『戦艦武蔵』に描かれた死に方
だいたい、男の子は「戦い」が好きである。
忍者ごっこにしろチャンバラにしろ、ライダーごっこにしろ(何にせよ古いか?)戦闘を模した遊びである。
ゲームだって戦うものばかりだし、スポーツは模擬戦闘だ。
だから中学生くらいまで兵器が大好きだったりするし、戦車や戦闘機にあこがれる。
ワシも中学2年生くらいまで、模型やプラモデルをたくさん作ったものだ。
飛行機のプラモデルを天井からテグスで吊るし、空中戦のシーンにする。
リアルにするために、線香で弾痕を作り、ガーゼで白煙を作る。
だが、自分がその飛行機に乗っていて、被弾し、乗機が白煙を吐いて墜落する、という状況には思い至らない。
それが子供、というものか……。
『加藤隼戦闘隊』あたりから戦記ものを読み始め、子供向けだったが『戦艦武蔵のさいご』を読んだとき、戦争で死ぬのは格好良くないことかも知れない、と、初めて思った。
艦上で爆撃を受けた少年兵が、裂けた腹からこぼれ落ちた腸をかき集めながら「おかあさん」と叫び、やがて動かなくなった……といった描写があったように思う。
もしも自分が兵士となって死ぬような目に遭うとしたら、軍歌にあるように「花と散る」のではなく、自分の腸を見ながら息絶えるのではあるまいか。
そう考えると、お国のためだか何だか知らないが、戦争で死ぬのは真っ平だ、と思うようになったのだ。
吉村昭の『戦艦武蔵』でも、ありとあらゆる死に様が描かれる。
パラオで魚雷攻撃を受けて被弾、浸水した区画で水中聴音機室員7名が戦死する。
呉のドックに戻って排水すると、遺体は「白くふやけてすでにはげしい腐臭を放っていた」(p.253 以下ページ番号は新潮文庫版による)。
レイテ沖海戦では、魚雷攻撃のほか、爆弾による爆撃と機銃掃射を受ける(不沈戦艦は飛行機に負けるのである)。
甲板上には手足をもぎ取られた負傷者が転がる。
「艦内にも点々と戦死者の肉片が四散していた。遺体はそのまま放置され、負傷者が続々と医療室に運びこまれてゆく。医務室の床には血がひろがり、軍医や衛生兵が応急手当をしながら走り廻っている。(p.281)」
やがて武蔵は大きく傾き始める。
「乗組員たちが初めに海へ飛び込みはじめたのは、そそり立った艦尾からであった。が、はるか下方の海面に達するまでに、かれらの口からは悲痛な叫びが起った。かれらのほとんどは、巨大なスクリューに叩きつけられていた。(p.293)」
「艦底の側面から海面までは四、五〇メートルあった。乗組員たちは途中まで側面の上を滑り降りていったが、その側面に厚くこびりついた牡蠣殻でたちまち傷ついた。(p.293)」
船底にはカキやフジツボ、カメノテなどが固着する。その殻の縁は鋭く、刃物のように皮膚を切り裂く。
裸足で磯遊びをしていて、痛みが少ない割に深く切り、驚くほど出血して驚いたことがある。
牡蠣殻で切り傷を負って失血死しても、「名誉の戦死」なのだろうか。
沈没した武蔵のつくる渦に巻き込まれずに済んだ者も、海面に広がる重油に苦しめられる。
救出にやってきた駆逐艦のスクリューに巻き込まれる者もいる。
どうにか命拾いした人たちも、武蔵の沈没が公になることをおそれた海軍中枢部によって、隔離されたり、再び戦場に送られたりした。
マニラから高雄(台湾)に送られる途中、輸送船が潜水艦の魚雷攻撃を受けて海に投げ出された人たちもいた。
「かれらは五時間から十九時間泳ぎつづけたが、漂流中、敵潜水艦に味方艦船から投じられる爆雷の衝撃で内臓破裂を起した者が多く、救助された後にも五十名が死亡、結局生存者は三〇パーセント弱の百二十名に過ぎなかった。(p.301)」
この数少ない生存者のほうに自分が含まれるという自信、ありますか?
子供ならともかく、経験を積んだ大人なら、根拠なく「自分は大丈夫」などとは思えないだろう。
というか、戦争を礼賛する輩は、精神的に子供であるか、あるいは「自分は戦場に出ることはない」と確信している嫌な奴か、そのどちらかではないか、とワシは思うのである。
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