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2013/08/31

サイボーグ・ゼロサプレス・ナイン#009

サイボーグ・ゼロサプレス・ナイン#009

サイボーグ・ゼロサプレス・ナイン#009

ミュトス・サイボーグ編のハカセも混ざってます。

サイボーグ・ゼロサプレス・ナイン#009

なぜか潜水艦の中なのに広い。

サイボーグ・ゼロサプレス・ナイン#009

タコツボ化(サイロ化)してる専門家より遥かにマシだと思うけどね。

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2013/08/29

サイボーグ・ゼロサプレス・ナイン#008

さらに前回の続き。

サイボーグ・ゼロサプレス・ナイン#008

サイボーグ・ゼロサプレス・ナイン#008

サイボーグ・ゼロサプレス・ナイン#008

サイボーグ・ゼロサプレス・ナイン#008

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サイボーグ・ゼロサプレス・ナイン#007

前回の続き。

サイボーグ・ゼロサプレス・ナイン#007

サイボーグ・ゼロサプレス・ナイン#007

サイボーグ・ゼロサプレス・ナイン#007

サイボーグ・ゼロサプレス・ナイン#007

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最後の最後まで

となり町で町議選。
通勤途上で街宣車、じゃない、選挙カーと頻繁に行き逢う。
なにしろ選挙区が狭いからね。
候補者も多いから、遭遇確率は衆院選の比ではないわな。

それはさておき。

名前の連呼やら、決まり文句を叫ぶ連中ばっかり。

「最後の最後まで、よろしくお願いいたします」
を聞いたときには、
「最後の最後って、死ぬまでかよ。アンタの最期を看取る義理はねぇよ」
と毒づいてしまった。

もちろん、投票箱に投票用紙を入れるまで、ってことだろうが、それでいいのか。

議員の本当の仕事は議会で議論を戦わせ、市民(町民)が幸福に暮らせるようなコンセンサスを得ることだろう。

議員の戦場は議会であって、選挙期間中の路上ではない。
だから選挙のことだけ考えているような、「選挙戦」とか「戦っております」なんて言う連中は、議員候補として失格だ、とワシは思うぞ。

そんなふうに思われないように、選挙カーからたれ流す言葉も、もっと工夫してはどうかね?

※ちなみに、となり町の選挙なので、ワシには選挙権はない。だが、どの選挙でも似たり寄ったりの現象が見られるように思うぞ。

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昨日、献血した

会社の近くで献血した。
400mlのワシの血液が、輸血や血液製剤に役立つことを望む。

自分もケガや病気でお世話になるかも知れない。
だから、情けは人のためならず、なのだ。

いずれ、iPS細胞の応用などにより、献血も不要になるのだろうか。

技術の進歩と、ワシが献血不能な年齢になるのと、どちらが早いだろうか。

※現在の基準では、69歳まで。

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2013/08/27

サイボーグ・ゼロサプレス・ナイン#006

サイボーグ・ゼロサプレス・ナイン#006

サイボーグ・ゼロサプレス・ナイン#006

サイボーグ・ゼロサプレス・ナイン#006

サイボーグ・ゼロサプレス・ナイン#006

地底帝国ヨミ編の初めのほうのエピソードより。

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真夏の飛蚊症

最初は「教育委員会は必要か?」というタイトルにしようかと思ったのだが、すでに2008年に同じタイトルで書いていた。
だから、タイトルとアプローチを変えてみることにした。

飛蚊症は、現実には蚊がいないのに、目の前を頻繁に過ぎるように見える病気である。
原因は、眼球内の液体に富んだ組織の一時的なむら(気にすることはない)から、網膜剥離(失明の危険あり!)までさまざまだ。

真冬であれば、蚊がぶんぶん飛び回るはずはないので、蚊のようなものが見えたら、飛蚊症である(とはいうものの、沼津では12月にも蚊がいるが……)。

だが、真夏の場合は?
ほんとうに蚊が飛んでいる可能性も高いから、まず蚊が実在するのかどうか、確かめる必要がある。

現実に、外界に実在するものなのか、それとも自分の心身が生み出したものなのか?

自分が見たもの・感じたもの・考えたものを、無批判に信じ込み、他人に押し付けるのはいかがなものか。
えてして、年寄りは自分の衰えを否定したい気持ちからか、自己主張が強くなりがちだ。

何事も強制はよろしくない、のにねぇ。

偉そうなことを言う、しかも間違っているかも知れないことを声高に言う、そういう老人にはなりたくないものだ。

……ということで、この記事を疑ってみてもかまわない。
大歓迎である。
このブログの表題のように「科学的」であるためには、(自分を含めた)すべてを疑うことが大切なのだ。

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2013/08/26

サイボーグ・ゼロサプレス・ナイン#005

前回の続き。

サイボーグ・ゼロサプレス・ナイン#005

サイボーグ・ゼロサプレス・ナイン#005

サイボーグ・ゼロサプレス・ナイン#005

サイボーグ・ゼロサプレス・ナイン#005

記憶媒体がBlu-rayじゃないところがミソです。

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2013/08/25

戦車に未来はあるか

毎朝富士山(世界遺産)のほうからドンドンと遠雷のような音が響き、こんが朝の散歩に行きたがらない日々が続いた。
自衛隊の東富士演習場で総合火力演習が行われたのだそうだ。

3億5千万円もかけて、ウチの犬を脅かしやがって。

それはさておき。

10式戦車の映像を見ると、随分と平ベったい。
平べったいのは前後左右から見にくく、攻撃されにくくするためである。
でも、上から見にくくするのは難しいのでは?

