2022/06/11

異星人による地球侵略の可能性

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散歩のたびに泣きそうになってしまう毎日であるが、それはさておき(写真は2020年10月の香貫山にて。以下の文章とは、まったく関係がない)。

アメリカ国防総省がUFO(未確認飛行物体)を調査しているという(https://www.bbc.com/japanese/59411997)。
もちろん、UFOが異星人の乗り物である可能性は限りなく低い。
レーダーの画像に残された異常な運動をする「物体」は実体ではなく、妨害電波などにより生成されたものなのかもしれない。
もちろん、ペンタゴンは妨害電波の発信元は異星人ではなく、ロシアか中国だと考えているだろう。

異星人が地球にやってくる可能性はあるのか?
そしてその異星人は友好的だろうか?敵対的だろうか?

映画『コンタクト』では、地球人が発している電波(意図的に宇宙に向けたものではなく、漏れ出たラジオやテレビ放送の電波)を聞いた異星人が、信号を送り返してくる。その信号を受信するシーンにはドキドキするし、受信した内容にはビックリするのだが、ここには書かない。映画をご覧いただきたい。
もちろん、この映画の原作者はカール・セーガンだから、異星人は善意の存在である。

だが、異星人が存在するとして、善意の存在であるとは限らないのではないか。
SF小説『三体』では、宇宙に向けてメッセージを発信したことから侵略が始まってしまう。その侵略の方法がまた奇想天外なのだが、ここには書かない。小説をお読みいただきたい。

おそらく「UFO=空飛ぶ円盤」と思っている人は、こう考えるのではないか。
恒星間の深淵を超えてやってくる異星人は、地球人よりもはるかに技術的に進んでいるのだから、きっと倫理的にも高潔で、友好的なはずだ、と。

だけどねぇ。
環境汚染や資源の枯渇、地球温暖化、パンデミックなどの危機に対して、世界中の国々が結束して立ち向かわなければならない21世紀なのにねぇ。
曲がりなりにも「大国」とされる国が、国連の常任理事国が、隣国に侵略するといった、信じられないことをやっちゃうのだからねぇ。
核兵器の使用を脅し文句にしたり、化石燃料の供給停止を人質代わりにしたりして。
なんだかなぁ。
科学技術が「進歩」しても、脳の構造は狩猟採集生活のころから「進化」しないわけだから、進んだ文明だからといって、高潔とは限らないよねぇ。

異星人が存在しているとしたら、そしてその精神構造に少しでも地球人に似たところがあるとしたら、いくら技術的に進んでいても、地球侵略はあり得るかもなぁ。
もちろん、生命の発生そのものが稀な現象なら、異星人による地球侵略の可能性はまず、ない。

小惑星探査機「はやぶさ2」が持ち帰った「りゅうぐう」のサンプルからアミノ酸が見つかった(https://curation.isas.jaxa.jp/topics/22-06-10.html)。
原始地球上ではアミノ酸の生成が難しいと考えられることから、地球の生命の起源は小惑星であるという可能性がある。
このことから、宇宙には生命が溢れていると思ってよいのだろうか?

アミノ酸が存在するだけでは、自己増殖する「生命」にはならない。DNAやRNAのような遺伝物質と出会うことが必要だ。
ひょっとしたら、冷えつつある原始地球上で生成されたRNAと、小惑星からもたらされたアミノ酸が結びついて、最初の生命が誕生したのかもしれない。

そうすると、たまたま地球上にRNAが存在する時期に、たまたま小惑星が落ちてきて、たまたま焼け残ったアミノ酸が地上まで到達し、たまたまRNAとアミノ酸が結びついて、たまたま生命が誕生した、ということになりはしないか?
その「たまたま」が起こる確率はどれくらいだろう?
ひょっとしたら、ひょっとして、この宇宙において、生命は稀なものなのだろうか?

