« 「非戦反核」ふたたび | トップページ | 虹の彼方に »

2014/01/03

『ジェノサイド』を読んだ

高野和明著『ジェノサイド』(角川文庫で上下2巻)を読んだ。

カバーの説明文には「超弩級エンタテインメント」とか「現代エンタテインメント小説の最高峰」とか書かれているが、エンタテインメントと言って良いのかどうか。
極めて重い問題を突きつけてくる。

かといって、完全に社会派の小説であるわけでもなく、ポリティカルフィクションというわけでもない。
サイエンスフィクションの要素もあるが、ハードSFではない。

主人公は、元米国陸軍特殊部隊の兵士で難病の子供を持つ傭兵・イエーガーと、父親を病気で亡くしたばかりの日本の大学院生・古賀研人。
この二人と、表題であるジェノサイド(大量虐殺、集団殺戮)がどう関わってくるのか……。

本書では、さまざまなジェノサイドが描かれ、あるいは示唆され、あるいは予見される。

アフリカの武装組織による村落襲撃、未知の病原菌の伝播を防ぐための部族殲滅、現生人類(ホモ・サピエンス・サピエンス)がその他の人類(ホモ・サピエンス・ネアンダーレンシス)に対して行ったかも知れない殺戮、核戦争による人類絶滅……。

襲撃した村落の子供を兵士に仕立てる話などは胸が悪くなるが、現実である。

そのアフリカからイエーガーが救出した幼児の頭をなでながら、研人が言う(下巻p.405)。
「もう安心だよ。ここには戦争はないからね。この国の人たちは、もう戦争はしないと決めたんだ」

……そうであることを望む。

現生人類には、戦争を好み、他者を傷付けたいという病的な欲求があるのだろうか。
それは戦場に送られた者や、指導者に見られるゆがんだ精神によるものなのか。

研人が難病の特効薬の合成に成功したとき、これまでに感じたことのない陶酔感を覚える(下巻p.334)。

これが科学だと研人は悟った。(中略)自然の謎を解くことで、頭がふらふらするほどの幸せを得ていたのだ。
椅子に座り込んだ研人は、多幸感に浸り続ける一方で、科学技術の恐ろしい側面にも気づいた。原子爆弾を開発した科学者たちも、この快感の虜になっていたのだろう。彼らは大勢の人間を殺したい一心で原爆作りに没頭したのではない。アインシュタインの予言が現実化することに、そして人類がそれまでに手にしたことのない莫大なエネルギーを得ることに興奮していたのではないか。未知への挑戦がもたらす陶酔感は、人類社会にとって諸刃の剣だ。

原子力発電所を再稼働したいと考える人の中には、カネのためではなく、「莫大なエネルギー」に魅せられてしまっている科学者・技術者もいるんだろうなぁ、なんてことを考えてしまった。

|

« 「非戦反核」ふたたび | トップページ | 虹の彼方に »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 『ジェノサイド』を読んだ:

« 「非戦反核」ふたたび | トップページ | 虹の彼方に »