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2009/04/30

平穏な日々とそれを脅かすもの

有給休暇をとって会社を休んだが、のんびり休んだのは数十分の昼寝だけ。
朝、自治会の用事で銀行に行って、一度帰ってからムスメをバイト先に送り届け、そのままカミさんと(今度はウチの用事で)銀行に行き、それから花の苗を買って、ウチへ帰って昼飯。
休憩後パンツを買いに行き、帰ってきたら玄関先の花の植え替え。
庭の草刈り(今年3回目)をしようとしたら草刈り機のバッテリーが上がったので充電。
充電中長靴を脱いで芝生に座り込んだら、こんがやってきて腹をなでろと言う。
いや、もちろんしゃべったわけではなくて、しきりとワシの手に前脚を掛けるので、腹をなでてやると満足げに目を閉じるのだ。
ひとしきり腹やら首やら顎やらをなでてやってから、充電が終わった草刈り機でスズメノカタビラやキキョウソウやタチイヌノフグリやシダやドクダミを刈り払った。
その後こんが散歩に行きたそうにしていたので、連れ出したところへ廃品回収のクルマがやってきて、その大音量にびびったこんはウチに逆戻り。
カミさんの夕食作りを手伝い、飯を食ってから自治会の用事を済ませて散歩へ。
散歩から帰って再び自治会の用事を済ましたところへムスメから電話。
ムスメを迎えに行き、帰ってきてまた自治会の用事。

……とまぁ、なんだか忙しい休日だったが、さしたる事件もなし。
事件といえば、玄関先の花壇の中にイヌのフンがあったのと、車庫にスズメの子(まだ赤裸)が落ちて死んでいたことくらいかな?

こういう平穏な日々は何よりだが、それを脅かすものも多い。
新型インフルエンザウイルスなんていう、目に見えないものもある。

そういえばニュースで荒川沖の通り魔殺人犯の話をやっていたが、とんでもないオコチャマだな。
そんなオコチャマに平穏な日々を奪われたりしてはかなわんなぁ。
被害者やその家族はまったくやりきれない思いだろう。
「宇宙が始まったときから、自分の運命は決まっている」とかいう幻想は、カオス理論や統計学を勉強すれば払拭できるだろうに。
「この世のすべては自分の空想の産物であって、自分が消滅すればすべてが消える」なんてことは、誰しも中学生くらいのときに考えることだが、実生活の中で「自分が主人公なのは、自分の人生の中だけである」ことに気付くものだ。
それに気付かないのは、発達心理学でいうところの情緒の成熟度(エモーショナル・マチュエーション)の低いオコチャマである。
そんなヤツが、「自殺するのは痛くて苦しいから、楽に死ねるように、人を殺して死刑になろうと思った」なんていうのはまったくフザけた話だ。

池田小事件の犯人もそうだったが、死にたがっているやつを死刑にしてしまうのは正しいことなのだろうか?
もっと考えさせる機会を与えたほうが良いのではないだろうか?
どうせ税金を使って食わせておくのであれば、生命を掛けて働かせることはできないか?
例えば、地雷除去とか、チェルノブイリの石棺の補修とか。
更生が期待できなくても、地雷の1個でもなくなれば、役に立ったことになるわけだし。

あー、いかんなぁ。
なんか殺伐としたことを考えてしまうなぁ。

そういえば(その2)、大学の研究室で、人を死んだほうがマシだと思うほどの目に遭わせる簡単な方法を教わったことがある。
もちろん、農学の範疇で、であるが、農薬や毒草を使うわけではない。
ありふれた植物を、ほんのちょっと使うだけである。
しかし、それを実行しようと思ったことはない。
自分も他人も不幸になるようなことを、敢えてしようと思うだろうか?
教授も、教え子たちの情緒の成熟度を見計らってその物騒な方法を教えたのだろう。
……と、今になって思い至ったのだった。