生命が稀なものだとすると、「異星人の侵略という人類の存立危機事態に備えるため、地球人の間で争っている場合ではない、協力しなくては」という国際社会の動きは期待できない(『三体』では国連が活躍するのだが、その活躍の仕方がまた奇想天外である)。
まぁ、地球温暖化やパンデミックを前にして、協力ではなく分断を選ぶような人類だから、異星人がいようがいまいが関係ないか。

生命が稀なものだとすると、国家間の争いによって地球環境を悪化させることなどもってのほか、と思うんだけどなぁ。

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2022/03/20

風評被害

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2022/03/11

科学の限界

3月に入って一週間も経つと、メンタルをやられる(精神的にダメージを受ける)。
春の訪れを感じる芳しい季節のはずなのに、人は去り、傷つけ合い、あるいは病み、自然はときに牙を剥く。

77年前の3月10日、ゼリー状にしたガソリンを詰め込んだ油脂焼夷弾(ナパーム弾)が東京を火の海にした。
木と紙でできた日本家屋を効率的に焼き払えるようにと、科学的・実験的に検証した後に空襲に用いられたという。

こんにち、爆弾に詰め込んだ燃料をいったん気化させ、その後に爆発的に燃焼させる燃料気化爆弾(サーモバリック弾)を、ウクライナに侵攻したロシア軍が用いたらしい。
爆発に伴う衝撃波(爆風)の及ぶ範囲が通常の爆薬よりも広く、また高温と真空(空気の希薄化)、酸素の燃焼による窒息死などにより、人体に対する影響も大きい。
戦車などの車両内にいる兵士や、防空壕の中の民間人も効率的に殺傷できるそうだ。

軍事に応用された科学は、破壊と殺傷の効率化をもたらし、平穏と調和を望む人間性を敗北させるのだろうか。
軍事侵攻なんてことを実行に移してしまう人間の心理を(そういうバイアスがあることは科学的にわかっているが)、穏やかなほうへコントロールすることはできないのだろうか。

11年前の3月11日、東北地方太平洋沖地震が発生した。
想定外の地震と津波の被害を目の当たりにして、地震学者たちは「地震の予知など不可能」と改めて思ったという。
そして最先端の科学技術により(いつの最先端だよ、というツッコミは置いといて)安全が保証されているはずの原子力発電所がメルトダウンし、水素爆発によって(単純な水素爆発ではないらしいが)放射性物質を撒き散らした。

こんにち、ウクライナに侵攻したロシア軍はチェルノブイリ原発とザポリージャ(ザポロジエ)原発を攻撃、占拠し、IAEAへの監視データ送信が停止している。
プーチン大統領もラブロフ外相も、核兵器の使用をほのめかして西側諸国(冷戦時代の用語かよ!)を脅している。

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地殻変動や地震・津波についての研究が、プレートテクトニクスに基づくようになってから、まだ半世紀である。
ワシが高校生になるころまでは、「なんらかの力が働いて土地が隆起した」とか「なんらかの力が働いて断層が動き、地震が起こる」とか、そんな説明が教科書に載っていたのだ。

だから、地震の予知や津波被害の正確な予測ができないことは、科学の敗北ではないし、これが科学の限界とは言い難い。
そもそも「科学的」というのであれば、絶えず検証し、定説を覆し、より妥当な仮説を構築して、結果を確率論的に推定することしかできない。
それ以上のこと、たとえば「安心安全」を保証することはできない。

科学的な(つまり捏造されたものや意図的に選択されたものでない)観測事実と、科学的な(思い込みや一方的な主張でなく多くの人によって検証された)仮説に基づいて判断し、行動すること。
そして、思い込みや一方的な押し付けを排除することで、互いを尊重する社会をつくること。
これが過去の人類の悲惨な歴史から学んだ、現代に生きるワシらの行動指針のはずなのだが。

過去の苦難や現在の悲惨な状況や将来起こるであろう危機に対し、科学技術だけで対応できるわけではないだろう。
過去についてどのように評価するか、現在の状況をどのように判断するか、将来をどのように構想するかについて、科学的な手法は必要であり有効だが、その評価・判断・構想を行うのは「人」である。
ということは、その「人」の認証バイアスによって歪みが生じうる、ということである。

たとえば、核兵器の原料となるプルトニウムを産み、自然・人為の災害や戦争による破壊の危険があり、ちゃんと運用できたとしても大量の放射性廃棄物を十万年単位で残す原子力発電所。
「科学的」に判断すれば、運用停止・廃棄するのが妥当という結論に至りそうなものだが……。
それなのに、(対ロシア制裁に伴うエネルギー不足への対応として)原発の再稼働を求めたり、(防衛力増強と称して)潜在的核保有の有用性を語ったり、地震・津波・火山噴火による被害を過小評価したりする人がいるのはなぜか?

