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2009/08/28

空疎な言葉

衆議院議員選挙の投票日まであと2日、選挙カーが「最後の最後のお願いです」なんて叫びながら走っている。

いまさらだが、「最後の最後のお願い」ってのは、空疎な言葉だよねぇ。
お願いされて投票するもんではあるまい。

そんな空疎な言葉や、候補者名の連呼ばかりの立候補者には、絶対に投票したくなくなる。
選挙について真剣に考えている有権者がどう受け取るかを考えたとき、逆効果だということに気付かないのだろうか?

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2009/08/24

ヨツバシオガマとヨシバシオガマ

土曜日の朝のNHKの番組で、北アルプスの槍ヶ岳を紹介していた。
その中で、森林限界のお花畑の植物としてヨツバシオガマの映像が映ったのだが、そのときのキャプション(字幕)は「ヨシバシオガマ」となっていた。

おいっ!

キャプションの原稿の字が汚くて、「ツ」と「シ」の区別がつかなかったのか?

ヨツバシオガマの名は、ゴマノハグサ科のシオガマの類のうち、茎に4枚の葉が輪生していることに由来する。
つまり「四葉のシオガマ」である。

ちなみに、シオガマは「塩釜」で、製塩のため海水を煮詰める釜のことだ。
シオガマの葉には細かな切れ込みがあり、低温にさらされると紅葉する。
そのため、花だけでなく「葉まで美しい」ことから、「浜で美しい」光景である「塩釜」の名が付けられてたのだ。

よろしいか、NHK。
日本の自然と、日本の歴史・文化を大切にしなよ。

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2009/08/21

使役動物の知能

昨夜というか今朝というか、午前1時近くに、こんが2階の寝室からドタドタと降りてきた。
1階の居間で歯を磨いていたワシの前を、視線を合わせて通ってから、掃き出し窓の前に座って、右前足で窓ガラスを掻くようなしぐさをした。
窓を開けろということなので、窓と雨戸を開けて庭に出したら、下痢のようだった。

おなかの調子が悪く、便意を催したのだろう。
似た話をコンラート・ローレンツも『ソロモンの指輪』に書いている。
犬を飼っている人にとっては、よく体験する行動なのだろう。

自分の寝床で用を足さない、というのは、野生動物(および数万年前まで野生だった動物)の本能行動である。

問題は、その後のこんの行動だ。
闇雲に出口を探すのではなく、ワシに窓を開けさせる、という高度な知能を要する行動に出た。
こんは、ワシを使役動物として使って、窓を開けさせたのだ。

通常、使役するほう(たとえば、ヒト)が使役されるもの(たとえば、ウシやウマ)よりも知能が高いと考えがちだ。
しかし、案外、知能の高い低いとは関係なく、「使役するには知能が必要だし、使役されるほうにも知能が必要」というだけのことではなかろうか。

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2009/08/18

こんのソックスの由来

昨日のことになるが、朝の散歩に出かけたとき、近所の(同じく散歩中の)ビーグルとこんがケンカした。
ケンカといっても、こんが吠えて飛びかかられただけで、実害は無い。
こんも吠え返すものの、尻込みするだけでカッコ悪いこと。

それはともかく、そのビーグルも飼い主も(ワシに対しては)友好的だったので、少し触らせてもらった(ビーグルを、である。飼い主のオジサンを、ではない)。
よくよく見ると、ビーグルの足先は白く、尾の先も白い。
こんと同じではないか。
白目がチョロっと出る目つきや、鼻の辺りの様子も何となく似ている。

こんには、ビーグルの血も入っているのだろうか?
こんの白いソックスと尻尾の先は、ビーグルの遺伝子に由来するのだろうか?

そう考えて、こんの、柴犬にしては大きな耳を、顔の側面に折り畳んでみた。
……ビーグルには見えない。
どっかの「ノラ」である。
あちこちで見かける雑種の顔付きである。

いろんな犬種の血が混ざると、こんのような顔付き・体付き・体色になってしまうものなのだろうか?