そうとも、情緒の成熟度の高い大人として、皆が平穏に暮らせる日々を大切にしなくてはならないのだ。

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2009/04/29

サイトカインとサイトカイニン

世の中は休日のようだが、明日休む都合上、今日は出社。
会社の駐車場が空いていたので、クルマの死角がどれくらいあるのか調べるため、写真を撮ってみた。
四駆などのRV車の大きな死角が問題になるが、じゃあ軽自動車なら死角は大きくないのか? という疑問があるのだ。
その結果はいずれまとめる予定。

それはさておき。
昨日、サイトカイン・ストームの話を書いていて、サイトカインという用語はサイトカイニンと紛らわしいようなぁ、と思った。
サイトカイン(cytokine) は、「細胞」を意味する接頭語「cyto」に、「動く」を意味する「kinein」を組み合わせて作られた言葉だそうだ(Wikipedia などによる)。
サイトカイニン(cytokinin)は……さて、「cyto」のほうは同じかな。
後半の「kinin」はアルカロイドのキニーネ(kinine)と関係あるのか、ないのか(これまで語源を調べたことはなかったなぁ、そういえば)。

サイトカイニンは低分子量の塩基だから、タンパク質であるサイトカインとはまったく別の物質である。
サイトカインが動物の免疫系に作用するのに対し、サイトカイニンは植物の成長や成熟に関係する。
1文字違うだけだが、まったく別のモノなのだ。
言葉として似ているからといって、似たようなモノではない、という例になるかな?
自然科学においては、語感や言葉から想起されるイメージと言うやつはまったくアテにならないのである。

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2009/04/28

豚インフルエンザとサイトカイン・ストーム

豚インフルエンザのパンデミック(世界的大流行)が警戒されている。
ヒトからヒトへ感染し、致死率が高ければ、スペイン風邪のように万人、億人の単位で被害者が出るかも知れないという。
今のところ、うがい・手洗いとか人ごみでのマスクの着用とか、一般的な対策が推奨されている。

さて、スペイン風邪もそうだったが、A型インフルエンザの場合、免疫力の強い若者のほうが危険だそうだ。
そのキーワードが「サイトカイン・ストーム」である。
サイトカインという、リンパ球から分泌されるタンパク質が、肺の免疫機能を暴走させて、重度の肺炎を引き起こすという。

細胞が分泌し、他の細胞や組織・器官に作用するようなタンパク質としては、ホルモンがよく知られている。
ホルモンとサイトカインの違いは、ホルモンは甲状腺や副腎といった器官から分泌されるのに対し、サイトカインがリンパ球などの単独の細胞から分泌される点である。

……したがって、ハッキリした線引きは難しいのかも知れない。
よく考えると、神経伝達においても、ノルアドレナリンとかドーパミンとかセロトニンとかいったタンパク質に近い物質(ペプチドなど)が神経細胞から分泌されている。

人体の機能というのは、個々の細胞が他の細胞に働きかけることで実現していて、暴走するととんでもないことになるのだなぁ、と気付かされた。
その個々の細胞の集合体である「自分」のどこに、外の環境と相対する「自己」があるのやら。
細胞のレベルから見ると、「自己」とか「自我」って、仮想的なものかもなぁ、などとも考えてしまった。

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2009/04/26

風の中の草取り

昨日の大雨をもたらした低気圧が去った後、晴れたのに一日中大風。
庭の草が勢いづいていたので、カミさんと今年2回目の草取り。
草を刈ったり、伸びたユスラウメの枝を切ったりすると、風に乗って飛んで行く。

電線や車庫の屋根がビュービュー、ガタガタと鳴り、やかましい。
草取りに伴うカタルシスが得られないので、適当なところで退散。

午後、自治会の集まりに出た後も、風がすごいので外で日向ぼっこなどができない。
仕方なく、ハードディスクに録りためた映画をDVDにダビングしたり、本を読んだり。

本は映画化された『鴨川ホルモー』を文庫で読んだ。
奇妙で可笑しな青春小説であった。
たしかに、大学生のころって、純でバカでパワーがあったなぁ、なんてことを思った。

