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2012/09/13

ポケモンと失われた質感

最初のポケモン151種を子供のゲームで見てから十余年、キャラクターもいろいろ様変わりしているようだ。
変わらないのは、そのプラスチックのような質感である。

ピカチュウなどの哺乳類的なポケモンであっても、ソフビやスチロール樹脂のおもちゃはしっくりくる。
しかし、毛皮風のぬいぐるみにすると異和感がある。

毛皮に覆われた頬っぺたが赤く発光するのも妙だしね。
発光する生物は、透明なパネルに覆われた発光器官を持っているものである。
透明なほっぺのピカチュウは、ちょっと怖いかも。

考えてみると、アニメの画質が優先されているのかも知れない。
制作効率の話ではない。
アニメを見る側の感覚が、アニメの質感を「妥当なもの」と認識してしまっているのではないか?

ここでありきたりの文明批評をする気はない。
例の、「アニメのせいで子供の感性が蝕まれる」という類いのやつだ。

比判されるべきは、ナマの感性が育つ機会を奪う大人たちである。

子供はアニメやゲームで遊びたいだけ遊べばいい。
だが、健康な子供であれば、アニメやゲームの二次元世界に飽きて、土をいじったり虫に触れたり犬をなでたリしたがるものではないか?

もちろん、個人差や得手不得手はあるだろうから、すべての子供に強制しろという話ではない。

ただ、大人は子供から機会を奪ってはいけない、と思うのだ。

福島の子供たちが屋外で遊べなくなった、という話を聞くたび、そう思う。
「原発は安全だ」と主張してきた人の想像力では、子供の感性を蝕む可能性など、思い至るまい。

そこで昨日は腹立って、「五十四墓村」なんていう記事を書いたのだ。

人間のような質感の皮膚の下が生きた肉をまとった骨だと言うならば、殴って確かめてみたくなる。
だが暴力はいかんな。

赤い血が流れているのなら、その頭の中身がプログラム通りに働くだけのコンピュータでないのなら、真剣に考えてみてはもらえないだろうか?

子供たちから奪ってしまった「質感」のことを。

足の指の間からにゅるりと出る泥。
手の指にはさむとびりびりと震え、薄くて透明なのに力強いオニヤンマの羽。
なぜか地表に出てきて死んでいるモグラの、つややかで柔らかい毛。

そして太陽と風と海と川を。

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