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2011/04/25

遠方ノ朋ヨリ食イモノ来ル亦楽シカラズヤ

新燃岳の噴火は小康状態になったものの土石流については心配の残る宮崎県西諸県郡高原町の友人(「春は巡り来る」参照)からイロイロと旨そうなものが送られてきた。


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農事組合法人「はなどう」の農産物直売所、「杜の穂倉」で扱っている米や加工品を送ってくれたのだ。
取り出して見てみよう。


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減農薬農法の米と、黒米。
黒米は白米に少し混ぜて炊くと、赤飯のようになるそうだ(どうやったら旨く食べられるか、メールで聞いてみたのだ)。


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菜種油はチャーハンなどに使うと一味違ったものになるそうだ。


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熱湯を注いで3分で出来上がる乾麺。
天かす……というよりけっこうちゃんとした海苔の天ぷらが付いているので、「たぬき」である。
地獄めんは唐辛子入りだが、ものすごく辛い、というわけではない。
細い乾麺は腰があって旨かった。
難を言えば、パッケージが開けにくいことくらいか。
ハサミで開封していて、うっかり「つゆ」の袋も一緒に切ってしまったので、ちょっとこぼれてしまった。


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「大豆かりんと」と「マンゴーういろう」。
かりんとうはまだ食べていない。
マンゴーういろうはもっちりしたマンゴーを食べているみたいだが、米粉が原料だから、食後のデザートには重いかも。


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小麦粉ももっちり感があるそうだ。
しばらく楽しませてもらえそうである。

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2011/04/21

季節とともに消えるもの

2008年4月24日のブログに、「ツグミはいつまで居るのか」という記事を書いた。


冬鳥であるツグミは、春にシベリアへと帰って行く。
そのツグミを「最後に見た日」を記録することは可能だろうか、という内容だ。


今朝も、ツグミを見た。
サクラの花もあらかた散り、モモは若葉に覆われている。
ツバメもやってきたし、キジバトは巣材探しに忙しそうだ。
まだ肌寒い風が吹いたりするが、季節は確実に「春」となり、いずれツグミも去るだろう。


昨日と今日、そして明日は、同じようでも少しずつ違う。
その違いを感じて、生き物は姿を変え、ところを変える。


昨日なかったのに今日現れたものは、わかりやすい。
しかし、昨日見たのに今日消えたものについては、なかなか気づかない。


また同じ季節が巡ってきたとき、同じように巡り会えるだろうか。
消え去ったものを思うとき、ふとそんなことも考える。

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2011/04/18

花粉の舞い散る日に

うらうらと晴れた土曜日、こんが二階のベランダに寝そべっていたので、その横に寝っ転がってみた。

青空に飛行機雲。
そよ風というにはちょっと強いが、寒くもなく不快でもない風。

ベランダサンダルを枕に、うとうとと寝てしまった。

しばらくして鼻が詰まり、上あごがかゆくなって目が覚めた。
サクラの花びらだけでなく、スギやヒノキの花粉が舞っているのだろう。

まぁ、舞っているのが花粉で良かった。

冗談でなく、放射性物質が舞い散っていたりしたら、ベランダで昼寝などできないのだから。

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2011/04/12

ノーマンズランド

福島第一原子力発電所の事故は、国際原子力・放射線事象評価尺度(INES)の評価指標を用いると「レベル7」だそうだ。
チェルノブイリと同じレベルである。
http://scienceportal.jp/news/daily/1104/1104121.html

「日本の原発はチェルノブイリとは違う」という話を何度聞かされたことか。
確かに、チェルノブイリと日本の原発は、原子炉のタイプが違う。
しかし、環境中への深刻な放射性物質の漏出という結果は同じではないか。

いったいどれだけ、非科学的な嘘があったのだろうか。

原子力発電をやめれば、電力不足に陥る、昭和30年代の暮らしに戻りたいのか、なんていう脅しめいた話もあった。
この話の持って行き方そのものが、非科学的だ。

本当に電力不足になるのか?
いま、節電して何とかなっているのはなぜか?