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2009/08/16

夏の終わりの気配

よく晴れた日曜日、布団を干したり、梅雨明けを待っていた冬物(カミさんが洗濯したフリースなど)を干したり。
日中は暑くて散歩をする気にもならないが、家事だけではつまらないので、夕方庭に出て、晩飯のホッケの開きを炭火で焼くことにした。

卓上七輪がかなりボロになったので、スノーピークの焚火台を使うことにした。
前回の使い残しの炭を火消し壷から焚火台に空け、新しい切り炭を3個ほど加えて、バーナーで火を起こす。
着火したら、団扇で扇ぎ、炭が満遍なく赤くなったところで、五徳と金網を置いて、少し熱する。

蚊取り線香を焚いたが、やはり数箇所刺された。
どうにもウチの庭の蚊は強力で困る。

冷蔵庫からホッケの開きとビールを持ってきて、ホッケを(皮を下に)網に載せてから、ビールを開けた。
手製の椅子に腰掛けて、ビールをあおり、ピンク色の雲の浮かぶ空を見上げた。
綿をちぎったような雲、刷毛で掃いたような雲。
なんだか、夏の終わりのような気配である。

ときどき団扇で扇いで火力を調節し、トングでホッケを持ち上げて焼け具合を確認する。
太陽は沈んだようだが、まだ明るいのでクマゼミはウルサイし、ヒヨドリやシジュウカラやスズメが庭に来ては、ワシが居るのに驚いて騒いで去っていく。

蚊に食われたところをポリポリと掻きながら、いくつになっても、夏の終わりの気配が悲しいのはなぜだろう、と思った。

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休日とて晴れれば座していられぬ

日付が変わってしまったが、土曜日に草刈りの続きをした。
その前にダイニングの外にシェードを張ってからだが。
先週の残りの庭の草刈りに続けて隣家との間のシダを刈り、玄関先のコブナグサを刈った。

玄関前に勝手に生えてきたイイギリも隣家の屋根に達する高さになったから、少し切り詰めた。
梅雨前に刈り込んだのに、またボサボサと伸びてきたローズマリーも刈り込んだ。

その間、こんはポストの横のコブナグサの茂みに座り込んだり、タイムの上に寝そべったり。
たまにトカゲを見つけては、ラベンダーの上にジャンプしたり、ローズマリーの下に頭を突っ込んだり。
まぁ、それなりに幸せだったようだ。

ワシは仕事で酷使した腕を、さらに電動草刈り機や刈り込みバサミやノコギリやホウキで酷使したのでとても疲れたのだった。

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2009/08/13

グリッドの幻覚を見た

今朝、目が覚めてから起き上がるまでの間、天井を見ていたら、紫色のグリッド(格子)が見えた。
寝室は和室だから、天井は普通の板張りで、紫色のグリッドなど無い。

視線を動かすと、それに連れてグリッドが動くし、照明器具の白いカバーの上にも見えたので、これは幻覚だなぁ、と気付いた。
頭を打ったり、めまいがするときに見える星と同様、現実に見えているわけではないが、何らかの情報を脳が「視覚」と判断しているのだろう。
何らかの情報とは、脳の血流の不足とか、神経細胞の異常興奮とか、まぁそういった通常でない信号である。

そのグリッドを見ているうちに、正体に気付いた。
InDesign という DTP ソフト(レイアウトソフト)のフレームグリッドに良く似ている。
要するに、コンピュータ上で書籍などを作るときに使う、原稿用紙の桝目である。

月曜日から集中して、レイアウトのデザインをしていたもんだから、その「残像」のようなものが強く記憶されていたのだろう。
そのデザインも、自分で自由に組むのではなく、既にあるデザインに似せて、というか行数と文字数を保ったまま、判型を A4 から B5 に 87% 縮小するという、面倒至極のものだったのだ。
そのため、PC の画面とにらめっこしながら、フレームグリッドを細かく調整する作業を何時間もぶっ通しでやっていた。

