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2011/08/31

半減期

文部科学省の29日の公表資料によると、福島県の大熊町では、放射性セシウムの1平方メートルあたりの濃度が3千万ベクレルだったそうだ。

放射線管理区域の基準値が1平方メートルあたり4万ベクレルだから、その750倍である。
放射線管理区域とは、不必要に立ち入ってはならず、入る場合には放射線測定器を装着するなど、健康被害を受けないために注意が必要な区域である。

では、このまま放置して放射能(放射線を放射する能力)が弱まり、大熊町の放射性セシウムが放射線管理区域の値を下回るようになるのは、何年後だろうか。

半減期についての教養レベルの知識で考えてみよう。

この3千万ベクレルの放射線の源がすべて、半減期2年のセシウム134だとすると、2年放置しても「半分」だから1千五百万ベクレルになるにすぎない。
4年後に四分の一、8年後に十六分の一となる。
千分の一の濃度になるのにかかる期間は約20年となる。

半減期30年のセシウム137なら、千分の一の濃度になるのにかかる期間は約300年である。

文部省の資料では、セシウム134とセシウム137の比率がわからなかったので、20年と300年の間のどのあたりで千分の一になるのかは不明だ。

何らかの除染処理を行わなければ、現在年金で暮らしている人はもちろん、何世代も先まで、避難している人々は故郷に帰ることができない。
ひょっとすると、福島が元の姿を取り戻すころには、ワシもアナタもこの世には居ないかもしれない。

原子力発電所の事故とは、こういうものなのだ。

事故を起こさなくても、放射性廃棄物は残る(というか、いまも稼働中の原発によって廃棄物が作られ続けている)。
その廃棄物が生態系に影響を及ぼさない程度になるまで、いったい何年かかるのか。

参考までに、半減期と放射能が千分の一になるまでのおよその期間を挙げておく。

ヨウ素131……半減期8日、千分の一になるまで約80日
セシウム134……半減期2年、千分の一になるまで約20年
コバルト60……半減期5.3年、千分の一になるまで約53年
ストロンチウム90……半減期29年、千分の一になるまで約290年
セシウム137……半減期30年、千分の一になるまで約300年
プルトニウム239……半減期2万4千年、千分の一になるまで約24万年

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2011/08/29

夜の散歩に TG-810 を持って行く

毎晩のこんとの散歩に、TG-810 を持って出た。
夜の散歩中にもいろいろと面白いものを見つけることがあるが、携帯電話ではうまく撮れない。
かといって、一眼レフをもって出るのも面倒だ。

TG-810 にはマクロモードが三つある。

通常の「マクロ」は被写体に20cmまで接近できる。
広角側で(35mm銀塩カメラ換算)28mm相当、望遠側で140mm換算のズームもできる。

「スーパーマクロ」は被写体に3cmまで接近して撮影できる。
ズームは利かなくなるし、60cm以上離れるとピントが合わない、という制限がある。

「SマクロLED」は、シャッターボタンを半押しすると、ワンタッチライト(白色LED)が点灯し、レンズから7 ~ 20cmの範囲を照らす。
もちろん、撮影時にも LED 照明で撮れる。
こんな具合である。

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メマツヨイグサかアレチマツヨイグサか、ともかく夜にも咲いている。
蛾がよく訪れる花の一つだと言われているが、このところ省電力のため街灯が消されているせいか、蛾をあまり見ないような気がする。

それはさておき、田んぼには再び水が入れられ、カエルの声が戻ってきた。
体長2~3cmの小さなトノサマガエルが畦道を飛んで横切ろうとして、こんに追いかけられていた。

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そのうち、寝ている虫とか夜行性動物(タヌキ、ハクビシン、etc.)とか、そんなものも撮れるかもしれないと思っている。

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2011/08/28

今年アゲハの幼虫が少ないわけ

庭のルー(ヘンルウダ)には毎年たくさんのアゲハの幼虫がつく。
さながらアゲハの食堂と化すのだが今年は少ない。
現在、たったの1匹である。

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なぜ少ないのだろうと思っていたら、その理由がわかった。

カミさんが、ポーチのポリカーバネートの屋根越しに、なんだか黒いものが見えるという。
2階のベランダの裏側で、どうにも見にくいところにあるが、ハチの巣らしい。

ベランダからカメラを突き出して裏側を撮ればよかろうと思ったが、ハチに刺されるとアナフェラキシー・ショックを起こすかもしれない(過去にミツバチとスズメバチに刺されているので、激烈なアレルギーを起こす可能性があるのだ)。

