« 2011年12月 | トップページ | 2012年2月 »

2012/01/28

地震予知犬?

今朝、家の前でポケットからスマートフォンを出して時刻を見ると7時37分だった。
「そろそろウチに入ろうよ」と声をかけたが、こんは道に座り込んで、散歩を終えようという気はないようだ。

 

しょうがないな、と玄関先のローズマリーの剪定の仕方を考え始めた時、近所の家からバーンとドアを閉めるような音がした。
「ウチかな?」と思った次の瞬間、どん、と揺れた。
下から突き上げるような揺れ。
しかし震度は3くらいで身の危険を感じるほどではなかった。

 

これは震源は近いな、などと揺れる電線を見上げていたら、リードをぐいと引っ張られた。
こんが大慌てで家に入ろうとしていたのだ。
家に入ってからも2度ほど揺れたので、こんは落ち着かず、足元にまとわりついたり、庭へ出てはすぐに戻ってきたり。

 

こんは雷や地震を極度に恐れている。
雷のときの狼狽ぶりは以前に書いたことがある。
東北太平洋沖地震のときにも、いたく取り乱していたとカミさんに聞いた。

 

さて、イヌやネコは地震を予知するなどと言われることがあるが、こんは明らかに、揺れが始ってから慌てだした。
どう見ても、地震を予知していない。
そもそも、動物が地震を予知するとはどういうことなのか?

 

地震予知技術として、圧縮されたり、解放されたりした岩盤から発生する電磁波を捉えるというものがある(確立された方法ではないらしいが)。
その電磁波(電場の急激な変化)を感じた動物が、常ならぬ感じに動揺して騒ぐのではないか、という話だ。

 

ナマズのように、水中の電場の変化を利用して周囲のエサや敵を感じる能力を持つ動物は、地震に伴う電磁波を感じるかも知れない。
だが、イヌやネコは感じるのだろうか?

 

……野生の状態なら感じるかもしれないが、家畜化してしまうと無理ではないかなぁ、と思う。
とくに、現代のペットは無理だろう。
なにしろ、余分な電磁波が多すぎるからね。

 

送電線、内燃機関、放送電波、携帯電話の電波、Wi-Fi(無線LAN)……。

 

ナマズも電磁波に鈍感なものだけが生き残っていたりしないだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012/01/25

電気はためられないのか?

電気はためられない、というのが、原子力発電を推進したがる人の常套句だった(今はどうだか知らない)。
しかし、蓄電池の進歩によって、「ためる」ことが容易になってきたように思う。
考えてみれば、ケータイをはじめ電子機器はバッテリーで動くものが増えたからね。

バッテリーは電気を化学エネルギーに変えて貯蔵する装置である。
他のエネルギーにも、変える方法はないか?と考えてみた。

揚水発電は、電力が余っているときに水を貯水池に汲み上げておき、必要なときに水力で発電するしくみである。
これは電気エネルギーを水の位置エネルギーに変えて貯蔵するしくみといえる。

電気を水以外の物体の位置エネルギーに変えて貯蔵するしくみはいろいろ考えられる。

太陽光などで発電した余剰エネルギーで、「おもり」をビルの高所に上げるというのは非現実的だろうか?
おもりを下ろすときに発電する。おもりの位置をコントロールすることで制震もできないだろうか?

誰か考案しているかなあ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012/01/22

僕のコダクローム

……というタイトルの、ポール・サイモンの曲がある。
「コダクローム」という名前を聞いただけで、あのカラーフィルムの質感を思い出す。

コダクロームは感度がISO64だったことと、青がうまく出ないことから、あまり使わなかった。
リバーサルフィルム(カラースライド用フィルム)には、同じコダックのエクタクローム(ISO100)や富士写真フィルムのフジクローム(ISO100)を使っていた。

日本の花や空を撮るには、国産のフィルムのほうが良い、と言われていた。
1970年代から1980年代のことである。
ちなみに、桜のピンク色を撮るには、サクラカラーが良い、と言われていたが本当だろうか。

アラスカ・デナリ国立公園のポリクローム・パスからの眺め

1986年にアラスカに行くとき、コダクロームを36本(3ダース)買った。
アラスカの花や空を撮るには、エクタやフジよりコダが良い、と写真に詳しい友人が言っていたからだ。
ロットも揃えたほうが良いとかで、一緒に行った連中が使っていたコダクロームは、みな同じロット番号だったはずだ。

