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2009/03/31

飛び出せ!科学くん

そろそろ寝ようかと思っていたら、TBSで「飛び出せ!科学くん」という番組をやっていた。

国立科学博物館のリアルな復元模型の古代人の子供を見て「きもす……」、ニホンオオカミの剥製を見て「カワユスなぁ……」とコメントしていた中川翔子が、オオグソクムシ(VTR)を見るなり「グソクさまだ……」と言ったのには笑った。
オオグソクムシは深海底に棲む巨大なダンゴムシである。
鎧をまとったような姿なので「大具足虫」なのである。

海洋科学博物館
「生物解説:オオグソクムシ」
http://www.umi.muse-tokai.jp/encyclopedia/fish/oogskms.html

なんでオオグソクムシが出てきたかというと、もう一人の出演者であるココリコの田中が駿河湾に深海ザメを捕りに行き、そのときサメ漁の漁船に引き上げられた仕掛けの中に、ヌタウナギに混じっていたのである。
ココリコの田中がサメ好きだとは知らなかった。
国立科学博物館のメガマウスの歯の展示を見ているときなど、まばたきもしないのである。

面白いので午前1時半まで見てしまった。
こういう番組はもっと早い時間にやって欲しいものだと思う。

……と思うが、キャラクターの「科学くん」は人体筋肉標本なので、ゴールデンタイムに放送したりすると、その夜うなされる子供が続出だろうなぁ。

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2009/03/26

進化する進化論

昨日一日かかって、日経サイエンス2009年04月号を読んだ。


「加速する人類進化 未来のホモ・サピエンスは?」



人類が絶滅しなければ、次のいずれかの道をたどるだろう。


均衡:人種が入り交じって多少の違いは出るが、今と大きくは変わらない。


新人類の誕生:地球かほかの惑星で新たな人類が進化する。


機械との共生:機械と人間の脳を統合した集合的知能ができる。それに人間性があるかどうかはわからない。


……う~ん、ほとんど SF だねぇ。
というか、SF で可能性を考えていたような事態に、現在突入しつつある、というべきだろう。
オリジナルの人類と、遺伝的に改変された人類と、機械化された人類の共存……というシナリオも考えられる。
すでに、ブルース・スターリングの『スキズマトリックス』などに書かれている未来だけどね。


「進化心理学の4つの落とし穴」


現代人の脳と心は、狩猟採集民だった石器時代の祖先と変わらない、という仮説に基づいて、現代人の心理を説明しようとするのがポップ(通俗)進化心理学である。
著者は、このポップ進化心理学は問題点を抱えていると指摘する。


ん~、こりゃ難しいところだね。
こと脳の構造に関しては、数万年前からほとんど変化していないだろうと思われるが、その脳のはたらきは環境との相互作用があるからねぇ。
狩猟採集民の生活パターンと、男女の行動や心理の性差とは関連があるように見えるが、それが本当に進化心理学的に説明できるのか、それとも確証バイアスによって「関連があるように見えているだけ」なのか、そのあたりも研究されているのだよね、きっと。


「実社会に生きる進化生物学」


「学校で習う理科や社会なんて、世の中に出たとき役に立たない」なんていうことを不勉強の言い訳にする中高生や、その親は多いようだ。
しかし、それは事実ではない。


「進化」の研究とそのスピンオフだけ考えて見ても、いろいろあるのだ……。


科学捜査(DNA解析)、感染症の治療(病原体の系統学的分析)、ダーウィン医学(進化の過程で生じた身体の不具合への対応)、コンピュータ・ソフトウェアの遺伝的アルゴリズムによる問題解決、メタゲノミクス(生態系の全DNAの総体)の解析による相互作用の研究……。


より安全で快適な生活を望むなら、理科や社会の勉強を嫌がってはダメだよね。

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2009/03/23

実験計画……挫折しそう……

雑草の生態的防除法を検討すべく、実験計画を立てようとしたことを、先日記事にした

その後、毎月1回草を刈り、刈った草の量を測ることで、草刈りの適切な時期、回数を求めることを考えた。
3月から10月までの8回、刈ったときの草の量の差を求めるように実験区分を考えると……20通りとなった。

つまり、実験区画が20個必要となる、ということである。

しかもその区画内の草の生え方は均一でなくてはならないし、区画のサイズは雑草の種数を調べて、その種数が平均して現れるようなサイズにしなくてはならない。
経験的には、1メートル四方くらいのはずだ。

どうやってウチの狭い庭に、20個もの区画を作ればよいのだろう?