無人航空機による地上攻撃技術が進歩しているので、今のままの戦車では、戦車側の一方的な損失となる。

すでに10式戦車もネットワーク化されているそうだから、そのうちAIを搭載して無人の思考戦車になっていくのだろう。

乗員を何人も乗せる必要がなければ小型化できる。
小型化すれば、上空からも見えにくくなる。
いっそ光学迷彩機能を開発すれば良い。

なんだ、未来の戦車は『攻殻機動隊』のフチコマではないか(アニメではタチコマ)。

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サイボーグ・ゼロサプレス・ナイン#004

サイボーグ・ゼロサプレス・ナイン#004

サイボーグ・ゼロサプレス・ナイン#004

サイボーグ・ゼロサプレス・ナイン#004

サイボーグ・ゼロサプレス・ナイン#004

(注)原作が描かれた1960年代には、もちろんDVDもPDFもありません。

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2013/08/24

サイボーグ・ゼロサプレス・ナイン#003

サイボーグ・ゼロサプレス・ナイン#003

サイボーグ・ゼロサプレス・ナイン#003

サイボーグ・ゼロサプレス・ナイン#003

サイボーグ・ゼロサプレス・ナイン#003

仲間割れ?(元恵まれざる者 vs 元恵まれてた者)

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2013/08/23

サイボーグ・ゼロサプレス・ナイン#002

サイボーグ・ゼロサプレス・ナイン#002

サイボーグ・ゼロサプレス・ナイン#002

サイボーグ・ゼロサプレス・ナイン#002

サイボーグ・ゼロサプレス・ナイン#002

もう最終回?

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2013/08/22

サイボーグ・ゼロサプレス・ナイン#001

サイボーグ・ゼロサプレス・ナイン

サイボーグ・ゼロサプレス・ナイン

サイボーグ・ゼロサプレス・ナイン

サイボーグ・ゼロサプレス・ナイン

背番号は右揃え。

【参考】
過去の記事:「サイボーグ・ゼロサプレス・ナイン

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2013/08/21

雷雨と満月

頼まれていた仕事を忘れていたことに気付いて、残業。

窓の外で稲光がピカピカし、強い雨が降ってきたので、これはちょっとヤバイかもなぁ、と思った。
この場合の「ヤバイ」は「よろしくない」という意味である(ここ数年「ヤバイ」の使われたかたが変なので、いちいち断らなければならない……なんてことはないか)。

そこで、作業中のデータを頻繁に保存するようにした。

そのころ、ウチではこんがおびえてアチコチうろつきまわり、階段下の物置の中でアウトドア・テーブルとベンチの間にはさまっていたそうだ。

突如大きな雷鳴:高電圧によって急激に加熱・膨張した空気の破裂音。
すると、蛍光灯がまたたいき、エアコンが止まった。
瞬断が起きて、エレベーターとエアコンが止まったと全館放送が入った。

これはそれこそヤバイかも、と、重要な作業は止めて、ちょっとしたデータ処理に移る。
途中でダメになっても、すぐに取り戻せる程度の……と作業をはじめたところ、照明が完全に消え、ディスプレイもブラックアウトした。

照明はすぐに非常灯に替わり、数秒後には非常用発電機が起動して蛍光灯が灯った。
止まっていたコピー機やプリンターが息を吹き返し、IP電話機が IP アドレスを取得するため DHCP サーバと通信を始めた。

だが、PC を起動している最中にまた電源を喪失するとディスククラッシュの危険があるので、作業を再開せずに帰ることにした。
データの破損の程度は明日確かめよう。

スマートフォンで雨雲レーダーを見ると、15分ほど待てば雷雲は去りそうだった。
会社の前で20時過ぎまで待って、傘も差さずに帰った。

21時過ぎに散歩に出ると、雲が切れて満月が姿を見せた。
遠くで雲が光り、雷鳴が低く響いていたが、もはやこんは(さほど)恐れていないようだった。
雷の怖さが弱まったため、生理的欲求のほうが勝ったようで、公園まで出かけて雲古をした。

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罵りたくなるとき

大菩薩峠、1980年代
なんかもう、仕事していても↑こういう景色が頭をよぎる。

なかなか休めんなぁ。

こういうときは、近場でいいから、どこかの山とか川とかに行って、たまっているモノを口汚く罵って吐き出す必要がある。

「レベル3」のフクイチの汚染水と違って、周囲を汚染する恐れはない、かな。

増え続ける汚染水の対策は追いつかず、事故の収束、廃炉への道のりは見えない。

あー、しかしもう、これでもまだ、原発の再稼働を言うか。

津波の被害さえなければ、メルトダウンすることはない、というわかりにくい二重否定を弄するか。

本当に、福島第一原子力発電所の事故の原因は津波「だけ」なのか。
そう言っているのは当事者の東京電力だけで、本当の原因は(原子炉に近づけないから)わかっていない。

例えは悪いが、泥棒が「はじめから窓が開いてました」と言うようなものだ。
泥棒の言うことを信用できるか。

あー、もう、もっと口汚く罵りたいが、ワシは上品なのでできんなー。

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2013/08/20

学校で習うことは役に立たないか

テント場の横を流れる沢の水面が青く揺らいでいた。
その青い揺らぎが岸の落ち葉に近づくと、ぱっと炎が上がった。


ガソリンストーブ(コンロ)から漏れたホワイトガソリンが沢の表面を流れていたのだ。
なぜ火が着いたのかはわからないが、火を消して給油したストーブがまだ高温だったのかもしれない。
幸い少量だったので、燃えきるまで眺めているしかなかった。


