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2013/12/30

『戦艦武蔵』に描かれた死に方

だいたい、男の子は「戦い」が好きである。
忍者ごっこにしろチャンバラにしろ、ライダーごっこにしろ(何にせよ古いか?)戦闘を模した遊びである。
ゲームだって戦うものばかりだし、スポーツは模擬戦闘だ。

だから中学生くらいまで兵器が大好きだったりするし、戦車や戦闘機にあこがれる。
ワシも中学2年生くらいまで、模型やプラモデルをたくさん作ったものだ。
飛行機のプラモデルを天井からテグスで吊るし、空中戦のシーンにする。
リアルにするために、線香で弾痕を作り、ガーゼで白煙を作る。

だが、自分がその飛行機に乗っていて、被弾し、乗機が白煙を吐いて墜落する、という状況には思い至らない。
それが子供、というものか……。

『加藤隼戦闘隊』あたりから戦記ものを読み始め、子供向けだったが『戦艦武蔵のさいご』を読んだとき、戦争で死ぬのは格好良くないことかも知れない、と、初めて思った。

艦上で爆撃を受けた少年兵が、裂けた腹からこぼれ落ちた腸をかき集めながら「おかあさん」と叫び、やがて動かなくなった……といった描写があったように思う。
もしも自分が兵士となって死ぬような目に遭うとしたら、軍歌にあるように「花と散る」のではなく、自分の腸を見ながら息絶えるのではあるまいか。

そう考えると、お国のためだか何だか知らないが、戦争で死ぬのは真っ平だ、と思うようになったのだ。

吉村昭の『戦艦武蔵』でも、ありとあらゆる死に様が描かれる。

パラオで魚雷攻撃を受けて被弾、浸水した区画で水中聴音機室員7名が戦死する。
呉のドックに戻って排水すると、遺体は「白くふやけてすでにはげしい腐臭を放っていた」(p.253 以下ページ番号は新潮文庫版による)。

レイテ沖海戦では、魚雷攻撃のほか、爆弾による爆撃と機銃掃射を受ける(不沈戦艦は飛行機に負けるのである)。
甲板上には手足をもぎ取られた負傷者が転がる。
「艦内にも点々と戦死者の肉片が四散していた。遺体はそのまま放置され、負傷者が続々と医療室に運びこまれてゆく。医務室の床には血がひろがり、軍医や衛生兵が応急手当をしながら走り廻っている。(p.281)」

やがて武蔵は大きく傾き始める。
「乗組員たちが初めに海へ飛び込みはじめたのは、そそり立った艦尾からであった。が、はるか下方の海面に達するまでに、かれらの口からは悲痛な叫びが起った。かれらのほとんどは、巨大なスクリューに叩きつけられていた。(p.293)」

「艦底の側面から海面までは四、五〇メートルあった。乗組員たちは途中まで側面の上を滑り降りていったが、その側面に厚くこびりついた牡蠣殻でたちまち傷ついた。(p.293)」
船底にはカキやフジツボ、カメノテなどが固着する。その殻の縁は鋭く、刃物のように皮膚を切り裂く。
裸足で磯遊びをしていて、痛みが少ない割に深く切り、驚くほど出血して驚いたことがある。
牡蠣殻で切り傷を負って失血死しても、「名誉の戦死」なのだろうか。

沈没した武蔵のつくる渦に巻き込まれずに済んだ者も、海面に広がる重油に苦しめられる。
救出にやってきた駆逐艦のスクリューに巻き込まれる者もいる。

どうにか命拾いした人たちも、武蔵の沈没が公になることをおそれた海軍中枢部によって、隔離されたり、再び戦場に送られたりした。
マニラから高雄(台湾)に送られる途中、輸送船が潜水艦の魚雷攻撃を受けて海に投げ出された人たちもいた。
「かれらは五時間から十九時間泳ぎつづけたが、漂流中、敵潜水艦に味方艦船から投じられる爆雷の衝撃で内臓破裂を起した者が多く、救助された後にも五十名が死亡、結局生存者は三〇パーセント弱の百二十名に過ぎなかった。(p.301)」

この数少ない生存者のほうに自分が含まれるという自信、ありますか?

