想定外の試練にさらされている「最後の壁」
福島第一原子力発電所の1号機・2号機・3号機のメルトダウン(炉心溶融)に伴い、炉心を冷却するために注入している水は、だだもれになって原子炉建屋の床にたまっているという。
「最後の壁」は炉心から溶け出した放射性物質を高濃度に含む「汚染水」が地下に浸透しないようにとどめておくことが可能なのだろうか?
そういう事態を想定して、原子炉建屋を作ったとは、考えにくいのだが……。
ちなみに「最後の壁」については、東京電力の「電気・電力辞典」で次のように解説されている(図解が財団法人 原子力安全技術センターにある)。
五重の壁(ごじゅうのかべ)原子力発電所から放射性物質を逃がさないようにいろいろな対策があります。有名なのが原子炉をすっぽりつつんだ五重の壁です。
第1の壁はペレット。第2はペレットを密封した燃料棒(被覆管ひふくかん)。第3は原子炉圧力容器。第4は原子炉格納容器。第5が一番外側の建物の壁。この五つを「五重の壁」といいます。
第1の壁のペレットは、ウラン燃料を陶磁器(とうじき)のように固くやきかためたもので、大部分の放射性物質はこの中に閉じこめられています。
第2の燃料棒は、ジルコニウムという特殊な合金製の管で、ペレットの外へもれた気体の放射性物質を外へ出さないようにしています。
第3は厚さ16センチメートルある低合金製の圧力容器です。燃料棒からのほんのわずかな放射性物質も、もらさないようになっています。
第4の格納容器は厚さ約38ミリの鋼鉄製の巨大な容器で、おもな原子炉の機器を包みこんでいます。
最後の壁が原子炉の建物です。建物全体が厚さ1メートル以上のがんじょうなコンクリートの壁でできています。
第1の壁、第2の壁は津波に伴う電力喪失により、冷却水の循環が止まったために融けてしまった。
第5の壁(最後の壁)は、ジルコニウム(第2の壁)と水が反応して生じた水素を格納容器の外に逃がした際、吹っ飛んでしまった。逃がした水素と、空気中の酸素が急激に反応したためである。
水素と酸素の急激な反応って、実験したことあるよね?
試験管に発生させた程度の水素なら「キュポン」と音がする程度だが、大量の水素が反応すると、最後の壁を吹っ飛ばすほどの水素爆発となる。
第3の壁、第4の壁は、2000℃を超える高温の炉心溶融物によって破損したらしい。
実際にどのように、どこが破損しているのかは、今のところ誰にもわからない。
強い放射線に阻まれて、誰も原子炉に近づけないからだ。
ただ、注水した水がだだ漏れになっていることから、第3の壁、第4の壁に穴が開いていることが推測できる。
まぁ、もともと、制御棒を出し入れする機構とか、冷却水を入れる管とか、高温の水蒸気が出てくる管とか、圧力調整用の管とか、ベント(排気)用の弁とか、そういったものが貫通する穴がたくさん開いているわけだから、そういう開口部が脆弱性のネックになっていたはずだ。
貫通部とか開口部とか、I/O ポートとかインターフェースとか、そういったところはどんな機械にとっても脆弱な部分なので、壊れたりハッキングされたりしやすいのだ。
最も強い壁は、穴のない壁だが、それでは壁の中から何も取り出せない。
さて、最近読んだ、ものづくり「プロ」の記事から……。
甚さんの「想定内だぜぃ!トラブルは」(3):原発事故から学ぶインタラクションギャップ (3/3)
[國井良昌/國井技術士設計事務所(Active Design Office),@IT MONOist]
この記事の執筆にあたって、気が付いたことが幾つかあります。1. 原子力発電所の仕組みがまるで「実験室」から出てきたような装置であること。
2. 事故を解説する専門家も「実験室」から出てきたような発言であること。
3. 職人の専門用語である「安全率」が登場しないこと。そして、最後にとても残念なことがあります。それは……、テレビの報道などで事故について解説する人物が各所の管理者や学者で、技術者や設計者、そして、職人が登場しないことです。
(中略)
技術とは学問の上に実務歴を有していなくてはなりません。実験室レベルの装置で、実験室から出てきたような専門家以外に適切な指導ができる「原子力の職人」は、この国には不在なのでしょうか?
見逃されている原発事故の本質 東電は「制御可能」と「制御不能」の違いをなぜ理解できなかったのか
(山口 栄一)
ジャーナリズムも政府も、津波と同時に非常用電源が失われ、その結果、当初から原子炉は「制御不能」になってしまったという「勘違い」で議論が進んでいるからだ。しかし実は、事故原因の本質について、ジャーナリズムも政府も見逃している、ある真実がそこにある。 (中略) 原子炉が「制御不能」の事態に陥る前に、海水注入で熱暴走を止める意思決定をする余裕が、少なくとも8時間もあったのだ。しかし、東電の経営陣はその意思決定を怠った。そして1号機が「制御可能」から「制御不能」の事態に陥ってから20時間後に、ようやく海水注入の意思決定が行なわれるに至った。 (以上、1ページ目から抜粋)
この記事の2ページ目以降は日経オンラインの会員、日経ビジネスの読者のみ閲覧できるようになっているので、簡単に要約する。
要するに、現場の技術者は海水注入による冷却を実施したかったのに、経営陣から待ったがかかったのだ。
待ったをかけた理由は、「海水を原子炉に入れたら、廃炉にするしかない」からである。
「安全のために、巨額を投じて建設した原子炉を捨てる」という決断ができなかったことが、悲惨な事故を招いたのである。
結論:原発事故の原因は、科学技術の欠陥ではなく、経営判断のミスである。
まぁもちろん、科学技術に過信は禁物だけどね。「安全神話」なんてとんでもない。「神話」は科学ではなく、非科学的なファンタジーなのだから。
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