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2009/04/24

世襲議員

定額給付金の支給を市に申し込んだ。
銀行振り込みされるそうなので、そのまま貯蓄に回されるであろう(貯蓄が減っていて困っているのだ)。
つまり、期待されている消費の拡大には結びつかないのだ(ウチの場合)。

だいたい、金をばらまけば喜んで使うだろうという発想が間違っている。
こちらは給与明細を見るたびに、ボーナスも支給されず残業も減らせと言われているのに、天引きされる税金やら何やらは何故減らないのかと腹を立てているというのに。

まず、何をしてるのかわからない天下り先法人をつぶすとか、消費税を引き下げるとか、生活必需品を非課税にするとか、そういう抜本的対策はできないものか。

……できないだろうなぁ。
既得権益を守ることに汲々としている世襲議員からなる政府じゃなぁ。

そういえば、世襲議員禁止について、「憲法で保障されている職業選択の自由に抵触する虞がある」なんてとてつもなく的外れな指摘をしていたヤツもいたなぁ。
問題なのは「議員の世襲」じゃなくて「選挙区の世襲」だと思うよ。

だって、政治家の子供が本当に政治家を目指したいなら、親の選挙区とは別のところから出馬すればよいだけのことだろ?
だいだい、いまの世襲議員のほとんどは、東京で生まれ育っているくせに、どっかのイナカから立候補するという、よく理解できないことをしているんじゃないのか?
それなのに、「地元出身議員」として後押ししちゃう「後援会」という組織も、どんなもんなんだかなぁ。

親とは別の、独立した人格として政治家を目指すなら、親とは別の選挙区で立候補すべきだ。
それができないなら、政治家を目指すのはおやめなさい、と言いたい(いや、言いたくもないけど)。

そういえば(その2)、酔っ払って国際的に醜態をさらした世襲議員と同じ政党の世襲議員が、酔っ払って醜態をさらしたアイドルを「恥だ」とか言っていたが、国民の視点から見てどっちが恥ずかしいことなのか、よく考えたほうが良いのではなかろうか。
きっと、酔って高歌放吟(こうかほうぎん)して周囲に迷惑をかけたことなんて、ないのだろうね。
ワシはあるぞ(裸になったことはないが、木に登ったことはある)。
それとも、「記憶にない」のかなぁ。

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2009/04/23

渋滞対策はロボット化で

通勤中、信号待ちしながら考えた。
前方の信号が青になっても、信号待ちしていたクルマが一斉に発進するわけではない。
前のクルマが動いてから発進するので、信号待ちの列の後ろのほうのクルマは、「信号を通過するクルマの速度×台数」で計算すれば当然行けるはずなのに、取り残されることとなる。

まぁ、これは人間が運転している限り、仕方がない。
信号が青に変わったのを確認し、前方の安全を確認し、さらに前車との距離がある程度開いてから、ようやく発進するのだから。

そこで、クルマをロボット化して自動運転にしたらどうかと考えた。
信号が青に変わったら、一斉に発進できる。
車間距離も(ほとんど)取らなくて良い。
前車から後続車へ、ブレーキを掛けることを無線で知らせれば、全部のクルマが同じ制動距離で止まるのだから。

おまけに、信号が青に変わるタイミングも、信号からクルマに連絡すればよいのだから、赤信号の間はアイドリングストップできる。
交差点付近の大気汚染も緩和できるわけだ。
もちろん、市街地をロボット化したクルマが走るような時代に、まだ化石燃料を使っているのかどうか疑わしいが。

そう考えると、高速道路はもちろん、市街地でもクルマを自動運転させたほうが、何かと良さそうである。
そうなると、手動で運転することは「趣味的」であり「危険」なことになってしまうのだろうか。

映画『アイ,ロボット』の中では、手動への切り替えを要求されたクルマは、あっさり「マニュアル・オーバーライド」に切り替えていた。
しかし、実際にクルマがロボット化されたら、手動に切り替えろと命じたとき、「危険ですから」とか「保険が利かなくなります」とか言って抵抗するんじゃないかなぁ。