ということで、一脚にカメラをセットし、セルフタイマーを使って上下逆さの状態で撮った。

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アシナガバチである。
夕方になってハタラキバチが巣に戻ってきて、巣の周りにびっしり付いているので真っ黒に見える。

このアシナガバチたちがアゲハの幼虫を狩ったのだろう。

もう少し近く明るく撮ったものが、次の写真。
虫が嫌いな人は見ないほうが良いかも。

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アゲハ以外にも、いろいろなチョウやガの幼虫を狩っているので、その分、草木の食害が減っていると思う。
いわゆる益虫なのだ。
おそらくキアシアナガバチで、秋には巣が空になるはずだから、そのときに取り除くことにした。

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OLYMPUS TOUGH TG-810 を買った

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OLYMPUS TOUGH TG-810 を衝動買いした。

ひと月ほど前に、PENTAX Optio WG-1 のデジタル顕微鏡モードが面白いなぁ、と思って家電量販店でいじってみたのだが、造作がおもちゃっぽくて、イマイチ気に入らない。
防水・防塵・対衝撃性能の高いコンパクトカメラが欲しかったので、ちょっと調べて OLYMPUS TOUGH TG-810 を買うことにした。

じつは、このところ老眼の進行につれて、カメラでピントを合わせるのがつらくなってきたことと、散歩中に面白いものを見つけても携帯電話ではまっとうな写真が撮れないことに苛立っていたのだ。
庭仕事の最中に面白いチョウが飛んできたときなどにも、写真を撮るのが大変だった。
手袋を外し、カメラを持ってきて、いやその前に手を洗って……チョウは逃げてしまう。

手袋をしたままでも操作でき、汚れたら洗えば良い。
そして、山へ持って行けば GPS で位置を記録でき、スキーのときにもカヌーのときにも特別な配慮は不要。
このところ出不精になっているので、山へ行く動機付けにもなるかな。

レンズカバーを閉めるとこんな具合。

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試し撮りした写真などは、いずれまた。

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2011/08/25

自分の脳の働きを考えている自分はどこにいるのか?

『脳のなかの幽霊』(原題:PHANTOMS IN THE BRAIN)を読んだ。

「自分」(自己)という存在は、実在しているのか?
脳が生み出す虚像、幻覚、幻(ファントム)ではないのか?

……なんてことを考えてしまう。

例えば、次のような盲点検出図形。

B_spot_1

右目をつぶるか、右手で隠し、上の図の右側にある点を左目で正面から見る。点を見つめたまま顔を画面に近付けていくと、画面から30cmくらいのところで、左側の×印が消えるはずだ。

消えたとき、その部分が真っ暗になったりするわけではなく、背景の灰色で塗りつぶされたように見える。
見えないはずの場所が、脳のなかで作られた色で充填されてしまう。
脳がだまされているのか、脳にだまされているのか。

ひょっとすると、「確固たる自分」に自信がなくなってしまう(だが悩んで何もできなくなってしまうのではなく、自らを奮い立たせて人生に立ち向かう)のが、正常な反応なのかもしれない。
「ゆるぎない自己」に絶対的な自信を持ち、偉そうにする人は、脳のどこかに欠陥があるのではないか?

もう一つ思ったことは、脳の機能を説明するには、進化と適応を念頭に置かなければならない、ということだ。
脳も進化の産物であり、生物としての限界から逃れることはできない。
脳の生物学的な限界を甘く見ると、ヒトがミスを犯すべくして犯す存在であることを忘れてしまう。

過度の緊張、過労……そういったストレスから逃れて気持ちを平らかに暮らしたいものである。

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2011/08/21

お勉強はできるんだけど……頭悪い?

