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2018/04/28

常緑樹の反意語は落葉樹?

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この写真には落ち葉がいっぱい写っているが、芝が緑色だから、秋に撮ったものではないとわかるだろう。
じつは今日、近所の神社で撮ったのだ。

この落ち葉は常緑樹のクスノキのものである。
常緑樹は冬にも緑の葉をつけているので「常緑」と呼ばれているが、葉を落とさないわけではない。
春から初夏にかけて、新芽が芽吹くと冬越しした古い葉を落とすのだ。

だから、「常緑樹の反意語は落葉樹」と言われると違和感がある。
常緑樹も初夏に葉を落とすのだから。

冬に葉を落とす「いわゆる落葉樹」は、「夏緑樹」と呼ぶほうがふさわしいと思うのだ。

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2018/04/13

こんを海に連れて行った

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持病の薬を処方してもらうために、会社を休んで病院へ行った。
その後カミさんと一緒に、こんを連れて海に行った。

じつは、こんが海を見るのは、12歳にして生まれて初めてである。
一度は波打ち際まで行ったものの、波の音が怖かったようで、すぐに防波堤の上まで戻った。
石ころの多い海岸より、松林の中を散歩するほうが楽しかったようだ。

この何ヶ月かのうちに、こんは車で出かけることが楽しくなったらしい。
車の準備をしていると、連れて行って欲しくて大騒ぎする。
キューキュー鳴いて立ち上がり、前足をかけてくるのだ。

若い頃は車に弱くて30分で酔ったのに、今はよだれもあまり垂らさない。
自分から車に乗りたそうな素振りすら見せるのだから、また山にでも連れて行ってやろうか、と思うのだ。

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2018/04/10

ヒトの習性に関する考察

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朝の散歩で家の近くまで戻って来たとき、こんは三差路の真ん中に座り込み、しばらくじっと「観察」する。
住宅地を縦横に横切る道を通る人や車を、飽きるまで見ているのだ。
そしてもちろん、ネコでも横切ろうものなら駆け出す。

一緒に散歩していた娘に「十字路に座って人を見る、というオオカミの習性を受け継いでいるのだろうね」と言うと娘は「柴犬はオオカミに近いっていうからね」と言った。
こんは純粋な柴犬ではなく、何かしら洋犬の血が混じっているが、オオカミの習性を受け継いでいることは確かだ。

「ヒトには、遺伝的に決定されている習性って何かあるの?」と娘に訊かれたので、ちょっと考えた。
「出来事に原因があると思い込むことかなぁ」。
夜になって腹が痛くなったのは、昼間に食べた木の実のせいだろうか、とか。

これが科学的思考の「もと」だが、同時に迷信の要因でもある。
狐憑きだとか先祖の祟りだとか。
原因が明らかになっていない出来事にも、何かしらの原因をこじつけてしまうのである。

もちろん、出来事に因果関係を求める習性、というか能力は、ヒトだけの特質ではない。
霊長類、というかサルの仲間は因果関係がわかっているからパズルを解いてご褒美をもらうという実験ができる。
その点では、ネズミだってハトだって出来事に原因を求める。
たまたま妙な動きをしたときにご褒美をもらえたので、ご褒美欲しさに踊り狂うハトの動画を見たことがある。

ただ、ヒトはその程度が過ぎていて、喧嘩や戦争にまで発展するから厄介だ。

宗教も、結果に対して原因を求めるところから発生した、と言えるかも知れない。
こんなに生きていくことが辛いのは、前世の報いなのだ、とか。
こんなに生きていくことが辛いのは、魂を清めるための試練なのだ、とか。

「じゃあ、動物にも宗教があるのかなぁ」と娘が言った。
「いや、宗教には抽象化したコミュニケーションが必要だから、言語を持っていないとね」

だからひょっとすると、イルカやクジラは宗教を持っているのかも知れない。
来世での救済などではなく、生を謳歌することを是とする宗教を確立していたら、教えて欲しいもんだなぁ、などと思った。

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