2017/03/19

バルス実行確認ダイアログ

アニメ映画『天空の城ラピュタ』を観るたびに思うのだが、滅びの呪文「バルス」は危険なのではないか?

短すぎるので、うっかり言っちゃったりするとマズイから、長くしたらどうかと考えたこともある。
しかし、長いと言い間違えたり、途中でムスカに遮られたりする可能性もあるなぁ。

やはり、delete などのコマンドと同様、確認ダイアログを出すのがよいだろう。

ここで[OK]と答えて初めてコマンドが実行されるのである。


なお、これらのダイアログボックスはJavaScript の標準的な確認ダイアログボックスと警告ダイアログボックスで、タイトルなどはいじっていない。
実装の際にはもうちょっとデザインに工夫が必要だろうね。

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2015/03/21

『SF映画で学ぶインターフェースデザイン』を読んだ

『SF映画で学ぶインターフェースデザイン』を読んだ
SF映画には「ありえない」インターフェースが多い。
情報量が多すぎたり、無意味なアニメーションが表示されたり。

だが、現実のインターフェース改良に役立ったり、新しいインターフェースのヒントになったりするものもある。

『スターウォーズ』の宇宙船の飛行音や射撃音や命中音は本来「聞こえない」はずのものだ。
しかし、これが(観客向けではなく)パイロット向けのものだとしたら、優れたインターフェースかも知れない。

敵機の接近やその方向、ちゃんと弾丸(光線?)が発射されていることの確認、命中したかどうかを、コンピュータが音を合成して知らせるというしくみは、音声メッセージやディスプレイよりも優れている。
メッセージの意味を考えたり、ディスプレイを見たりする必要がなく、ヒトがもともと持っている音源定位能力や感覚を活用できるからだ。

本来の目的に集中するために、「本来は聞こえない音」を合成して目の前の光景に合わせて重ね合わせる「拡張現実(AR)」ユーザーインターフェースは、宇宙船の射撃管制システム以外にも使えそうである。

ヒントはあらゆるところにある。ユーザーインターフェースをデザインするデザイナー/エンジニアに必要なのは、観察力と想像力なのだなあ。

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2014/10/15

胡散臭さの根源

某TV討論番組を見ていて、胡散臭い人たちが胡散臭くなる根本原因がわかったような気がした(個人の感想です)。

テーマは「火山噴火は予知できるか」。
火山学者や防災の専門家は、噴火予知は不可能なので、いかに備えるかが重要だと説く。

議員は予知のために予算も使っており、いずれ可能なはずという。
挙げ句、防災にケチを付ける。
富士山が噴火したら東京に降る何千万トンもの火山灰に対処する必要がある。
「だからといって、何万台ものダンプ(トラック)を、運転手を乗せて待機させとくわけにいきますか」

もちろん、そんなことは誰も言ってない。
火山学者たちは呆れてポカンとしてた。
とんでもない例を持ち出して話をすり替える。
だから胡散臭くなるのだ。

中小企業が電気代の高騰で苦しんでいる。だから原発を再稼働しなければ・・・といった(よく聞く)言説が思い起こされる。
中小企業の経営が苦しい原因は電気代だけではあるまい。
国際競争力の(相対的な)低下、原材料費の高騰、人手不足、技術の継承困難・・・。
妙な景気対策や大企業優遇策のほうが問題ではないのか。

それに、正確に見積れば原発の発電コストは「高い」はずなのだ。
地震などへの防災対策、事故時の補償、高レベル廃棄物処理費用(数百年から数万年もつ施設を造れるのか?)など、発電コストを押し上げる要因は数多い。
それらに言及せず、要するに誤魔化しているわけだから、これまた胡散臭い。

原発から火山の話に戻れば、川内原発の再稼働は「火山の噴火が予知できることが前提」である。
そこで、火山の噴火予知が可能でなければ困るわけだ。

だからといって、予知できないことが前提の防災対策にケチを付けるというのも変な話である。
防災の立場からは、予知ができないことを前提に、技術革新や防災意識の醸成により、少しでも被害を少なくする対策が提示されていたのに、である。
火山灰による通信の障害が問題なのであれば、防塵仕様の通信設備や通信機器の開発・普及といった対策が考えられる。