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2009/04/20

目・肩・腰

週の始まりから目・肩・腰が痛くてツライ。
先週後半の仕事で、集中してPCの操作をしたことが一因であることは、まず間違いない。
Word ってヤツは、縦書きの表組みの場合にはカーソルキーでのポインタの移動が困難なので、不本意ながらマウスを多用しなくてはならなかったり、単純にコピー&ペースト([Ctrl] + [C] → [Ctrl] + [V])だと書式までコピーされてしまうのでコンテキストメニューを使ったりと、簡単な作業なのに手数が必要だったのだ。

だが、それだけじゃなくて、週末の過ごし方にも原因がありそうだ。
土曜日にはプラドの洗車に時間がかかったし(花粉がこびりついていて落ちにくいこと!)、こんの散歩に長時間付き合わされたし。
日曜日は近所の公園の草取りやら障子の張り替えやら(経年劣化で障子紙が破れてきてみっともない状態だったのだ)、通常の家事以外の用事もいろいろあった。

とりわけ洗車やら公園の草取りやら障子の張り替えやらといった、普段とは異なる姿勢、異なる腕の動きが肩と腰の痛みの原因になっていると思う。
だが、左目が痛くてピントが甘いのはなぜだろう。
単に、こんが激突したのでメガネが歪んでいるせいか何かだと良いのだが。

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2009/04/17

「ゆとり教育」失敗の原因

いわゆる「ゆとり教育」の失敗から、指導要領が見直され、教科書の内容が少しずつ「元通り」になっている。
なぜ、「ゆとり教育」は失敗したのだろうか?

まずは、マーフィーの法則が考えられる。
「人が覚えている事柄は、教わった事柄の10%未満である」というヤツだ。
「いかなる事柄であれ、人はその90%を忘れてしまう」と言い換えてもいい。

したがって、教わる事柄が減れば、それだけ覚えている事柄も減るわけである。
「詰め込み教育」には数々の弊害があるが、とりあえず「覚えている知識の断片の量」は「ゆとり教育」の場合より多いのではあるまいか。

もちろん、単純に「教わる量」が減ったから、学力が低下したとは言えない。
それ以外に変化した環境要因も多いからだ。

最も大きな原因は、三つあるのではないかとワシ(とカミさん)は見ている。

(1)異年齢遊び集団の消滅

田園風景の残る地方都市に住んでいるおかげで、ウチの子供たちは辛うじて、異年齢遊び集団の体験がある。
しかし、小学校高学年の子供がみな塾に行ってしまうせいか、また兄弟が減っているためか、最近では異年齢遊び集団を見かけない。
小さな子から大きな子まで、一緒になって遊んでいる風景は、いま、日本のどこで見られるだろうか?

(2)リアルな体験の不足

かつて首都圏に住んでいたころ、よちよち歩きのムスメを連れて平日の午後の公園に行っても、遊んでいる小学生の姿がなくてゾッとしたものだった。
もちろん塾に行くか、家でゲームをしているのである。

ゲームの弊害については以前書いたことがあるが、手を使わない、手を汚さない、リアルな体験をしない、という点がとてもマズイのではないかと思っている。

子供には定額給付金じゃなくて、レゴなどのブロック玩具でも配ったほうが良かったのではないか?


(3)親の無関心

「へっ? むしろ親の過干渉の度合いは増しているんじゃないの」と思われるだろうが、それは、「子供の教育」に関してのことだ。
「親自身の勉強」はどうなのか?
とくに、基礎的な理科・社会領域の常識や考察力において、中高生に劣るなんてことはないだろうか?
そのくせ「学校で習うことなんて社会では役に立たない」なんて見当違いのことを言う親が増えてはいないだろうか?
子供を塾にまかせっきりで、自分ではまったく子供の勉強を見ることもなく、そのくせ「学校できちんと教えてくれない」と言う。
そういう、「自分の知的レベルの維持向上に努めること」に無関心な親が、モンスターペアレントになりやすいのではないかと想像するのだが、実態はどうなのだろう?
……いや、知りたくもないけどね。

