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2012/12/30

なぜワシはファンタジーが苦手なのか

以下、個人の意見、好き嫌いの問題なので、意見や好みの違う人は、あまり気にしないでください。

ファンタジーなマンガや映画は許せるのに、小説の場合は読むのに耐えられないことがある。

これはなぜだろうと考えた。

マンガや映画の場合、作り手の構築した世界のありようが、直接描かれる。
つまり、受け手のワシは、作り手の世界観をそのまま楽しめば良い。

ところが、小説の場合、媒体は文字だけだから読み手が想像力を使う必要がある。
いわば、受け手(読み手)の資源を利用することを前提としているわけだ。

そして、ワシの想像力によって成立する世界と、作者の創造した世界との間にギャップがあると、それに耐えられなくなるのである。
人の資源を使っておいて、この展開はないだろう、なんて腹が立つこともあるわけだ。

だから、ファンタジー小説だけでなく、SF小説でもニューウェーブ(死語?)的なやつは苦手である。
その点、ハードSFは世界の成立条件が厳密である分、想像しやすいので好きなのだ。

中でも、条件がキッチリしているのに、その中で意外な展開があるものが大好きである。
盲点を突かれたりすると、もう、センス・オブ・ワンダーを感じてゾクゾクする。

例を挙げておこう。
アーサー・C・クラークの『渇きの海』で、月面の塵の海の中に埋まってしまった観光船を探すところとか(ネタバレなのでまだ読んでいない人はご注意を)。

断熱性の高い塵の中に、乗員と乗客、稼働中の機械が沈んでいるのだから、蒸し焼きになってしまうはずなのに、そうならない。
なぜかというと、塵が対流して、観光船の熱を宇宙空間に逃しているからなのだ。

そして、その塵の対流が観光船の所在を捜索隊に知らせる目印となる。
赤外線で見れば、対流によって湧き上がってきた「温かい」塵は、周囲の冷たい塵の中で明るく輝く。
その赤外線ビューアのテストのため地球を見た捜索隊の一員は、地球の姿が肉眼で見たものと大きく異なることに気づく。
ヒトの知覚が限定的であり、異なる「視点」に立てば見え方が変わることに、読者も気づかされる。
ワシはここんところでセンス・オブ・ワンダーを味わったのだった。

月の海がさらさらと対流するような塵に満たされているというのはクラークの想像であり、この物語を成立させる条件であるが、その塵の性質は物語の最初のほうで説明されている。
また、とくに説明されていない条件……物理法則などは、読者のなじみの環境と変わらない。
読者に基本的な自然科学の知識があれば、作者の世界観を再構築するのは容易だ。

つまり、良質のミステリーと同様、良質のSFは読者に対してフェアであるように努めているのだ。

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