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2014/05/31

5月最後の日

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今年の庭のユスラウメは出来が悪い。

昨年は豊作だったので、1年ごとによく実ったり実らなかったりする「隔年結果」という現象だろう。

花が少なかったので予想はしていたが、単に実りが悪いだけではない。

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さっそくヒヨドリにも食べられている……。

午前中、よく晴れているなぁと思ったら、昼過ぎに急に曇ってきて、雷雨になった。

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まぁ、こんが怯えること。
涙目になり、鼻水を垂らし、ぶるぶる震えていたので、なだめてやったのだった。

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2014/05/28

成果主義の弱点

成果主義の弱点
残業時間にかかわらず一定の賃金。
それは良いことなのだろうか。
まあ、これはサラリーマンだけの話で、自営の人にとっては当り前のことだが。

働き方を労働者自身が決める裁量労働制では、成果を上げれば長時間働かなくて良い。

問題は、その「成果」をどのように設定し、どのように評価するか、である。

今どき一人で完結する仕事なんてないから、グループの評価になる。
アイツは口ばっかりで殆ど働いてないのに、オレと同じ評価かよ、なんてことにならないか。

そして、あんな上司に評価されるのか、オレの仕事の中身わかってるのかアイツ、なんてことだってあるだろう(あくまで一般論である)。

というわけで、多くの企業で成果主義、裁量労働制が崩壊してきた過去がある。
何を今さら?なんて思うのはワシだけだろうか。

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2014/05/27

ポリープをつままれた

今日は休暇をとって人間ドック。
前半の検査はサクサクと進み、脳MRIも半分寝ている間に終了。
最後の胃カメラだけが辛かった。

どういうわけか今年は喉の通りが悪く、涙が出た。
胃に近い食道にポリープが見付かった。
……ということで、生検。
ワイヤの先に小さなペンチみたいなものが付いた器具を内視鏡のチューブから突っ込んで、ポリープの先をちょんとつまんで引き出す……という作業を、涙とよだれを流しながらモニターで見た。

結果は後日。

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2014/05/24

妙なヤツが生えてきたな

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庭のラティスフェンスの横に妙なヤツが生えてきた。
茶色い茎がひょろひょろと伸びてきたなぁ、と思っていたら、少し紫色を帯びた花を咲かせている。


こういう緑色の葉のない植物は、次のどれかだ。


A.花咲く季節と葉の伸びる季節が異なる植物。
(例)ヒガンバナなど


B.他の植物の根などに寄生して、栄養分を奪って育つ寄生植物。
(例)ナンバンギセル、ハマウツボなど


ふーむ、ハマウツボに似ているかも、と思って調べてみたところ、同じ属(ハマウツボ科ハマウツボ属)のヤセウツボだった。


ヨーロッパから北アフリカに分布する植物で、マメ科のシロツメクサのほかキク科やセリ科の植物に寄生するそうだ。
これも帰化植物か……。


庭のシロツメクサ(クローバー)の生えているところとは離れているが、あたりにはキク科のアレチノギクやトウカイタンポポやハルノノゲシやチチコグサモドキが生えるし、セリ科のミツバも生える。
さて、何に寄生しているのか、掘り返して調べてみようか……。
いや、ラティスフェンスのすぐ脇で、上の写真のように支柱を支える金具を設置してあったりするから、掘り返すとまずいかな。


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庭の別の場所に、スズメの羽が落ちていた。
1、2枚落ちていたのではなく、かたまりで何箇所かに散らかっていたので、ネコの仕業だろう。


生まれてくるヤツもいれば、死んでいくヤツもいる。

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2014/05/22

金か命か?