科学の限界は、「人は誰もが科学的に考えられるわけではない」ところにあるのかもしれない。

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2022/01/15

オミクロン株は「まだ」風邪ではない

COVID-19(新型コロナウイルス感染症)について、ナショナルジオグラフィックに「オミクロン株はなぜ感染しやすく、重症化しにくいのか、最新研究」という記事が乗っていたので、気になったところをピックアップしておく。
まぁ、自分用のメモのようなものである。
今後明らかになったり、書き換えられたりすることもあるだろう。

重症化しにくい。

肺炎のような症状や免疫系の暴走が見られる患者は減っているそうだ。
ただし、高齢の人、基礎疾患のある人、免疫力が低下している人、ワクチン未接種の人は感染しやすく、重症化の要因となる。

重症化しにくいからと言って甘く見てはいけない。

たとえ病院に行くほどではないにせよ苦しい思いをし、入院したり死亡したりする人もいる。

感染しやすい。

オミクロン株はデルタ株の2〜4倍うつりやすい。

肺の細胞に感染しにくく、上気道に感染しやすい。

上気道(鼻や副鼻腔)ではデルタ株の100倍以上の速さで複製される。

検査の方法が変わるかもしれない。

PCR検査では、デルタ株の場合は鼻腔ぬぐい液を検査するほうが正確で、オミクロン株は唾液検査のほうが正確。
鼻腔ぬぐい液を用いる迅速抗原検査では、オミクロン株の感染を特定するのに時間がかかる。PCR検査で陽性になってから数日後に抗原検査で陽性となる。

(ということは、オミクロン株に感染している場合、感染の初期には抗原検査では検出できないのかもしれない。)

主に飛沫感染する。

ものの表面から感染する可能性は低いので、手洗い、フィジカルディスタンスの保持、(不織布)マスクの着用が有効。

後遺症(long COVID)については不明。

まだわからない。長期的に継続する症状を引き起こすかどうかが明らかになるのは数カ月後になるだろう。

(ということは、現時点で「オミクロン株はただの風邪」と言ってしまうのは時期尚早だということだ。)

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2022/01/09

お勉強ができるだけでは、頭がよいことにはならない

国土交通省の統計不正は言語道断、まったくもって国辱的な不正行為であるが、なんで難しい試験を通過した国家公務員や地方公務員がこんな馬鹿なことをしてしまうのか?

統計において最も重要なことはサンプリングと、サンプリングによって得た生データであることについては言うまでもない。
そのデータを改ざんしてしまうなんてことは信じがたいことだが、今回はその話ではなく、昨日の朝日新聞の記事を読んでびっくりした件について。

朝日新聞1月8日朝刊の社会面、「どうみる統計不正」というコラムで、元官僚の田口勇氏が次のように語っていた。

「労働災害発生状況」という統計の作成を担当していた時、集計に非常に苦労した。前任者がエクセルが苦手で、過去のデータが整理されていなかったためだ。

はぁ? エクセルが苦手だと? そんな人が官僚をやっているのか?