子供ならともかく、経験を積んだ大人なら、根拠なく「自分は大丈夫」などとは思えないだろう。
というか、戦争を礼賛する輩は、精神的に子供であるか、あるいは「自分は戦場に出ることはない」と確信している嫌な奴か、そのどちらかではないか、とワシは思うのである。

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2013/12/28

『戦艦武蔵』あとがきより

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なんか雲行きが怪しい。
そこで、吉村昭著『戦艦武蔵』のような戦争文学を読むと、寒気がする。


例えば、あとがきの冒頭から。


 昭和三十八年秋、友人のロシヤ文学者泉三太郎から戦艦武蔵の建造日誌を借用した。この日誌は、終戦後米軍が進駐してくる直前、かれらに押収されることを恐れて焼却されるはずのものであったが、建艦にたずさわった長崎造船所のある技師が、その貴重な資料が永遠に消滅するのを惜しんで秘蔵しておいたものなのである。

うーむ。これって、特定機密だよね。


武蔵の出港を隠れ見たという老いた漁師の話。


 話し終わってから、ふとその老人は、
「今の話は、だれにも言わないでくれ」
 と、顔をこわばらせて言った。
 私は、一瞬、その意味がわからなかったが、
「おれが話したなんて言うことがわかると、まずいから……」
 と、重ねて言う老人のおびえた眼の光に、私は、漸く老人の言葉の意味が理解できた。
「でも、戦争は二十年前に終わりましたし、別にどうということもありませんよ」
 私は、苦笑しながら言った。
「いや、まずい、まずいよ」
 漁師は、私に話しをしたことを後悔するようにしきりと手をふった。

苦笑できなくなるような日が、こないことを望むよ、本当に。

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2013/12/24

『戦艦武蔵』を読んだ

吉村昭の『戦艦武蔵』を読んだ。

冒頭、とんでもない「秘密」から話が始まる。
昭和十二年、九州の漁師が海苔の養殖や浮子綱に使う棕櫚(しゅろ)の繊維が姿を消したのだ。
何者かが買い占めたようなのだが、県庁や中央官庁が調査してもわからない。

じつは、三菱重工の長崎造船所で、「秘密」を守るために買い占めたのである。
棕櫚縄を編み、すだれのように組んで、巨大な目隠しを作り、船台をすっぽり覆ったのだ。
その中で造られたのが「第二号艦」、世界最大の戦艦「大和」の兄弟艦、「武蔵」である。

「武蔵」を建造し、進水させるまでで全ページの半分、竣工するまでで三分の二に到る。
浮沈戦艦「武蔵」は最初にして最後の戦闘で撃沈してしまうのだから、活躍する話はほとんどない。

その建造過程において、「武蔵」には名前がなく「第二号艦」と呼ばれ、全容がわかるような設計図が現場に渡されることもない。
「部分」しかわからないような設計図をもとに、「部分」を組み合わせていかなくてはならない現場は、やりにくかったろうなぁ。

あまりにも船体がでかいので、ふつうに進水させることもできない。
重さで進水台が壊れるかもしれない。
船台を滑り降りた勢いで長崎港を進み、対岸に乗り上げてしまう。
どうやって壊れない進水台を造り、どうやって対岸に乗り上げないよう勢いを殺ぐか。

『プロジェクトX』的な「無謀な挑戦」の数々があり、エンジニア魂を感じるところではあるが、「秘密」があるせいで恐ろしいことになる。
造船所の社員は、ワシやアナタが会社で「ヒドイ目に遭ったなぁ」というその「ヒドイ目」なんて比較にならない、酷い目に遭うのである。

主砲の砲塔(これも世界最大だ)に関する図面が設計図庫から消えた。
スパイに盗まれたのか。
盗まれたら、これまで秘密裏に建造してきた「第二号艦」のサイズが推測できてしまう……。

設計図庫に出入りする技師と製図工が厳しい取調べを受ける。
それはもう酷いもので、まるで拷問である。
図面の行方が判った後、釈放された技師と製図工の半数はPTSDとなってしまった。

いやはや「秘密」、とくに「軍事機密」に一般人が巻き込まれることの、なんと不気味で恐ろしいことか。
海軍から造船所に「第二号艦」建造の依頼がきたときから、関係者は特高(特別高等警察)に身元調査されているのである。
本人が気付かないうちに、家族や交友関係などの身辺が洗われていた……。

いやはや(二回目)、「秘密」の名の下に、個人情報は否応なく国家権力に吸い上げられていく……。

さて、世界最大の(ある意味)素晴らしい艦船でありながら、建造途中で時代遅れになり、資源とエネルギーと人命を無駄に使って海の藻屑と消えた。
まったくもって、戦争とは無駄なことに情熱を注ぐこと、ということなのだろうか。

