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2012/11/30

葉っぱの経済学

ここ数日、イチョウが黄色に色づき、道に葉が散り敷かれている。
サクラの枝もスカスカになり、紅色の葉がまばらに揺れている。

葉は急に色づき、散っていく。
少しずつ、少しずつ、秋が深まるにつれて色づいて散っていくのではなく、ある日いきなり、色づいて散るように感じる。

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秋の山を歩いているとき、風もないのにいきなりカラマツの黄葉がはらはらと散り始めたことがあった。

同じ秋の山(大菩薩連嶺)で、風もないのにイタヤカエデの黄葉が、後から後から散ってくるのを見たことがある。
風がないから、葉は舞うことなく垂直に落ちていった。
次から次へと散っていき、根元に積もっていくのをしばらく見ていた。

公園のサクラでも似たようなことがあった。

大学生のとき、ダイズと雑草が光を取り合って競争するしくみを調べた。
そのとき、ダイズの茂みの中の明るさが外側の20%を下回ると、暗い部分の葉が黄色く枯れ始めることに気付いた。

アレコレ調べてみると、植物の葉というものは基本的に「独立採算」だということがわかった。
葉は日光を受けて光合成し、炭水化物を生産する。
その炭水化物と、炭水化物から合成される脂肪分やタンパク質などの有機物を自らの栄養とし、また自らを補強する材料とする。
そして自分で消費しきれない有機物は、植物体の他の部分へと送り出す。

茎や根や花や実で使われる、蓄積される有機物は、葉の余剰生産物なのである。

しかし、他の葉が増えて茂みの影になったり、雑草に覆われたりして光合成できなくなったとき、その葉が他から栄養分をもらうことはない。
葉の中に蓄積していた栄養分を消費し尽くすと(その過程で糖の分解産物で色づくこともあるが)、根からの水分供給を絶ち、枯れ落ちる。

同じように、光合成ができなくなる寒い季節になると、色付き、枯れていく。

生産活動ができなくなり、用済みとなって去って行く葉っぱ。

植物の「個体」というと、1本の草とか木とかを思い浮かべるが、生命の単位としては「1枚の葉」のほうが「個人」に近いように思う。
あるいは、「町工場」のような経済の単位だろうか。
すると、1本の木は地方都市や国家に相当すると考えても良いかもしれない。

枝先にぶら下がって揺れているサクラの葉を見ながら、植物を擬人化するとしたら「カシの木じいさん」よりも「葉っぱのフレディ」のほうが実態に近いのではないか、なんてことを考えたのだった。

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