2019/09/13

台風15号と『天災と国防』

日曜の夕方、風が強くなる中、ちょっとだけ庭の手入れをした。
いっしょに庭に出たはずの、こんが見当たらない。

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カキの木の根元、コブナグサとブラックベリーの茂みの中にいた。
風が不快だったのだろうか。

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その後、公園まで散歩に行ったから、風の中を歩くのは嫌いではないようだが。

さて、日曜深夜にウチの東方を抜けて行った台風15号は、関東地方に大きな被害をもたらした。
いまだに停電や断水で苦しんでいる方も多い。
千葉県にはしばらく住んでいたので土地勘があり、また知人もいるので心配である。

しかしまぁ、台風という「頻繁にやってくる自然災害」に対し、現代文明とはなんと脆弱なことか……などと考えていたら、寺田寅彦の『天災と国防』という随筆を思い出した。
そのことを書こうと思っていたら、天声人語に先を越された。

仕方がない。
天声人語で触れていなかったところを指摘しよう。
青空文庫から引用する(「天災と国防 青空文庫」で検索すると即座に見られる)。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000042/files/2509_9319.html

「戦争はぜひとも避けようと思えば人間の力で避けられなくはないであろうが、天災ばかりは科学の力でもその襲来を中止させるわけには行かない。(中略)それだから国家をおびやかす敵としてこれほど恐ろしい敵はないはずである。」

あぁそれなのに。
マスコミはニュース速報で「憲法改定が悲願」とか言う内閣改造を伝え、台風被害は後回しだ。

「憲法を変えて戦争のできる普通の国に」なんて言う政府は要らない。
気象現象が極端になり、大震災や大規模火山噴火も心配される昨今、災害への備えが充分で、即座に対応ができる社会・体制が欲しいと思うのである。

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2019/08/27

このごろの休日の過ごし方

土曜日、晴れ。

午前7時起床、朝の散歩の後、朝食。

部屋と風呂を掃除して、買い物(その間に上のムスメを駅まで送ったり)。

こんはその間、じっと我慢。

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昼食後、1時間ほど昼寝。

駐車場が日陰になるまで、下のムスメが買った漫画を読んだ。

洗車をしようと立ち上がると、こんは外へ連れて行ってもらえると思って騒ぎ出す。

玄関先のポストの支柱にリードをつないで、その横で洗車を開始。

1台目を洗車している間に、こんは飽きて庭へ。

3台の洗車を終えるころ、午後5時のチャイムが鳴った。

日も傾いたので、散歩に出かける。こんは大喜び。公園を一回り。

カミさんと夕食を作り、ノンアルコールビールを飲んで風呂に入り、寝た。

日曜日、晴れ。

午前7時起床、朝の散歩の後、朝食。

部屋と風呂を掃除。気になった排水口の蓋を集中的に掃除。

こんはその間、じっと我慢。

昼食後、1時間ほど昼寝。

午後4時、庭が日陰になったころを見計らって、草取り。こんも一緒に庭に出る。

伸びすぎたリュウキュウアサガオのツルを切り、メヒシバやエノコログサを抜く。

蚊取り線香を焚いたのに、蚊に食われる。こんが腹をなでてというので、手袋を外したら、その手を食われる。

午後5時のチャイムが鳴ったのを機に草取りを切り上げ、こんと散歩に出かける。

公園を越え、どんどん山のほうへ行こうとするので、途中で引き返す。それでも1万歩を超える。

こんはいったい何万歩あるいたことになるだろう? 14歳になるのにえらく元気だ。

夕食を食べて風呂に入り、寝た。

休日は夕方に散歩に出かけるので、夜に出かける必要がなくて、ちょっと楽だ。

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2019/08/12

こん14歳

今日こんが14歳になった。人間の年齢なら72歳に相当するそうだ。

顔が白くなったが、まだまだ見た目は若々しい。昨日散歩した時には、少し疲れやすくなったかなぁと思った。

まだまだ元気に散歩や山歩きをしたいものだ。

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さて、昨日散歩した公園では、セミやミミズの死屍累々で、足の踏み場に困るほどだった。

ただ、セミとミミズでは、その死に至る様相がかなり違うのではないかと思った。

セミは寿命が尽き、うまくいけば子孫を残して、いわば満足して死んでいくのである。

それに対してミミズは、土が乾いてしまって水を求めて地上に出たか、あるいは逆に雨で水浸しになって空気を求めて地上に出たか、どちらにせよ舗装の上から土の中に戻ることができず、苦しみながら(無念な想いで?)死んだのだろう。

