« QOLを考える | トップページ | 電気はためられないのか? »

2012/01/22

僕のコダクローム

……というタイトルの、ポール・サイモンの曲がある。
「コダクローム」という名前を聞いただけで、あのカラーフィルムの質感を思い出す。

コダクロームは感度がISO64だったことと、青がうまく出ないことから、あまり使わなかった。
リバーサルフィルム(カラースライド用フィルム)には、同じコダックのエクタクローム(ISO100)や富士写真フィルムのフジクローム(ISO100)を使っていた。

日本の花や空を撮るには、国産のフィルムのほうが良い、と言われていた。
1970年代から1980年代のことである。
ちなみに、桜のピンク色を撮るには、サクラカラーが良い、と言われていたが本当だろうか。

アラスカ・デナリ国立公園のポリクローム・パスからの眺め

1986年にアラスカに行くとき、コダクロームを36本(3ダース)買った。
アラスカの花や空を撮るには、エクタやフジよりコダが良い、と写真に詳しい友人が言っていたからだ。
ロットも揃えたほうが良いとかで、一緒に行った連中が使っていたコダクロームは、みな同じロット番号だったはずだ。

このとき撮りまくった写真は、帰国後スライドにして保管。
しかし、家庭では理想的な保存状態を保つのは難しい。
フィルムはカビるモノなのだ。

そこで、2003年にCD-Rに焼いた。
そのころから、銀塩フィルムは使わなくなり、もっぱらデジタルカメラを使うようになった。

先週、コダックが破産したというニュースを読んだ。
銀塩写真フィルムの時代は終わったのだろうか。

風に負けぬ花、Arctic Poppy

デジタルカメラのデータは、記憶装置(ディスクやメモリ)の「1」と「0」、オンとオフの並びである。
それらのデータは、受光素子が光子のエネルギーを受け取り、電気信号に変換したものだ。

一方、フィルムの画像は、フィルム上の銀化合物が光子のエネルギーで変化したものである。
つまり、被写体からやってきた光子の記憶をそのままとどめたものと言えるだろう。

デジタルな写真と、アナログな写真の本質的な違いがそこにある。

デジタルデータを構成するすべての「1」、すべての「0」は、その他の「1」、その他の「0」と区別がつかない。
しかし、僕のコダクロームに写し撮られた花びらの色は、花びらからやってきた光子のエネルギーが残した跡に他ならない。
それはあの日、あの氷河から流れ出した川の岸辺に咲いていたホッキョクヒナゲシの花びらが、確かに存在していた証でもある。

もちろん、そのフィルムもやがてカビに蝕まれるか、劣化して消え去るのだが。

|

« QOLを考える | トップページ | 電気はためられないのか? »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 僕のコダクローム:

« QOLを考える | トップページ | 電気はためられないのか? »