もう燃え尽きたかな、と思って岸の石をひっくり返すと、ふたたび炎が上がってビックリした。
砂の中にガソリンが浸み込んでいたようだ。


もう30年以上前、大学のサークル活動の春合宿の出来事である。
ガソリンは揮発しやすいし、-30℃で引火し、300℃で発火するのだから、扱いには気をつけなくてはいけないなぁ、と痛感した。


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▲ガソリンストーブ(MSR-GK)


学生のころは、引火しにくいため比較的安全な灯油のストーブ(ラジウス)を使っていた。
卒業後、単独行でテント泊を繰り返すようになったため、軽量で火力の強いガソリンストーブを使うようになった。


Pb154379s
▲ガソリンは灯油や水と間違えないよう、専用のボトルに入れる


ガソリンは引火・発火しやすいだけではない。
30℃前後で沸騰するのだ。


そこで、ガソリンタンクが温まらないよう、屋外でも自動車の車内でも、置き場所に気を遣う。


沸騰していなくも、タンクの中で気化し、内圧が高まる。
そのため、フタを開けると急激に減圧し、沸点が下がる。
減圧により沸騰しやすくなるのだ。


沸騰とは、液体の内部で起こる気化である。
液体の内部で泡が発生し、はじけることによって液体が飛び散る。


ガソリンタンクのフタを開けるときには、必ず少しだけ開けてそのまま保持し、ガソリンの蒸気を抜く必要がある。
ガソリンタンクの中には、フタのほかにガス抜き用の栓を設けているものもある。
もちろん、圧を抜くときも火気厳禁だ。


こうした基本的なこと……大半は中学までの理科で習うこと……をおろそかにすると、大惨事を招くこともある。


一見平和な世の中も、じつは危険のタネに満ちている。
学校で習うことなんて役に立たないという人がいるが、それは大間違いだ。


もちろん、いくら知識があっても危機を回避できるとは限らない。
襲いかかる危機を避けられず傷を負ったり命を落とした人は、運が悪かったとしか言いようがない。
座っていた場所がほんの少し違っていただけで、命を失うことがあるとは。


たとえ襲いかかる危険を回避することが難しいとしても、自ら危機的状況を「起こさない」ようにするために、持てる知識を役立てて、頭を使っていきたいものだ。


被害者になることを防げなくても、加害者にならないようにしなくては。
戦争を起こさない方法、原発をなくす方法のヒントも、学校で習う知識の中にある。

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2013/08/19

仕事山積の法則

今日は朝から頭痛がしてい食欲もなく、気鬱のため休んでしまおうかと思ったが、マーフィーの法則が怖いので会社に行った。

そのマーフィーの法則とは……。

休んだ日に限って、厄介な仕事が舞い込む、とか。

休んだら休んだ分だけ、次回出社時に辛い思いをする、とか。

会議をサボると、面倒な役割を振られる、とか。

休んだ日数と未読メールの数は比例するが、重要なメールの数は比例しない。そのため、重要なメールが埋もれる可能性は増大する、とか。

会社に行って良かった。
お盆休み明けの同僚が、どっと仕事をくれるわ、相談にくるわで、休んでいたらどうなったことかと考えるとオソロシイ。

皆が仕事をしているときに休めないので、皆が休んでいるときに仕事を進めておこう、なんて考えると、なかなかまとめて休めなくなってしまうのだった。

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2013/08/18

タブレットを使えるようにするまで

義父がソニーのタブレット、Xperia Z を買ったが、無線LAN環境がないので使えない、というので、無線LANルータを買って設置してきた。

Xperia Z には NTT docomo の LTE 回線(Xi)を利用するモデルと、Wi-Fi モデルがある(Wi-Fi:ワイファイは、無線LAN規格の一種というか、商品名というか……)。

家電量販店で買ったとのことだが、携帯電話売り場だったかパソコン売り場か聞いたところ、パソコン売り場だそうだ。
ということは、Wi-Fi モデルなので無線 LAN 親機が必要、と判断した。

タブレットを買ったが使えない、という場合、環境が整っていないことも多いのだ。
販売店でもそこまで確認して売って欲しいものだと思うが、説明が厄介だから、客のほうが面倒くさがってちゃんと聞かない、なんてこともあるだろうなぁ。

それはさておき。

Buffalo の無線 LAN 親機を NTT の終端装置(要するにルータ)につなぎ、タブレットの Wi-Fi 設定で親機を確認してパスワードを打ち込んで、接続完了。
ここまでは 30分足らずで済んだ。
その後がちょっと厄介だった。

