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2014/07/06

平和な日々、または「もはや戦後ではない」

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上の写真にはイトトンボが写っているのだが、わかるだろうか。
わからなくても仕方がない。ピントが合ってないのだから。


今日は午前中、連合自治会による近所の公園の一斉清掃に参加してきた。
その休憩時間中に、池の端で見かけたアオモンイトトンボ(だと思うけどアジアイトトンボかも知れない)をスマートフォンで撮ったら、予想通りピントが合わなかったのだ。
やっぱり、スマートフォンのオートフォーカスではイトトンボにはピントを合わせられないよなぁ……。


それはさておき、公園の清掃は市が行っているが、植え込みの中や落ち葉の処理など、細かいところを自治会のボランティアがやる。
たぶん、年2回の清掃では公園の美化には大きくは貢献しないだろう。
だが、近隣住民と顔を合わせ、力を合わせるという点で意義はある。
ワシも毎回参加するわけではないけれど、たまには出て行って普段は会釈程度しかしない近所の人と犬の話などをする。


池を囲む公園のあちこちで人びとが箒や熊手で落ち葉をかいているのは、なんとも平和な光景である。
こういうなんでもない人びとが、この世の中を支えているのである。
世界中の国々の人と仕事で、あるいは個人的につながりがあり、仲の良い関係を築いている人たちもいる。


それなのに、である。
戦争のできる普通の国を目指しているのだか何だか知らないが、(ワシを含め)なんでもない人びとの努力を邪魔しないで欲しいものだ。
「もはや戦後ではない」、もちろん、戦前なのである。
次の戦争までの期間を無限にするために、憲法9条があるのではないか。
国際紛争を解決する手段としての武力は放棄するのではなかったか。


そして、昨日の東北の地震は2011年3月11日の大地震の余震らしい。
500年に一度の地震が起こったら、次は500年後というわけではない。
大きな地殻の変動があったら、その変動をキッカケとして次の変動が、近所の別のところで、近いうちで発生することもあるようだ。


近所と言うのは南海トラフを含めた日本列島付近のプレート境界や火山であり、近いうちと言うのは数十年のうちというスケールである。


だから、いまは「震災後」であると同時に「震災前」でもある。
次の震災に備えて、止めるべきものは止めておかないと。


池の周囲ではたくさんのトンボを見た。
イトトンボ、コシアキトンボ、ムギワラトンボ、ギンヤンマ……。
水辺の生物は、環境の変化に敏感である。
駿河湾で津波が発生しても、標高30mのこの池までは、海水が押し寄せることはないだろう、たぶん。
池のすぐ上に縄文時代の遺跡があったから、温暖化が進んで大海進が起きれば海の底になるかも知れないが。


それよりも心配なのは、ここが浜岡原発の「風下」80kmである、ということだ。
落ち葉を掻いたり、トンボを眺めたりできる平和な日々を「守る」ために必要なことは、何か。


戦争ができる国になることではないわなぁ、もちろん。

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