ガスタービン式の火力発電所や送電線への火山灰の影響も考えられる。
それならば、火力発電所への依存を下げるように、小規模な発電(太陽光・風力・地熱・小水力・バイオマス etc.)を普及させ、スマートグリッドを通じて電力を安定供給できる体制を整えておくべきではないか。
もちろん、降灰時には太陽光発電は役立たずになるだろう。
だが、「電力のインターネット」によって、生き残った発電所が生き残った送電網を使って、最低限度の電力供給を続けることは不可能だろうか?

素人考えではあるが、核燃料サイクルを復活させるための技術開発や投資よりも、よほど「みんなのため」になると思うのだけどねぇ。
既得権のある(=胡散臭い)人の考えは違うのだろうねぇ。

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2014/07/17

ゴジラ vs ゴジラ

NHK BSプレミアムで最初の『ゴジラ』と第二期の『ゴジラ』を観た。

最初の『ゴジラ』のほうがメッセージが明確で良いな。
「反核」「戦争と科学者の責任」というメッセージ。

「長崎で命拾いして東京に来たのに、ゴジラなんて、いやになっちゃう」と若い女性が言えば、連れの男性が「また疎開かなぁ、嫌だなぁ」なんて言う。

対ゴジラ兵器であるオキシジェン・デストロイヤーの開発者は、「この恐ろしい兵器が国家の手に渡ったら、必ず戦争に使われる」として、その開発方法を頭に収めたまま命を絶つ。
「核の平和利用」なんていう政治家の言葉を聞いたら何と言うだろうね。

さて、なぜ、第二期の『ゴジラ』は終盤でぐずぐずになってしまったか……。
非核三原則の堅持のため、首相が米ソに(ゴジラへの戦術核の使用は)「ノー」と言う、なんていうカッコイイところもあったのだが。

やっぱり、妙な兵器を繰り出すせいかなぁ。
ファンでホバリングする重装甲のVTOL機が、対ゴジラ兵器であるカドミウム弾を撃ちつくし、「通常兵器しかありません!」と妙なビームを撃ったりする。
ビーム兵器って通常兵器だっけ?

あと、非常に気になったのが、「生物物理学研究所」に置いてあったティラノサウルスの骨格標本。
しっぽをひきずる古いタイプの復元標本だった。
1984年公開だから、そのころはすでにしっぽを水平に伸ばした復元像が提唱されていた(例えば、マクローリン『恐竜たち 古い竜についての新しい考え』1982年)。
『ジェラシック・パーク』は1993年公開だが、その中で復元されたティラノサウルスの姿と比較すると、だいぶ違う。
ゴジラ自身、しっぽを引きずる古いタイプの恐竜の復元像に基づいてデザインされていたからね。

もちろん、ゴジラは恐竜ではなく異質な怪獣である。
放射性物質をエネルギー源とするため、静岡県(!)の原発を襲う。
ただ、原子炉建屋を破壊し、格納容器を取り出して何をするかと思ったら、抱きしめて「放射能を吸った」らしい。
燃料棒をばりばり食うのかと思ってた。
もちろん、格納容器をバラしてしまったら、ゴジラどころではない大災害になったわけだが。

一方、ソビエトの衛星から発射された核ミサイルをアメリカが(沖縄!の基地から発射した)対ミサイル・ミサイルで迎撃したとき、EMP(電磁パルス)によって電子機器に障害が起こるという描写は、当時の最先端の設定かも知れない。
1976年、ソ連の中尉がジェット戦闘機ミグ25に乗って日本に亡命した。
当時、ミグの電子機器に真空管が使われていたことが話題になった。
ソ連の電子技術は遅れているのか?と思ったら、核爆発に伴うEMPで焼ききれる半導体回路を避けて、真空管を用いていたようだ。
核戦争の際にもミグは「任務」を遂行できるというわけだ。