いや、接続そのものも、ワシは自宅で経験済みなのでスムーズに行ったが、初めての人は苦労するだろう。
そもそも、マニュアルどおりだとうまく行かないのだ。

NTT の光回線の場合、ルータは NTT 支給品を使わなければならないので、無線LAN親機はルータではなくブリッジとして使う。
メーカーはAUTOモードで親機に判別させることを推奨しているが、ブリッジでないと困るので、ブリッジモードにしてから接続する。
Android タブレットも QR コード使用の簡単接続アプリがあるが、インターネット環境に接続できないのだから、アプリを取得できない。

後から調べてみたら AOSS に相当する接続ツールがあるようだったが、とりあえずその場では(アプリ一覧に見つからなかったので)手動で接続した。
手動で接続する方法は親機のマニュアルに記載されているが、これもマニュアルを見慣れない人には面倒だろう。

Wi-Fi 接続に成功し、Webページを見られたから終わり、というわけには行かない。
セキュリティなしでインターネットに接続するのは、深夜の繁華街の裏道を、財布の金を数えながら歩くようなものだ。

そこで、ウイルスバスターモバイルをインストール……しようと思って Google Play を起動しようとすると、Google アカウントがないという。
そうか、スマートフォンと違って、購入時に Google アカウントの登録が必須ではないので、Google アカウントなしでもタブレットは使えるのだった。
やたらアカウントを増やすのもお年寄りには負担である。
そこで、トレンドマイクロのサイトからダウンロードすることにした。

ダウンロードするのは良いのだが、支払いをどうするか……。
年金暮らしのお年寄りには、クレジットカードがない。
銀行振り込みが慣れた方法だが、ウイルスバスターモバイルの場合は銀行振り込みは選択できない。

……ということで、コンビニ決済。
購入時に必要なメールアドレスは、面倒なのでワシのアドレスにしておいた。

そんなこんなで、今後アプリの購入をしたいときなどに、またアレコレとサポートする必要があるなぁと思ったのだが、世の中の皆さんは、タブレットを買った後、ちゃんと使えるところまで行けてるんだろうか。

いや、使えてないと、タブレットの出荷台数が PC を抜くところまで行かないよね……。

そして、世の中の皆さんは、タブレットをどんなふうに使っているのだろうか。

とりあえず、義父は Web 閲覧などを楽しみたいようだが……。
そのうち、マイクロSDカードに孫の可愛かったころの写真でも入れて、フォトフレームとしても使えるようにしてあげようか……。

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異質と優劣

先日、夜の散歩中、公園の池の向こうから話し声が聞こえた。
日本語ではなくタガログ語のようだった。
フィリピン人の女性が歩きながら携帯電話を使っていたのだ。


Sketch20130818


しかしまぁ、200メートル離れたところでも聞こえる電話の会話とは・・・。


数年前のことだが、夕方、ウチの前の道で激しく口論する男女がいた。
(たぶん)ボルトガル語でやりあっているので、ブラジル人だろう。
口ゲンカしながら遠ざかって行ったが、余りに激しいのでカミさんと二人で心配して様子をうかがった。


ところが、しばらくすると抱き合って談笑しながら戻ってきた。
なんということはない、夫婦ゲンカだったようだ。


いやはや、文化が違うなあ、とビックリし、もうちょっと静かにできんかなぁ、とは思う。


だが、異質だと感じることと、この劣等民族め、と決めつけることとは違う。


中高生のころ、西部劇を観ていて、滑稽だなぁと思ったことがある。
それは、インディアン(ネイティブアメリカン)を劣等人種とみなす白人が英語しか話さないことだ。
ネイティブアメリカンのほうは、英語のほかに部族語と通商語を話せるのにね。
どっちが優れているか?


そういえば、30年ほど前に北海道を旅行中に出会ったフィリピン人(ホテルで働いていた)は、故郷の方言とタガログ語と英語を話し、そのうえ日本語を学ぼうとしていた。
その熱心さに感心した。
日本語の意味を英語で説明するのが大変だったことを思い出す。
だって、演歌の歌詞の「せつない」とか「たそがれ」とか「めぐり逢い」とか「ためらい」とかだよ?
言っておくが、インターネットも電子辞書もない時代で、自分の頭の中の英単語帳しか使えないのだからね。


さて、外国人を蔑視する立派な日本人のみなさんは、もちろん4〜5ヵ国語はペラペラで、当然、相手の言語で議論できるんだよね?

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2013/08/17

海賊風なわけじゃない

海賊風なわけじゃない

最近、手拭いを頭に被るとしっくりくる。

こんとの散歩のとき、秋冬春のスリーシーズンはキャップを被っているのだが、夏の間は汗をかくので手拭いを被る。

その手拭いが、今年は妙にしっくりくるのである。
浮いたりずれたりしないという意味で、しっくりくるのであって、似合っているかどうかはわからない。

ワシは海賊風とかそんなことを気取っているわけではなく、もともとは庭で作業をするときに頭に枯れ枝や毛虫が落ちてきても大丈夫なようにと、こんなふうに被っていたのだ。

なんでしっくりくるのか、その理由を考えてみたら、ちょっと寂しくなった。
理由として思いついたのは、髪の毛の力が弱っているからではないのか、ということだ。

髪の毛が不自由になったわけじゃない

髪の毛の数そのものが減って、不自由な状態になったわけではない。
白髪は少し増えたが、真っ白になったわけじゃない。

だが、若いころは寝癖が夜まで直らないくらい、髪の毛に腰があったのに、最近はとても大人しい。
やはり、髪の毛が細く柔らかくなったので、手拭いを被っても反発することがないのだろう。