玄関先のラベンダーがつぼみをつけた。
なんだかものすごい数である。


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朝日を浴びて、緑に輝いている。
冬のうちから間欠的に咲いているローズマリーの株との間に、クモの巣も輝いていた。


緑したたる季節、散歩するとクモの巣に引っかかる季節の到来である。


さて、大飯原発運転差止請求事件判決要旨全文を読んだ。
http://www.news-pj.net/diary/1001


福島第一原子力発電所の過酷事故の原因もわかっていないのに、どんな地震が起こるのかわかっていないのに、使用済み核燃料の保存方法も確立していないのに、再稼働とか言うのは許しがたい、という判決である。


当裁判所は、極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題等とを並べて論じるような議論に加わったり、その議論の当否を判断すること自体、法的には許されないことであると考えている。

要するに、金か命か、と考えて金のほうを取ろうとするのはいかがなものか、そもそも同じ天秤に載せることがオカシイ、ということだ。


たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている。

要するに「愛国心」があるのはどっちだ、ということになる。
国とは政府のことではない。
国土と国民、つまり山河や海とそこに暮らす人びとを愛する心を持っているのはどっちだ。

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2014/05/20

メカニカル腕時計危うし!

およそひと月前、「メカニカル腕時計復活!」に書いたSEIKOロードマチック5626-8140が危機である(次の写真は、4月21日の記事と同じもの)。


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日曜日の午前中に自治会の町内側溝清掃があり、汗まみれ泥まみれになった。
そこで作業終了後、手を顔をザブザブ洗ったのだが、「日常生活防水」だから大丈夫だろう、と腕時計は外さなかった。


昼食後にふと時計を見ると、ガラスが白く曇っている。
水が浸入したのだ。
たとえ防水仕様であっても、古い腕時計はリュウズのパッキンが劣化するので、そこから水が入ることがあるらしい。


日に当てて内部の温度を上げ、水蒸気を追い出す……ところまでは良かったが、夜に時刻を見ると2時間遅れていた!
その後2日間様子を見ているが、半日で2分くらい遅れる。


修理もままならないようなので、新しい時計を買おうかどうしようか迷っている。
腕時計を復活させたら、すぐに時刻がわかって便利なので、もはやごそごそスマートフォンを取り出す生活には戻れない。


それに、電子仕掛けの一切ない、単機能の機械仕掛けというヤツが妙に魅力的に思えてきたのである。


どうも同じことを思う人が増えているようで、セイコーは低価格のメカニカル腕時計ラインナップを復活させている。
いまはちょっと先立つものがないけど、ちょっと余裕ができたら考えよう。
それまでは、半日2分の遅れに付き合うか。
……というかこまめに時刻を合わせるとするか。

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『放射能と人体』を読んでいる

落合栄一郎著『放射能と人体』(講談社ブルーバックス)を読んでいる。
放射線が生物体に及ぼす影響というものは、まだまだわからないことだらけなのだねぇ。

ワシが放射線生物学を学んだのは、もう35年も前だが、それほど進歩していないように思える。
低線量被曝や内部被曝、放射性物質の体内での挙動については、不明な点が多いようだ。

おそらくこれから、知見が蓄積されていくのだろう。
広島、長崎、第五福竜丸、チェルノブイリ、JCO、福島第一。
被害を受けた人びとがいて初めて、知見が蓄積されていく。
被害を受ける人がいないと、わからないというこの歯がゆさ。

何とかならないか。
何ともならないのだろうなぁ。

せめて、今後二度と、このような人体実験がないことを望む(しかし、原発を再稼働すれば「必ず」また起こるだろう)。

ワシの考え方は基本的に35年前から変わっていないなぁ。
以前は放射線についてどんなふうに考えていたか、思い返してみよう。

小学生のころ:
原子力は「すごいもの」「すばらしいもの」「未来的なもの」「最先端の科学技術」だった。
『鉄腕アトム』や『サイボーグ009』を読んで育った世代だからね……。

中学生のころ:
プラモデルや模型工作から兵器に興味を持ち、当然のように戦争について調べているうちに、「戦争ってカッコイイもんじゃないかも」と思い始めた。
そして高校野球のTV中継中、8月6日午前8時15分に「黙祷」を捧げる意味に気付いた。
「死の影」や「黒い雨」というものの存在を知ったのもこのころだが、まだ「放射線は大量に浴びると死をもたらすすごいもの」程度の認識だった。

高校生のころ:
物理で放射線について学ぶ。生物学で突然変異について学ぶ。
「なるほど。放射線で遺伝子が傷ついて、細胞が死んだり、遺伝子の突然変異でガン化したり生殖障害が起きたりするわけだね」と言う程度の認識を得た。