このところの猛暑の影響だろうか、ミミズのほかトカゲや小さなヘビの死骸もあった。

そうした死骸は、舗装(インターロッキング)の間に巣を作っているアリが砂や土のかけらで覆い、やがて巣の中へと持ち帰る。

セミやミミズの死はアリの生命を育み、あるいは土となって緑を育てる。

命は巡る。サークル・オブ・ライフですな。

それはさておき、ワシは人生の折り返し点をとうに過ぎた。願わくば無念に想わず、満足して死んでいきたいものである。

なんてことを、誕生日に考えるようになっちまったなぁ(こんの誕生日だけど)。

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2019/08/11

分類について

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なんか3年位前から庭のあちこちに生えてくるこの栽培植物、なんだろうなぁと思いつつも放置していた。今日、カミさんに名前を聞かれて、ようやく調べる気になった。

日本の野生植物、とくに草本ならだいたい科は全部把握しているし、属の見当ぐらいはつくのだが、栽培植物(園芸植物)は未知の科だったりして勘が働かない。そこで、Googleレンズを使ってみた。Googleフォトに写真をアップロードし、「レンズ」アイコンをクリックして検索させたのだ。

写真は適当に撮ったものなのでピンボケだったのだが、「シュッコンハゼラン」がヒットした。宿根爆蘭、または爆蘭(ハゼラン)、三時草(サンジソウ)というらしい。南米原産の多年草(日本では一年草?)で、実が線香花火のようなので「爆ぜ」蘭なのだそうだ。

ネットやAIを使うと、植物の同定も楽だねぇ。図鑑を片っ端からめくるなんてことは必要なくなるのだろうか。ボーナスはたいて買った「日本の野生植物」とか「日本原色雑草図鑑」とかはどうしたもんだろう。

それはさておき、同定して種の名前を明らかにし、生物の分類上の位置を特定することは、学問上は重要なことではあるが、じつはあまり本質的なことではないのではないか、と思うことがある。生物は常に進化し変化していくものであるから、生物の分類とは「現在」という一瞬におけるスナップショットについて論評するようなものだからだ。

大学生の時、進化学の教授に「タキソニアンになるな」と言われたことを思い出す。タキソン(taxon)とは分類の単位のことで、タキソニアンとは分類することだけを重視し、分類することで満足してしまう人のことだ。

分類するのは生物学者だけではない。ヒトは分類したがる生物なのかもしれない。しかし、敵とか味方とか、負け組とか勝ち組とか、優秀とか劣っているとか、生産的とか非生産的とか、とにかく分類してラベル(レッテル)を貼ってそこで思考を停止してしまってはならないと思う。

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さて、こんの写真をGoogleレンズで調べてみたら、2番目に「柴犬」が出てきたが、1番目は「ニューギニア・シンギング・ドッグ」だった。

パプアニューギニアの野生犬で、絶滅危惧種だそうである。

もともとアジアのオオカミに近い日本犬に、いろいろな犬種の血が混ざると、野生犬ぽくなるのだろうか。

3番目が「ディンゴ」(オーストラリアの野生犬)だったしね。

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2019/06/15

雨宿りしていたダンゴムシを脅かす

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梅雨に入ると散歩が面倒だ。雨具を着なくてはならないし、こんは濡れるし。

でもまぁ、いろいろ発見がある。昨日はウシガエルの声を聞いたが、昨年まではいなかったような気がする。

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2019/05/11

花咲く緑の野を抜けて林の中へ散歩

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昨日(金曜日)、病院に行く都合があったので会社を休んだ。

よく晴れていたので、こんと一緒に1時間ほど散歩。

犬と散歩できるのに、病院へ行くとはどういうことか?