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2009/04/16

利己的な愛……究極の花言葉の補足

タイトルだけ見ると、なんかトラックバックスパムがいっぱい来そうでやだなぁ。

さて、昨日「究極の花言葉」として「利己的」という単語を載せたが、よく考えたら単語では言葉が足りない。
そこで、改訂版というか補足というか……。

「利己的な私」

……「私」はもちろん、植物自身である。
う~ん、ちと面白みに欠けるなぁ。

「利己的な愛」

このほうが良いな。
花というのは植物の生殖器官だから、抽象的な愛だけでなく、フィジカルな愛も表している。
同花受粉するオオイヌノフグリなんか、まさに「利己的な愛」の象徴といえるだろう。

……な~んてことを書くと、ロマンがないとか夢がないとか言い出す輩がいるものだ。

喝ッ!
ヒトの勝手な思い込みや幻想を、ロマンだ、夢だと言うんじゃない!

そういう輩はだいたい、花粉管が胚珠に到達する仕組みなんか知ろうともしないのである。
「なぜ、同じ花で受粉する種(種類)と、別系統の花どうしでないと絶対に受粉しない種があるのか」なんて、数千万年におよぶ被子植物の進化の歴史と関連するから、ロマンティックであること間違いないのにね。

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2009/04/15

究極の花言葉

前回オオイヌノフグリの写真を載せようと思って忘れてた……。

P3131448s

さて、前回に引き続き花言葉について考えてみた。
よくよく考えたら、ほとんどすべての花に当てはまる、いわば究極の花言葉があることに気付いた。
おそらく、植物の本音である。
こんなのはどうか。

「あんたのためじゃない」

植物は、花を贈ったり貰ったりするヒトのために花を咲かせるわけではない。
キレイな花は、目立つことによって虫や鳥を呼び寄せ、花粉を媒介させる手段にすぎない。
要するに、「次の世代を作るための一つの方法」として花を咲かせているのである。

栽培植物の中には、花が咲いてもなかなか種子ができないものもある。
繁殖の手段をヒトに委ねてしまって、自らの力では受粉できなかったりするのだ。
そういう植物も、「次の世代を作るための一つの方法として花を咲かせている」のだろうか?
もちろん、その通りだ。
キレイで経済的価値のある花を咲かせれば、繁殖についてはヒトが面倒を見てくれる。

というわけで、ヒトの自分勝手な幻想とは無関係に、植物は花を咲かせる。
だから、究極の花言葉は次のような単語にしても良いだろう。

「利己的」

すべての生物は利己的な遺伝子の乗り物、と考えれば、まぁ、当然といえば当然だねぇ。

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2009/04/14

花言葉

オオイヌノフグリの花もそろそろ終わり、青い花が消えて、「ふぐり」の名前の由来となった果実が風に揺れるようになる。
こういうふうに真面目に「ふぐり」とか書いていても、フィルタリングに引っかかって良い子の勉強を妨げることになるわけだが、それは教育的に良いことなのだろうか。

それはさておき、オオイヌノフグリの花言葉は「信頼」とか「神聖」とか「清らか」とか「忠実」とからしい。
どうもこれは花のイメージから付けられたようで、絶対に果実から付けられたものとは思えない(当たり前だ)。

要するに花言葉というのはヒトの勝手な連想とか思い入れとか、そういうものを言葉にしたものに過ぎない。
悪く言えば、植物をダシにして、ヒト同士のコミュニケーションを円滑に運ばせるためのものである。
ま、コミュニケーションが円滑になるのは良いことだけどね。