大学生のころ:
放射線生物学を学ぶ。
アルファ粒子が遺伝子をぶった切ったりしなくても、放射線によってイオン化した細胞内の物質が、細胞に悪さすることを知った。
例えば、ベータ線が水分子に作用して活性酸素を作り出すとか。
トレーサー(炭素14)を利用した物質代謝過程の観察などの事例を通じて、生物が化学反応の塊であること、物質が流れて行く川のようなものであることを知った。
また、放射線って身近にあるもんだな、と思った。

社会人になってから:
アシモフの科学エッセイを読んでいてギョッとした。
究極の内部被曝というか、「ゼロ距離での狙撃」の存在を知ったのだ。
生物は放射性同位体と、安定な同位体を区別せずに代謝する。
だから、放射性同位体を細胞内の構成物質として取り込んでいる可能性がある。
そこで、その放射性同位体がいきなり崩壊して放射線をまき散らすことがある。
「ゼロ距離での狙撃」である。
それだけではない。
放射性物質は、崩壊して別の物質に変わる。
例えば、炭素14はベータ崩壊して窒素14になる。
炭素が窒素に変わってしまうので、その炭素を含む有機物は、(ベータ線で焼かれなくても)分解してしまうだろう。
体内に大量に放射性物質が取り込まれれば、そんなことが体中で起こるのである。

……というわけで、放射線による被害を考えるとき、内部被曝を重視すべきだと思うのだが、どうも原子力大好きな人たちは、内部被曝を軽視する傾向にあるように思われる(個人の感想です)。
「福島第一原発周辺の帰宅困難地域の年間放射線量は50ミリシーベルト以上」という基準も空間線量だから、内部被曝についてはまったく考えられていない。
フォールアウトの降る中、屋外で遊んでいた子供が吸い込んだかも知れないホコリ、庭で取れた野菜、そういった「普通の生活」のことは考えられていないのである。

生活者の視点のない「安全宣言」「アンダーコントロール」ってなんなのだ。

さて、『放射能と人体』の後半には、内部被曝について最新の知見も書かれているようだから、じっくり読むとするか。

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2014/05/18

平和宣言都市にて

平和宣言都市にて
計算の仕方によるが、原発の過酷事故の発生頻度は「10年に1回」となるそうだ(『「原発事故報告書」の真実とウソ』参照)。
日本人の母子が乗ったアメリカの艦船が武装集団に襲われる頻度より高いのではあるまいか。

そもそも戦争とは外交の失敗を意味するのではなかったか。
危機意識のない安全ボケ、戦争好きの平和ボケをのさばらせていて良いものか。

次の選挙で落としてやりたいが、選挙制度がまたヒドイ。

せめて自分が「核兵器廃絶平和宣言都市」に住み、近所仲良く暮らしていることに安らぎを求めるしかないか。

(2014-05-18追記)
本当は「非戦反核平和宣伝都市」と言って欲しいところである。

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2014/05/11

動物は面白く、植物は不思議だ

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ワシが若いころの話。
植物生態学を専攻していたと言ったら、年配の同僚に「若い者は植物よりも人間に興味を持たねばいかん」と説教された。
なんでも、若いうちは人間に興味を持っていても、年とともに動物を可愛がったり植物を育てたりするようになって、やがて石にしか興味を持たなくなるのだそうだ。
もちろん、最後の石は自分の墓石である。


それはともかく、ワシは専攻こそ植物生態学であったが、動物生態学や心理学(人間の心理も動物の心理も)にも興味がある。
というかあり続けている。
石は……墓石には興味がないが、地質や火山についてはもっと勉強しなくちゃなぁと思っている。


それはさておき、大学へ進むとき、動物と植物のどちらを研究しようかと悩んだ時期があった。
結局植物にしたのは、動物は面白いけど植物は不思議だったからだ。


動物は、自分自身が動物であるから、その行動や生態について、なんとなく予想がつく。
だが、植物は生き方がまったく違うので、原理もわからず、予想もつかないのである。


例えば、いま花盛りのナガミヒナゲシ。
ナガミヒナゲシのつぼみは下を向いている。
下を向いたまま花柄が伸びる。
やがて、つぼみは上を向いて花を咲かせる。
だから、花が咲いたとき、花柄の一部に曲がった部分が残っている。