なんだかなぁ。
やっぱり、怪獣よりも原発や戦争のほうが怖いなぁ。
でも、怪獣や天災は避けられないけど、原発や戦争はなくせるんだよなぁ。

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2014/07/15

雨水ます鉄蓋破損


土曜日、玄関脇の駐車場の雨水ますの鉄蓋(写真下)が割れているのを発見。
日曜日、ホームセンターで300mm径のレジコン製耐圧蓋(写真上)を買ってきた。
しかし、サイズが合わない。

鉄蓋に記された300は外径で耐圧蓋の300は内径(ますの径)なのだ。
ここ30年くらいのうちに規格が変わったのだろうか。

月曜日、会社帰りにホームセンターに寄り、250mm径の耐圧蓋を買ってきた。
ピッタリとはいかないが、なんとかはまってひと安心。

ところで、日曜日にホームセンターに行くとき、CD『image2』収録の「サイダーハウス・ルールのテーマ」を聴いた。
このところソフトバンクのCMで流れているので、通しで聴こうと思ったのだ。
穏やかだが変化を予感させる音楽、ということで、ホームロボットpepper のBGMとして選んだのだろうか。
穏やかだが変化を予感させる映画音楽なら、『アンドリューNDR114』(原作はアイザック・アシモフの「バイセンテニアル・マン」)のテーマ曲のほうが良かったのでは?なんて思ったのだった。

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2014/06/02

映画『藁の盾』から気になった台詞

SPの銘苅(めかり)は刑事の奥村に幼児殺人犯を生かしておいて良いのか、と詰め寄られ心揺らぐ。
しかし、「取り分を半分やる」と言われて返した言葉。

「奥村さん、不思議だな。金の話が出てくると、あんたの言ってることが全部言い訳にしか聞こえなくなる。」

原発にしろ軍備にしろ、推進側の言い分が胡散臭いのは、必ず金の話になるからかもね。

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2014/05/03

風に吹かれて

風に吹かれて
コンクリートの隙間から伸びたヒメツルソバの咲く日々。
もうありとあらゆる草木が伸びちゃうんで今朝も玄関先のローズマリーを刈り込んだ。
先週刈った芝は良い具合になってきて、裸足で庭に降りるのに最適である。
芝生に寝転んで空を見上げ、風に吹かれながら、こんをなでる。

平和っていいなぁ。

ところで、今朝のNHKの連続テレビ小説『花子とアン』のワンシーン。
伯爵令嬢蓮子の復讐を手伝った花子は伯爵の背中に紙を貼る。

「我輩は伯爵様なるぞ。エッヘン」
「家の名は大事だぞ。エッヘン」

要するに「既得権益で威張るなよ」ということだとワシは解釈した。

日本は神の国であるから他の国より尊いのである。だから戦争する権利があるのだ。
……なんていうふうに憲法を変えたがる人たちがいるようだが、その考え方はよくわからん。

ワシには既得権益は何もない。
だから敗戦後、何もないところから世界の手本となるような国家を目指した先輩たちの「目標」に共感するのだ。

「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」
「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」
(日本国憲法前文より)

全力っていう言葉はこういうときだけに紋って使わないとね。

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2014/04/25

『いちえふ』と原発作業員

一昨日、原発作業員によるルポマンガ『いちえふ』を読んだ。

タイベックスーツや防護マスクに身を包み、放射性物質の埃が舞い散り、放射線の飛び交う現場に赴く。
線量の限界に達するため、長時間の作業はできない。
汗まみれで、かゆくなった鼻もかけない。

