、その中身である。

現代にも通じる内容で、頗(すこぶ)る面白い。

漱石の個人主義は、要するに「自分の生き方を決めるのは自分」ということであり、「他人の評価を気にするな」「ほっといてくれ」というものである。
そして、自分の生き方を尊重して欲しければ、他人の生き方も認めなくてはいけない、自分の好悪や価値観を他人に押し付けてはいけない、という。

「自分がそれだけの個性を尊重し得るように、社会から許されるならば、他人に対してもその個性を認めて、彼らの傾向を尊重するのが理の当然になって来るでしょう。」

何だかLGBTをめぐる議論とか、そういったものが想起される。

後半は、聴衆である学習院の生徒に向かい、権力や金力を得たときの注意点というか、権力や金力をもつものの義務を語る。

「いやしくも倫理的に、ある程度の修養を積んだ人でなければ、個性を発展する価値もなし、権力を使う価値もな し、また金力を使う価値もない」

何だか「わが国」の権力者とか金持ちとかにも説教して欲しくなりますな。


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2018/10/30

『核攻撃から身を守ろう!』を読んだ

やはり原子力関係の人は、核兵器と「原子力の平和利用」は違うことを強調したいのかなぁ。
ホルミシス効果を持ち出して飯舘村がいちばん健康に良い村かも、とか書いてるし。
だったら、原発推進派の人達はこぞって福島へ移住すればいいのに。

ホルミシス効果については、『放射能と人体』(落合栄一郎著、講談社ブルーバックス)では、否定的だ。広島・長崎の被爆者の調査報告書をもとに、極低線量被曝でもガンによる死亡率が増える傾向にあると推定される。
何しろ内部被曝については、まだわからないことが多いのだ。

さて、この本を買ったのは、本当に核攻撃から身を守ることができるのか、直撃を食らわず生き延びたとして、どうすれば文明を再建できるのか、知りたかったからだ。
しかし、残念ながら満足のいく解答は得られなかった。

直撃を受けず生き延びた場合、約2週間シェルターにこもれば、環境中の放射線量は1000分の1になり、外へ出て活動できるようになるそうだ。
核の冬とか、内部被曝による長期的な影響がなければ、の話である。
非環境科学系、非生物科学系の人は、「一時的な外部被曝」以外の影響を軽視しているように思える。

それはさておき、やっぱり核攻撃から身を守る方法はシェルターかぁ。
確かに、日本では原発事故も火山噴火もあるから、シェルターの必要性も理解できる。
世界中の指導者が正気になれば核攻撃に対するシェルターは必要なくなるが、火山はなくならないからね。
それに、原発をすべて廃炉にしても、放射性廃棄物は残り続けるわけだし。

まぁ、シェルターにこもって生き延びるという選択肢のほかに、世界がしくじったら死んじゃうほうがいい、という考えかたもあるかなぁ。
それも無責任だから、核廃絶のために運動するとか、核軍縮に積極的な候補者に投票するとか、そのほうが建設的だよね。

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2018/07/27

「生産的でない」人を大事にするように進化したのだ

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写真は、アラスカの海岸近くの川で見たサケ。
サケは大量の卵を産むが、産みっぱなしである。
そのため、大部分の卵や子供は死んでしまい、再び産卵のために川に戻って来るまで成長する子供は、ごくわずかだ。
多産多死型の繁殖戦略なのである。

ヒトはサケとは異なり、少数の子供を大切に育てる、少産少死型の繁殖戦略をとっている。
しかも、母親だけが子育てをするわけではなく、周囲の未婚の女性だけでなく、年老いた女性も手助けする。

狩猟採集民の研究によれば、母親の採集した食料だけでは足りない分は、祖母、姉妹、いとこ、おばが手当する。なかでもとくに重要な役割を果たしているのが祖母であり、この経験豊富な先輩採集者は、通常、世話の必要な幼児を抱えていないことも手伝って、きわめて有能な助っ人となる。実際、人間の女性が出産可能な年齢を過ぎたあとまで長生きできるように自然選択が働いたのは、祖母として娘や孫への食料供給を手伝えるからだった、という説もあるほどだ。
(ダニエル・E・リーバーマン『人体600万年史』〔上〕p.133-134、ハヤカワ文庫)

人類は、子供を産まない(産めない、産めなくなった)人を大切にし、その人たちがヘルパーとなるように進化してきたのである。

それなのに、LGBTの人々を「生産的でない」と決め付けるような政治家が、この現代にいるとは。
しかもこの議員、農学部出身だそうだ。
もう、非科学的で恥ずかしいから、農学部卒を名乗ってほしくないと思うのである。

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