森の音
世の中は連休に入ったらしいが、ワシは出社して仕事した。
まぁ、連休中はどこへ出掛けても混むし、他社が休みの時に仕事を先へ進めておくと後で楽なので、出社するのも良いのだけれど。
……このところ、山へ行っていないので、ときおりとても森の音が恋しくなる。
山へ行き、森の中の道を歩いて少し開けたようなところを通るとき、わーん、とか、しーん、とかいうような音が聞こえる。
いろいろな音が混ざり合っていて、聞くというか感じるというか、頭の上を通り過ぎていくというか、そういう感じなのだ。
耳を澄ますと、鳥の声や沢の音や葉ずれの音に分解されて聞こえてくる。
ブナなどの森の中では、また音の聞こえ方が違う。
通り過ぎていくような音は聞こえず、森の中に閉じこめられた音、という感じだ。
その低いバックグラウンドノイズの中、鳥の声だけが響く。
ミソサザイやコマドリの声は、森のバックグラウンドノイズの中で効果的に響くように設計されているのではないかと思うほどだ。
もちろん、メスによる選択によって、そのように進化したのだが。
さて、「誰もいない森の中で朽ちた木が倒れた。音はするか」という禅の公案(だったかな?)がある。
こういうことを山へ行き、森の中で考えると、考えることが無駄のような気がしてくる。
誰もいなくても、木が倒れれば振動する。
振動は空気中や土の中を伝わり、振動を知覚する脳まで到達すれば、「音」として認識される。
森の中には、高度な知覚を持つ脳がいっぱいだ。
「誰」を人間についてだけ考える愚かさ、傲慢さ。
何億年も前から、森の中で木は倒れ、何者かがその音を聞いてきた。
もちろん、十数億年遡れば、地球上のどこにも森はなかったから、木の倒れる音もしなかったけどね。
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