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2022/05/09

手持ち無沙汰の日々

朝起きて、何はともあれ散歩、だったのに。
散歩に出なくてはならない理由がなくなり、毎朝、なんとなく手持ち無沙汰である。

雨が降ると玄関先にナメクジが何匹も出現するので、なんとかしなくては、と思う。
ナメクジ駆除剤を撒くのが手っ取り早いが、下手に撒いて、こんが食べるとマズイ、と考えてから、いまはもう撒いても大丈夫だ、と気づく。

そういうとき、なんだか膝から力が抜けるような気分になる。

こんがこの世を去って10日、仕事をしていると気が紛れる。
しかし、在宅勤務なので窓から庭を眺め、こんが不在の庭を見ると、なんとも淋しい。

夕方、ひとりで、あるときはカミさんと、散歩に出る。
リードも水のボトルも持たない、手持ち無沙汰な散歩である。
近所の公園で、近所の人に「相棒はどうした」と声をかけられる。

夢の中で長野県(だと思う、たぶん)へ登山に行った。
駐車場に戻ると、車のタイヤが盗まれていて、その日は家に帰れない。
困ったな、夜の散歩をどうしよう、と考えてから、夢の中なのに気づいてしまう。
こんはもういないので、急いで帰らなくてもよいことに。

目が覚めてから、とても淋しくて涙が出たりして、ペットロス症候群かもな、と思う。

対処法の一つとして、アルバムを作るというのがあった。
Google フォトでアルバムを作り、家族で共有した。

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(2022年3月23日撮影)

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2022/05/01

こんの不在

Img_20220430_110225

2022年4月29日の夕方、こんが永眠した。

翌30日、火葬にした。
上の写真は、業者を待つ間に、こんが不在の庭を撮ったものだ。

今朝起きて、急いで散歩に行く必要がないことに気付いたとき、ひどく淋しく感じた。

午後から雨の予報なので、午前中に庭の半分ほどの草を刈った。
雨の日に、庭の隅のコンポスト(堆肥化容器)に生ゴミを捨てに行くとき、草が伸びているとサンダルを履いた足が濡れるので、それを防ぐためである。

これまでは、こんの居心地や排泄のしやすさ(というか排泄物の処理のしやすさ)を優先して草を刈っていたが、これからは完全に芝の維持だけを考えればよいのだ、と思うとそれもまた淋しい。

草を刈りながらウッドデッキの方を見ると、居間の掃き出し窓のくもりガラスの向こうに、こんの影がないことが淋しい。
いつもなら、庭に出して欲しくて佇んでいるのだが。

この、こんの不在に慣れるときがくるのだろうか。

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(2020年5月20日)

Dsc_2333
(2020年5月3日)

Dsc_2330
(2020年5月2日)

Psx_20200419_160920
(2020年4月19日撮影)

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