こういうとき、ワシはいつもどうでも良いようなことを思いつく。
植物の実態をよく表すような、本当の「花言葉」を作ってみたらどうだろう。

例えば、オオイヌノフグリなら、「行き止まり」がピッタリである。
オオイヌノフグリは同花受粉、つまり一つの花の中で、おしべの花粉がめしべの先について受粉が起こる。
そうやって種子ができるのだから、親と子の遺伝子構成(ゲノム)はほとんど変わらない。
つまり、他の個体の遺伝子が混ざり合うことがないので、進化しないのだ。
まったく進化の可能性がないわけではないが、こういう状態の生物を「進化の袋小路に入り込んでいる」という。
袋小路、つまり「行き止まり」である。

いかがだろうか。
是非この花言葉を活用していただきたい。

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2009/04/12

タラノキの天麩羅を食う

昨日、庭のタラノキの芽の天麩羅を食べた。
タラノキの芽の天麩羅を食べるのは、我が家の春の行事のひとつである。

春といえば、昨日と今日、雨戸の戸袋の中のナミアゲハの蛹が羽化した。
戸袋の中に蛹が三つあり、そのうちの二つは昨日今日で羽化したが、三つめは羽化しなかった。
寄生バチにやられたのだろう、黒く変色して、腹の横に穴があいていた。

それと、今年第2回の庭の草刈り。
今回、スズメノカタビラが難物であることがわかった。

こんが小用の用足しをするあたりのスズメノカタビラが、じつに濃い緑色に瑞々しく茂っていたのだ。
そのスズメノカタビラを電動刈り払い機で刈ると、細い葉がブレードにまとわりついて、モーターに負荷をかける。
ヴィンヴインと苦しげな音を立てるのだ。

そこで草むらの上のほうから少しずつ刈れば良いかな、と試してみた。
最初のうちは良いのだが、細かくなり水気(というか切断面から飛び散る水)を帯びた葉が塊となり、ブレードがうまく回らなくなる。
硬いものに当たったときリトラクトするようになっているので、まともに刈れなくなってしまうのだ。

……ということで、スズメノカタビラが茂っていたあたりはトラ刈り状態である。
ああいう葉身の長い軟らかい葉は、鎌で根元の辺りから刈ったほうが良いようだ。
しかし、それでは「屈まなくて済むので腰痛対策になる」という、刈り払い機導入のメリットが減るなぁ。

……まぁ、臨機応変というのも雑草の生態的防除法の重要な要素であるから、仕方ないか。

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2009/04/09

マーフィーの法則と仏滅

マーフィーの法則は、自然現象から人間の行動に至るすべての現実世界を支配する、深遠な法則である。
何か失敗する可能性があるときには、必ず失敗するものなのだ。

実は今朝、公の用事で銀行に行き、現金を振り込んで来たのだが、振込手数料がかかることを忘れていた。
請求金額(振込手数料抜きの金額)しか用意していなかったので、ATMを前に慌てる羽目に陥った。
とりあえず振込手数料 105円は立て替えておいたので、後日また清算しければならない。
面倒至極である。

……というように、入念に準備したつもりでも、どこかに必ず落とし穴がある。

入念な準備の一つとして、10日を避け、大安を避けた(窓口が混むからである)。
だから9日で仏滅の今日、銀行に行ったのだ。

まぁ、これを「仏滅だから良くない事が起こった」と解釈することもできる。
そんなふうに、自分ではどうしようもない不可抗力のせいにする、という点では、マーフィーの法則と仏滅は似ている。
しかし、仏滅を避けたのに良くない事が起こったら、どう解釈するのか?
「大安だからこの程度で済んだ」とか、そんなふうに解釈するのだろうか?

その点、マーフィーの法則によれば「いかなる場合であっても、うまく行かなくなる可能性があれば、必ずうまく行かなくなる」のであるから、気楽である。
……気楽で良いのか??