「お勉強はできるけど、頭悪いんじゃないか?」と思える人が居る。
身近なところでも、「こいつ、ワシより格段に難しい大学を出ていて、しかも若いのに何故?」と思うことがある。

「緊急です! よろしくお願いします!」なんていう表題のメールを送ってきたり(緊急なら電話するか、直接来いよ!)、こつこつやれば30分で済む仕事のためにExcelマクロの作成に1日かけたり、年に1回しかない(しかも数時間で済む)作業を自動化するために1人月かけてシステム開発させたり(1人月=100万円だからね)……。

なんか、どこか、大切なところに頭が働かないみたいなんだよねぇ。

……ということを日ごろ思っていたところで、TVで呆れたニュースを見た。
内閣府や文部科学省の役人が、小学生の質問にまともに答えられないのである。

http://mainichi.jp/select/science/news/20110818k0000m040043000c.html
http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20110818-OHT1T00071.htm

「大人なのになんで質問に答えられないんですか」「子どもの質問にちゃんと答えられないのは、子どもの頃ちゃんと勉強しなかったからだと思います」といった子供たちのコメントがあったが、ちょっと違うのだよ。

「大人なのに」じゃなくて大人だから、大人の事情で答えられないこともあるのだよ。
「子どもの頃ちゃんと勉強しなかった」からじゃなくて、子供のころお勉強ができ過ぎたから、大人になって頭悪くなっちゃったんだよ。

ふん。
大人の事情なんて知ったことか。
……そう言える社会人として生きて行きたい、と思う。

さて、いま、ラマチャンドラン著『脳のなかの幽霊』(角川文庫)を読んでいる。
脳の疾患や障害を負った人の症状から脳の奇妙な働きについて考察したノンフィクションだが、フィクションのホラーなんかよりよっぽど怖い。
何といっても「統一された自己」と思っていたものが、それほど統一もされているわけでもなく一貫したものでもないということを知るのは(しかも簡単に実験できてしまうのは)、足元にぽっかり穴が開くようで、なんとも怖ろしい。

症例として示された「半側無視」「病態失認」が脳の半球特異性と関連がある、という考察が面白かった。
卒中などにより右脳(大脳右半球。「みぎのう」と読むこと。「うのう」ではない)の一部の機能が失われると、左半身が動かせなくなる。
ところが、左腕、左脚が動かなくなったことを認めず、「動かせる」と言い張る症例があるのだそうだ。

「論理的」な左脳は統一された身体感覚を維持しようとするが、「感覚的」な右脳は新しい状況により身体感覚を更新しようとする。
単純化すると「右脳は左翼革命主義者でパラダイムシフトをつくりだし、左脳は頑固な保守主義者で現状に固執する」という具合だ。
そこで右脳が損傷を受けると、左脳が優位となり、現状維持のために受容するのが困難な新しい状況(左腕が動かない)を否認し、「動かせる、現に動いている」と作話するというのだ。

「原発は安全だ」「自然エネルギーは不安定だ」「電気はためられない」と同じコトを繰り返し言っている「昔お勉強ができた人たち」は、左脳が極端に優位で保守的になっているんじゃないか、とふと思った。
ひっくり返せば、科学的根拠なしに放射線を怖がると、「右脳優位で論理的思考ができない」と言われちゃうかもね。
左右の脳の働きがうまく均衡していない状態が「頭が悪い」ことになるのかなぁ……。

なお、商売に使われている半球特異性(右脳トレーニングとかなんとか)については、著者は(ワシも)懐疑的だ。
商売にしている連中はそこそこ「頭が良い」かも知れないが、それに乗っちゃってお金を払っちゃうと、「頭の悪さ」が丸出しである。

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2011/08/18

「自然」の中の水遊び

天竜川で川下りの船が転覆し、死者・行方不明者が出た。
「自然」の中での水遊びには、危険が伴う。
危険に備える装備が必要なのだが、そこのところが甘かったようだ。

「自然」というのは、優しくも何ともないのである。
もちろん、敵意があるわけでもない。
無関心なのだ、と誰かが言っていた。
ともかく、自分の命は自分で守る(子供の命は親が守る)、そのための準備をしておいて、楽しむものなのだ。

「自然」の中での水遊びの場合に必要な装備は、ライフジャケットである。
子供は、ライフジャケットを着用の上、水に放り込んでやれば良い。

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もちろん、ホームセンターなどで売っている安物は浮力不足なので、アウトドアショップで7kg程度の浮力があり、着用したときズレないものを買ったほうがよい。
命がかかっているのだから、安物買いは禁物だ。

子供用の場合は3kg程度の浮力があれば良いが、これもしっかりしたものを選ぶこと。
いまはモンベルなどから子供用の良いライフジャケット(フローティング・ベスト)が発売されている。

