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2022/10/09

戦争放棄と信教の自由の誤解

次の写真は2022年9月10日の夕方、西の空に見えた幻日。
太陽と同高度で南に22度離れたところにある薄い雲が、明るく輝いていた。

幻日という名の現象だが、これを見て太陽だと思う人はいないだろう。
むしろ、やけに明るい虹のかけらに見える。

このとき同じ公園を散歩していた人のうちどれくらいが、この現象に気づいただろう。
この世は人の営みとは全く無関係な驚異に満ちているが、それに遭遇しなければ、そしてそれに気づかなければ、存在しないのと同じことである。

Img_20220910_172832-1

それはさておき、昨今の人間の活動が尋常で平和なものではなくなってきている。

戦術核の使用や世界大戦の予兆とか、世界征服を目指す教団の暗躍とか、そんなことが現実の世界で、少なくともワシが生きているうちに起こる可能性など、つい最近まで考えたことがなかった。

それをいえば大津波とかパンデミックとかも尋常ならざる事態だが、これは、被害の多くが人災に由来するとはいえ、人間の意志とは無関係な自然現象だから、受容せざるを得ない部分もある。
しかし、戦争や狂信は受容し難い。

戦争や狂信について、報道やSNSなどで妙な言説を目にすることがある。
いわく、「憲法9条では他国の侵略から自国を守れない」とか、「信教の自由は憲法で保証されているから、親が子供に布教する自由があるし、宗教団体を容易に解散することはできない」とか……。

これらの言説は、誤解から生じている、あるいはわざと曲解しているのではないかと思う。

第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

憲法9条は、自国を守るためにあるわけではない。他国から攻撃されないためにあるわけでもない。
自国から戦争を仕掛けるようなことはしない、と言っているのだ。
だから他国のみなさんも、戦争を仕掛けるようなことはやめましょう、そういう国際社会を目指しましょう、ということである。

侵略に対する個別自衛権については制限していないように思われるが、ここでは深入りしない。

第二十条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

つまり「信教の自由」は「個人の信仰」について保障しているのであって、宗教団体を護るためのものではないのだ。
だから国会で首相が「信教の自由の観点から解散命令を出すことは難しい」と答弁していたのは、明らかに変だ。
宗教法人を解体しても、個人の信仰をやめさせるわけではないから、信教の自由を侵害することにはならない。
むしろ、その宗教団体が信者の脱会や棄教を阻止しようとしたり、その宗教を国教にしようとしたり、政治家にお墨付きを与えてもらおうとしたりしたら、それこそ「信教の自由」を侵す行為ではないか。

妙な言説を流布する人たちは、無理解や安直な思考から誤解しているのだろうか。
あるいは、憲法を曲解して個人の自由を侵害しようとしている権威主義者なのか。

個人という確かな存在の自由を侵害し、国とか教団とかいう「虚構」、といって悪ければ「共同幻想」の権威を個人よりも上に置くような考え方は、やっぱり許し難いなぁ。

ちなみに、幻日は現実つまり実在する現象で、幻日を見たワシも現実つまり実在する個人である。
それに対し、国家とか神とかは実在しているのだろうか?
それがあると思っているから存在しているような気がしているだけではないか?
実在するのかわからない国家とか神とかより、実在する個人のほうを大事にすべきではないか、とワシは思うだ(個人の感想です)。

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