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2022/10/26

庭の芝生に車を駐めてみたことなど

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今朝6時半に起きて二階のベランダから富士山を見たら、ほぼ真っ白だった(風で飛んだのか、少し地肌が見えていたが)。

今日は有給休暇を取って、FKO(家庭維持活動)などに充てる日だが、メインイベントは12年振りのエアコン工事である。

工事の人がハイエースで来るということで、駐車場に空きを作るため、通勤用のアルトを庭の芝生までバックして駐めた。

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なんともまぁ、車とは場所を取るものである。

タラノキとヒメシャラとカツラの間にギリギリ駐めることができた。

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今年の春まで、こんが寝そべっていたときには、それなりに広い(というか狭いけれど余裕のある)庭だと思っていたのだが。

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午後、エアコン工事は無事に終わったので、夕方に散歩に出かけた。

ちょうど日没のころで、富士山の山頂付近の雪や愛鷹山の向こうの雲が少し染まっていた。

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今日一日晴れていたので、富士山の雪はだいぶ融けて、尾根筋やブルドーザー道が黒く見えた。

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2022/10/24

洗車と雨

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昨日夕方、3台洗車をしたため散歩の時間が遅くなってしまったのだが、なんとか日没後の空と夕焼け雲を見ることができた。

夕焼けだったから当然、今日は晴れだと思っていたら、朝、雨が降った。

「洗車をすると雨が降る」というマーフィーの法則どおりの事態である。

月曜日は週に一度の出社日。

そういえば、以前は朝食後に用足しして着替えてすぐに出勤だったのだが、このところ出勤前に2階の部屋を掃除する時間的余裕がある。

この時間的余裕があるのは、朝の散歩がないせいだ。

そう思うと寂しい。

では朝の散歩の分、遅く起きて時間的余裕をなくせば、寂しくなくなる……だろうか。

そんなわけはあるまい。

先程のマーフィーの法則の補則にあるとおり、「車を洗って雨を降らせることはできない」のである。

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2022/10/23

こん T+0.074y 犬小屋

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こんがウチにやってきた16年前は、中型犬や大型犬は庭で飼うのが当たり前だった。

そこで、こんも当初は庭で飼うつもりで犬小屋のキットを購入し、ウッドデッキに置いた。

しかし、こんは何が気に入らないのか、犬小屋には入らなかった。

秋から冬に向かう季節だったので、こんを家の中で寝かせているうちに、まぁ、無理に犬小屋で寝かせなくてもよいか、ということになった。

こんは夜は家の中のケージで眠り、昼間は家の中と庭を自由に行き来して、布団の上やら階段の踊り場やらウッドデッキやら芝生の上やら、好きなところでくつろいでいた。

しかし、犬小屋には入らなかった。

こんの入らない犬小屋は、台風のときに蚊取り豚を避難させたり、知らぬ間に野良猫が寝ていたりしていたが、経年劣化したので11年後に解体して処分した。

結局のところ、こんにとってはウチ全体が人間も一緒に住んでいる「犬小屋」だったのだ。

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2022/10/15

ラティスフェンスの撤去を始めた

庭と駐車場を仕切るラティスフェンスを一部撤去した。

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今月末にエアコンを入れ替えることになったので、室外機の搬入や作業車の駐車場所の確保など、いろいろ考えて、撤去することにしたのだ。

駐車場から庭に回るのに、いちいちゲートを開け閉めするのも面倒だし、ラティスフェンスのメンテナンスが割と手間なので、撤去することのメリットは多い。

そもそも、このラティスフェンスは、こんが庭を自由に動き回り、かつ庭から外へ出ていかないようにするために、2006年6月25日に設置したものだ。

こんが居なくなったのでフェンスが不要になったわけだが、撤去してスカスカになり、なんとも寂しい。

ちなみに、このときのラティスは格子状だったが、経年劣化したので2年くらい前にボーダー状のものに入れ替えた。

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2006年6月25日というと、こんが家族になってから T+0.690y で252日目のことである。 