いやはや。
トシだな、やっぱり。

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死に方は選べない

桜並木の下を歩くと、あちこちにセミの死骸が転がっていた。

アブラゼミ、アブラゼミ、クマゼミ、アブラゼミ、クマゼミ、……うち一匹のアブラゼミは死骸ではなくセミファイナルだった。

寿命が尽きて木立の下に転がっているセミもいれば、クモの巣にかかったり、スズメバチに貪り食われたりするものもいる。
セミの死に方(ways to die)もさまざまで、その死に方を個々のセミが選べるわけではない。
運がよければ卵を産んで死に、運が悪ければ羽化する前に食われたり、幼虫のうちにカビて冬虫夏草になったりする(冬虫夏草=セミタケはキノコだけど菌類だからカビの親戚だ)。

ヒトもまた、死に方を選べない。

できれば、ゼリー状のガソリンをかけて燃やされたり、放射線に蝕まれたり、自分のはらわたを見ながら息絶えたりというような死に方はしたくないものだが、そうならないという保障はない。
なんだか世の中が「戦前」へと動いているようで、嫌な気分になることがある。

松江市教育委員会の指示で、市内の小中学校の図書館の『はだしのゲン』が貸し出し禁止になったそうだ。
朝日新聞の記事によると、「ありもしない日本軍の蛮行が描かれており、子どもたちに間違った歴史認識を植え付ける」として、小中学校からの作品の撤去を求める陳情が市民から市議会にあったのが発端だそうだ(市議会では不採択、教育委員会が閉架を決定)。

この報道が事実その通りだとすると、「間違った歴史認識を植え付ける」と陳情した人は、いったいどういう人なのだろう。
それこそ、『はだしのゲン』の中で日本の敗戦を確信したゲンの父親を「非国民」と迫害した人々のモデルは、こういう人の同類なのだろうなぁ、と思った(個人の感想です)。

「ありもしない日本軍の蛮行」というのも、(その通りの言葉だったとすれば)いかなる根拠で「ありもしない」と断定できるのだろうか。
はなはだ非科学的で、よほど歴史科学に疎いのだろうなぁ、と感じた(個人の感想です)。
だって、「日本軍が捕虜の首を切り落としたりしたという記録がない」としても、記録というやつは焼き捨てればなくなってしまうのである。
不在の証明というのは、とても難しいのだよ。

孫や曾孫がふたたび戦場に送られるような世の中になるのは嫌だからと、墓場まで持って行こうと思っていた思い出すのも苦痛な自らの経験を語る「元兵士」のおじいさんは嘘つきなのか?
そういう話を聞いたこと・読んだことはないのか?

ワシ自身は、戦争経験者からこういう話を聞いた。
戦争に負けて進駐軍が来るとき、女性は髪を切って男装し、顔を黒く汚しておかなければ、と人々がパニックになったそうだ。
もちろん、進駐軍の兵士に襲われるかも知れない、と恐れたからだ。
どうしてそんなに恐れたのか?
なぜなら、自分たち(日本軍の兵士)がやってきたことだから……。

人は死に方を選べない。
だが、他人の死に方を命令したがる奴はいる。

「間違った歴史認識を飢え付けるから不許可」なんていう、非科学的で非民主的なことを言う連中に好き勝手させてはならない。
さもないと、再び「お国のために死ね」なんて命令される世の中になりかねない。

「お肉のためなら死ねる」と思うことはあるが、「お国」のために飢えて死んだり肉片になったりしたくないわな。

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2013/08/16

八月の憂鬱

八月の憂鬱
トシのせいか、世の中のせいか、あるいは単に夜が寝苦しいせいか、気分が憂鬱である。

30年前には八月というと山を長期間歩き回ったものだが、今やその気力も体力もない。
イカンなぁ。

上の写真はそのころのもので、ワンゲル部の夏合宿の引率から家族登山のハシゴなんてことをやっていた。

登ったり下ったりがウンザリだったが、登ってしまえば別天地。
花やら雲やら星やらを愛でる毎日。

いま現在の現実に戻ると、ワシはお盆休みも関係なく出社。
お盆休みの上のムスメは、毎日友達と出掛けている。

それにしても、1週間のあいだに3回も富士五湖方面へ往復って、若くないとできないなぁ。

・・・と思って気づいた。
30年。
ヒトにおける1世代。

世代交代か。
やっぱりトシだな。

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2013/08/15

終わらない夏

終戦の日、だそうである。
なぜか、毎年8月15日はよく晴れるような気がする。
1945年の8月15日も全国的によく晴れた日だったそうだ。

最後の戦争経験世代であるワシの父親は、「終戦の日」じゃない、「敗戦の日」だ、と言っていた(今も生きているから、今日も言っているに違いない)。

「終戦」というと、戦争が勝手に終結したみたいで嫌なのだそうだ。
日本が世界を相手に愚かな戦争を仕掛け、そしてたくさんの犠牲者を出して「負けた」ことを忘れてはいけない、ということだ。
その犠牲者には、戦闘員だけでなく民間人も数多く含まれる。