途中で「巨艦巨砲主義」は時代遅れと悟っても、意地でも作り上げて「旗艦」とする、その、しょうもない見栄っ張りな根性。
これは軍人の専売特許ではなく、官僚機構に共通していないか。

もはや原子力発電は時代遅れなのだが、意地でも再稼働してやろうという根性は、さて、日本国民をどこへ連れて行くのか。

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2013/12/22

8年の歳月

今朝、散歩から戻ったこんが、庭のカツラの横に座った。

2013年12月22日、庭にたたずむこんとカツラ

このカツラ、買ってきたときは直径が5センチメートルほどだったのだ。

2005年11月13日、庭で遊ぶこんと娘たち

そのころは、こんも若かったねぇ。

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2013/12/19

現場思考

表題は現場志向の変換ミスではない。
ワシは科学者としてもエンジニアとしてもライターとしてもアマチュアだが、とにかく「現場で考える」ことを重視したいと思っている。

空想を玩ぶのも好きだが、モノをいじったり汗をかいたり感じたりするほうが好きである。
……なんかヘンに誤解されるとイヤなので急いで付け加えると、工具や庭仕事の道具をいじったり、汗をかいて山に登って風や寒さや夜空の広がりを感じるのが好きなのである。

そして、その現場(フィールド)でアレコレ考える。
あとから思い返したり検証したりすると、しょうもない思い付きに過ぎないことも多いが、時折、現場に居なければ見えない/感じない/思い付かないんじゃないかと思えることもある。

というわけで、ワシは現場思考を大切にしている。
今はスマートフォンやTwitterやEvernoteがあるので、現場で気付いたことをすぐにメモできて便利だ。
紙の手帳と銀塩カメラしかないころは、思い付いたことを覚ておくのは大変だった。
もっとも、その頃は今より記憶力が良かったけどね。

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さて先日、足尾の無名のピークでカモシカを探しているとき、双眼鏡の視野に入る山肌が妙に気になった。
全体に黒っぽい玄武岩からできているのだが、ところどころ白い花崗岩が覗いている。

足尾は銅山の製錬所から排出された二酸化イオウのために、広範囲に森が失われ、表土が流失した。
むき出しになった岩肌はもろく、今も崩壊している。

植林して森を取り戻すための闘いは続けられているものの、崩壊が止まらず、低くなった稜線にも、白い花崗岩の岩体が現れている。
よく見ると、稜線の岩体から斜面の白い岩の筋まで、層のようになって、玄武岩の間に挟まっている。

貫入岩体か。
おそらく海底火山に由来する玄武岩の層が海底の地下深くにあったとき、裂け目にマグマが侵入し、ゆっくり冷えて筋状の花崗岩となったのだろう。
その後、プレート運動によって海底は陸地になり、さらに山となって、風雨に浸食されて岩肌をさらすようになったのだと考えた。

現場思考の弱いところは、すぐに裏付けをとれないところだ。
その後調べてみて、足尾山地は数億年前の火山岩と堆積岩からできていることを確認した。

数億年前の古い岩石からできているからといって、そこが長期間安定した土地だというわけではない。
海底から山へと変化し、しかも圧力を受けてグズグズになっている。
崩壊や落石で、何度怖い思いをしたことか。

そうした変化は、1970年代以前の教科書には、きわめてゆっくり、数億年単位で起こると書かれていた。
しかし最近の地質学の本を読むと、きわめて短期間、数十万年とか数万年とかいった単位で起こるようだ。

そして言うまでもなく、火山による大地の変貌は急速で容赦がない。
足尾の無名の山頂から富士山を認めたとき、周囲の山並みに阻まれて見えない浅間山や男体山のことを考えた。
今は(比較的)おとなしくしているこれらの火山も、いつ活動し始めるかわからない。
かつて「休火山」という分類があったことを、どれくらい覚えているだろうか。
もちろん、忘れたほうが良い。

ついでに、13万年間動いていなければ活断層ではない、という言い分も忘れたほうが良いだろう。

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2013/12/17

『「原発事故報告書」の真実とウソ』を読んだ

いやぁ、怒ってるなぁ。
日経新聞の元科学技術部次長の著者は、科学ジャーナリズムに長くかかわった者として、都合の良いほうに誘導しようとする「報告」は我慢ならないのだろう。
そして、津波で被害を受けた上に原発の避難地区にもなっている南相馬の出身ゆえ、子供のころの自分を育んでくれた山河を奪った「罪」を見逃せないのだろう。