やれやれ、映画『フック』のラストで、ティンカーベルが目覚めのときにネバーランドが見えるはず、と言っていたが、フレームグリッドではしょうもないなぁ、と思っているうち、幻覚は消えた。
ようやく起き上がることができた。
待ちかねて寝そべっていたこんに声をかけて、朝の散歩に行くべく、階下へと降りた。
そして、世間がお盆休みかどうかにかかわりなく、会社へ行って仕事をするのだ。

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2009/08/11

地震に叩き起こされた

台風9号に伴う激しい雨の音と雷鳴を聞きながら、悪夢を見ていた。
文書テンプレートを三つ作ったのだが、一つに訂正が入り、あとの二つも同じように直さなければならない。
その修正が、延々と続くのである。
まぁ、現実もこんなものだが。

浅い眠りに転々としていたら、突如大きな揺れが。
激しい上下の振動で、思わず飛び起きた。
普段は「何があっても起きない」ムスメたちも、「えっ!? なに!?」と言いながら起き上がってきた。

寝室の出入り口の柱の横で様子を見たが、立って歩けるし、すぐにおさまりそうな気配。
どうやら家族は無事だし、本棚やタンスが倒れるということもなさそうなので、テレビを点けた。

すると、沼津は震度5弱だという。
いやいや、体感震度は3程度だ、と思いながらしばらくテレビを見ていたが、津波はすでに第一波が到達しているし、余震が怖いが眠いのでまた布団に横になった。

ふと思い付いて、防災用に買っておいた手回し発電機付きのラジオを点けてみたが、ハンドルを回しているとその音がうるさくてラジオがよく聞こえない。
しばらく回して充電してから聞いていると、雷で空電が入って聞きづらい。

報道もループに入ったので、もういいや、一眠りしようと思ったら、町内放送が入った。
沼津市の防災放送だったが、地震発生から15分以上経ってからでは遅いのではないか?
しかも、実際に放送が入る前に、2回も運送波だけ流している(プープー、というノイズが流れた)。
うーん、もうちょっと防災に力を入れて欲しいところだ。

まだまだ雨が降りそうなので、屋根瓦がずれたりしていないか、気になったが、ウトウトしてしまった。

さて、改めて確認したところ我が家の被害は、というと、幸いにして「ゼロ」である(屋根瓦は確認していないが)。
棚から落ちたのは画用紙とかコロコロ(粘着テープのクリーナー)とかだけで、本の飛散や食器の破損はなかった。
食器棚は地震対策用の自動ロック(機械式)が効いていた。

台風が来ようが、地震が起ころうが、それでも人生は続く(Life goes on)。
今朝は月に一度の資源ゴミの回収日なので、集積所まで新聞紙を運んだり、集積所に養生シート(ブルーシート)を張るのを手伝ったり。

それでも人生は続く(Life goes on)。
とりあえず休んじゃうと滞る仕事があるので、会社へ。
東名高速道路が閉鎖されているというので、一般道の渋滞を警戒して早めに会社に向かった。
閉鎖されていたためか、かえって車が少なかった。

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2009/08/09

夏の草刈りはバッテリーも辛いらしい

金曜日の午後、家庭の事情により午後会社を休んだ。
午後イチで用事は終り、夕方草刈り。
庭の半分の草を刈ったところで、電動草刈り機のバッテリー切れ。

そこで充電しようとしたところ、バッテリーが高温になっているので充電できん、と充電器が言う(LEDが点滅して、そういうメッセージを発するのである)。
仕方ないので、その日の作業は後片付けをして終了。

土曜日の夕方、バッテリーを充電して庭の残り半分の草刈り。
ところが、もうあと1平方メートルで終了、というときになってバッテリー切れ。
充電しようとすると、バッテリーが高温……。

夏は草の勢いがすごくて繁った葉を刈るのが大変なだけでなく、温度が高いことからしてバッテリーには負担なのだろうなぁ。

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2009/08/05

きっと神はどちらの味方でもない

昨日の朝のこと。
こんの散歩から帰ってきて、近所の庭木(ヒメシャラ)の下に立ったところ、上からイモムシが降りてきた。
長さ1cmに満たない、小さなガの幼虫である。

