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2010/08/27

ホメオパシーは宗教である

ホメオパシーの「効用」はプラセボ効果(偽薬効果)で説明でき、「水が毒のパターンを記憶する」といった「根拠」は科学的に立証不能だ。
ということで、「信じるものは救われる」という点で、ホメオパシーを含む眉唾な「療法」はすべて宗教なのである。
「信じるものは救われる(個人の感想です)」であるから、まぁ、信じたい人は信じればよい。
それで気分が軽くなったり、自然治癒力によって治ってしまえば御の字だ。

ま、レメディーも壷も、水晶玉をいずれかの方角の窓に置くのも、同じことである。
ちなみに、水晶玉を窓辺に置くのはやめたほうが良い。
本物の水晶でなく、騙されて買ったガラス球でも、同じ「効果」がある。
水晶球(またはガラス球)がレンズの働きをして太陽光線を集め、火事になる可能性があるのだ。
これは科学的な事実で、追試可能だ。
水晶球だけでなく丸い金魚鉢や窓に貼った透明な吸盤も危険である。

問題は、宗教というヤツが陥りがちな弊害、「信じないものは救われない」という考え方だ。
「信教の自由が保証される」ということは、「信じない自由」も保証されるということである。
ところが変な宗教屋は、信じることを強要するのである。

その挙げ句、信じるも信じないも、まだそんな面倒なことを知らない新生児が、ビタミンK2の代わりに砂糖玉をなめさせられて死んだりするから剣呑だ。

以前、朝日新聞夕刊に連載していた『日々是修行』の中で、花園大学教授の佐々木閑は「宗教は政治に関与してはならない」と述べていた。
信仰というものは、個人の心の持ちようなので、その宗教が政治に関与するということは、他人に心の持ちようを強制することになるから正しくない、という趣旨だったと記憶している。
まっとうに宗教について考えている人は信教を持たない人と同じ結論に達するものなのだなぁと思った。

だのにどうして、変な宗教やエセ科学は、信じることを強要するのか?
きっと、金がからむからだろうと思うのだが、どうだろう。
「信者は金づるだ」と思っている連中が、「信じろ、疑うな」と言っているのではなかろうか。

その点においてまさに「信用できない」から嫌いなのである。

たとえば、こんなことを考えた。
ホメオパシーではさまざまな症状に対応したレメディーがあるそうだが、それをちょいと入れ替えたとして、入れ替えたことに誰か(患者または治療者)は気づくのだろうか?
あるいは、レメディーではない、ただの砂糖玉と置き換えたとしたら?
まぁ、少なくともクロマトグラフィー等の微量測定装置を使っても、違いがわからないことは確かだよね。
たぶん、患者は「ラベル」を見て治っちゃうのだろう。
人間の心というものはそういうふうに働くものなのだ。

こういうジョークがある(ロバート・L. パーク『わたしたちはなぜ科学にだまされるのか インチキ! ブードゥー・サイエンス』主婦の友社刊より)。

「患者がふつうの水をうっかり飲んだら、薬の過剰服用で死亡した」

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