« 2010年7月 | トップページ | 2010年9月 »

2010/08/30

総合火力演習の効果

昨日一般公開された、東富士演習場での総合火力演習。
その砲弾の炸裂音は、沼津市東部でもよく聞こえた。
遠雷のようであったが。

まぁ、そのせいで雷の苦手なこんは、朝の散歩もそこそこに家に入り、ずっとピアノの下にもぐっていた。

総合火力演習で使われた弾薬は、3億5千万円相当だそうだ。
とすると、ウチのイヌをびびらせるために3億5千万円もかけたのか!

そういえば、昨日は裾野市と三島市で、住民に被害を及ぼしているニホンザルの捕獲作戦があった。
静岡県東部では今日が始業式なので、小学生が登下校時に被害に遭わないよう、地元自治体としては、昨日じゅうにサルを捕まえたかったのだ。

裾野・三島に限らず、沼津の市街地にもニホンザルが出てくることがある。
ウチの近くの小学校の校庭の真ん中に座り込んでいたとか、道祖神の前の道を横切って行ったとか……。
サルに限らず、シカもイノシシも出てくるが、出てくるだけで危害を及ぼさなければ、まぁ、問題ない。

人馴れしていて危害を及ぼすサルが、ウチの近辺まで来たら厄介だなぁ。
自治会の役員がサルの発見・追い込み要員として動員される、なんて可能性もあるからなぁ。
まぁ、野生動物を見付けたり、追ったりするのは得意だけど。

それはさておき、昨日、裾野・三島のサル捕獲大作戦は空振りに終わった。
その原因は……ひょっとして、総合火力演習の砲撃・着弾の音ではないか?
サルがびびってしまって、どこか目立たないところに(ピアノの下に?)隠れてしまったのではないか。

ウチのイヌと粗暴なサルをびびらせるために3億5千万円もかけたのか!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010/08/28

洗濯機が壊れた!

朝、トイレにこもっていると、変な臭いがした。
下痢気味なので変な臭いなのかなぁ、炒った蕎麦とか玄米茶とか、そんな感じもするなぁ、と思いつつトイレから出たら、トイレの外のほうが臭い。

カミさんやムスメと、いったいどこが臭いの元だろうかと探したが、わからない。
家の外でもないし、排水口でもない。

そのうち、洗濯機がいつもの盛大な音を立てていないことに気付いた。
小さな音でウンウン言っているだけで、洗濯槽が回っていない。

これは、モーターが焼けて臭いのだな、と思い至って、電源を抜いた。
保証書を調べてみると、2002年に買ったものなので(「年末の法則」参照)、一般的な耐用年限である7年を過ぎている。
まぁ、壊れてしまっても仕方がない。
修理はもちろん有償となるし、部品があるかどうかもわからない。
修理に何日もかかると困るので、買い換えることにした。

カミさんとコジマに出かけて、温風乾燥機能のない全自動洗濯機を探した。
7kgの洗濯物を回すことができ、ウチの防水パンに収まるサイズで、風呂水が使えて、回っている洗濯物が見えるフタを備え、さらに残り時間が数字で表示されるもの……と絞っていって、最終的に日立か東芝か、ということになった。
結局東芝の洗濯機に決めたのだが、最後の決め手は「最少水量」だった。
東芝は12L(リットル)、日立は22Lなので、ほんのちょっとだけ汚れ物を洗うことがあるウチにとっては、少ない水で洗えることが重要なのだ。
ベランダの手すりを拭いた雑巾とか、田んぼにはまったこんの足を拭いたタオルとか、休日の夕方突然草刈りを始めて汗だくになったワシのTシャツとか、ちょっとだけ出てくる汚れ物、翌日まで置いておきたくない汚れ物がけっこうあるものなのだ。

というわけで日立さん、フィードバックしたことになるのかどうかわかりませんが、今後の参考にしてください(参考になるのかいな……)。
ついでに、通風乾燥の際、手でフタの一部を開けるというのも面倒くさいかも。
勝手に通風孔が開いてくれないと、「全自動」っぽくないからね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010/08/27