そして、原爆被爆者のように、「終戦」後何十年経っても、放射線障害で苦しむ人がいる。
戦場に赴いた人も、ふるさとが戦場になってしまった人も、「銃後」で「空襲」に逢った人も、家族を亡くした人も、みな(身体に傷がなくても)心に傷を負ったまま生きている。

その人たちもみな、あと数十年で居なくなるだろう。
そのときまで、個人の心の中の戦争は終わらない。

戦争を知らない世代、経験者の話を直接聞いたことのない世代に、「戦争やむなし」なんてことをさらっと言う風潮が生まれることを恐れる。

前にも書いたけど、「靖国の英霊」の半数以上は銃弾に倒れたのではなく、飢えと病で亡くなったのである。
それを「国家のために命を懸けた尊い犠牲」というように美化するのはいかがなものだろう?

「元号法制化」の際に、昭和45年に遡って「平和」という元号にして、そのまま元号が変わらずに済むように……二度と戦争を起こさないように……と国民全体が望むようにしたい、と思った。
先ほど父親の世代のことを「最後の戦争経験世代」と書いたが、「次の戦争経験世代」が生まれないことを望む。

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2013/08/14

Dumb Ways To Die

Time to die の続きではないのだが、「バカな死に方」の動画が面白いのでリンクを張っておく。

http://dumbwaystodie.com/

2週間前のパイを食べたり、フォークでトーストを取り出そうとしたり、腎臓を二つとも売っちゃったり・・・。
バカというかマヌケというか、しょうもない死に方のオンパレードである。

実はオーストラリアの鉄道会社の事故防止キャンペーンの動画で、ホームから落ちたり、遮断機が降りた踏切を渡ったりというマヌケな死に方しないようにね、というアピールである。

ワシが反応しちゃうのは、グリズリーにちょっかい出したりガラガラへビを飼ったりという「自然をなめんなよ」系のおバカかなぁ。

断層の上に原子炉建てちゃう、なんてのも、dumb way だよねぇ。
いやそれは活断層じゃない、なんて抗弁するのも、はたから見ると、ねぇ。

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2013/08/12

セミファイナル

セミファイナルとは、もちろん「準決勝」だが、最近ネットでは死にかけのセミをそう呼ぶらしい。

地面に落ちてひっくり返っているセミに触ろうとしたとき、いきなり羽をばたつかせて驚かされる状態である。

昨日ウチのベランダで見たセミは、完全に死んでいたのでセミファイナルではない。

完全に死んで固まっていたので、個人的には「セミダイン」とでも呼びたいところだが、これはただの親父ギャグだなぁ。

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2013/08/11

Time to die

昨日の夕方、干してあった布団を取り込むために2階のベランダに出ると、アブラゼミが死んでいた。


P8100020s


肢を縮め、仰向けに転がっていた。
手に取ると、その軽いこと。


2階の壁あたりに止まっていたセミが、そこで命が尽きたのか……。


寿命が尽きたセミが落ちる瞬間を見たことはないが、スイッチが切れるように生命が途切れるのだろうか。


傷ついたり年老いたりした鳥や獣の命が尽きるときは、健康で元気に活動していたのに突然停止する、というような、スイッチが切れるような終わり方ではない。
あぁ、これはもう駄目だな、死ぬな、ということがわかる。


フィクションの世界では、スイッチが切れるように生命活動が停止する様が描かれることがある。
印象に残っているのは、映画『ブレードランナー』の中で、植民惑星から逃亡したレプリカント(アンドロイド)のグループのリーダー、ロイが「停止」するシーンだ。
奴隷として造られ、4年という短い寿命をセットされ、逃亡すれば機能停止するまで追われるレプリカントの悲哀と誇りを、賞金稼ぎのデッカードの前で語った後、ロイは絶命する。
その直前まで超人的な力を発揮してデッカードを追い詰めていたのに。
その最期の言葉が「Time to die」である。


昆虫の生態は、鳥や獣のようなセキツイ動物とは大きく異なる。
セットされた寿命が尽きて死ぬ様も、鳥や獣よりもロボットに近いかもしれないなぁ、と思ったりした。


メメント・モリ(memento mori)、「死を思え」


生きているということは、いつか死ぬということである。
あんまり考えたくないことではあるが、愛するものも自分もいつかは死ぬということを忘れてはならない。


なんていう具合に死について考えた後、庭のカツラについた巨大なアオイラガの幼虫を駆除した。
死について考えたからといって、人畜に危害を与えるおそれのある虫を殺すのをためらうようなことはないのだ。

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2013/08/10

記憶にございません

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雨の続く間外しておいた、こんの首輪をふと見ると、犬鑑札がない。
迷子になったときのために、付けておいたはずなのだが。


一週間ほど前に首輪を外したときに、犬鑑札は付いていただろうか?
まったく、記憶がない。


今は昔、ロッキード事件の被告(政治家や大企業の重役)が「記憶にございません」と言うのが不思議だった。
こんなに重要なことが記憶にないはずはなかろう、嘘を吐いているに違いない、と思っていた。


今になって思う。
ひょっとしたら、あのオッサンたちは本当に「記憶がない」のかも知れない。
当時のワシは高校生だったから、トシとると記憶力が衰えるということが想像できなかったのだ。


もちろん、汚職事件の被告が「記憶にございません」と言って罪を逃れることは許されない。


そもそも、記憶力が衰えてきたジジイは、偉そうに命令したり決定したりしてはイケナイのではないか?
だいたい、ジジイは先が短いので、自分の決定の責任をとることができないのだから。


決定する権利と責任は若い人たちに譲り、ジジイはアドバイザーや職人に徹したほうが良い。


ワシもあと5年で定年だから、偉そうにするのはアドバイスするときだけにしよう。


それはさておき、こんの犬鑑札は一週間経っても見つからない。
仕方がないので、毎年交付される狂犬病接種済みの札を付けようかと考えている。

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2013/08/09

日本製猛獣飼育・繁殖機能付高級マンション販売中!