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上の写真はちと古いもので、モンベルでもないのだが、子供用のライフジャケットに必要な機能が装備されている。
左のように足を通すループや、右のように股を通す帯が付いている。
これがないと、子供の体からライフジャケットがすっぽ抜けてしまうのだ。

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2011/08/17

放射線と教育

来年から実施される中学校学習指導要領の理科では、約30年ぶりに「放射線」に関する記述が復活する。
この30年間、放射線についてまったく習わなかった若者(および中年?)がどっさりいるわけだ。

30年前、なぜ中学理科教育から「放射線」が消えたのか……。
原子力発電を推進するのに邪魔だから、アメリカでキリスト教原理主義者が進化論を排除したように……というわけではないだろう(と願いたい)。
そういや「進化」も消えたし、「銀河」も消えたし、中学理科から「どうだ、驚いたか!」的なスケールの大きな題材が消えてしまい、教材がつまらなくなって困ったものだ。
もちろん、ワシが制作した教材には、こっそり「発展事項」として付け加えたが。

もちろん、今回の中学理科の「放射線」の復活は、東日本大震災における福島第一原子力発電所のメルトダウンを受けたものではない。
学習指導要領の改訂は2007年(だったかな? 後で余裕があったら調べてみよう)に決まっていたので、地球温暖化対策を受けて原子力発電を推進する意図があったりしたのかも知れない。
とくに、核廃棄物の地層処分などの問題が山積みだから、「放射線はそんなに怖いものではない」と教育することで、「核アレルギー」を軽減しようとする思惑があったりしないか。

放射線教育フォーラム「放射線学習指導資料 中学校・高等学校における放射線に関する学習指導の手引き (改訂版)」2010年7月(PDFファイル)を読んで、そんなことを考えた。
次のような項目があるのだ(「てにをは」が変だが、原文のまま)。

(Q&A)少量の放射線(約100ミリシーベルト以内)であれば、全く心配することはない。この理由をなぜですか。

この質問への答えの中には、「低線量の被爆がほとんど影響がないか、むしろ健康に有益と考えられる事実がいくつかあります」なんていう記述もあるが、これらにチェルノブイリ周辺住民の健康追跡調査結果は含まれていない。根拠とする母集団の選定が恣意的で、科学的根拠に乏しいと言わざるを得まい。

また、放射線を受ける生物の体が小さく、細胞分裂活性が大きいほど、大きな影響を受ける(と、30年以上前に大学の「放射線生物学」で習った)。つまり、成長期の子供のほうが、成長しきった大人よりも危険だ、ということだ。
ハッキリ言って、(ワシを含めて)子育てを終えたジジイやババアは多少の放射線を浴びたってたいした影響はなく、ガンになる確率は高くなるかも知れないが、ガンになる前に死ぬかも知れないので、心配する必要はないだろう。
だが、成長期の子供や、これから子供を産んで育てようという若い世代にも、同じ危険を甘んじて受けろ、ということはできない。
だが、そのことについてはいっさい記述がない。

巻末には教員向けのメッセージとして、こんなことが書かれている。

原子力発電について一般社会人は不安を持っているようですが、この原因は何でしょうか。この資料で説明している放射線の人体影響についての正しい知識が行き渡っていないことも原因の一つを思われます。 もし大地震で原子炉施設が損壊を受けた場合でも、施設の主要部分は堅固な岩盤上に建設されているなど耐震性には十分に配慮された設計になっているうえに、原子炉の燃料体の構成は、燃料はせいぜい3~5%の低濃縮ウランであるので、原子爆弾のような爆発は起こりようがありません。運転中の原子炉に航空機が衝突したと仮定した場合も同様です。

3.11後の現在も、同じことを胸を張って言えるだろうか?
原子爆発は起きなくても、(原理は小学校の理科の実験と同じ)水素爆発によって圧力容器や格納容器が破壊されれば、おそろしく広範囲にわたって放射性物質による汚染が起こることが、わかってしまったのに?
そして、地震や津波について、現在の科学が知らないことが多いこともわかったのに?