ホメオパシーは宗教である

ホメオパシーの「効用」はプラセボ効果(偽薬効果)で説明でき、「水が毒のパターンを記憶する」といった「根拠」は科学的に立証不能だ。
ということで、「信じるものは救われる」という点で、ホメオパシーを含む眉唾な「療法」はすべて宗教なのである。
「信じるものは救われる(個人の感想です)」であるから、まぁ、信じたい人は信じればよい。
それで気分が軽くなったり、自然治癒力によって治ってしまえば御の字だ。

ま、レメディーも壷も、水晶玉をいずれかの方角の窓に置くのも、同じことである。
ちなみに、水晶玉を窓辺に置くのはやめたほうが良い。
本物の水晶でなく、騙されて買ったガラス球でも、同じ「効果」がある。
水晶球(またはガラス球)がレンズの働きをして太陽光線を集め、火事になる可能性があるのだ。
これは科学的な事実で、追試可能だ。
水晶球だけでなく丸い金魚鉢や窓に貼った透明な吸盤も危険である。

問題は、宗教というヤツが陥りがちな弊害、「信じないものは救われない」という考え方だ。
「信教の自由が保証される」ということは、「信じない自由」も保証されるということである。
ところが変な宗教屋は、信じることを強要するのである。

その挙げ句、信じるも信じないも、まだそんな面倒なことを知らない新生児が、ビタミンK2の代わりに砂糖玉をなめさせられて死んだりするから剣呑だ。

以前、朝日新聞夕刊に連載していた『日々是修行』の中で、花園大学教授の佐々木閑は「宗教は政治に関与してはならない」と述べていた。
信仰というものは、個人の心の持ちようなので、その宗教が政治に関与するということは、他人に心の持ちようを強制することになるから正しくない、という趣旨だったと記憶している。
まっとうに宗教について考えている人は信教を持たない人と同じ結論に達するものなのだなぁと思った。

だのにどうして、変な宗教やエセ科学は、信じることを強要するのか?
きっと、金がからむからだろうと思うのだが、どうだろう。
「信者は金づるだ」と思っている連中が、「信じろ、疑うな」と言っているのではなかろうか。

その点においてまさに「信用できない」から嫌いなのである。

たとえば、こんなことを考えた。
ホメオパシーではさまざまな症状に対応したレメディーがあるそうだが、それをちょいと入れ替えたとして、入れ替えたことに誰か(患者または治療者)は気づくのだろうか?
あるいは、レメディーではない、ただの砂糖玉と置き換えたとしたら?
まぁ、少なくともクロマトグラフィー等の微量測定装置を使っても、違いがわからないことは確かだよね。
たぶん、患者は「ラベル」を見て治っちゃうのだろう。
人間の心というものはそういうふうに働くものなのだ。

こういうジョークがある(ロバート・L. パーク『わたしたちはなぜ科学にだまされるのか インチキ! ブードゥー・サイエンス』主婦の友社刊より)。

「患者がふつうの水をうっかり飲んだら、薬の過剰服用で死亡した」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010/08/25

ノートPCが戻ってきた

hpに修理に出していたノートPC(Pavilion dv6i)が戻ってきた。
ちなみにhpといえばヒューレット・パッカードである。
HomePageをHPと略すのは邪道である。
さらにいえば、HomePageとはブラウザを起動したときに最初に表示されるWebページのことであって、Webサイトや個々のWebページのことではない。

それはさておき、戻ってきた dv6i に添付されていた修理明細書によると、電源の障害はハードウェア由来らしく、システムボード(マザーボード)交換で対応していた。
無償保証期間内なので、宅配便(日通のパソコンポ)の代金を含めて、無料である。

現在、約2時間使用しているが何ともないので、たぶん大丈夫であろう。
まぁ、また何かあったときにシステムを復旧できるように、システムリカバリディスクを作っておいた。
DVD-R 3枚と1時間少々の時間を要した。

HPカスタマーケア
システム リカバリディスクの作成方法(Windows7)

今回はマザーボード交換のみだったので、ハードディスクのデータはそのまま、アプリケーションソフトも個人のデータも修理に出す前と同じ状態であった。
こっちのデータも、定期的にNASもどき(無線LANルータにUSB接続したHDD)にバックアップしておかないとね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010/08/23

『第9地区』をブルーレイで観た

先週土曜日に電気量販店にデータ用DVD-Rとデータ用BD-Rを買いに行った。
先週不調に見舞われたノートPCは、結局30〜40分使用すると電源が遮断されるという不具合が再現したため、引き取り修理サービスに出した。
戻ってきたらリカバリディスクを作ろう、そうだ、録画用のディスクはあるけどデータ用のディスクがないから買っておこうと考えたのである。