さて、「豆腐の上のおから原発」「何でも官邸団」と、いろいろ手厳しいが、読者としてはちょっと痛快である。


著者:塩谷喜雄
出版社:文藝春秋(文春新書)

四つの事故報告書の徹底検証

本書で比較検証された四つの報告書のうち、ワシが読んだのは、『福島原発事故独立検証委員会 調査・検証報告書』、いわゆる民間事故調報告書だけである(科学的逍遙日誌「民間事故調報告書を読み終えた」参照)。

国会事故調の報告書と政府事故調の報告書は Web で公開されているが、本屋で見たときの分厚さと、結局はメルトダウンした原子炉に入れないのだから、真の事故原因は解明されていないという残念な感じから、読まずにいた。

そこで、本書を買って読んだのだ。 事故原因の解明を望んだわけではなく、それよりもなぜ福島第二原発はメルトダウンを回避できたのか、という点などに関心があったからである。

さて、著者は四つの事故調を次のように格付けしている。

  • 国会事故調(3ツ星半)――政治ショーの是非
  • 政府事故調(3ツ星)――責任追及を目的としないことの是非
  • 民間事故調(3ツ星)――アメリカンな人間ドラマ、事故は官邸で起きたのか?
  • 東電事故調(黒星1ツ)――責任逃れに終始、「ぼくちっともわるくないもん」

満点は5ツ星である。もちろん、東電はマイナス評価である。

反省点や落ち度がなかったかどうかを点検するのではなく、合理的に責任を逃れる論理を、ひたすら追い求めると、この胸の悪くなる文書に到達する。

学会や規制当局から指摘されていた、耐震強化や津波対策の遅れについては、時間を限って対策を指示されていなかったことや、津波リスクの評価は学会の「定説」にはなっていなかったことなどを挙げて、責任を回避している。

事業者の自主性の尊重という、日本の原子力規制制度のあいまいさを最大限に利用して、言い逃れを重ねる狡猾と厚顔には呆れ果てるしかない。脱原発や卒原発の人はもとより、原発推進、あるいは核保有論者も、この文章に一度触れ、不実の程度を知る必要がある。(p.32)

すすんで見たくはないが見なければはじまらないという不快な重圧感ゆえに、東電事故調の報告は、星5ツ全部を差し引いた上に、負の価値、黒星1個を献上する。

著者の怒り

著者は、怒ってる。

日経新聞の元科学技術部次長の著者は、科学ジャーナリズムに長くかかわった者として、自分たちの都合の良いほうに誘導しようとする「報告」は我慢ならないのだろう。

そして、津波で被害を受けた上に原発の避難地区にもなっている南相馬の出身ゆえ、子供のころの自分を育んでくれた山河を奪った「罪」を見逃せないのだろう。

ひょっとすると、3.11を目の当たりにするまで「核燃料サイクルは撤退すべきだと考えていた。一方で、軽水炉の利用については、経験が蓄積されている分、当面はエネルギー源として認めるべきだと思っていた」という著者自身にも、怒りの矛先は向けられているのかも知れない。

「豆腐の上のおから原発」(p.196)、「何でも官邸団」(p.142)、「無能幹部互助会」(p.219)と、いろいろ手厳しいが、読者としてはちょっと痛快である。

「何でも官邸団」は官邸が現場に介入し過ぎた(と言われている)ことにちなむが、東電本店や原子力安全保安院や原子力安全委員会や官僚が過酷事故に際して「役立たず」だったことの結果でもある。

福島第一・第二原子力発電所からのいわゆる「全員撤退問題」についても、筆者は証拠が足りないとして、こう断じている。

幼稚な言い訳(引用者注:「社員のプライバシーを守るため」と称して修正を加えたりしていること。)を考える前に、責任企業の当然の社会的義務として、すべてのビデオを、無修正・無条件で公開すべきである。(p.141)

事故対応にもたついて、事態の悪化を隠蔽し続け、本当に危なくなったら、住民の安全などそっちのけで、身内だけをそっと退避させる。そんな要員退避計画を当事者企業から持ちかけられて、「はいそうですか」とうなずく首相がいたらお目にかかりたい。(p.172)

福島第二はなぜメルトダウンを免れたのか

震源からの距離が同じくらいで、揺れの程度も津波の大きさも同様であったはずの福島第二原子力発電所では、なぜメルトダウンは起こらなかったのか?