しかも、こんに邪魔されないようにするにはどうすればよいのだろう。

……やっぱり、ダーウィンのように金持ちでないと、自宅の庭で生態学的な実験したりするのは無理なのかなぁ。

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2009/03/20

階段昇降

昨日思い立って、会社の9階の自席まで、階段を登ることにした(昇る、のほうが正しいのかな?)。
メタボじゃないのでダイエットとか言うことはあまり考えたことがないのだが、そもそもダイエットとは食餌療法のことだから、運動とは関係のないはずだがそれはさておき(今回は逆接をたくさん使いそうだが)。

運動不足解消のためである。
朝20分、夜40分以上、こんと散歩しているので運動量としては充分なのだが(人間ドックで医者もそう言っていたが)、食事にも気を使っているのに高脂血症なので困ってしまう。

そこで、もうちっと運動しようかと思ったのだが、通勤はクルマである。
自転車で通うのに都合の良い距離ではあるが、とくに夜間は安全に走れないような道路状況なので、通勤はクルマである。

それに、こんと散歩しているコースは、急なアップダウンは少ない。
坂道や斜面はあるが、山登りというコースではない。

ならば、会社の階段を登ろう、というわけだ。
数えてみたら 188段あり、およそ3分かかる。
出勤時間が余分にかかることになるが、まぁそれはそれ。
手持ちのカバンでは疲れてしまうので、ザックで通わなければならないが、まぁそれもそれ。

さて、いつまで続けられるやら。

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2009/03/19

実験計画を立てるのは難しい

最も効果的な、雑草の生態的防除法は何か?
……もっとも手をかけずに効果的に草を抑制するにはどうするか、ということである。
庭とか、公園とか、畑とか、空き地とか、そういうところのいわゆる「雑草」を、草花や芝や作物や安全を脅かさない程度に抑える……繁り過ぎないようにするには、どうするか?

もちろん、お金がかかって健康にも良くない上に、見映えが悪くて環境にも悪い除草剤は使わないものとする(除草剤を作っている会社の人には悪いが、ワシは化学的防除法が嫌いなのだよ)。

経験的に言って、何回か草刈りすれば、かなり効果的であることがわかっている。
問題は、その回数と時期だ。
何度も何度も草刈りするのは体力的にも(エンジン式刈り払い機を使えば)金銭的にも負担がかかる。
夏の暑い盛りも避けたいところだ。

……というわけで、年に何回、いつ草刈りをすると効果的か、調べてみようかと思った。
夏草は10月には成長しなくなるから、10月の段階で最も草の量が少ないのは、いつ草を刈った場合だろうか。

年に1回刈る場合:3月、4月、5月、6月、7月、8月、9月にそれぞれ1回刈った場合を考えると……おいおい、9月に刈った場合が最も少ないに決まっているじゃないか。
しかも、9月に草を刈る時点では、おそろしく繁りまくっているに決まっている。

「10月の段階で」と考えたのが、そもそもの間違いだ。
雑草の繁り方が作物の収穫量に及ぼす影響、なんていう実験だったら、こういう計画で良いのだけどね。
「見目麗しい」とは言わないまでも「常に不快でない程度」の草の量に抑えるにはどうする、という目的と相容れないのだ。

う~ん、もういっぺん考え直しだが、あんまり長考していると、庭の草が伸びて実験どころではなくなってしまう。
これがまた、生態学実験の難しいところだ。
1年に1回しか実験ができないのだから。
毎年頑張って実験しても、一生に数十回しかできない。