なぜ、ナガミヒナゲシのつぼみは下を向いているのだろうか?
下を向いているつぼみを上向きにするには労力(エネルギー)を要するはずだ。
その労力に見合うだけの利益がなければ、このような生き方をしていないはずだが、いったいどんな利益があるのだろうか。


つぼみが下を向いていることで、花がより目立つのではないかと考えてみたが、果実は上を向いたままだしなぁ。
不思議である。

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2014/05/08

イヤな夢

庭木の枝にアメフラシ。
庭の芝生にナマコ。


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写真撮ってブログに上げたらウケるかなぁ、などと思ってたら、ナマコを踏んじゃうという夢。


夢の中でブログに載せることを考えるあたりが妙に「現実的」である。
それなのに、陸上にいるはずのない海生動物を見ても「あり得ない」なんていう反応をしないところが、夢だなぁ。


目が覚めてから、現実的には枝にイモムシ、芝生にナメクジだから、枝にアメフラシでは逆じゃないか、なんて考えた。
ナメクジもアメフラシも、どちらも貝殻のない貝(軟体動物腹足類)だからね。

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2014/05/05

緑のカーテン2014

今朝は地震で目が覚めた。
初期微動に気付き、こいつは大きいのが来るかと思ったら、震度3だった。
こんが怯えて、布団に潜り込んできたので、その後本当に目覚めるまでの間、背中がはみ出て寒い思いをしたのだった。

緑のカーテン2014

さて、表題の件。
緑のカーテンを設置すべく、昨日花の苗を買ってきた。
今年も「青いスイートピー」がなかったので、アサガオ主体にした。

西側(左)から、
宿根アサガオのケープタウンブルー、
ドイツアサガオのジャーマンピンク×2株、
ドイツアサガオのジャーマンブルー×2株、
アサリナ×4株、
宿根アサガオのケープタウンブルー
というように一列に植えた。

種類や色をとりまぜたのは、多様性のためだ。
要するに育てやすさや病虫害の受けやすさが異なるものを混ぜておいて、ヘタしても全滅を防ごうというわけである。

アサリナというつる植物は初めて植える。
タキイ種苗の苗には、花の色に応じて「桃すだれ」「雪すだれ」「涼すだれ」「藤すだれ」なんていう名前が付いている。
北アメリカ南部からメキシコと、ヨーロッパに分布する、ゴマノハグサ科の多年草だそうだ。
オオイヌノフグリとかママコナとかの親戚ということになるが、ゴマノハグサ科の植物でつるになるものがあるとは知らなかった。

さて、今年はちゃんと盛夏に「緑のカーテン」になるのやら。

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2014/05/03

風に吹かれて

風に吹かれて
コンクリートの隙間から伸びたヒメツルソバの咲く日々。
もうありとあらゆる草木が伸びちゃうんで今朝も玄関先のローズマリーを刈り込んだ。
先週刈った芝は良い具合になってきて、裸足で庭に降りるのに最適である。
芝生に寝転んで空を見上げ、風に吹かれながら、こんをなでる。

平和っていいなぁ。

ところで、今朝のNHKの連続テレビ小説『花子とアン』のワンシーン。
伯爵令嬢蓮子の復讐を手伝った花子は伯爵の背中に紙を貼る。

「我輩は伯爵様なるぞ。エッヘン」
「家の名は大事だぞ。エッヘン」

要するに「既得権益で威張るなよ」ということだとワシは解釈した。

日本は神の国であるから他の国より尊いのである。だから戦争する権利があるのだ。
……なんていうふうに憲法を変えたがる人たちがいるようだが、その考え方はよくわからん。

ワシには既得権益は何もない。
だから敗戦後、何もないところから世界の手本となるような国家を目指した先輩たちの「目標」に共感するのだ。

「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」
「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」
(日本国憲法前文より)

全力っていう言葉はこういうときだけに絞って使わないとね。

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