実際に原子炉が受けた地震や津波の程度に差があったのではないか(第一の計器が全壊しているので判然としないが)、福島第一の原子炉の老朽化が激しかったことも原因では……。

しかし、政府事故調の報告から、驚くべき「実態」が明らかになる。

高圧注水系の損傷を恐れて、代替注水の準備をせずに、弁を閉じてしまい、冷却機能をすべて失う図である。第二原発ではそれが違っていた。(p.132)

次の手段の有効性を確認する前には、現在稼動中のシステムを止めない、というのは、福島第二の運転員によれば「常識」だという。外部電源が生きていた福島第二と、全電源を喪失していた福島第一との「余裕」の違いはあるだろうが、危機にあってこそ常識は不可欠なのかもしれない。

この問題を突きとめたのは、ひたすら愚直な政府事故調のお手柄といっていい。

ICトラブルと代替注水問題で見えてきたことは、日本の原子力開発が、チェルノブイリはおろかスリーマイル島原発(TMI)事故すら、教訓として全く学んでいなかったことである。東電を除く3つの事故調とも、この肝心要のポイントに全く言及していない。(p.133)

全交流電源の喪失を想定したマニュアルも、福島第一にはあったらしい。(中略)

普通に制御盤をにらんでいれば、ほとんどの機器は1時間で復旧するという想定で、超楽観的な内容だったという。電気を売っている電力会社にとって、電源の復旧などお茶の子さいさいだという意識があったとすれば、今回の過酷事故は、東電の自滅、オウンゴールだと言わざるを得ない。(p.134)

原発のリスク

集中立地と老朽原発の稼動というリスクは、日本の原発が抱える抜き差しならない「構造」である。地域独占という経営形態の存続に不可欠の要件でもある。そこに経済合理性はかけらもない。

その構造がもたらした当然の結末として、福島第一の過酷事故が発生したのだとすると、日本社会は原発ゼロを目指すしか選択肢はないことになる。そうではないことをきちんと証明できれば、原発は抜本的な安全策を施して経済合理性を担保したうえで、電源の選択肢の一つとして今後も残ることになる。

このキーポイントを事故調が集中的に解析していないことは、不可解というしかない。国の政策選択にとって最も重要な問題を避けては、事故調の名がすたる。(p.183)

驚愕の過酷事故発生頻度

それにしてもまぁ、計算方法によっては原発の過酷事故の発生頻度が「10年に1回」となってしまうという報告が原子力委員会から出ていたとは(「原子力発電所の事故リスクコストの試算」p.16)。

どうしてマスコミは、この件でもっと騒がなかったのだろう?

ひょっとして、事故発生頻度の「2.0✕10-3/炉年」という書き方の意味がわからなかったとか?

これは科学技術的な標準的な表記で、2.0の1000分の1のことである。 言い換えれば、0.002、あるいは 0.2%、あるいは 500分の1である。

1つの原子炉が1年のうちに過酷事故を起こす確率が 0.2% という意味である。

これでもわかりにくいので、著者がわかりやすく説明している。

日本の原発50基(福島第一の1~4号機は廃炉になるため除外)が全部再稼働すれば、日本全体での事故発生頻度は、500分の1に50を掛けて、10分の1になる。これから10年に1回は、放射性物質が大量に撒き散らされる過酷事故が、日本で発生するということだ。(p.189)

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2013/12/15

イルメナイト争奪戦勃発?

中国の無人探査機が月に着陸した。
国威発揚だとか軍事目的とか資源確保とか、いろいろな目的が取りざたされているが、なんだかSFで描かれた世界が現実化しているようだ。

世界初の恒常的月面基地を建設したのは中国だった、という話は、小川一水が『第六大陸』で書いている。

月面から見れば地球上のすべての場所が「眼下の低地」であることを利用して、リニア加速器から発射した岩の塊で「爆撃」する話は、ハインラインが『月は無慈悲な夜の女王』で書いている。

そして、幸村誠の『プラネテス』では、核融合発電が人類の主要なエネルギー源となった時代を描いているが、その原料は月面のチタン鉱物イルメナイトに吸着されているヘリウム3である。

願わくは、地球上のゴタゴタを月に持ち込むことなく、資源にせよ「高地」という立地にせよ、平和裏に利用して欲しいものである。

宇宙技術は軍事技術に転用できる。
だからこそ、冷戦下のアメリカとソビエトがロケット開発にしのぎを削り、その結果アメリカは1969年に人類初の月面着陸に成功したわけだ。

「はやぶさ」や「かぐや」のことを考えると、日本の宇宙技術もいい線行っていると思うのだが、そうした技術が「軍事機密」とならないことも、切に望む。

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2013/12/14

国家転覆?