日本製猛獣飼育・繁殖機能付高級マンション販売中!
※防犯システムおよび非常用発電機はお客様でご用意ください。
※猛獣の逃亡を防ぐため5重の壁を標準装備していますが、想定外の地震・津波には対応できません。
※トイレはありません。

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2013/08/08

緊急地震速報!

今日の17時少し前、オフィス中のスマートフォンや携帯電話の緊急地震速報の警報音が鳴り出した。
奈良県でマグニチュード 7.8 以上という表示に、みな慌てふためいた。


DTP作業を中断して、そのままブラウザを開き、Yahoo の地震速報を見ようとしたが、アクセスできない。
相手先の Web サーバがダウンしたか、ビジーだとプロキシサーバからメッセージが返ってくる。


そうこうしているうちにメール着信。
沼津市からの「緊急地震速報」だ。


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近畿と四国で震度6弱の予想、静岡県東部は震度4、免震ビルだから大事はないはずだが……。


Scr20130808bs


ん?
地震波の到達予測時刻は16時57分、メール着信は16時59分……過ぎてるじゃないか!


ワンセグを起動して、NHK を見ると……甲子園では高校野球をやっている。


どうやら、大した地震ではなかったらしい、と思って仕事に戻ると、誤報であった(震度1に満たない地震であった)とのメールが来た(再び沼津市から)。


地震計の誤作動が原因らしいが、大地震が来なくてよかった。


近畿から四国にかけては、日本列島を東西に横切る大断層、中央構造線がある。
南海トラフにたまった歪みが解放されるとき、中央構造線も動くかもしれない。
そうなったら、とてつもない規模の地震が起こると予想されている。


今回は誤報だった。
だが次は、誤報ではないはずだ。
そのための備えの一つとして……原子力発電所は止めておいて、使用済み核燃料をどうするか考えないと!

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だから言ったじゃないか

東日本大震災の後、封印していた言葉がある。

「だから言ったじゃないか」

原子力発電所が事故を起こせば大変なことになる、なんてことはわかっていた。
そして、日本列島のどこかで大規模な地震災害が起こることはわかっていた。
だから、原子力発電は日本には(たぶん地球上のどこでも)不適切な発電方法であると考え、機会があれば発言してきた。

しかし、福島第一原子力発電所でメルトダウンが発生したとき、被災して避難している人たち、懸命に事態収束に当たっている人たちのことを思うと、言えなかった。

だが、これはもう、言ってもいいよね?

今年の4月6日に、「『だろう』運転はやめよう」という記事を書いた。
その中で、(汚染水の)「海への流出の可能性はない」というが、それも海へは流出していない「だろう」ではあるまいね」と書いた。

だのに、一日300トンの汚染水が海に流れ出していただと?

「だから言ったじゃないか」

もはや、測定数値を東電の発表に依っている場合ではないのではないか。

事故直後に提案されていたように、すべての観測機器のデータをインターネットで即時公開すべきではないか。

リアルタイムモニタリング、ユビキタスコンピューティングなどの高度情報化技術は、日本の得意技ではないのか?
その技術を使って、データを公にし、対策の提案と支援を世界中から募ってはどうか?

何しろ、海は世界中の国々とつながっているのだから、もはや、一企業はおろか、一国家の問題ではなかろう。

ここで適切な対応ができなかったら、それこそ(使いたくない言葉だが)国益を損ねることになる。

ここで適切な対応ができなかったら、いずれまた、真っ黒な気持ちで呟かなくてはならなくなってしまう。

「だから言ったじゃないか」と。

そんなことは言いたくないのだ。

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2013/08/07

原爆と原発のミッシングリンク

原爆と原発のミッシングリンク
プルトニウムの増殖により、核武装実現を目指す!(目指すなよ……)

今朝の静岡新聞の記事を見て、「失礼ながら、貴社の記者の目は節穴ですか?」とメールを打とうかと思った。
……が、面倒くさいのでここに書くだけにする。

「核兵器としての原爆とエネルギーとしての原発。これらを混同してしまうと、問題の本質を見失ってしまうのではないか、と感じた。」
と書かれていたが、(もちろん混同してはいけないが)密接につながっていることを忘れてはならない。

原子炉はその始まりのときから、核爆弾の原料、プルトニウム製造のために造られた(事実かどうかは調べて確認してね。とくに新聞記者は)。

現政権が原子炉の再稼働、核燃料サイクルの実現を諦めないその理由は、核武装したいからではないのか(本当かどうかは確認してね)。

もちろん、現政権が健全で、核武装なんかとんでもない、プルトニウムの核兵器への転用なんか死んでも認めない、と思っていても、プルトニウムを保持していると核ジャック(テロリストによる盗難)に遭うおそれがある。