人には得手不得手があるから、エクセルが苦手な人がいても構わない。
だが、エクセルが苦手だと言ってちゃんとデータを処理できない人が官僚をやっちゃいけないだろう。

IT立国の官僚として不適切であり、ワシの納めた税金で禄を食む資格はないぞ。
少なくともワシより30年くらい遅れているのだからな。

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ダニング=クルーガー効果、という心理学的な仮説がある。
能力が低い人は自分の能力を過大評価する、という認知バイアスが働くそうだ。

難しい試験に合格しても、それはお勉強ができるというだけのことであって、頭がよいというわけではない。
官僚の皆さんは夜郎自大に陥ることなく、ダニング=クルーガー効果を考慮して謙虚に仕事をしてほしいものである。

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2021/12/29

ウイルスとの「共生」

もう16年も前のこと、「ウイルスは恐怖の対象か」という記事を書いた。
日経サイエンス2005年3月号のコラムに、われわれ真核生物の核の起源はウイルスではないか、という仮説が載っていたので、それを紹介したものである。

マンガにすると次のような具合である。

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何十億年前の出来事かわからないが、すでに人類のはるか祖先の時代から、ウイルスとは共生しているのではないか、という話。

さて、2021年12月26日朝日新聞朝刊に、「(新型コロナ)コロナ2年、世界が学んだ共生 長崎大熱帯医学研究所・山本太郎教授」という記事が載っていた。

う~む。この記事、「共生」という語句、そして「ウイルス 根絶めざすのではなく」という見出しだけ見ると誤解を招くのではないかと思う。

最初に挙げた、細胞内で共生するような極端な場合でなくても、人類はウイルスとは共存せざるを得ない。

いずれCOVID-19の病原ウイルス(SARS-CoV-2)のほうも、人類と共生するように進化し、罹患しても風邪程度になるだろう。

だがそれは、現在流行中のオミクロン株において、ではない。
来年や再来年という話ではない。
山本教授は「10年後には明らかに、感染しても軽症ですむ、いわゆるかぜコロナに変わっているでしょう」と予測している。

ワシの個人的な感想だが、現在の状況で、「ウィズコロナ」などというのは間違っていると思う。

現在のところは、新型コロナウイルスをゼロにするという意味ではなく、感染症の脅威をゼロにする、という意味で「ゼロコロナ」を目指すのが正しいと考える。
もちろん、そのために必要なのは、検査による実態把握、感染者の保護、早期の治療、感染予防などの手段であり、人類社会における、人間同士の共生である。

オミクロン株の感染拡大は、先進国だけワクチン接種を進めても、途上国を置き去りにしては無意味であることを物語る。
ウイルスに国境はなく、特定の国からの渡航者を遮断しても、水際対策にならない。

まして、地位協定のような例外処理を作ってしまっては、バックドアが開けっ放しのセキュリティシステムと同じで、感染対策にもなんにもならない。
国とか軍事同盟とか人種とか、そういったもので壁を作って他者を排除するのではなく、共存共生することを、人類は学ぶ必要がある。

さもなければ、今後何度も訪れるであろうパンデミックを超えて生き残ることはできないだろう。

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2021/10/06

科学とコンピュータ

プリンストン大学上席研究員の真鍋淑郎さんらがノーベル物理学賞を受賞。ということでマスコミや政治家は「日本人がノーベル賞を受賞」とか言ってはしゃいでいる。

真鍋さんは日本の出身だが、国籍はアメリカ合衆国である。はしゃぐのは何かおかしくないか?

今日のプリンストン大学での会見では、アメリカで研究しアメリカ国籍を取得した理由について、日本では協調を求められるし、コンピュータも自由に使えなかったからだと述べていた。日本での研究は不自由で、忖度とかは真っ平御免、ということだろう。
日本でも科学者はもっと政策に関わるべきだし、コミュニケーションが行われることが重要だとも述べていた。
そのあたり、学術会議に口出しするような政府(あー、前政府か?)はどう思うのかね?

受賞理由は「地球規模の気候変動モデルを構築し温暖化予測に貢献したこと」であり、選考委員は気候変動を物理学で説明できる科学的なモデルにしたことが重要だと言っていた。
地球温暖化を気のせいだとか自然現象だとか言って真面目に取り組もうとしない指導者たちに、科学的に考えろよ、とメッセージを送っているわけである。

さて、真鍋さんはコンピュータを自由に使える環境で気候モデルを作り上げたわけだが、それが1960年代である。そのころ、日本では大学のコンピュータ環境はどんな具合だったのか……。不自由だったことは確かだが。