先週の木曜日、忘年会があるので会社まで歩いて行った。
ふだんは車通勤で約30分(うち駐車場からの移動に10分)のところ、歩いて40分、約4500歩だった。


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その途上、鮎壺の滝の吊り橋を通ったので、写真を撮った。
鮎壺の滝では、三島溶岩流の末端から黄瀬川の水が流れ落ちている。
1万年前、その溶岩をもたらしたのは背景に見えている富士山である。


いずれ富士山が噴火したり、東海・東南海・南海地震があったりするかも知れない。
しかしこの日は、穏やかな陽射しに照らされて、なんとも豊かな国土だなぁと感した。


風が強くて寒かったけれど、楽しい通勤であった。


さて、今朝の新聞を見たムスメが、「独裁国家って凄いなぁ」と言った。
国家を転覆しようとしたとして逮捕された重要人物を、わずか数日で処刑してしまったという見出しを見たからだ。
そういえば、ムスメたちは独裁国家とか粛清とかについての情報に、日ごろ接することがないからなぁ。


20世紀には独裁者がいっぱいいて、粛清とか虐殺とか大量殺戮とかいったニュースを何度も見たり聞いたり読んだりした(なんてことだ)。
21世紀のこんにち、大変喜ばしいことに、「我は(我々は)国家なり」と言って国民をないがしろにする独裁者や一党独裁の国家は数えるほどになっている。


それにしても、「国家を転覆する」とはどういうことだろう?
「我(我々)の支配体制を覆そうとするとはけしからん」ということだろうか?


ふと、国民の知る権利を抑制し、軍隊を持った普通の国になりたいとか、原発を再稼働してプルトニウムを増産し、核兵器を持った強い国になりたいとか、そういう輩って、「平和な民主主義国家」を転覆しようとしていると言えるのではないだろうか、な~んてことを思ったのだった。

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2013/12/08

スマートフォン山に登る

一週間前、右手の親指爪に近い部分がパックリ割れていたが、ようやく癒えた。
久々に山に出掛け、寒い中、水と火を扱ったので、手が荒れたのだ。

足尾の山に登って力モシカなどを見た話は、ここ一週間の記事を読んでいただくとして、今日はスマートフォンの話。

2台目(2代目?)のスマートフォン、Arrows NX F-06E を持って山に登った。
ふだんから特にケースに入れたり、ストラップを付けたりしていないので、裸のままザックのポケットに放り込んでおいた。
一緒に入れたコンパクトデジタルカメラとぶつからないように、間にゴミ袋(雨天時はザックカバーとして使用)をはさんだ。
F-06E の強化ガラスのディスプレイとダイヤモンドコートの外装を信用しているのだ。
もちろん、傷一つ付かなかった。

定点観察の間に、写真を撮ったりメールしたり Twitter に投稿したりした。

近頃のスマートフォンはカメラ機能が進歩しているので、デジタルカメラの出番が減ってしまった。
撮った写真をそのままメールや Twitter やブログに添付できるしね。

たまたま電波の届く稜線だったので(3Gだけど)、家族に「なんとか登れたよ」とメールすることもできた。

遠く富士山が見えたとき、その方角を地図とコンパスで確認したり名前のわからない植物を図鑑で調べたり、といったことを、すべてスマートフォンでできてしまうのはとても便利である。
嵩張る地図も重い図鑑も持って登らずに済むのだから。

その他、車で移動中にオーディオプレイヤーとして使い、車のラジオ(往路の高速道路で電動アンテナが故障して、出し入れ途中で止まって動かなくなってしまったのだが)にFMトランスミッターで音楽を飛ばしたり、地図でルートを確認したりと、山行の間、スマートフォンの機能を便利に使った。