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2011/08/16

歴史のパラドックス

終戦の日が過ぎた。
戦争を体験した世代は、「終戦じゃない、敗戦だ」という。

しかも、ポツダム宣言を受諾し、戦争が終結したことを国民に知らせる「玉音放送」が流れたのが8月15日であって、実際の終戦はその前日である。
つまり日本政府がポツダム宣言の受諾を決定し、連合国側に通知したのは8月14日なのだ。
14日夜に「玉音放送」を録音したレコード盤をめぐる騒動があったことは、映画やドラマで知るとおり……。

だが、戦後66年、まだまだ新事実が出てくるようだ。

「過去のできごとは、時間が経過するほど、未来へと遠ざかるほど明らかになる」という、歴史のパラドックスがある。
隠されていた、あるいは忘れ去られていた資料が出てきたり、科学的な分析方法が進歩して新事実が発見されたりするからだ。

数十年前のこともはっきりわからないのに、数千年前、数万年前のことを、どうやって知るか……。

少なくとも、地下に埋もれているモノならば、何とか調べようがあるだろう。
……と思っていたが、なかなかそれも難しいらしい。

沖積大地の下に埋もれた断層、火山の下に埋もれた破砕帯。
……なんてものについて考えると、座っている尻がむずむずしてくる。

石黒耀の小説『死都日本』『震災列島』『富士覚醒』を読んでいると、むずむずを超えて、冷や汗が出てくる。
いま住んでいるところも、プレート境界面の上なんだよなぁ。

いや、日本列島はプレートの境界にできた「しわ」と、隙間から噴き出した溶岩の山と噴出物の丘からできていて、プレートにたまったストレスが解放されるたびに大きく揺れ、津波に洗われる。

そういうところなのだ。この国は。
逃げ場はない。

戦争とか、原発の再稼動とか、そういうことを考えている暇も金もない。
災害は必ず起こるのだから、起こっても被害を最小限に食い止め、復興が容易な国家にしたほうが良いのではないか?

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2011/08/11

『死都日本』を読んでいる

夜、こんと散歩に出ると小学校のサクラの木の上で虫が鳴いていた。
リーリー、という感じだが鳥のように甲高い。
アオマツムシだろうか?

イネが穂をはらんだ田んぼには、水が張られてカエルが戻ってきた。
田んぼの上を渡ってきた風は、独特の匂いがする。
その匂いが好きなのだが、どういう匂いなのか説明するのが難しい。

何の匂いだろう、と考えていて思い出したのは、籾殻(もみがら)の匂いだ。
今の子供は知るまいが、ワシの子供のころ、夏に昼寝のときに使っていた枕に入っていたのが籾殻か蕎麦殻(そばがら)だった。

まだ緑色で、花を咲かせるころなのに、もう籾殻の匂いがするとは。
イネとは、不思議な植物である。

早生(わせ)の稲は、台風の季節の前に収穫期を迎える。
宮崎県霧島山系の麓、高原町に住む友人の田んぼは、どんな具合だろうか。
新燃岳の噴火も落ち着き、恐れていた土石流も何とか起こらずに梅雨を過ごせた、とは聞いているが……。

……ところが、いま読んでいる小説『死都日本』では、その霧島山系が破局的噴火によって吹き飛んでしまう。
高原町は口絵の地図には載っているが、本編では一言も語られないうちに、都城市が火砕流に飲み込まれてしまう。
当然、その前に高原町も火砕流か火砕サージに吹き払われてしまっているだろう。

なんてこった。

あくまで、三十万年間沈黙していた加久藤(かくとう)火山、霧島山系の火山全部がその中にすっぽり入っている巨大なカルデラが噴火し、霧島山系そのものを吹っ飛ばしたら、という想定だが。
まだ読んでいる途中で、すでに都城市は厚さ140メートル、平均温度550℃の火砕物の下に埋まり、鹿児島市も厚さ40メートルの堆積火砕物の下になっている。
噴火から数時間で、二百万人が死んでしまうのである。

著者の石黒耀は淡々と記述しているが、まったくのところすさまじい災害である。
もちろん、絵空事とは言い切れない。
日本列島とは、地球とは、そういう物騒な場所なのだ。

つい5ヶ月前、津波という「自然」の圧倒的な力の前になすすべもなく波にのまれ、押し流されていく車や家を見た。
あの映像を見ていたときのように、この小説を読んでいると体の中で何かが、きゅん、と縮むような気がする。
胃なのか、心臓なのかわからない。
何かが、きゅん、と縮んで小さく硬くなるような気がするのだ。

