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2009/09/09

『世界は分けてもわからない』の「視線」仮説

福岡伸一著『世界は分けてもわからない』を読んでいる。
その中に、「視線」仮説が提唱されていた。
人の「視線」を感じるのは、その人の眼底で反射した光が、自分の周辺視野に到達するからではないか? というものだ。
もちろん、思考実験の結果であって、実際に検証したわけではないそうだ。

……ということで、この「視線」仮説、面白いのだけれども、アマチュアのワシから見ても、いくつか「穴」がある。

まず、写真で「赤目」となることから類推されるように、眼底で反射した光は、赤外領域に近い赤色ではないか、ということから……。

すると、赤色光を感知する錐体細胞のない色弱者は、他人の視線を感じない、ということになるだろうか。
いや、この反論は間違っているなぁ。
錐体細胞は視野の中央にあるが、視線を感じるのは視野の周辺部だ。
ということは、錐体細胞ではなく桿体細胞でとらえる、ということになる。
桿体細胞は、色ではなく、明るさ(光の強弱)だけを感知するから、色弱であろうとなかろうと関係ない。

……というところから、桿体細胞のロドプシンの平均吸収スペクトルを調べてみたところ、500nmだった。
緑色だね。
ロドプシンは600nmの光は吸収しないようなので、赤色の光は、やはり感じないようだ。

じつは、もう一つ、個人的体験に基づく疑問もある。
生きた人間の目でなくても、「視線」を感じることがあるのだ。
ニホンザルの死体を発見したとき、まず「視線」に気付いたのだった。

……ということから、「視線」は「光線」ではなく、「コッチを向いている顔のようなもの」に対するパターン認識によるものではないか、と思うのだが、どうだろう。

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