だが、泊まった場所では電波が入らず、酒を飲んでいるときには車中に放置したので、星座の確認その他、やろうと思えばできたであろうことを確さず仕舞い。
まあ、その分、デジタルデバイスにまったく触れないアナログでワイルドな夜を過ごすことができた。

ところが、ワイルドな生活のせいで、冒頭に書いたとおり、手が荒れた。
そのため帰路、メールで家に連絡したり、車のアンテナの修理の手配をしたりするのに苦労した。
指紋がなくなって、スマートフォンの指紋認証が効かなくなってしまったのである。

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2013/12/07

ややこしいコトからの開放

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山ヘ行き、獣を探す。
夜になれば、枯れ枝を拾って火を起こす。


焚き火の炎を見るうちに、
Macで便利に使っていたフォントがWindowsでは使えないとか、
ファイルサーバの空き容量が足りないとか、
InDesign CS6 で作っちゃうと CS4 で開けないとか、
動画ファイルのキーフレームがうまく拾えないとか、
PCでは正常に表示できる Web ページがタブレットでは妙な具合になるとか、
そういううじゃうじゃした問題から開放される。


ヒトは文字を読み、コンピュータを使うように進化したわけじゃない。


山の斜面や岩場にいる獣を、周囲の草や岩のテクスチャの中からパターンを認識して見つける。


葉のへりが滑らかか、ぎざぎざ(鋸歯)があるかなどの特徴で植物を見分ける。


そのままでは消化できない、あるいは毒を持つ植物を、すりつぶしたり水にさらしたり煮たりして食料とする方法、およびその手順を考え、伝える。


そうして生き延びることにより、知能の発達した個体だけが生き残ってきたのだ。


そのパターン認識能力、情報伝達能力があるから、文字を読み、コンピュータを使うことができる。
だが、文字を読み、コンピュータを使うややこしい生活がときおり辛くなる。


よく燃える枝を見分け、それに火をつけ、ゆらぐ炎を見つめるとき、なんだかホッとするのだ。
炎を見つめながら他愛のない話をして笑い、いろんなことを考える。


ヒトは知能を発達させた結果、犬歯などの武器を失ったのかもしれない。
争いを嫌い、問題を知的に解決することができるように進化してきたのではないか、なんてことも考えた。

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『オリンピックの身代金』の違和感

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(写真は福島のりんご。今年も食べる。この記事とはあまり関係ありません)

ドラマ『オリンピックの身代金』は、終盤までは面白く観たのだが、最後に違和感が残った。

なんで主人公の刑事は、犯人を二人とも射殺しちゃったのか(一人はドラマの中では死んでいないが、たぶんあのあと死んだね)。

車で逃走するところを後方から撃つなら、運転者ではなくタイヤを撃ってパンクさせたほうが良いのでは?
というか、前方の刑事が威嚇射撃しろよ。

火をつけたダイナマイトを持って逃走する若いテロリストを(またもや)後方から撃つなら、足をねらったほうが良いのでは?
背中を撃ち抜くように撃ったのでは、流れ弾で一般人に被害が及ぶ可能性がある(国立競技場の通路だからね)。
狩猟の経験者から、流れ弾による危険を避けるため、銃口は必ず水平よりも下に向けて撃つもんだと聞いたことがあるが、警察は違うのだろうか。

それに、爆弾を見つけたら、解体するより周辺の観客を避難させるのが先ではないか?
オリンピックの開会式をつつがなく行うという「国家の威信」のほうが人びとの命より大事だという警察幹部の志向に、主人公の刑事は違和感を覚えていたはずではなかったか?

「知る権利」をないがしろにする国家権力、弱い者・貧しい者、地方を食い物にする社会に対する反発が主要なメッセージのはずなのに、それが終盤に来て「警察頑張れ」的になったような気がする。

前にも違和感の話を書いたなぁ、と思って過去記事を検索したら「『攻殻機動隊S.A.C. 』の違和感」だった。
やはり公権力の濫用というか、力は正義というか、それが人びとのためになるのか?というところの違和感である。