……等々、現場でなければわからない現実の描写が淡々と続く。

作業員の多くは現地の人たちで、ふるさとを取り戻すために働いている。

だが、原発事故現場の作業には、根本的な問題が内在している。
それは、熟練作業員が「居られない」ということだ。

線量の高い場所で作業を続ければ、被曝線量の限界に達して、現場を離れざるを得ない。
そうして、現場からは熟練作業員が減っていく。

ちょうど今日、NHKスペシャルの『シリーズ 廃炉への道 第2回 誰が作業を担うのか』でも、同じ問題を扱っていた。

廃炉にいたる工程は長い。
30年とも40年ともいわれるその長期にわたり、廃炉の作業にあたる人材を確保できるのか。

40年後、ワシは100歳近い。
廃炉の完了を見届けることはできないだろう。

だいたい、廃炉に伴って大量に発生する放射性廃棄物は、その後何百年も、何万年も残るのである。

40年後に生きていないような人たちが、原発推進を言うのは無責任ではないのかねぇ?
……って、似たようなことを先週も書いたな。

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2014/04/20

NHKスペシャル「シリーズ 廃炉への道」を見た

NHKスペシャル「シリーズ 廃炉への道」を見た。

第1回「放射能"封じ込め"果てしなき闘い」では、40年かかると予想されている福島第一原子力発電所1号機~3号機の廃炉作業の工程と課題を、現場の挑戦を交えて紹介していた。

現場の一つは、フクシマの海。

漁師が小さな娘に問う。
「父ちゃんの仕事、何だと思う?」
「船」
「船で何している?」
「ガレキとったり、魚とったり」
「……ガレキが先にくるかぁ……」

いったいなぜ、こんなことになったのか?

こんなことが起こりうるのに、まだ再稼働とか新設とか言うか?

いいだろう、再稼働とか新設とか言う人には、福島第一原子力発電所の廃炉作業で出るデブリを引き取ってもらおう。
それが嫌なら、再稼働とか新設とか言うな。

もちろん、輸出した原発の廃炉後の核のゴミも、アフターサービスで引き取るんだよね?

まぁ、いま再稼働とか新設とか輸出とか言っている輩は、自分は40年後には死んでいるから関係ない、と思っているんだろうなぁ。

再稼働とか新設とか輸出とか言うということは、要するに無責任な人間であるということを公言しているようなものなのだということに、まだ気付かないのかねぇ?

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2014/03/16

映画『宇宙兄弟』の残念なところ

昨晩TV放映された『宇宙兄弟』、キャストは豪華だし、映像は綺麗だし、原作の雰囲気も残しているものの、ワシの中での評価はイマイチである。

なぜかというと、原作のSFマインドがまったくと言ってよいほど感じられなかったからだ。

南波六太をはじめ、登場する人びとの宇宙への「想い」を描くことに重点が置かれているようで、技術的な細部が割愛されているのが残念である。

科学的に正しくないのでは、というところもいくつかあった。

例えば、南波日々人と同僚のダミアンが月面のクレーターの底に転落したとき。
太陽がクレーターの縁に沈み、日々人の周囲が次第に闇に包まれる。
闇の中、日々人のヘルメットの中の顔だけが、小さく浮かぶ。
映画的には、迫り来る危機と不安を描く方法としては効果的かも知れない。
しかし、科学的には正しくないのではないか。

月の1日、つまり日の出から次の日の出までは、地球の日数で約30日である。
月の昼は15日間続き、夜も15日間続く。
そこで、月の日没は地球の日没の30分の1のスピードで進行するのだ。

そして、日々人がダミアンとともに生還するため、いかに闘ったかについては、映画では描かれない。
その日々人の闘いを助けるために、NASAやJAXAの人びと、とりわけ六太の果たした役割についても、映画ではまったく描かれない。

ヤマトダマシイや根性や「想い」だけでは、困難は解決しない。
地球に居る六太には、月の日々人に向かって「生きろ」と叫ぶのではなく、JAXAの管制室で有益な提案をして欲しかった。

原作でたっぷりと描かれていた、困難を技術的に解決していく爽快感とセンス・オブ・ワンダー(「そうだったのか!」「そうきたか!」という感覚)がなかったことが非常に残念なのである。

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