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2012/05/25

胡散臭きモノ

中学生のころから第2次大戦の戦記物やノンフィクションを読み始めた。
最初は小学生のとき以来の戦闘機や戦車のプラモデル製作の延長で、要するに兵器オタクのようなものである。

だが、高校生になり、当時進行中のベトナム戦争の報道やドキュメンタリーに触れて、戦争嫌いになっていった(兵器というか、機械好きは相変わらずだが)。
戦争嫌いの目で見直すと、戦記やノンフィクションに描かれた人々の言動が理解しがたいものに思えた。

「皇国軍には慰安所などない」
「我が方の損害は軽微なり」
「退却ではなく転進」
「全滅ではなく玉砕」

どういう人が、こういうことを言うのだろう。
永らくそう思っていたのだが、今なら、その顔を見たければ、TVを見れば良いのだ、と気付いた。
原子力ムラの面々の顔を見よ。

ふつうの人たちに見える。
しかし、「福島の原発事故では、放射線で死んだ人はいない。航空機事故のほうが危険だ」などと言う人たちである。
地震や津波で被災し、身動きがままならないまま、避難区域であったがために救出されなかった人たちについてはどう考えているのだろう?
全電源喪失の対策は必要ないと言った人、オフサイトセンターに免震・放射線防護は必要ないと判断した人、巨大津波の可能性を無視した人たちは、今、何を考えているのか?

なんとか長とかの無能段階にいる人たち、手前勝手な利益誘導の上手さで出世したのではあるまいね。
そしてその既得権益を守ることだけを考えているのではあるまいね。

そんなことを思っちゃうから、「推進側」の人たちの言うことは到底信じられないのである。
何年も言い続けているとおり、「原子力発電はうさんくさい」のだ。
あの戦争へと国民を駆り立てたモノと同じように。

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