特定機密保護法案が国会で審議されている間にドラマを見て違和感を覚え、その数日後に強行採決。
この国の民主主義はこの先、大丈夫なんだろうか。

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2013/12/05

足尾から富士山が見えた

足尾から富士山が見えた


沼津から車で270km、休憩を含んで約6時間。
そこから徒歩で1時間半の足尾山中、無名のピークから富士山が見えた。


そこにはニホンカモシカの観察のため、過去三十年間に十指に余るくらい登っているはずなのに、先週土曜日まで気付かなかった。


野生動物の定点観察では、観察する範囲を決めて、隈無く何度も双眼鏡とフィールドスコープを眺める。
だが、動物の活動がひと段落する昼前後は、フィールドスコープの前から離れることもある。
周囲を歩き回ってあたりの尾根や岩場を双眼鏡で窺うのだ。


そんなとき、ふと遠い地平線を眺めた。
もちろん、山の中なので地平線そのものは見えない。
だが、南の方向は山並みが途切れ、関東平野を覆っているらしい雲が平らに見えた。


Dsc_0158s


その西、備前楯山をはさんだあたりも地平線ではなく、なだらかな稜線である。
どこの稜線だろう、と双眼鏡でよく見ると、そこに見なれた形の白いものが。


Dsc_0158sc


直線距離で160km離れた富士山が、はっきりと見えた。
手前のなだらかな稜線は、大菩薩か雲取山か、そのあたりであろう。


ふむ。ここから見えるということは、中禅寺湖と足尾の間の社山や、男体山からも見えるだろうか。

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2013/12/04

星に願いを、掛けなかった

30日の夜、足尾の山中で久々に天の川を見た。
星が多すぎて星座がわからない。


肉眼で見える星は6等星までのはずだが、7等星くらいまで見えたような気がする(個人の感想です)。
というわけで次の図はプラネタリウムソフト Stella Theater Pro で7.5等星まで表示させたスクリーンショットである。


20131130_7


毎夜のこんとの散歩で見る沼津の星空は、次のように3等星か4等星くらいまでしか見えないので、星座がわかりやすい。
星が多いと、見慣れているはずの星座を見失う。


20131130_4


東の空にはオリオン座を中心とする冬の大六角形が見えるはずだが、それすらわからない。


20081225_7


ふたご座の近くに木星が輝いているので、なおさらわかりにくい。
その木星を双眼鏡で見ると、ガリレオ衛星も見えた。
イオだかエウロパだかガニメデだかカリストだか。


20131130_j


なにしろ明るい。
星明かりでトイレへ行けるくらい明るい。
空も漆黒ではなく深いグレーだ。
地球の大気が星明かりで見えているのだ。
双眼鏡でそのグレーの部分を見ると、さらに星。


宇宙空間へ出たら、漆黒の背景に、もっとたくさんの星が輝いているだろう。
映画『スターウォーズ』シリーズでは、宇宙船の背後に夥しい星が描かれているが、実際にはもっと多いのではないかと思った。
だって、地上からでもこれだけたくさんの星が見えるのだから。


星空を眺めながら、仲間と「アイソン彗星は残念だったね」なんて話していると、流れ星が流れた。
「あっ流れ星だ」と指差す間輝いているような大きな流れ星だった。
いつも「あっ流れ星だ」と言うだけで願いを掛ける暇はないので願掛けはしない。
もっとも、星に願って解決するなら願いたいことがこの世には多すぎる。


オリオン座が昇るにつれ、ヤシャブシの大木の枝の向こうで星ぼしが瞬くようになった。
「オリオン座がイルミネーションだなんて、こりゃあ何とも贅沢な、最大のイルミネーションだね」なんてことを話してから、自分の車の寝袋にもぐりこんだのだった。

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2013/12/02

羚羊と鹿と猿を見て猪を食ってきた

タイトルだけ見るとなんか凄いことをしてきたようだが、それほどでもない。
金曜日から日曜日まで、足尾のこういう山の中へニホンカモシカを観察しに行ったのだ。


 Dsc_0155s


カモシカを見たのは何年振りだろう。
午後じゅうずっと、岩場の上に座って反芻していた。
ずうっと、もぐもぐ、もぐもぐ。
草や木の葉を胃で発酵させたものだから、漬物みたいな味がするのだろうか。


シカもたくさん見たが、メスばかり。
オスは声を聞いただけだ。


そして、サルもたくさん見た。
沢をはさんで対岸の斜面を子連れの群れが右往左往。
日向ぼっこしたり、追いかけっこしたり。


そしてイノシシだが、捕まえて食ったわけではない。
友人が知り合いの猟師からもらった肉をステーキと猪汁で食べたのだ。


まぁ、ほかにもいろいろあったので、おいおい書いていこう。

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