だからこそ、1回で色々なことがわかるような、効果的な実験計画が必要になるのである(と偉そうなことを書いているが、大学を出てから生態学実験をやったのは数回だぞ。卒論以外の論文は2編しか書いてないぞ。そのうち1編は審査で落ちたぞ。情けないなぁ。まぁ、「自由研究」程度なら、今でもいろいろやってるけどね)。

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2009/03/17

冬生一年草、花咲くころ

ホトケノザとかオオイヌノフグリとかナズナとかタネツケバナとかミミナグサとか、冬の間地べたに貼り付くように葉を広げていた草が、茎を高く伸ばして花を咲かせている。
寿命が1年間に満たない「一年草」のうち、冬に姿を見かけるが、夏には枯れてしまう「冬生一年草」である。

むか~し昔、ワシが学生だったころは「二年草」と習った。
正月を越えるからそう呼んだのかも知れないが、確かに誤解を招くネーミングだ。
「二年草」という名前なのに、寿命は1年ないのだから。

さて、夏から秋にかけて成長して花を咲かせる夏生一年草に対し、冬生一年草は早春に花を咲かせる。
木々が葉を茂らせて日陰を作る前に、葉を広げて花を咲かせ、暑くて暗い夏は種子の形で休眠して過ごすのである。

ホトケノザやオオイヌノフグリが花咲くと、いよいよ春だなぁと思う反面、葉が茂ってきて芝生を覆うのは、ちょっと困る。
……ということで、15日(日)に、今年第1回の草刈りを実行した。
草を刈ると、その草を積んで堆肥にする場所が必要になる。
……ということで、まず、冬の間寝かせておいたコンポスト(堆肥化容器)の土を抜いた。
コンポストの中の草と生ゴミは、ミミズの活躍によって見事によい土になっていた。
……土を抜くのにけっこう腰が痛くなったが。

それはさておき、電動草刈り機で草をバリバリ刈っているとき、夏の草刈りとは様子が違うことに気付いた。
草の水分がえらく多いのである。
草刈り機のブレードのカバーに付着する草の破片の量と重さが、水分のせいで、段違いに多いのだ。
水分が多いせいでブレードの勢いは弱まり、うまく刈れないし……。

ま、これから先、シバがどんどん伸びてくるまでの間、何度か冬生一年草を刈って、人為的草原を維持する作業が必要となることだけは間違いない。

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2009/03/14

情報総合学

花粉症なんだか風邪引いたのか蓄膿か、頭が痛くて今日は午後ずっと寝ていた。
途中トイレに起きたのだが、居間に入ることができなかった。
ムスメがピアノでアンジェラ・アキの「手紙」を練習していたからだ。
頭痛のとき、ピアノの音が響いていると、結界みたいなもので侵入不可能になってしまう(「閃輝暗点」参照)。
夕食後、少しばかり頭痛が残ってはいるが、どうにか復活した。

さて、本題。
日頃仕事していて、どうも議論が噛み合わないことがある。
(自分を含めて)守備範囲が違うので、見えていない部分があるのだ。
いろいろなプロジェクトの会議に出ていると、プロジェクト間の連携が取れていないなぁ、と思うこともある。

そのとき、ふと思い出したのがA.E.ヴァン・ヴォートの小説『宇宙船ビーグル号』に登場する架空の学問、「情報総合学」である。

ビーグル号は未知の惑星を調査する恒星間探査船である。
1000人の科学者や軍人を乗せた巨大な宇宙船、という設定は、『スタートレック』に似ている。
というか、『スタートレック』のほうが、『宇宙船ビーグル号』を参考にしたのだろうか。
何しろ『宇宙船ビーグル号』は(第二次世界大戦直後の)1950年の作品なのである。