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春の大三角形と土星

日付が変わってしまったが、昨晩のこと。
こんと散歩しているとき、懐中電灯を消して夜空を見上げてみた。
満月直前の月が明るい上に、霞んでいるので星が見づらいこと、見づらいこと。

前回書いた、春の大三角形も見えやしない。
月に近すぎるせいか土星もはっきり見えず、かろうじてアークトゥルスが見える程度。

さて、春の大三角形の近くに土星が見える、という話を書いただけで、図を載せていなかった。
図がないと解りにくいよね。

20090408

……という具合に、春の大三角形の中を黄道が通っている。
惑星は黄道付近を通るから、土星だけでなく木星や火星も、春の大三角形の「邪魔」をする可能性があるわけだ。

さてさて、夏の大三角形は、はくちょう座・わし座・こと座、冬の大三角形はオリオン座・おおいぬ座・こいぬ座の星ぼしから構成されている。
これらの星座は、黄道十二星座(ゾーディアック)ではないよね?
……というわけで、夏の大三角形や冬の大三角形は黄道から離れているので、惑星に邪魔されることはないのだ。

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2009/04/07

月下の散歩

こんと月下の散歩(このタイトル、前にも使ったかも)。
頭上の十二日月が明るいので、懐中電灯をヒップバッグに突っ込んで、月の明かりを頼りに歩く。
ただし、懐中電灯のスイッチは入れたままだ。
クルマに対して「ここに歩行者が居るぞ」とアピールするためだ。
ヒップバッグに突っ込んだ懐中電灯の明かりは、ライトセーバーのように空を指す。
なんとなく空気が霞んでいるのである。

その春霞と月の明かりのせいで、星があまり見えない。
西の空には冬の三角形(おおいぬ座のシリウス、こいぬ座のプロキオン、オリオン座のベテルギウス)が辛うじて見える。
東の空には春の大三角形が見えるはずなのだが、これが月に近すぎて見づらいのだ。

冬の大三角形、夏の大三角形に比べると、(小学校の教科書に載っていないせいか)あまり知られていない春の大三角形。
うしかい座のアークトゥルス、おとめ座のスピカ、しし座のデネボラを結ぶ三角形なのだが、どうもデネボラの位置がおかしい。
妙に縦長の三角形になってしまう。
おかしいなぁ、とウチに帰って調べてみたら、この時期、デネボラの近くに土星が見えるのである。

……というわけで、土星のほうがデネボラより明るいため、間違えて三角形を作ってしまったのだった。

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2009/04/06

大空にばら撒かれるもの

昨日の記事に、次のような飛行機雲の写真を載せたところ、それは飛行機雲ではなく「ケム・トレイル」ではないかというコメントをもらった。

Dvc40503s

しかしどうも、ケム・トレイルと言うのはトンデモっぽい。
化学物質の散布はともかく、電磁波とかウイルスとか、いろいろ風呂敷を広げすぎるあたりが、トンデモの定義にあてはまってしまうのである。
Wikipedia の記事にもあるとおり、信憑性に疑問あり、とワシも思う。

だいたい、アメリカの航空機が毒物を日本の上空でばら撒いたとして、それは偏西風に乗って東へと高速で移動するため、アメリカに降下するのではあるまいか。
ちょうど太平洋戦争末期の風船爆弾のように……。

まぁ、突飛な思い付きがパラダイムの転換につながることもあるので、頭から否定はしたくないが、陰謀説というのは、どうも好きではない。
第一、目立ちすぎるので陰謀というには判りやす過ぎるかなぁ、と思う。
全然「陰」じゃないじゃん。
パナウェーブが電線だか光ファイバーだかの余長(余らせておくケーブル)をスカラー波の発生装置だとか言ってたのと似ているような気がしてしまうのだ。

もちろん、国家が信頼できるものとは、ワシは思っていない。
……他国の一般人を拉致する国家や、国民から預かった金を浪費してしまう国家や、何も知らない兵隊を被爆させちゃう国家があるからねぇ。
……いやホント、こう書くとトンデモないことが起こっているのが現実なんだよねぇ。