ついでに、目にとまったBD/DVD両方入りの『第9地区』を買った。
BD搭載AQUOSを買ったものの、これまでウチにはDVDの映画しかなく、その点において実力を発揮していなかったのだ。

で、『第9地区』だが、食事時に家族で観るものではない。
まぁ、何と言ってもリアルに汚いのである。
主な舞台がスラムというか難民キャンプだし、その難民が「エビ」のような姿の異星人だし。
終盤は人体の損壊や粉砕が相次ぐので、まぁ、血の苦手な人は見ていられまい。

といっても、スプラッタ・ホラーではない。
SFである。
SFであるからして、ワシは大いに楽しめた。
カミさんにはウケが悪かったが、ムスメ(高3)は面白く観たようである。
とくに、異星人側の主人公であるクリストファーとその息子が良いそうだ。
人類側の主人公には感情移入できないと言っていた。

確かにそうだ。
主人公(であるはずの)ヴィカスは弱腰だし、利己的だし。
この主人公の造形は別の映画でも見たようだなぁ、と考えて思い出したのは、『未来世紀ブラジル』の主人公サム・ラウリーである。
サムも小役人だったね。

さて、以下ネタバレになるので、まだ観ていない人、結末を楽しみにしておきたい人は読まないように。

巨大な宇宙船が現れるが、その場所が南アフリカのヨハネスブルグ。
侵略するわけでも銀河連盟への勧誘でもなく、乗っていた異星人たちは難民状態。
いったい全体、どうして地球にやってきたのか、その理由は最後までわからない。
たぶん、(クリストファーの台詞の断片から考えるに)恒星間航行を可能にするための「液体」が尽きてしまったのだろう。

その「液体」にしろ、兵器の作動にしろ、異星人のDNAが「鍵」になっているらしい。
異星人の兵器は、地球人が引き金を引いてもウンともスンとも言わない。
「異星人のDNAを持つ手」が必要なのだ。
指令船を動かし、母船に星間航行させるための「液体」を浴びて、異星人のDNAを持つことになったヴィカスのように……。

ひとつ疑問なのは、ヴィカスが異星人に変容してしまうことから考えて、地球人と異星人のDNAはとても「似ている」はずだ、ということである。
異星人はネコ缶が大好物であり、卵にウシの死体から栄養供給していたことなどから考えて、アミノ酸にも互換性がありそうだ。
つまり、外見こそ大きく異なるものの、異星人と地球人とでDNAもタンパク質も、非常に似通っているはずだ。
それなのに、地球人では兵器が作動しないのは、非常に微妙なDNAの差が「鍵」になっているからだろうか。

もう一つ、それだけの兵器と科学力を持ちながら、なぜ異星人は地球で難民状態になってしまったのか、ということも気になる。
地球人を武力制圧することだってできたのではないか? 
これについては(ドキュメンタリー風の構成なので)評論家風の人物が述べていた、「彼らはハタラキバチと同じであり、リーダーがいないので統制がとれていない」という理屈で説明がつくだろうか。
何か別の理由がありそうに思うが、それは続編で語られるのだろうか。

それにしても観ていて憂鬱になるのは、立場の弱いものに対して人間のとる、いやらしい態度である。
相手が知的・倫理的に劣っているという前提で相対し、抵抗すれば殺す。
そのくせ、バイリンガルなのは劣っているはずの側なのだ。

この図式は、人類の歴史で何度も「見た」光景である。
だからこそ、この映画の舞台として南アフリカが選ばれたのだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010/08/22

こんとフリース

Con20100822

こんが家の中のあちこちを探し回っている。 何を探し回っているのかというと、小さいころにもらった青いフリースのひざ掛けである。

もっとも、そのフリースはもはや「ひざ掛け」の形状ではない。 こんがかじって穴だらけにしてしまったのだ。 穴になっている部分はどうなったのかというと、もちろん、こんの消化管を通過したのだ。 ときどき、プランターの土の中から青いフリースのカケラが出てくる。

穴だらけになったフリースを三つに切り、三つ編みにして、ロープ状にした。 似たような素材でできた、引っ張り合って遊ぶための太いロープが売られているので、それを模したものだ。