じつは血液検査の結果がいまいちなので、予防的な投薬治療を受けているのだ。

むしろ運動はどんどんしなければならないのである。

というわけで、愛鷹運動公園からその上の高台まで登った。

草の広場にはブタナやマツバウンランが咲いていた。

ヘビイチゴの実を摘んでいる年配の女性たちもいた。

どうやらヒノキの開花時期も過ぎたようで、くしゃみに見舞われることもなく、テルペンの香りを嗅ぎながら山道を登ることができた。

新緑の林の中の散歩はじつに爽快である。

もっと頻繁に出かけたいが、休日と天候の都合がうまく合わないと、爽快さを味わえないからなぁ。

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2019/03/20

早春平日山歩き

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午後に病院に行く予定があったので、休暇を取り、昼まで山歩き。
病人のくせに山歩きするのか?と思われるかも知れないが、検査と予防のために病院に行くのだ。
さて、この時期の山は、スギ花粉を避けなければならないので厄介だ。
よく行く愛鷹山はスギとヒノキの林がたくさんあるので、論外。
そこで香貫山に行くことにした。
早春の明るい林床にはタチツボスミレがたくさん咲いていた。
何やらテルペンのような刺激的な匂いがするなぁと思ったら、ヤシャブシの花だった。
サクラも品種によっては咲き始めている。
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こんと一緒に約1時間歩き回り、昼前に下山した。
下山するとき、こんが階段状の山道でもたついていた。
まぁ、歳だから仕方ないね。
今回、こんの車への載せ方を変えてみた。
歳だからか、落ち着いて座っているので、こういう簡単な載せ方で大丈夫になったようだ。
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2018/08/21

こん68歳?

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こんが13歳になった。
人間の年齢に換算すると68歳に相当するのだそうだ。

イヌは生後2年でヒトの24歳相当になり、以後毎年4歳ずつ歳をとる。
「季節ごとに歳をとるんだね」とカミさんが言った。

こんはまだまだ元気だから、また山へ連れて行こう。

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2018/04/13

こんを海に連れて行った

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持病の薬を処方してもらうために、会社を休んで病院へ行った。
その後カミさんと一緒に、こんを連れて海に行った。

じつは、こんが海を見るのは、12歳にして生まれて初めてである。
一度は波打ち際まで行ったものの、波の音が怖かったようで、すぐに防波堤の上まで戻った。
石ころの多い海岸より、松林の中を散歩するほうが楽しかったようだ。

この何ヶ月かのうちに、こんは車で出かけることが楽しくなったらしい。
車の準備をしていると、連れて行って欲しくて大騒ぎする。
キューキュー鳴いて立ち上がり、前足をかけてくるのだ。

若い頃は車に弱くて30分で酔ったのに、今はよだれもあまり垂らさない。
自分から車に乗りたそうな素振りすら見せるのだから、また山にでも連れて行ってやろうか、と思うのだ。

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2018/04/10

ヒトの習性に関する考察

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朝の散歩で家の近くまで戻って来たとき、こんは三差路の真ん中に座り込み、しばらくじっと「観察」する。
住宅地を縦横に横切る道を通る人や車を、飽きるまで見ているのだ。
そしてもちろん、ネコでも横切ろうものなら駆け出す。

一緒に散歩していた娘に「十字路に座って人を見る、というオオカミの習性を受け継いでいるのだろうね」と言うと娘は「柴犬はオオカミに近いっていうからね」と言った。
こんは純粋な柴犬ではなく、何かしら洋犬の血が混じっているが、オオカミの習性を受け継いでいることは確かだ。

「ヒトには、遺伝的に決定されている習性って何かあるの?」と娘に訊かれたので、ちょっと考えた。
「出来事に原因があると思い込むことかなぁ」。
夜になって腹が痛くなったのは、昼間に食べた木の実のせいだろうか、とか。

これが科学的思考の「もと」だが、同時に迷信の要因でもある。
狐憑きだとか先祖の祟りだとか。
原因が明らかになっていない出来事にも、何かしらの原因をこじつけてしまうのである。

もちろん、出来事に因果関係を求める習性、というか能力は、ヒトだけの特質ではない。
霊長類、というかサルの仲間は因果関係がわかっているからパズルを解いてご褒美をもらうという実験ができる。
その点では、ネズミだってハトだって出来事に原因を求める。
たまたま妙な動きをしたときにご褒美をもらえたので、ご褒美欲しさに踊り狂うハトの動画を見たことがある。

ただ、ヒトはその程度が過ぎていて、喧嘩や戦争にまで発展するから厄介だ。

宗教も、結果に対して原因を求めるところから発生した、と言えるかも知れない。
こんなに生きていくことが辛いのは、前世の報いなのだ、とか。
こんなに生きていくことが辛いのは、魂を清めるための試練なのだ、とか。

「じゃあ、動物にも宗教があるのかなぁ」と娘が言った。
「いや、宗教には抽象化したコミュニケーションが必要だから、言語を持っていないとね」

だからひょっとすると、イルカやクジラは宗教を持っているのかも知れない。
来世での救済などではなく、生を謳歌することを是とする宗教を確立していたら、教えて欲しいもんだなぁ、などと思った。

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