それはさておき、飛行機雲にしても、成層圏を行く旅客機が大気中に航空燃料の酸化物をばら撒き、それを核にしてできた氷の結晶だから、あまり健康に良いものだとは言えないよね。
燃焼っていうのは多様な化学物質を生産する過程なので、ダイオキシン様物質とか、オゾン層破壊物質とか、な~んか物騒な物質がいっぱいできているのだろうなぁ、などと、飛行機雲を見上げながら思うのだった。

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2009/04/05

空を行くもの

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本日、こんを連れて散歩中、上空を通過した飛翔体の航跡が輝いているのが見えた。


……な~んてこと書くと、北朝鮮のミサイルだか衛星打ち上げ用ロケットだかの話のようだが、全然違う。
だいたい、何だかこんなに国が大騒ぎしたり防衛庁、じゃない防衛省がミスったりしていると、北朝鮮の思う壺ではないかという気すらしてくる。
どうしてあんな駄々っ子みたいな戦略が国際社会で通用してしまうのか不思議だが、まぁ、国家なんてものは人間の集合体であるからして、どうしようもないものなんだろう。


……なんてことを、公園の芝生に放置されているイヌのウンコを見ながら思ったのだった。


それはさておき、上の写真は夕日に輝く飛行機雲である。
「上空を通過した飛翔体の航跡」であることに間違いない。
地平線の下に沈んだ太陽の光が、はるか上空の飛行機雲を輝かせている。


よく見たら、その飛行機雲はかなりの速さで……飛んでいった飛行機とそう大差ないのではないかと思える速さで……西から東へと流れていた。
カルマンの渦列だと思うが、飛行機雲は渦を作って流れていたのだ。


飛行機雲より下、もはや太陽の光の当たらない雲は、北西から南東へと流れていた。
高空と低空とで、風の向きが違うことがよくわかった。


Dvc40505s


やがて飛行機雲は赤く染まり、すぐに暗くなっていった。


サクラが満開の公園は、普段の日曜日の夕暮れよりも人の出が多い。
子供が高い声ではしゃいでいると、こんはびびって人々の間を通り抜けることができない。
しょうがないので、抱き上げて公園を後にしたのだった。

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2009/04/03

サクラ満開、かな?

近所の公園のオオシマザクラは盛りを過ぎて散り始めたが、ソメイヨシノはようやく満開のようだ。
満開かどうかの判断は難しい。
生物季節観測の定義によると、「満開日」とは「対象植物の花が咲きそろったときの80%以上が咲いた状態となった最初の日」である。
まだ蕾が残っていても、「八分咲き」なら「満開」と言って良いのだろう。

Dvc00039s

……というわけで日没のころ、こんとムスメを連れて、近所の公園へ。
ムスメは写真部員なので、妙な視点で写真を撮る。公園ではマメザクラ(フジザクラ)が咲き始めていたり、公園の奥の雑木林ではヤマザクラが咲いていたり、という具合に、サクラの花盛りであった。

寒の戻りがあったせいで時間がかかったが、ようやく、関東・東海の平野部でサクラが満開となった。
これから、サクラ前線は北へ、上へと昇って行く。
上というのは、地図の上(北)ということではなく、標高の高いところという意味である。
北へ、山へと出かければ、何度も花見ができるのである。

サクラ前線を追いかけて山へ登る、なんていう余裕があるだろうか、今年は。

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2009/04/02

阿修羅像は仏像か?

上野の国立博物館で「国宝 阿修羅展」が始まった。
前回書いた国立科学博物館もそうだが、田舎に住んでいると、ひょいと見に行けないのがツライ。
首都圏に住んでいるときには山ばっかり行ってたので、何だか逆転しているようだけどね……。

それはさておき、阿修羅像は「仏像」なのだろうか?

だって、阿修羅って、もともとはヒンドゥー教の神だから、「神像」なのではないのか?

それとも、仏教の守護神なのだから、仏像と言って良いのか?

まぁ、どっちだって良いけど、「宗教ってものは大衆化の過程で他の教義を取り込んでごちゃごちゃになって行くものだ」、ということの一例であろう(それほど大仰に言うことではないけどね)。

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