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2011/05/10

ノーマンズランドへの帰宅

ノーマンズランドと化した自宅への一時帰宅のニュースを見た。

川内村の村長の言葉が報道で流れる。
「悔しいよね」「防護服を着てウチに入らなければならないなんて」「異常ですよ」

電源立地補助金をもらっていても、こうなってしまっては元も子もない。

浜岡原発のある御前崎市について、補助金や中部電力関連で町に落ちる金を心配する声ばかりが報道される。
金は要らない、子や孫の代に対する責任を考えたら原子力に頼るべきではない、と考える人もたくさんいるだろうに。

いやいや、「金が」と言っている人も、ノーマンズランドと化した故郷へ防護服を着て「一時帰宅」する姿を見て、まだ何か言えるだろうか。
福島のお百姓さんや漁師さんに向かって、「原発がなくなったら商売にならない」なんてことを言えるだろうか?

#原発の職員がいなくなったら客がいなくなるような商売しかしてないのかね、と言いたくなるのは我慢して……あ、書いちゃった。
#ついでに、その「金」にはワシが働いて収めた税金が使われていて、その税金はワシや同僚が智恵を絞り無駄を省いて稼いだ給料から源泉徴収で問答無用に徴収されたものだからね。

今日の朝日新聞夕刊の池澤夏樹氏のコラムは、ワシが考えていることと似ていた。
「20年前に原発を論じた文章」から意見が変わっていないということなので、リンクを張っておこう。
http://www.impala.jp/311/syuumatsu.pdf

(『楽しい終末』収録「核と暮らす日々」より)

浜岡原発はすべて停止することになった。
停止しても、使用済み核燃料は残る。
巨大地震が起こればどうなる「可能性」があるか、さらに津波が襲えばどうなる「可能性」があるか、想定外だろうがなんだろうが、起きてしまった例がすでにある。
停止したから安心、安全、ということにはならない。

そして、マーフィーの法則によれば、「起こって欲しくないことは、最悪のタイミングで起こる」ものなのである。

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