実際、この「フリースのロープ」ではよく遊んだ。 引っ張ったり、投げたり、ほぐれては編み直したり、ベトベトになっては洗濯したり。

しかし最後には編めないほどボロボロになり、洗濯したらバラバラになりそうなほど穴だらけになったので、とても良い匂い(こんの基準で)になったところで、燃やすゴミとして処分した。

新しい黄色い「フリースのロープ」を用意したのだが、しばらく青いフリースを探していた。

| | コメント (0)

2010/08/20

夏が行ってしまう

しばらくぶりに出勤時の気温が20℃代となり、イチモンジセセリが舞うようになった。
そういえば、昨晩の散歩の折りには、カエルの声を聞かなかった。
鳴いていたのはコオロギばかり。

夏が行ってしまう。
今年は町内会の夏祭りやら地域コミュニティーの夏祭りやらに駆り出された。
朝からビールを飲んだり間近で打ち上げ花火を見たりしたが、夏を満喫したという感じはない。

ワシにとっての夏とは、と目を閉じて考えてみた。
浮かんでくるのは雲の上の世界。
といっても天上界とかではなく、亜高山帯の草原やブナ林なのだが。

雲の上でなくてもいい。
雲の中でもいい。
雨が降っていてもいい。
あの山の上の空気が吸いたい。
岩の間から湧き出る水を飲みたい。
夏の大三角形を突き抜けて流れる天の川が見られれば最高だ。

そういう夏を味わうことなく、今年の夏も行ってしまうのが、ちょっと悔しいのだった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010/08/17

ノートPC、突然の不調と復調

15日夜、3月に買ったノートPC(HP Pavilion dv6i)をACアダプタに接続して起動したら、いきなりリカバリが走った。
しかも、キャンセルも効かず、じれったいプログレス・バーの動きを見ていたら、いきなり電源が落ちた。
電源ボタンを押すと、ランプ類が一斉にともって起動する気配を一瞬見せたのち、再びダウン。
何度電源ボタンを押しても同じ。
光学ドライブへのアクセス音なのか、ぴゅう、という気の抜けた音とともに、電源が落ちる。

マニュアルを見ると、まず電源を疑えという。
まぁ、当然である。
充電するついでがあったので、コンセントに携帯電話のACアダプタをつないでみたが問題ない。
よく見たら、PCの充電ランプが点灯しているのだから、コンセントもACアダプタも問題ないはずだ。
ACアダプタのケーブルを多少曲げ延ばししても変化なし。
ケーブルの断線ではないようだ。

電源系のトラブルなら、バッテリ駆動なら正常に動くのではないかと思い、ACアダプタを外して電源投入。
「前回正常に終了していない」ということで、セーフモード起動するかと聞かれたが、通常のWindows起動を選択。
……正常に起動した。
念のためCheckDiskを実行。
ハードディスクは問題ないようだ。

Windows を正常に終了させるため、シャットダウンを実行。
再度ACアダプタを接続して電源を投入すると……ぴゅう、と言ってダウン。

しょうがないのでデスクトップPCでHPのサポートページを見るが、類似のモデルがいっぱいあってなかなか求める情報にヒットしない。
「春モデル」スペックのページから何とかサポートページに到達するが、電源がいきなり落ちる現象については記載がない。

……ということで翌16日(月)、会社からHPのカスタマ・ケア・センターに電話した。
携帯電話だとフリーダイヤルがつながらないので、仕方がない、通常の電話番号をダイヤル。
……つながらない。
いや、HPにはつながるのだが、オペレータにつながらない。
しょうがない、こうなったらもう、ハードウェアトラブルを疑って修理に出すか、と腹をくくり、ノートPCリペア・センターに電話した。
電話はすぐに通じ、翌日(17日)午後に引き取りに来てもらうことになった。

修理依頼票をダウンロードしてよく見たら、管理者パスワードなどは解除しておくように書いてある。
解除が無理ならパスワードを書いておくように、とのことだが、解除できるならしておいたほうがよいかな、と思って、帰宅後バッテリ起動してパスワードを解除。

そのときふと、ここでACアダプタを接続して何事もなく起動しちゃったら、修理に出す意味ないなぁ、と思った。
メーカーのサポートセンターでも、不具合が再現しないと、対処のしようがないからだ。

で、ACアダプタを接続して電源を投入すると……何事もなかったかのように起動。

なんなんだ? いったい?
昨日との違いと言えば、バッテリの充電状態くらい。
電源系のトラブルに関係ありそうなBIOSのアップデートをしておいた。

さて、復調してしまったら、あえて回収・修理してもらう必要はない。
というか、不具合が再現しないとサポートも困るだろう。
……ということで、今朝、HPに電話してキャンセルした。
本当に復調していれば良いのだが、また不調になると面倒だなぁ……。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010/08/11

いまごろホメオパシー?

