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2011/05/26

専門家の責任と限界

朝日新聞2011年5月25日朝刊のインタビューから。
「水俣学」を提唱する原田医師は、福島第一原発の事故をどう受け止めたかと問われて「懲りてないねぇ」と答える。水俣病と同様、政府も産業界も学者も安全性の考え方を誤り、教訓が生かされてないからである。
「専門家」や学界の権威は、警鐘を鳴らす学者を無視し、危険性を無視してきた。
「本当に原発の専門家であれば、当然、今回の事態を予測しなきゃいけなかったはずですよね」
「ぼくは専門家の存在そのものを否定するわけじゃない。でも『何が専門家なのか』があいまいだと言いたい。いわゆる『専門家』(学者)の言うことだけをうのみにすると危ない。魚の専門家とは誰か。大学にもいるだろうが、水俣の海で毎日魚を取って暮らす漁師も専門家です」

そういえば、大学4年のとき、研究室の助教授(当時)に言われたものである。
卒業して、農業改良普及員や農業試験場の研究員になり、農家の指導にあたる者もいるだろうが、自分を農業の専門家と思うな、と。
どんなに技術的な裏付けがあっても、毎日田んぼを見に行く篤農家には敵わないのだから、と。

……さて、朝日新聞を読んでから、同じ日の静岡新聞朝刊「NEWS交差点」、「原発震災の教訓 専門家に聞く」を読んだ。

原発の安全審査では、一次審査は専門家が加わるが、二次審査は確認だけ。
津波の影響について、専門家の間で意見が一致しなかったとき、危険性を優先するか、科学的な厳密さを優先するかでまとまらなかった。
津波の専門家は、リアス式海岸でなければ10メートルみれば大丈夫と言った。
……「津波の専門家」うんぬんは、原子炉工学の専門家の発言である。

なんだか、こんなマンガが頭に浮かんだ。

北を向いた蛸壷の中の専門家が、南を向いた蛸壷の中の専門家に聞いた。
「そっちからウツボは見えるか?」
「いいや、見えない」
「そうか、こっちからも見えないから、安心だな。みんなに安心だって言っとこう」

……外へ出て、まわりを見渡し、他のタコの意見に耳を傾けてみてはどうだろう?

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