それにしても、大火砕流に備えて川内原発の核燃料を抜くとか、重さ3トンの劣化ウラン弾を衛星軌道から原発に落としてメルトダウンさせるとか、ジャンボ機を乗っ取って原発に突っ込むとか、物騒な話もいろいろ出てくる。
曇りのない思考力と想像力を持っていれば、原子力発電所が「安全」なはずがないことは、明らかなのだ。
ちなみに、『死都日本』は2002年に刊行されている。

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2011/08/06

夏の憂鬱

夏は憂鬱である。
暑い、じっとりと汗をかく、クマゼミがうるさい。
急に増えるテレビの戦争関連のドラマやドキュメンタリー(注)。

それに加えて、今年は震災からの復興も道遠く、原爆20個分の放射性物質が環境中に拡散したままだ。


夏空に 線量高き 原爆忌

空間に 満ちるセミの声 ガンマ線


憂鬱で仕方がないので、気になっていた玄関前の草を刈った。


(注)
誤解を招く可能性があるので補足。
戦争関連のドラマやドキュメンタリーを放送するな、という意味ではない。
むしろ、夏にだけ、戦争を思い出したように放送するのはいかがなものか、と思うのだ。

もちろん、夏に限らず、年がら年中戦争の無意味さ加減をアピールしたほうが良い。
真珠湾の冬、沖縄戦・東京大空襲の春、特攻の秋……。
全体主義の愚かさ、批判を許さないことの恐ろしさがもたらした悲劇は季節を問わないのだから。

終戦から66年経つのに、まだまだ新事実が明らかになる。
戦争経験者が高齢となり、墓の中まで持って行くつもりだった事実を語るからだ。
語らずに死ぬことが無責任だと思い、あるいは真実を明かしても傷つく人も居なくなったからだという。
誰にも語らずに66年耐え、ようやくバカヤローと叫ぶ。眼に涙を浮かべて。
その心中を思うと、また憂鬱になる。

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2011/08/05

おびえたときにとる行動の共通項は何か

昨日の「サイエンスポータル」に、次の記事があった。

2011年8月4日 英国がMOX燃料製造工場閉鎖 福島第一原発事故理由に

英原子力廃止措置機関(NDA)は3日、セラフィールドにあるプルサーマル発電用のプルトニウム・ウラン混合酸化物(MOX)燃料製造工場を閉鎖する、と発表した。

記事によれば、日本のプルサーマル計画が遅れる可能性があるため、英国が損をするのを避けるためにやめるのだそうだ。
プルサーマルも駄目、高速増殖炉も駄目。
いよいよ先がない日本の(たぶん世界も同様の)原子力発電。
それでも、使用済み燃料はどんどんたまり、今後順次廃炉にして行くのだから、高レベル放射性廃棄物の保管場所が問題となる(いやすでに問題なのだが)。

さて、英国のセラフィールド核燃料再処理工場は、以前はウィンズケール原子力工場という名前だった。
そして、1957年に火災事故を起こし、放射性物質を放出、周囲が汚染された。

名前を変えたのは、なぜだろう?
日本では、火山噴火、旱魃、伝染病などの大災害のたびに元号を変えてきたが、それと似た心理だろうか。

縁起の悪い名前は変えてみる。
とりあえずトップの首をすげ替えてみようとか、事故車両を埋めてしまおうとか、そういう、おびえた輩がとる行動も共通の心理なのだろうか。

科学的には、名前は記号に過ぎない。
名前を変えても本質は変わらない。

トップの首をすげ替えても、組織を構成するメンバーが意識を変えなければ、何も変わらない。
事実の隠蔽は、論外だ。組織を「変えずに守る」ための行動だから。

怖ろしいことが起こったとき、ビビッても良い、ブルっても良い、だがおびえて軽率な行動をとるのはやめたいものだ。
単に名前や環境を変えるのではなく、自分が変わることを考えなければ。

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速攻で夏の庭の草刈り

車を定期点検に出すついでに銀行へ行くなど雑用をやっつけようと、休みをとった。

……ということで、午前中に庭の草刈り。
なにしろ、夏の草は伸びるのが早い。
とりあえず、草刈り機のバッテリーを充電しておいて、蚊取り線香を焚き、シダの写真を撮った。

隣家との間の通路(当然、適度な日陰だ)に何種類かシダが生えているのだが、何種類あるのか調べたことがなかった。
刈ってしまってからでは遅いので、その前に生えている状態と採集した葉の写真を撮っておくことにしたのだ。

