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2015/06/20

スマートウォッチとは何だろう?

スマートウォッチが通信機能をもちスマートフォンと連携する腕時計、というか、腕につける小さなコンピュータであることはわかっている。
かばんやポケットの中のスマートフォンへの着信を、腕につけた装置が振動で教えてくれる、なんてのは魅力的である。
だが、自分で時刻を合わせる機能だけでも充分にスマート(賢い)ではないか、などと思ったのだ。

スマートウォッチとは何だろう?

1年ちょっと前、「腕時計復活後10日」に次のように書いた。上の写真の左側、39年前のメカニカルウォッチについての記述である。
「時刻を合わせるという、この行為は、電波時計やコンピータが勝手に合っちゃう昨今では無駄な作業ではあるが、その反面、すごく人間的かも、と思った。
なんといっても、時計のくせに人間が時刻を教えてやらなくてはならない、というところがカワイイではないか。」

それなのになぜ、次に買う時計としてメカニカルではなく電波ソーラーウォッチ(上の写真の右側)を選んだのか?
それは、スマートフォンで確認した時刻に時計を合わせる、という行為が倒錯的だなあと思ったのと、時間は時計に教えて欲しいなあ、と思ったからである。

そこで、電波時計。
時報電波を受信し、自動で現在時刻を表示するなんて、なんとも賢い(スマート)ではないか。

よく考えたら、PC(パーソナルコンピュータ)やらスマートフォンやらタブレットやら自動車やら何やら、面倒を見てやらないと調子の狂う機械に囲まれている。
だから、面倒を見なくてもちゃんと動いてくれる機械が欲しかったのかも知れない。

小さなコンピュータであるスマートウォッチでは、そのメンテナンスにまた時間をとられる。
もちろん、機械の面倒を見るのが趣味なら良いだろう。
だがワシは、みなさんが思っているほど、機械の面倒を見るのが好きなわけではない。
PCなんぞは仕事で毎日面倒を見ているので、ときどきウンザリして休日にはまったく触れないこともあるくらいだ。

だから、勝手に時刻を合わせてくれる……受信結果を確認すると1/20秒計の針が「OK」を示し、またテーッと動いて「0」に戻る、そういう動作がかわいく思えるのである。

ところで、時計を眺めていると、わからなくなることがある。
時計の針は時が過ぎ去っていくことを物理的に表しているだけなのか?
時計の針が動くことで、人は時が過ぎ去っていくように錯覚してしまうのか?

時間というものが現実に存在し、自分や宇宙のすべてがその軸にそって動いているのだろうか?
それとも時間なんていうものはなくて、自分や周囲の「変化」を感じているだけなのだろうか?

時計の針を眺めていてもそれが逆転しないのは、機構的に逆転しないようになっているからと言い切れるのか?
そもそも時間そのものが存在せず、エントロピーが増大する「向き」しかないため、逆転することは不可能なのか?

いつの日か、針のない腕時計、小さなコンピュータであるスマートウォッチが、この問いに答えられるときが来るだろうか?

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【地球科学】沖縄を忘れていた訳ではない

【地球科学】沖縄を忘れていた訳ではない

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2015/06/15

ラベンダー収穫

ラベンダー収穫
人間ドックが午前中で終わったので、午後、カミさんと玄関先のラベンダーを収穫した。

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2015/06/14

デジタル vs アナログ

デジタル vs アナログ
「時刻」を読むだけなら、デジタルのほうが直接的である。
だが「時間」を読み取るとなると、アナログのほうが直感的だと思う。

文字として時刻表示を読むのであるから、もちろん、デジタルのほうが早い。
アナログの場合、読み方を学ぶ必要がある。
針の指す目盛を見て値を読んでから頭の中で時刻に変換するので、その分タイムラグが生じる。
もちろん、そのタイムラグは訓練というか、慣れによって小さくなるのだが。

その一方、アナログの場合「時間」、つまり時の「間隔」を一瞬で捉えることができる。
針と目盛の角度から、経過した時間あるいは残り時間を読み取ることができるからだ。
デジタルの場合、頭の中で暗算しなくてはならない。