原子力発電を推進する立場の専門家の中にも、核拡散を防ぐことが重要で難しい課題であることを指摘する人がいる。
原発と原爆を切り離して考えることはできないのだ。

「原爆と原発は違う」というのは、「安全神話」を振りまいているころの「原子力ムラ」の宣伝文句であったことも、忘れてはならない。

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2013/08/06

虹は個人的な現象である

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会社の DTP 作業でマウスを使い過ぎ、右手の中指に痛みが走って、伸ばせなくなってしまったので、残業をやめて早く帰った。
帰宅途上、上空を渦巻く雲から小雨が舞ってくるので、これはひょっとして、と思った。


ウチに着いて西の空を見ると、大きな虹がかかっていた。
主虹のアーチの中でとくに明るい部分の外側には、副虹も見えた。


虹は、太陽光線が大気中の水滴(雨粒や雲粒)で反射した光を目が捉えたときに見える。


水滴の位置によって反射角度が異なるため、目に入る光の波長が異なる。
そのため、光のスペクトル……虹の七色……が見えるのだ。


太陽光線の向きと、水滴の位置、目に入ってくる光線の角度。
それらがちょっとでもずれると、虹は見えなくなる。
いや、一緒に虹を見ていても、立つ位置によって見え方は異なるはずだ。


虹というものは、空に大きくかかっているにもかかわらず、きわめて「個人的な現象」なのである。


ちなみに、こんはワシの帰宅に喜んで玄関先まで出てきたが、虹を見上げるふうでもない。
それに、イヌの色覚では、見えていたとしても色の数が異なるだろう。


自分が見ている景色が絶対無二であり、誰もが同じ景色を見ている、と思い込むのは非科学的である。
自分が見ている景色は世界の本当の姿ではないのかもしれない、と思い、考えることこそが科学的な態度だと言えるだろう。

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福島に 汚染土の山 原爆忌

核廃絶 原発輸出の 二枚舌

核廃絶 原発輸出の 二枚舌

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盛夏の週末

盛夏の週末 車を12ヶ月点検に出し、庭で犬を洗い、本を1冊読み、庭の草を刈ったら週末が終わった。

 

そして月曜日、忙しく働いたら酷く疲れた。

 

まるで大荷物を背負って山を歩いているときのように、足が重いのは何故だ。

 

そうか。

 

御巣鷹山の事故から28年、ということは、ワシが20代の終わりにアラスカのホテルのTVで「JAL CRASH」の文字を見てから28年ということだ。

 

歳だな。

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2013/08/04

100ミリシーベルト

100ミリシーベルト
放射線被曝量が100ミリシーベルト以下なら、(放射線が原因で)がんになることはないそうだ。

福島第一原発周辺の帰宅困難地域の年間放射線量は50ミリシーベルト以上である。

つまり2年以上そこで暮らすと、がんを発症する可能性が出てくる、ということだ。

ここで、単位の問題に引っ掛かる。

線量計は「マイクロシーベルト毎時」である。

線量計の値がどれくらいなら、帰宅困難ではないのか?

ここで、年間50ミリシーベルトが「何マイクロシーベルト毎時」なのか、計算してみよう。

50ミリシーベルト=50×1000マイクロシーベルト
50000÷365日÷24時間=5.7マイクロシーベルト毎時

答えは「線量計の値が1ケタの前半」である。

2ケタなら、そこは人が住めないところ、なのだ。

人が住めないところを、まだ増やすつもりなのだろうか。

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2013/08/02

歴史認識の問題ではないかも

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一昨日の記事に『進撃の巨人』に関して、
「(巨人を)理屈と努力で撃退しようとする人類がいじましい」
と書いたら、カミさんとムスメから、これは誤解を招く表現ではないかと指摘された。


「いじましい」には「かわいそうになる」という意味もあるにはあるが、本来は「意地きたなくせせこましい」という意味だから、ワシの意図とは異なる。


誤解を招くような表現を掲載しておくわけにはいかないので、「いじらしい」に修正した。


すみません。
作者やファンが不愉快に思ったかなぁ。


……ということで、私人であっても、公言したことには責任を持つ必要がある。
いわんや公人をや。


だのに、政治家や官僚や大企業の幹部やらの失言の数々には呆れるばかりだ。


「もっと歴史を勉強しろ」といった声もメディアで見聞きするが、ひょっとすると歴史認識の問題ではないのでは、と思う。


自分の発言が相手にどう受け止められるかを考える想像力、相手がどう感じるかを慮る共感能力。


こういった能力に欠ける人が、失言を繰り返しているのではないか?


だとしたら、こういう人が組織のトップに立つことを容認しちゃって良いものだろうか。
どうせ、こういう人をトップに据えたがる連中は、自分の既得権益を最優先する、要するに同類だろう(個人の感想です)。


みんなまとめてフォークト・カンプフ検査にかけて、本当に人間なのか判定してみてはどうだろうか(SF小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』、映画『ブレードランナー』参照)。


さてさて、想像力や共感能力は、道徳教育で養うことができるのだろうか?

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