このところ朝日新聞でホメオパシーに関する記事をよく目にする。
ホメオパシーは、西洋医学に対する代替医療(オルタナティブ)の一種で、「毒」を「1個の分子も残らないくらい」希釈した「水」を用いた「万能」治療法である。

新聞記事は、ホメオパシーに傾倒するあまり、正規の医療を拒否して死んでしまった人や、ビタミンKの代わりに砂糖水(レメディ)を与えられて死んでしまった新生児の話を載せ、非科学的である上に危険と断じるものだった。

記事を読んだときのワシの第一の感想は、えー? なんでいまごろ? というものだった。
ワシがホメオパシーを知ったのは、たぶん30年くらい前、マーチン・ガードナーの著書『奇妙な論理ーー騙されやすさの科学』によってである。
「同種療法」と訳されていたが、とにかく30年前に「インチキ科学」の烙印を押されているのだ。

まぁ、その、ホメオパシーの原理がちょっと笑ってしまいたくなるようなものなのだが、騙される人がいるのだから笑ってもいられない。
この手の怪しい「治療法」は、うまく騙すことができれば儲かるものだから、後を絶たないのだ。
なにしろ、「ただの水」を砂糖玉に染み込ませて「薬」……と称すると薬事法に触れるので「レメディ」……として高く売ることができるからね。

確かに、「ただの水を染み込ませた砂糖玉」でも、一定の効果はあるだろう。
実際、新薬のテストでは、被検者を二つのグループに分け、一方には新薬のカプセルを、一方にはブドウ糖のカプセル(偽薬、またはプラセボという)を与えて、効果を調べることが行われている。
どちらのグループに本当の薬が与えられ、どちらのグループにプラセボが与えられたのかは、被検者はもちろん、被検者に手渡す担当者にも知られないようにする。
テストの責任者だけが知っているようにするのだ。
このようなテストの方法を二重盲検法という。

こうしたテストの結果、プラセボを与えたグループでも、ある程度は「症状の緩和」や「快癒」が起こる。
まさに「病は気から」であって、「よく効く薬を飲んだ」と思っただけで病気が治ってしまうこともあるのだ。
だから、本当に効果のある薬かどうかを確かめるには、プラセボの効果と比較して、「確かにプラセボ以上に効果がある」ことを統計的に検定する必要がある。
統計的に検定する、とは、「偶然、効果があったように見えたわけじゃない」ことを確かめる、ということである。

怪しいニセ科学的治療法では、プラセボ効果との比較を行えない。
ホメオパシーなんか、1分子も「毒」が含まれていない水を染み込ませた砂糖玉を使うのだから、プラセボそのものだもんね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010/08/10

擬態=旨い?

Dvc00030s

なんだコレは、という写真だが、実際なんだコレは、というモノだったのだ。
朝、散歩に出たら玄関先のミョウガの葉に大きな鳥の糞が落ちていた。
糞にしては変だなぁ、なんで2枚の葉をまたぐように載っているんだろうと思ってよく見たら、ガ(蛾)だった。
しかも交尾している2匹のガである。

糞に擬態する昆虫は、ナミアゲハの若齢幼虫など、けっこうイロイロいる。
糞の振りをして捕食者の目を逃れようとするということは、糞の振りをしなければ、食われてしまうということだ。

いやこの言い方は正しくない。
糞に似ている個体だけが生き残り、糞に似ていない個体は食われてしまう、ということが何世代にもわたって繰り返された結果が、「糞に擬態」なのだ。

ということは、「あ、糞だ」と思われなければ食われてしまうような「旨い虫」ということではあるまいか。
ま、旨いかどうか試してみようとは思わないけどね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010/08/06