このとき撮りまくった写真は、帰国後スライドにして保管。
しかし、家庭では理想的な保存状態を保つのは難しい。
フィルムはカビるモノなのだ。

そこで、2003年にCD-Rに焼いた。
そのころから、銀塩フィルムは使わなくなり、もっぱらデジタルカメラを使うようになった。

先週、コダックが破産したというニュースを読んだ。
銀塩写真フィルムの時代は終わったのだろうか。

風に負けぬ花、Arctic Poppy

デジタルカメラのデータは、記憶装置(ディスクやメモリ)の「1」と「0」、オンとオフの並びである。
それらのデータは、受光素子が光子のエネルギーを受け取り、電気信号に変換したものだ。

一方、フィルムの画像は、フィルム上の銀化合物が光子のエネルギーで変化したものである。
つまり、被写体からやってきた光子の記憶をそのままとどめたものと言えるだろう。

デジタルな写真と、アナログな写真の本質的な違いがそこにある。

デジタルデータを構成するすべての「1」、すべての「0」は、その他の「1」、その他の「0」と区別がつかない。
しかし、僕のコダクロームに写し撮られた花びらの色は、花びらからやってきた光子のエネルギーが残した跡に他ならない。
それはあの日、あの氷河から流れ出した川の岸辺に咲いていたホッキョクヒナゲシの花びらが、確かに存在していた証でもある。

もちろん、そのフィルムもやがてカビに蝕まれるか、劣化して消え去るのだが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012/01/17

QOLを考える

新年は死についても考えさせられる時期である。

年末に年賀状を出そうとして、住所録を整理すると、喪中の多いこと。

去年はコチラが喪中だったのに、今年はヤツが喪中か、今年も年賀状をやり取りできないなあ、ということもある。

年が明けて、いつも来るヤツから年賀状が来ないなあと思っていると、「年末に不幸があり……」なんていう文面の寒中見舞いが届く。

「門松は冥土の旅の一里塚 目出度くもあり、目出度くもなし」とは、一休もよく言ったものだ。

年末に胃癌が見つかった母は、年明けに内視鏡的粘膜深層剥離術を受けて無事退院。
発見が早かったので良かったが、癌になりやすい体質はワシにも遺伝しているだろうか。

一昨年の人間ドックで肺に影が見つかり、すわ肺癌かと思ったら、精密検査の結果血管の影だとわかった。
しかし半世紀も生きると人体にはガタがくることは避けられない。
いずれ癌になったり動脈硬化になったりすることも避けられないだろう。

問題は、そうなったとき、どう生きるか、ということだ。
正月からずっと、そんなことを考えている。

深刻な副作用のあるとしても、薬物治療や放射線治療などを受けて寿命を延ばすほうが良いのか?
ベッドに縛り付けられて生き延びるよりも、人生の残りの時間を有意義に、やりたいことをやって死んだほうが良いのか?
……どう生きることが、生活の質(QOL: Quality of Life)を高めることになるのだろうか?

もうひとつ考えてしまうのは、自分が死んだ後のこと……死後の世界とかではなくて、自分がいなくなった後の家族などのことだ。
それについては、また書くこともあるだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012/01/04

平穏な一年であることを願うよ

今年の松飾りは11月に宮崎の友人から米などと一緒に送られてきたものだ(4月にも米が送られてきた→「遠方ノ朋ヨリ食イモノ来ル亦楽シカラズヤ」)。

Pc310318s

この正月は、元旦に実家に挨拶に行ったほかは自宅で過ごした(寒いので自宅で古い本を断裁してスキャン)。
雲が出たり風が吹いたりした日もあったが、おおむね良く晴れた。

2012_0103_130735dsc_0069ss

庭のカツラの梢を撮ってみたが、やっぱりスマートフォンのカメラだとイマイチだねぇ。
真ん中へんに紫色のゴーストが入っている。

やっぱりゴーストが入っているが、次も庭の写真。
こんが避けているように見えるが、足が臭うわけではない。

2012_0103_130537dsc_0066ss

裸足なのは、芝の上を歩いてみたからだ。
裸足で歩ける庭が、理想の庭なのだ。

この時期、陽だまりは芝も乾いていて歩いていて心地よい。
しかし、日陰は冷たい。
まぁ、仕方あるまい。冬なのだから。

電力消費を抑えるべく、意地でエアコンを使わないので、ときには室温よりも外気温のほうが高いこともあるが、仕方あるまい。
フォールアウト(放射性降下物)のために、庭を裸足で歩くことができなくなるよりは。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2011年12月 | トップページ | 2012年2月 »