このような理由もあって、時を計る道具としてはアナログのほうが好きなのだが、一つだけ、やっぱりデジタルに負けるよなぁ、と思うことがある。

それはストップウォッチ(クロノグラフ)である。
今回腕時計を買うにあたって、シンプルな三針ではなくクロノグラフを選択したのは、格好が良いからだけではない。
もちろん、機械というかガジェットを所有し眺める楽しみもあるが、ときおり仕事や趣味で時間を測ることがあるのだ。

スマートフォンのストップウォッチ・アプリは、どうも勝手が悪い。
やっぱり物理ボタンがないとスタート・ストップがやりにくいのである。

問題は、物理ボタンを押したあと、結果を読み取るときに発生する。
デジタルなら、そのまま読めば良いから、問題ない。
アナログの場合、また針を読んで頭で変換しなければならない。
しかも、ストップウォッチ機能を使う頻度が低いから、なかなか慣れないのである。

結局のところ、ストップウォッチは時「間」を測る機械ではなく「時」を切り取る機械だから、デジタルのほうが適しているのだろうか。

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2015/06/13

腕時計を買った

腕時計を買った

このところ何やら仕事が忙しく、会議も長い。
遅く帰ってニューズを見ると、もっと酷い会議……というか国会のゴタゴタが報じられている。

普段、「専門家が安全と言っているから安全だ」なんてほざく連中が、「憲法の専門家が正しいとは限らない」とか矛盾だらけなことをほざく。
自分に都合の良い意見だけを取り立て、都合の悪い見識を排除するなど、まったく非科学的この上ない。
いくら自分に都合が悪かろうが、「事実」を謙虚に受け止めるのが科学的な生き方というものだ。

な~んて風に日々腹を立てていると、精神衛生上よろしくない。
山へでも遊びに行きたいところだが、時間が取れないし、休日はそれほどの元気が出ない。

そこで、買い物で気を紛らわすことにした。
腕時計を買ったのだ。
シチズンのアテッサH804、ソーラー電波クロノグラフである。
文字盤が青く見えるが、ワシの色調補正がへタだからである。本当は黒い。
ケースもベルトも真っ黒な炭素塗装のタイプを買おうかと思っていたが、硬化処理したチタン無垢のタイプにした。
店頭で見たら落ち着いた光沢だったからだ。
Webサイトやカタログの写真では質感がわからないので、日常的に長く使うものはネットで購入する踏ん切りが付かないのだ(個人の感想です)。

黒い文字盤の背後には光電池があるので、充電不要である。
自分が必要とするエネルギーは自分で調達する。
電子機器として真っ当な在り方である。

いずれ、電気で動く「もの」は電気を自ら生産するか、あるいは近所で調達するようになり、発電所も送電網もコンセントも電源ケーブルもACアダプタも不要になる時代が来るだろう。
20世紀後半から21世紀初頭にかけては「たかが電気」を供給するために大騒ぎをした時代ということになるのだろうか。
せめて後世に大量の放射性廃棄物を押し付けることだけは避けたいものだが……。
……なんて考えると冒頭の悶々に戻ってしまうのでやめておこう。

とりあえず、ワシの新しい腕時計は、エネルギーを自前で調達し、時刻も自分で合わせる潔く賢いヤツである、ということで満足である。

腕時計については、
アナログ式の時計は時刻を直接読むわけではないのに、なぜデジタルより心地よいのか、とか、
三針のスタンダードタイプではなくクロノグラフを買った理由とか、
スマートウォッチは何がスマートなのか、とか、
いろいろネタはあるのだが、それはまた別の機会に書く。

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2015/06/08

雨を呼ぶ蛙たち

雨を呼ぶ蛙たち
昨晩のこと。

近所の田んぼに水が張られ、カエルの声が新興住宅地に響いていた。

田んぼの中のカエルを見付けるのは難しいが、こんなにわかりやすい連中もいた。

田んぼのへりのコンクリの畦の上のアマガエルのカップル。

うーむ、「の」ばかりだな。

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