後ほどゆっくり調べて、科学的逍遙にまとめて載せようと思っている。
まぁ、大人の自由研究である。

さて、カミさんが洗濯物を干し終わるころを狙って、伸びたヒメコウライシバやセイヨウシバと一緒に、メヒシバやアキメヒシバやドクダミやコブナグサやイヌタデやエノコログサや、まぁいわゆる雑草というやつらを電動草刈り機で刈りまくった。
草刈り機のバッテリーは30分程度しか持たないので、効率的に刈りまくる。
通路のシダも刈り、それらをすべて掃き集めて庭のコンポストに放り込む。
ついでにぼうぼうと伸びたハクチョウゲを刈り込みバサミで刈り、通路をふさぐミョウガやアレチノギクを刈った。

こんは最初のうちだけ、楽しげに庭の木陰で涼んでいるが、ワシが草刈り機を振り回し始めると、ウチに入った。
なんてやつだ。それでもイヌか。

……なんてことをやっていると、顎から汗がボタボタと垂れる。
植物の持つアレルギー物質、というか接触毒によって皮膚炎を起こすのを防ぐため、長ズボンを履き、長袖のTシャツを着ている。
もちろん、手袋も付けている。
帽子をかぶると額の汗が眼に入るので、手ぬぐいで鉢巻。
手ぬぐいが額の汗を吸っても、顎から汗がボタボタと垂れる。

刈り込みバサミや熊手を片付け、草刈り機に付着した草を歯ブラシでこそげ落として、撤収。
蚊取り線香を焚き始めてから、約1.5時間。
パンツまで汗でぐっしょり。
それ以上作業すると熱中症になりそうだった。

被災地でボランティアとして働く中年が熱中症で倒れるのも無理はない。

それはさておき、今日はだいぶ植物を虐殺したが、動物の被害で確認できたのは、3匹だった。
1.なにか蛾の幼虫。ヒトリガが何かかな? とにかく毛虫。罪悪感なし。
2.ヤマトシジミ成虫。たぶん草刈り機で片側の羽を飛ばしてしまった。ごめん。
3.ニホントカゲ。草刈り機を振り回していたら、体長3cmほどの幼体が飛び出してきた。よく見ると尻尾の先が5mmほど欠けていたので、草刈り機で切っちゃったかも。ごめん。たぶん再生するけどね。草刈り機も怖かっただろうけど、ウチにはもっと怖いイヌもいるから、気を付けてね。

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2011/08/02

KYのすすめ

若者言葉の「KY」は「空気読めない」だが、ワシの勧めたい「KY」は「空気を読まない」である。

場の「空気」というか、上司の思惑とか会社の意向とか、そういうものに「気遣い」するのは無用だ、いやむしろ、気遣いするのは良くない、悪くすれば犯罪的なことになっちゃったりするのではなかろうか、と思うのだ。

「原発再開反対の意見ばっかりだったら困るよねぇ」
と言われて関連会社に連絡してやらせメール(賛成意見)を送らせちゃうとか。

「あれ、やっといてね。ハッキリ言わなくてもわかるよね」
「御意」
みたいな、ベタなドラマのようなこと、現実の世界にあるとは思わなかったよ。

だいたい、ふつうなら上司に気遣いを要求されるわけないじゃん。
もし、気遣いを要求するような上司だとしたら、そんな無能段階(ピーターの法則の無能レベル)の上司に気に入られたってしょうがないよね?
無視無視。
KYと言われても、気にしない。

業務命令なら、ハッキリ聞いておかないと、独断でやってしくじった場合の責任を全部かぶらなきゃならない。
もちろん、権限委譲されて好きなようにやっていいと言われたときには独断でやって良いわけだが、ちゃんとそう言ってもらわないと。

キチンと命令され(あるいは権限委譲され)、結果を(誤魔化したりせずに)キッチリ報告する。
それが上司と部下の正しい関係ではないのか?

そういう業務命令もホウレンソウ(報告・連絡・相談)もキッチリできない会社が、自由主義経済において存続できるはずがない。
存続できていたら、何かおかしい。
存続できちゃうから、重大事故を起こすのか?

社内の空気なんか読まず、顧客は誰か、顧客はどこにいるのか考え、顧客のためになる、と納得できる仕事をしよう。

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