未知の宇宙生物や未知の文明との遭遇に際して生じる危機に直面したとき、1000人の専門家が、それぞれの守備範囲で対応しようとするが、うまく行かない。
そのとき、専門家の知見を総合して解決策を導き出すのが、情報総合学を学んだエリオット・グローヴナーなのだった。
そういえば、ジェイムズ・P・ホーガンの『星を継ぐ者』(およびその後の「ガニメアン・シリーズ」)に登場するハント博士も異分野の知見をまとめ上げるという点では、グローヴナーのような役割を果たしていたねぇ。

……そういう、単なる連絡調整ではなく「引っ張り出して、まとめ上げる」ことができる人はかっこいいよねぇ。
そういう人になりたいような気もするが、ワシは人と話すのがあんまり好きではないからなぁ。

ところで、ハヤカワ文庫の『宇宙船ビーグル号』では、「情報総合学」に「ネクシャリズム」とルビが振ってあったが、原文ではどういうスペルなのだろうか?

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2009/03/12

「進化」ってご存知ですか

不況のとき、お笑いがブームになるらしい。
お笑い芸人のギャラが安いので番組を安く作れるからか、笑いに救いが求められるからか。

……ということで、これまであまりお笑い番組は見ていなかったのだが、露出が多いものだから、つい見てしまう。
そんな中、しゃべりだけで笑わせる、ナイツの「ヤホー漫才」は教育や啓蒙にも応用できるのでないか、などと考えた。
こんな具合である。

「みなさん、進化ってご存知ですか」
「そりゃ誰だって知ってるよ」
「私は知らなかったんですが、私も進化して今の姿になったんだそうです」
「知らなかったのかよ」
「検索サイトのヤホーで調べてみたら私の前世はサルだったんですよ」
「ヤホーじゃなくてヤフーだろ、それに前世じゃなくて祖先だよ」
「進化のしくみについては、タービンさんの唱えた『全自動洗濯説』が有力ですね」
「タービンじゃなくてダーウィンだろ、それに何だよ、その洗濯機のメニューみたいな仮説は。『自然選択説』だよ」
「ヤホーを見てますと、世の中には自然芋選別説が嫌いな人もいるようで」
「山芋の出荷の話じゃないだろ、自然選択説だってば」
「そういう人は、バイブルさんの『ご想像に任せます説』を学校で教えろ、とか言っているようです」
「バイブルって誰だよ。人じゃなくて聖書だろ。『ご想像』って、たしかに想像だけど、『創造的進化説』だよ」
「皆さんはサルが骨を振り回しているうちにヒトになったのかも知れないけど、バイブルさんの仲間は最初からヒトだったという説ですね」
「そういうふうに仲間分けするから戦争になったりするんだよ」

……というように、名前や用語を言い間違えることで印象付けながら、創造的進化説などをコケにしていくのである。
やたらと「進化した誰それ」とか「誰それの進化は止まらない」などと「進化」を誤用している馬鹿げたスポーツジャーナリズムもぶった切りたいところだねぇ。

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2009/03/10

熱線とか磁力線とか

浦沢直樹のマンガ『プルートゥ』は、手塚治虫の『鉄腕アトム』の中の一話、「地上最大のロボットの巻」をリメイクしたものである。
したがって、登場するロボットや、登場人物の台詞などに、原作へのオマージュがたくさんある。

第6巻でロボット刑事ゲジヒトがプルートゥと闘っているとき、「私の体はゼロニウム合金でできている。熱線や磁力線は役に立たない!」と言う。
この台詞も、原作とほぼ同じだ。

……というか、熱線や磁力線が武器として使われていたのは40年前の SF であって、最近の SF ではそんなものは使わない。

熱線とは、赤外線である。
赤外線を武器にしようと思ったら、方法は二通りある。
一つは、大量の赤外線を放出して、あたり一面焼き尽くすという方法で、すでに核兵器として実用化されている。
熱線だけでなく放射線や放射性物質を放出するため、悲惨な結果を生む非人道的な兵器である。
ロボット同士の戦いに用られては、ちょっと困る。
それに、核爆発に耐えられるようなロボットというのも、作るのは難しいだろう。