1970年代後半、ワシが大学生の頃も大学の電算機室に鎮座するコンピュータは、誰もが自由に使えるものではなかった。学生が使うなんてことは論外で、教授ですら順番待ちだった。

ワシが所属していた作物学研究室には小型のコンピュータがあったのだが、プリンタ付きの大型のプログラム電卓のようなものだった。ディスプレイがなく、出力はレジのレシートのような感熱紙ロールだけ。教授が組んだ統計計算(分散分析とかt検定とか)のプログラムを起動し、データをテンキーで入力した。

調査項目の1項目、例えば「種子の重さ」とか「茎の長さ」とかを、野帳(フィールドノート)を見ながら100件入力したら、入力したデータと、平均や分散やt検定などの計算結果を出力する。そして、その入力データに誤りがないかを、野帳とレシート(のような出力紙)を対照してチェックする。入力ミスがあったら、100件すべてを最初から入力し直しとなった。だから入力時には必ず相棒を見付けて、野帳に記録した値を読んでもらい、復唱しながら入力する必要があった。

その小型コンピュータすら、研究室内の順番待ちでイヤになり、卒論のデータ集計が本格化する前に、プログラム電卓の購入を決意した。

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カシオのプログラム電卓、FX-502Pである。プログラムを組むことができる関数電卓なので、型式名に fx(関数)とプログラミングの P が入っている。卒論では二元配置分散分析が必要だったので、付属の『プログラムライブラリ』を見ながらポチポチとキーを打ってプログラムを組んだ。

これで順番待ちを気にすることなく、何度でも入力し直して、結果をチェックできるので助かった。しかも、誰の手もわずらわせることなく、深夜だろうといつだろうと……。

じつはこの電卓、現役で、まだ使っている。購入したころは、電卓の表示部はネオン管が主流で、FX-502P は液晶表示の「はしり」であった。 「液晶なんて、5年もすると劣化して見えなくなる」というウワサがあったが、なんのなんの、40年以上不都合なく使えている。

研究室で、このプログラミング電卓でデータ入力や統計処理をやっていると、助教(当時は助手といった)がやってきてこう言った。

「いいなぁ、今の学生は電卓があって。オレが学生の頃は、手回し計算機だったからなぁ」

科学がコンピュータなしではやっていけなくなってから、半世紀も経っていないのだね。

そして今、ワシはこう思う。

「いいなぁ、今の学生は Excel とかスプレッドシートとかがあって。ワシが学生の頃は、電卓だったからなぁ」

現在のパーソナルコンピュータの性能は、1970年代のコンピュータの何倍だろうか。それに、カメラやセンサも使い放題だから、データの取得から分析まで一気通貫にできるだろう。

コンピュータの性能は著しく向上し、誰もが高性能の超小型コンピュータ(スマートフォンと呼ばれている)を持つ時代となった。

そのコンピュータを手にしている人々は、半世紀前と比べてより科学的な思考ができるようになっている……だろうか?

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2021/05/12

生物の生態や進化に関する非目的論的思考について

昨日載せそこなった「緑」の写真(散歩の途中の近所の公園の植え込み)。

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緑色に見える植物が、緑色の光を使っていないことをご存知だろうか。

植物の葉は赤や青の光を吸収し、緑色の光を反射するので、緑色に見える。

赤や青の光を吸収して光合成に利用して、余分な緑の光を通過させるので、木漏れ日は緑色だ。

より効率的に光合成する「ため」には、緑色の光も使ったほうがよさそうだが、そうなっていない。

たまたま数億年前、植物が光合成に使い始めた色素が葉緑素(クロロフィル)で、今日までとくに不都合がなかったから、あるいは他の感光性色素に切り替えるコストが高いから、こうなっているのだ。

生物の生態や進化について考えるとき、「~のため」という目的論的思考は排除しなくてはならない。

生物の生き方や進化に目的や方向性はなく、生物の世界は(というか宇宙は?)偶然と確率が支配しているからだ。

だから最近テレビの報道番組などで聞く「ウイルスは宿主を殺すと生存できないので、変異して弱毒化する」という言説には違和感がある。

ウイルスが変異によって弱毒化するか強毒化するかは、わからない。感染力が強くなる変異株が生き残るのは確実だが。

感染力を増した変異株が強毒化して、宿主(人類)ともども絶滅してしまう可能性もある。

数年後か数十年後か、運よく弱毒化したウイルスだけが蔓延した島とか奥地とかに生き残った人類がいたとしたら、「SARS-CoV-2も変異して弱毒化したね」と言うだろう。