節電・省エネルギー技術が進んでいるのだから、今後必要な電力は減っていく可能性はないか?

太陽光や風力などの再生可能エネルギーは不安定だし、電気は溜められないので、最大消費量に合わせて発電する必要がある、というのは本当か?

先の見えない核燃料サイクルのブレイクスルー(技術的突破)を待つより、スマートグリッドや蓄電システムに科学技術開発投資したほうが、より「現実的」ではないのか?

福島県の市町村の中には、1年間の積算放射線量が20ミリシーベルトを大幅に超えると予想される地域もあるそうだ。
http://scienceportal.jp/news/review/1104/1104121.html
嘘をついてきた人たちは、故郷をノーマンズランドに変えられてしまったひとびとに、何か言うことはないのだろうか?

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2011/04/09

民意を反映する選挙とは

明日は統一地方選挙の前半戦で、静岡県議会議員選挙の投票日だ。
何とも低調である。
新聞の紙面の大半が東日本大震災関連記事であることも影響しているだろうが、選挙公報などを見ても、候補者の主張がストレートに伝わってこない。

この大変な時期に、美辞麗句を並べても響かないよ、まったく。

それなのに、相変わらず名前を連呼するだけのピー(自粛)なピー(自粛)党系やピー(自粛)党系の輩の選挙カーがウルサイし。

名前を連呼することが、どうして有権者の利益に結びつくのだろうか? まったく理解できない。

そもそも、(どんなに清かろうが)一票を投じて当選した人が政治をする、というしくみが「正解」なのだろうか?

まぁ、そのへんの疑問は「落選確実!」などに書いたので、繰り返すのはやめよう。

せめて、もう少し民意を反映できるようなしくみはできないものか。
そうだ、こういうのはどうだろう。

投票率50%の選挙で、その半数の票を集めて当選した議員がいるとしよう。
この議員の議員報酬は、規定額の25%にするのだ。

有権者の25%の支持しか得ていないのだから、当然だよね。

こういうしくみにすれば、「有権者は家で寝ていてくれたほうがいい」なんて、口が裂けても言えないよね。

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2011/04/06

春は巡り来る

サクラはまだ三分咲きから五分咲きといった感じだが、庭はハナニラやらユスラウメやらレンギョウやらでにぎやかになった。
惑星地球は(少なくとも)数千万年変わらず地軸を傾けたまま太陽の周りを公転し、北半球にまた春が巡って来る。

その地球がちょっとばかり身震いしたために、地表の様子は(全体から見ればごく一部だけど)大きく変わってしまった。

先週末、末息子が東京の大学に入学した、ということで、宮崎から友人が出て来たので、ワシも東京へ出向いて一緒に飲んだ。
彼の住む宮崎県の高原町は、東北太平洋沖地震が起こるまでは、幾度となくニュースに登場していた。
霧島山系新燃岳にほど近いので、火山灰の降灰の被害を被っている。

現在のところ噴火は落ち着いているが、今後梅雨に向かって雨が増えると、降り積もった火山灰が土石流となって流れてくるのではないかと心配していた。

春になったら米を作る、ほかにもいろいろ試してみるつもりだ、と言っていたが、補償を含めて厳しいことは多い。
それでも、まぁ何とかやってみると笑う彼の顔を見て、逞しい百姓になったなぁ、と、ちょっとうらやましかった。
大学を出てから三十年とちょっと。
「百姓」が尊称である母校であるが、本当に百姓として生活している卒業生は、それほど多くはない。

サラリーマンとしてゆるゆると生活してきたワシは、……と書こうとして、イヤイヤ、それほどゆるゆると生活してきたわけではないなぁ、と思い返した。
おまけに今は、計画停電やら流通の混乱やらの影響もあって、仕事が通常通り進まない。

ゆるゆると春の中を回転している地球上の1点に居ながら、痛い頭を抱えて冷や汗をかいているのだった。

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