65年目の夏

ワシの原爆死没者慰霊式典のテレビ放映の最初の記憶は、中学生のときだ。
それ以前の記憶がないのは、夏休みなのでどこかへ遊びに行ってしまっていたからだろうか。

そのとき、「四半世紀」という言葉を知った。
原爆投下の、そして終戦の25年目だったのだ。

それから40年、テレビは白黒のブラウン管からカラー、そしてハイビジョンの液晶に変わった。
しかし、映像の中の夏の日差しは変わらない。
テレビを見ているワシの耳に届くセミの声も変わらない。
じつは、セミの声が変わらないのは困った事態である。
40年前、兵庫県に引っ越した次の夏、初めてクマゼミの声を聞いてびっくりした。
それまで、関東地方と中部地方に住んだことがあったが、最大のセミはアブラゼミだったのだ。

現在、静岡県東部でもクマゼミがふつうに見られる。
声の大きさからいえば、アブラゼミやミンミンゼミを圧倒している。
庭のカツラの木が好きなようで、いつ見ても3匹くらいのクマゼミがいる。
大きな声で鳴かれるとテレビの音が聞こえないほどだ。

クマゼミの北進は、地球温暖化の影響なのだろうか。
気温の上昇や、オゾン層破壊による紫外線量の増大により、夏の屋外での式典など不可能になったりしないだろうか。

さて、原爆死没者の数は毎年増えているが、いずれ増加しなくなる。
原爆を体験した人がいなくなるのを、じっと待っている輩がいるのではないか、などと、テレビの画面を見ながらふと思ってしまった。

65年前の朝も、40年前の朝も、今朝も、積雲の湧き上がる夏の空だった。
10年後も平和な世の中で、安心して夏空を見上げられるなら、良いのだが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010/08/04

夏:こんにとって辛い季節

いまだに毎日こんの毛が抜ける。
暑い日が続くのに、まだ冬毛が残っているのだ。
暑いだけでも辛そうなのに、こんにとって過酷なことがたくさんあるのだ、夏には。

まずは雷。
7月25日深夜、というか26日未明、雷鳴で目が覚めた。
すると、こんが枕元に立って舌を出し、ハァハァと荒い息をしている。
胸に触れると異様に鼓動が速く、ブルブルと震えている。
「大丈夫だから」となだめても、もちろん雷が止むわけではないので、こんは家の中をさまよい始めた。
階段の踊り場に行ったり寝室に戻ってきたりしているうちは良かったが、何を思ったのか階下に降りて、玄関のたたきに立っていたりした。
近所に落雷したらしく、家がビリビリ振動するくらいだったので、心配になって見に行ったのだ。
こんは玄関のたたきに立ち、ドアのほうを向いていた。
どうやら出してほしいようなので、ドアを少し開けて外の様子を見せた。
もちろん、土砂降りの雨である。

2階の寝室に連れ戻ったが、落雷が続くうちにまた階下へ降りてしまった。
また玄関か、それとも居間のピアノの下か……と探したが、いない。
ちょっと心配になったころ、洗面所にへたり込んでいるのを見つけた。
腰でも抜かしたのだろうか。
仕方がないので2階に担いで昇ったが、翌日はワシも睡眠不足と腰痛で仕事が辛かった。

そして花火。
先週末は2日連続で沼津の夏祭りの花火に悩まされた。
居間のピアノの下で丸くなり、頭だけを起こして、耳を後ろに寝かせ気味に立てている。
花火が終わってしばらくしてから、ようやく散歩に行く気になったが、近所の子供(中供?)が遊んでいるのであろう、オモチャの花火の音に驚いて、走ってウチに戻る始末。

今週末には至近距離の公園で夏祭りがある。
風向きによっては、花火の燃えかすが降ってくるほどの近さだ。
さて、こんはどうやってしのぐのか。
ワシが祭りのボランティアの仕事を終えて帰ったとき、散歩に行けるのかどうか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010/08/03

夏富士はお目にかかれないもの?

