落合栄一郎著『放射能と人体』(講談社ブルーバックス)を読んでいる。
放射線が生物体に及ぼす影響というものは、まだまだわからないことだらけなのだねぇ。
ワシが放射線生物学を学んだのは、もう35年も前だが、それほど進歩していないように思える。
低線量被曝や内部被曝、放射性物質の体内での挙動については、不明な点が多いようだ。
おそらくこれから、知見が蓄積されていくのだろう。
広島、長崎、第五福竜丸、チェルノブイリ、JCO、福島第一。
被害を受けた人びとがいて初めて、知見が蓄積されていく。
被害を受ける人がいないと、わからないというこの歯がゆさ。
何とかならないか。
何ともならないのだろうなぁ。
せめて、今後二度と、このような人体実験がないことを望む(しかし、原発を再稼働すれば「必ず」また起こるだろう)。
ワシの考え方は基本的に35年前から変わっていないなぁ。
以前は放射線についてどんなふうに考えていたか、思い返してみよう。
小学生のころ:
原子力は「すごいもの」「すばらしいもの」「未来的なもの」「最先端の科学技術」だった。
『鉄腕アトム』や『サイボーグ009』を読んで育った世代だからね……。
中学生のころ:
プラモデルや模型工作から兵器に興味を持ち、当然のように戦争について調べているうちに、「戦争ってカッコイイもんじゃないかも」と思い始めた。
そして高校野球のTV中継中、8月6日午前8時15分に「黙祷」を捧げる意味に気付いた。
「死の影」や「黒い雨」というものの存在を知ったのもこのころだが、まだ「放射線は大量に浴びると死をもたらすすごいもの」程度の認識だった。
高校生のころ:
物理で放射線について学ぶ。生物学で突然変異について学ぶ。
「なるほど。放射線で遺伝子が傷ついて、細胞が死んだり、遺伝子の突然変異でガン化したり生殖障害が起きたりするわけだね」と言う程度の認識を得た。
大学生のころ:
放射線生物学を学ぶ。
アルファ粒子が遺伝子をぶった切ったりしなくても、放射線によってイオン化した細胞内の物質が、細胞に悪さすることを知った。
例えば、ベータ線が水分子に作用して活性酸素を作り出すとか。
トレーサー(炭素14)を利用した物質代謝過程の観察などの事例を通じて、生物が化学反応の塊であること、物質が流れて行く川のようなものであることを知った。
また、放射線って身近にあるもんだな、と思った。
社会人になってから:
アシモフの科学エッセイを読んでいてギョッとした。
究極の内部被曝というか、「ゼロ距離での狙撃」の存在を知ったのだ。
生物は放射性同位体と、安定な同位体を区別せずに代謝する。
だから、放射性同位体を細胞内の構成物質として取り込んでいる可能性がある。
そこで、その放射性同位体がいきなり崩壊して放射線をまき散らすことがある。
「ゼロ距離での狙撃」である。
それだけではない。
放射性物質は、崩壊して別の物質に変わる。
例えば、炭素14はベータ崩壊して窒素14になる。
炭素が窒素に変わってしまうので、その炭素を含む有機物は、(ベータ線で焼かれなくても)分解してしまうだろう。
体内に大量に放射性物質が取り込まれれば、そんなことが体中で起こるのである。
……というわけで、放射線による被害を考えるとき、内部被曝を重視すべきだと思うのだが、どうも原子力大好きな人たちは、内部被曝を軽視する傾向にあるように思われる(個人の感想です)。
「福島第一原発周辺の帰宅困難地域の年間放射線量は50ミリシーベルト以上」という基準も空間線量だから、内部被曝についてはまったく考えられていない。
フォールアウトの降る中、屋外で遊んでいた子供が吸い込んだかも知れないホコリ、庭で取れた野菜、そういった「普通の生活」のことは考えられていないのである。
生活者の視点のない「安全宣言」「アンダーコントロール」ってなんなのだ。
さて、『放射能と人体』の後半には、内部被曝について最新の知見も書かれているようだから、じっくり読むとするか。