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2019/09/16

『ブレードランナー2049』を観た

衛星放送で深夜に放映されていた『ブレードランナー2049』(2017年)を、録画して観た。

前作『ブレードランナー』(1982年)の雰囲気(音楽も含めて)を踏襲した風景。
雨にけぶり無秩序に積み重なったロサンジェルスの街には、PAN-AM(パンナム)やCCCP(ソ連)の文字が見て取れる。

パンナムとソ連、そのどちらも、1982年には存在したが、現在は存在していない。
現実の現在の延長線上の2049年ではなく、前作の架空世界の2019年の延長線上の2049年なのだ。
ちなみに映画『2001年宇宙の旅』にもパンナムとソ連が登場するが、現実の2001年には、どちらも存在しなかった。

ここでは、ネタバレになりそうなことは避けて、細かいところで気になったことなどを書く。

この世界では、コンピュータ出力はブラウン管から一足飛びにホログラムに移行したのだろうか。
ネオンサインや研究所のディスプレイはホログラムなのに、警察の機器などがアナログっぽいのだ。
まてよ、警察の中にもフラットなディスプレイがあったような気がするなぁ。
もう一度観てみないと。

さて、主人公のネクサス9型アンドロイド、“K” には、「電子的な恋人」がいる(いた)。
その “Joi” のホログラムが可愛くて、そして健気なのである。

前作の原作である、フィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』では、人間と、人間そっくりのネクサス6型アンドロイドとの違いは何か、ということが主要なテーマだった。
ディックは共感能力の有無が人間とアンドロイドの違いであるという答えを用意していた。
前作冒頭で奇妙な器具を使っておこなわれていたフォークト・カンプフ検査も、共感能力の有無を調べるためのものだ(残念ながら、今作ではフォークト・カンプフ検査は直接的には出てこない。「解任」対象のネクサス8型アンドロイドは、眼球を調べれば製造番号がわかるからだ)。

前作では、アンドロイドには共感能力がまったくない、というわけではないことが示唆されていた。
仲間の死を悼み、復讐し、自らの生命の終焉に際して追跡者を救う(ルトガー・ハウアー演じるネクサス6型アンドロイドのロイ・バッティ)。

さらに今作では、“K”がネクサス8型アンドロイドのサッパー・モートンと会話する部分で、もはやアンドロイドが人間と区別できないほど「人間的」であることが知らされる。
そしてAIの“Joi”もまた“K”を気遣い、スタンドアロンになって、つまりネットワークから切り離されバックアップもできない状態で、“K”とともに逃亡/追跡の旅に出る。

むしろ、人間のほうがアンドロイド的な感じである(つまり俳優の演技が上手いということだろう)。
コイツは表情に乏しいからアンドロイドかな、と思っていると、アンドロイドに対して差別的な発言をするので人間だとわかる、といった具合だ。

誰が人間かわかりにくいこと、まったくもってすべて不確かになり、足元が崩れ落ちるような感覚は、ディックの世界をうまく描けているということかもしれない。

あと、これはワシの考えすぎかもしれないが、「不毛の子宮」とか遺伝子コドン(ATGC)への言及とかは、シルヴァーバーグの『ガラスの塔』を意識したものだろうか。
『ガラスの塔』は、恒星間通信のためにタキオンを利用した放送塔を北極に建設する話だが、過酷な環境で重労働を強いられるのは、もちろんアンドロイドである。

さて、終盤になって登場するデッカードは年取ったハン=ソロだし(同時期のハリソン・フォードなのだから当たり前だ)、相変わらず折り紙を折っているガフは養老院にいるし、まぁみんなリアルに年取ったこと!
まぁワシも年取ったしな、と思って見ていたら、まったく変わらぬ美貌のレイチェルが出てきてびっくり。
しかもタイトルバックを見ていたら、演じていたのはショーン・ヤング本人だと書いてあるし。
これだけは本当に驚いたので、Wikipedia で調べてからくりがわかったわけだが、ここには書かない。

さてさて、どうも回収されてないと思われる伏線がいっぱいあったので、続編ありそうだなぁ。

 

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