こんはヒメシャラの根元あたりにトカゲがいないかと嗅ぎまわっているので、ちょっと観察してみることにした。

糸を引きながらツツーッと降りてきたので、上に何かいるのかな、と見てみると小さなハチがいた。
葉の上を探索しているようなので、イモムシを探しているのだろう。
イモムシは糸を吐いて数十センチ降りることで、そのハチから逃れたのだ。

イモムシは音か匂いか何かでハチを感知したのかな、と見ていると、ツイと飛び立ったハチが糸にぶら下がったイモムシを捕まえた。
ハチはそのまま近くのセンリョウの葉にとまり、腹を折り曲げて、イモムシのからだに針を突き立てている様子。
そのハチは、トックリバチとかジガバチとか、そういった狩人蜂の仲間だったのだ。

ハチはどうやって、獲物が食草の葉の上でなく、そこから下にぶら下がっていることを知ったのだろう?
イモムシが降りてからしばらく経ってから狩ったので、降りるところを見ていたわけではなさそうだ。
葉の上に獲物の痕跡(噛み痕? 匂い?)があるのに姿が見えないとき、その葉の下を探索するようなプログラムを、ハチが持っているのだろうか。

このようなハチに対しては、イモムシの「糸を吐いてすばやく下に逃れる」という戦略は無効である。
一方、イモムシのほうも他の戦略を開発して、ハチに容易に捕まらないようになるかも知れない。
進化とは、そうした相互作用によって進む「軍拡競争」のようなものなのだ。

イモムシが新たな逃避戦略を編み出せば、ハチが飢え死ぬかもしれない。
しかしごく少数のハチは、その裏をかく探索術を編み出すだろう。
すると、また多くのイモムシがハチの餌食となる。
この世に万物を創成した神がいるとしたら、ハチとイモムシのどちらの味方だろうか。

きっと、神はどちらの味方でもないに違いない。
いや、神などいない、と考えたほうがすっきりする。
ハチの飛んで行った空の上には天国などなく、ただ空が広がっているだけなのだ。

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2009/08/04

思考の整理法

思考の整理法として、とにかく思い付きをメモする、というものがある。メモするだけではダメで、それをノートにまとめておく。
これで、単なる思い付きが、後で読んでわかる文になる。しかし、これでも思考の断片に過ぎない。ノートから外山滋比古氏(『思考の整理学』著者)の言う「メタノート」にまとめ直す。
メタノートは「ノートのノート」であり、ノートに書いて寝かせておいた思考の断片を練り上げる場である。

メモからノートへ、ノートからメタノートへとまとめ直す際、詰まらないものは捨てられる。
時間がたってから見直すと、何だかわからなくなってしまっているものもあるだろう。
時間を置いて寝かせることによって、さらに新たな価値をもつ場合もあるはずだ。

『思考の整理学』を読んだのははるかに以前であって、ほとんど記憶に無いのだが、上記のような思考の整理法は何となく実践している。

手帳やスケッチブック、携帯電話のテキストメモなどに書き散らした思い付きを、時折見返して、ブログに書いたりする。
ブログに書いているうちに、まとめてみようという気になったものは Wiki の記事にする。
ブログがノートに、Wiki がメタノートに相当するわけだ。

まぁ、そこまできちんとした思考の結果をまとめているわけではなく、どこをとっても思い付きのレベルを超えてないなぁ、と自分でも思うのだが。

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2009/08/03

庭の草がえらいことになってしまった

自治会の夏祭りやらなにやらに忙殺されて、7月中は庭の草刈りができなかった。
そのため、庭の草がえらいことになってしまった。

メヒシバは芝生を覆いつくしそうな勢いだし、ツユクサもなんだか葉が巨大化しているし、ヘクソカズラやヤブガラシも我が物顔につるを伸ばしている。

7月中の土日は、自治会の用事がなければ雨模様だったし、たまに雨でないときも、タラノキやエノキの剪定をしただけで、草刈りまで行き着けなかったし。

今度の土日はどうだろう。
雨が降らなければ、庭も玄関先も手入れをしなくちゃだなぁ。

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