今朝、久々に雪のほとんどない夏富士を見た。
東海地方の梅雨明けは7月17日だったが、その後、梅雨明け十日プラスアルファの時期を通じて、あんまり富士山を見ていない。

気象庁の気象統計情報によると、2009年の梅雨明けは8月3日、2008年は7月12日だったそうだ。

朝イチに富士山が見えたかどうかを調べた個人的な記録によると、2009年8月3日から8月12日までの間に富士山が見えたのは3日である。
加えて1日、夜に登山者の灯りを見ている。
……ということで、2009年は梅雨明け十日に富士山が見られる確率は33%である。
ちなみに、2009年7月全体で19%、8月全体で29%である。

2008年7月12日から7月21日までの間では、2日(20%)。
7月全体では10%、8月全体で39%となっている。

やはり夏富士は、梅雨明け十日だろうとそれ以外の時期だろうと、なかなかお目にかかれないと言えるだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010/08/02

さらばブラウン管

昨日、ウチのテレビの地デジ対策を終えた時点で、ウチからブラウン管が消滅したことに気付いた。

独立してから最初に買ったブラウン管は、テレビではなくパソコン(PC-9801)のモニタディスプレイだった。
以後、テレビにしろ Macintosh 用のディスプレイにしろ、一貫してトリニトロン管を使っていた。
トリニトロン管は、奥行きが長くなるという欠点はあったものの、縦に画素が並んでいて、文字のにじみが少ないのが好きだったのだ。
ディスプレイ表面が円筒形で、天井の照明などの映り込みがないのも良かった。

しかし、我が家においても、コンピュータ用のトリニトロン管は1999年に、テレビ用のトリニトロン管は2010年に消滅と相成った。
世の中一般でも、ブラウン管は急速に消滅しているはずだ。
地デジ移行で買い換えられると、テレビは液晶か、プラズマか、とにかくすべてブラウン管ではなくなる。
コンピュータのディスプレイも、あと数年のうちには液晶(ひょっとすると有機ELとか E-INK とか?)に置き換わるだろう。

真空管の陰極を加熱して熱電子を飛ばし、それを電磁石で偏向させて蛍光物質を塗ったガラスに衝突させ、発光というブラウン管の原理は、理科の教材としては良かったのだけどなぁ。
こうしてブラウン管が消滅していき、蛍光灯も LED に置き換わっていってしまうと、電子の存在を教えるのが難しくなるだろうなぁ、などと思ったのであった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

地デジ対策!

地上波デジタル対応テレビを購入した。

地上波アナログ放送終了まで1年、各局のアナログ放送には嫌がらせのように上下に黒い帯が入るようになった。
それはまだ我慢できるとして、ハイビジョン対応なのだろうか、キャプションなどがやたらと小さい文字になり、非常に読みにくくなったのには参った。

まぁ、居間のテレビは21インチのトリニトロン管で、2001年製だから、とうに耐用年数を過ぎている。
ついでに2階でごくたまにしか見ない14インチのトリニトロン管のテレビも買い換えることにした。
こちらは何と、1995年製だ。
そう言えば、子供を寝かしつける間に夜のニュースを見たいからと買った小型テレビなのだった。

こうして我が家から陰極線管(ブラウン管)が消滅した。
ウチのテレビは、子供のころに雑誌や図鑑で見た「夢の壁掛けテレビ」になったわけだ。
薄型だけど、壁掛けではないが。

さて、居間のテレビをどのメーカーのどの機種にするか、けっこう悩んだが、結局、ブルーレイ内蔵LED AQUOS 32型に落ち着いた。
東芝のハードディスク内蔵型も考えたのだが、ハードディスクは録り溜めすぎて困っちゃうかもなぁ、と思ったのと、やはりLCDは国産がいいかなぁ、と思ったので、AQUOSにしたのだ。

CATVなので、アナログもデジタルも設定は簡単に完了。
デジタル放送を受信して初めて、なるほど、キャプションの文字が小さくなったのはやはり高画質になったためだと納得した。
それにしても、高画質映像のきれいなこと。
もうアナログには戻れない、と思ったが、CATVならではの陥穽が。

NHK BS-1 などの BS 放送が、アナログなら見られるが、デジタルでは見られないのだ。
デジタルで見たければ、追加料金を支払う必要があり、たぶん、セットトップボックスも必要だ。

フレッツテレビのような光回線を使ったデジタルテレビにしてしまえば、もっと単純かなぁと思うが、またウチのあたりは対象地域ではないので、よくわからない。
分配器のあたりに工事が必要になるらしいし。

いやはや、テレビを見るにも面倒な仕組みの必要な時代になったものだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2010年7月 | トップページ | 2010年9月 »