ラティスフェンスを設置するまでには、こんの脱走騒ぎなどいろいろあったのだが、それはまた別の機会に書くことになるだろう。

ラティスフェンスは庭の反対側の隣家との境にもあり、こちらも経年劣化しているので、いずれ撤去しなくてはならない。

そんなわけで、この記事のタイトルは「撤去した」ではなく「撤去を始めた」なのである。

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2022/10/09

戦争放棄と信教の自由の誤解

次の写真は2022年9月10日の夕方、西の空に見えた幻日。
太陽と同高度で南に22度離れたところにある薄い雲が、明るく輝いていた。

幻日という名の現象だが、これを見て太陽だと思う人はいないだろう。
むしろ、やけに明るい虹のかけらに見える。

このとき同じ公園を散歩していた人のうちどれくらいが、この現象に気づいただろう。
この世は人の営みとは全く無関係な驚異に満ちているが、それに遭遇しなければ、そしてそれに気づかなければ、存在しないのと同じことである。

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それはさておき、昨今の人間の活動が尋常で平和なものではなくなってきている。

戦術核の使用や世界大戦の予兆とか、世界征服を目指す教団の暗躍とか、そんなことが現実の世界で、少なくともワシが生きているうちに起こる可能性など、つい最近まで考えたことがなかった。

それをいえば大津波とかパンデミックとかも尋常ならざる事態だが、これは、被害の多くが人災に由来するとはいえ、人間の意志とは無関係な自然現象だから、受容せざるを得ない部分もある。
しかし、戦争や狂信は受容し難い。

戦争や狂信について、報道やSNSなどで妙な言説を目にすることがある。
いわく、「憲法9条では他国の侵略から自国を守れない」とか、「信教の自由は憲法で保証されているから、親が子供に布教する自由があるし、宗教団体を容易に解散することはできない」とか……。

これらの言説は、誤解から生じている、あるいはわざと曲解しているのではないかと思う。

第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

憲法9条は、自国を守るためにあるわけではない。他国から攻撃されないためにあるわけでもない。
自国から戦争を仕掛けるようなことはしない、と言っているのだ。
だから他国のみなさんも、戦争を仕掛けるようなことはやめましょう、そういう国際社会を目指しましょう、ということである。

侵略に対する個別自衛権については制限していないように思われるが、ここでは深入りしない。

第二十条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

つまり「信教の自由」は「個人の信仰」について保障しているのであって、宗教団体を護るためのものではないのだ。
だから国会で首相が「信教の自由の観点から解散命令を出すことは難しい」と答弁していたのは、明らかに変だ。
宗教法人を解体しても、個人の信仰をやめさせるわけではないから、信教の自由を侵害することにはならない。
むしろ、その宗教団体が信者の脱会や棄教を阻止しようとしたり、その宗教を国教にしようとしたり、政治家にお墨付きを与えてもらおうとしたりしたら、それこそ「信教の自由」を侵す行為ではないか。

妙な言説を流布する人たちは、無理解や安直な思考から誤解しているのだろうか。
あるいは、憲法を曲解して個人の自由を侵害しようとしている権威主義者なのか。

個人という確かな存在の自由を侵害し、国とか教団とかいう「虚構」、といって悪ければ「共同幻想」の権威を個人よりも上に置くような考え方は、やっぱり許し難いなぁ。

ちなみに、幻日は現実つまり実在する現象で、幻日を見たワシも現実つまり実在する個人である。
それに対し、国家とか神とかは実在しているのだろうか?
それがあると思っているから存在しているような気がしているだけではないか?
実在するのかわからない国家とか神とかより、実在する個人のほうを大事にすべきではないか、とワシは思うだ(個人の感想です)。

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2022/10/05

こん T+14.793y 朝寝からの目覚め

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久々にタブレットで絵を描いてみた。
タブレットと言ってもデタッチャブルタイプのChromebookである。
Android用のアプリScketchbookの水彩ブラシの中で使い勝手がよいものはどれだろう、と試すために描いたものだ。

2020年8月に撮ったこんの写真を取り込んで、鉛筆ブラシで輪郭をトレースして、水彩ブラシで彩色。
「濡れてほころびたブラシ」という妙な名前のブラシを使ってみた。

この絵の元の写真は、ワシの布団の上で朝寝していたこんが、ハッと目を覚ましたときものだ。
そのため、変な格好で横たわっていて、目がぱっちり開いている。
こういう過去のこんの絵をどのように保存すればよいかと考えた。

こんが家族になった2005年10月16日を0年目(T+0.000y)として、何年目の出来事かわかるようにしてみよう。
T+以下の数字に365.25を掛ければ、日数が求められる。

というわけで、この記事のタイトルには T+14.793y というタイムスタンプを付けてみた(5403日目である)。
記事や絵を思い付きで書いた(描いた)としても、表題のタイムスタンプでソートすれば、時系列に並ぶだろう。

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