要するに、ウイルスは長いタイムスパンを経て、「結果として」弱毒化するのだ。パンデミックの最中にある現在、急速な弱毒化は期待できない。

ウイルスは「弱毒化しよう」などと思って生きているわけではないのだから。

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2021/05/11

木々の緑のまばゆい光の夏、気分が重いので更新が滞る

東京などでは緊急事態宣言が継続され、医療体制は危機的な状況。

コケて救急車のお世話になったら申し訳ないと思うと、山にも行けない。

それなのに日本のCOVID-19感染者数のグラフについて、「さざ波」と評する政府の人間がいるという腹立たしさ。

日々の数ではなく、こういうトレンドの立ち上がり方を見て、それでも「さざ波」というか?(グラフの出典は札幌医科大学医学部 附属フロンティア医学研究所 ゲノム医科学部門

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ワシには津波にも見えるぞ(日本は下から3番目の曲線で、最近の立ち上がり方はインドに次いで急なのでは?)。

そして何よりも1万人を超える死者やその家族に思い至らない輩が国政の中心にいることが、変異株よりさらに脅威である。

いったいどうしてこれでオリンピックなぞできると思うのか。

板挟みにされる選手もかわいそうだから、そろそろ決めろ、と言いたい。

いっそ、金と権力に汚染されたオリンピックは、全世界のCOVID-19が終息するまで停止してはどうか、とすら思う。

そしてアスリートを利用しての金儲けや人気取りを考える輩から、アスリートとアスリートを支援・応援する人々の手に、オリンピックを取り戻そうではないか。

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2021/04/01

エイプリルフールではありません

NHKなどの報道によると、気象庁は今後、東北沖巨大地震の震源周辺で発生する地震について、「余震」という表現は使わないそうだ。

もちろん、4月1日の報道発表だからといって、エイプリルフールではない(ちなみに、気象庁のサイトを見に行ったら、報道資料がPDFだった……リンク張れないじゃん)。

じつは気象庁は2016年の熊本地震以後、「余震」という言葉の使い方を変えている。

大地震後の地震活動(余震等)について」から引用する。

なお、「余震」という言葉は最初の地震よりも規模の大きな地震は発生しないという印象を与えることから、気象庁は同指針の指摘に沿い、 防災上の呼びかけ等においては、さらに規模の大きな地震への注意を怠ることのないよう、「余震」ではなく「地震」という言葉を使用します。

言葉のイメージというか、言葉が人に与える先入観というかミスリードには怖いものがある。

科学に疎い人が、科学用語を誤用すると、イヤなことになる。

例えば「進化」には、「進歩する」とか「良くなる」とか「より優れたものになる」といった意味はないので、「進化を遂げたナントカ」という常套句(宣伝文句?)は気持ちが悪い。

生物学における「進化」とは、洞窟の魚の目やヒトの虫垂のように、器官の退化に現れるものなのだ。

科学用語はけっこう適当に作られることが多いので、より誤解されにくいように変える必要がある。

遺伝の法則の「優性・劣性」には、「優れた形質・劣った形質」という意味はない。遺伝学的な「劣性」とは、「優性」とされる形質よりも現れにくい、という意味なのである。

そこで、日本遺伝学会と日本人類遺伝学会は、「顕性・潜性」と呼び替えることを提唱しており、生物教育においても、今後置き換えられて行くだろう。

そういえば「蔓延防止等重点措置」、じゃなくて、常用漢字にないもんだから「蔓」を交ぜ書きにして「まん延防止等重点措置」、これをさらに「まん防」と略すのはやめてほしい。

緊迫感がまったく感じられないからね。

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ところで、そろそろ沼津の桜も盛りを過ぎそうである。

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