こんの不在
2022年4月29日の夕方、こんが永眠した。
翌30日、火葬にした。
上の写真は、業者を待つ間に、こんが不在の庭を撮ったものだ。
今朝起きて、急いで散歩に行く必要がないことに気付いたとき、ひどく淋しく感じた。
午後から雨の予報なので、午前中に庭の半分ほどの草を刈った。
雨の日に、庭の隅のコンポスト(堆肥化容器)に生ゴミを捨てに行くとき、草が伸びているとサンダルを履いた足が濡れるので、それを防ぐためである。
これまでは、こんの居心地や排泄のしやすさ(というか排泄物の処理のしやすさ)を優先して草を刈っていたが、これからは完全に芝の維持だけを考えればよいのだ、と思うとそれもまた淋しい。
草を刈りながらウッドデッキの方を見ると、居間の掃き出し窓のくもりガラスの向こうに、こんの影がないことが淋しい。
いつもなら、庭に出して欲しくて佇んでいるのだが。
この、こんの不在に慣れるときがくるのだろうか。
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