ということで、赤外線レーザーにするしかないだろうか。
しかし、レーザーは波長が短いほどエネルギー密度が小さくなるから、SF に登場するレーザーは、可視光線か紫外線、すごいものになるとX線レーザーである。
ところが、赤外線には大変な利点がある。
波長の短い光は大気中で散乱したり、気体分子に吸収されたり、気体分子の破壊にエネルギーを奪われたりするため、到達距離が短い。
それに対し、波長の長い光(赤っぽい光)は到達距離が長い(夕陽が赤いのはこのため)。
そこで、大陸間弾道弾を地上から撃破するためのレーザー兵器として、赤外線レーザーが考えられている。

いっぽう、磁力線は等高線のようなものだから、武器にはできない。
N極からS極にむかう「流れ」のように描かれるが、「何か」が流れているわけではない。
実際、地球の南極付近から北極付近に向かう磁力線が、そこらじゅうを(ワシらの体を含めて)貫通しているわけだが、何も感じないよね?
等高線同様、仮想的な線なのだから、感じなくて当然だ。
磁力線は、銃から発射したり、アンテナから放出することはできないのである。

現実の世界では、暴徒鎮圧にマイクロ波を使うとか(電子レンジと同じ理屈で、皮膚の表面の水分を加熱・蒸発させる)、電磁パルス(EMP)で電子機器を狂わせるとか、数十年前の SF では考え付かないような武器・兵器ができているらしい。

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2009/03/06

免震建築物

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とあるビルの入り口近くに「本建物は免震建築物です」という表示があった(写真が斜めなのは、こうしないと光の反射で文字が読めないからだ)。
地下に免震構造物が仕込んであるので、地震の際、地面が動いても建物は動かない仕組みになっているのだ。

だから、「地震時には周囲に最大65cm動く場合があります」という書き方は、じつは間違っている。
動くのは周囲の地面のほうであって、ビルではない。

「そんなこと言ったって、周りにいる人から見たら、ビルは動くだろう」と思うかも知れないが、地震のとき、揺れているのは地面であって、自分が揺れているとは思わないはずだ。
人も膝や腰のバネを利用する免震構造だからね。

【追記】
「免震 EXP.J 周囲に立ち止まらないで下さい」とも書かれている。
「EXP.J」は、「エキスパンション・ジョイント」の略である。
「エキスパンション・ジョイント」とは、建築物の伸び縮みや揺れに対応する仕組みのことで、たとえて言えば、列車の連結器のようなものである。
列車の車両と車両の間は、列車が曲がろうが、車両の間隔が多少伸び縮みしようが、連結したままになっていて、配管や配線もつながったままである。
そして客車の場合、連結器の上には通路がある。

免震構造のビルや、複数の棟からなるビルにも、同様に連結器があり、通路がある。
これが EXP.J とそのカバーである(マンションの通路の曲がり角や、デパートの渡り廊下などには、必ずあるので注意して見てみよう。ぼんやりと見ているのと、観察しているのとは違うのだよ、ワトソン君)。
免震建築物の場合は、ビルの周囲をぐるりと「連結器の上の通路」が取り囲んだような具合となる。

「免震 EXP.J 周囲に立ち止まらないで下さい」とは、そのような連結器の上の通路付近に立ち止まるな、ということである。
しかしこの表示のユーザビリティは著しく低い。
「EXP.J が何かがわかっている人」は立ち止まらないだろうし、「EXP.J が何なのかわからない人」はどこに立ち止まってはいけないのか判断できないだろうから、あんまり意味のない表示だよね。

EXP.J のカバーを黄色と黒色の縞模様にして、いかにも危険なように見せれば誰も立ち止まらないだろうが、そうすると美観を損ねるから、ビルオーナーは承服しないだろうなぁ。

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2009/03/02

人が死んで仏になるまでの間

昨日葬式の手伝いに行った。
よく、葬式に行くと清めの塩をもらって帰ってくるのだが、塩がなかった。
東本願寺派では、人は死ぬとすぐに仏になると考えるので、清めの塩は不要なのだそうだ。

そうか、清めの塩っていうのは、死んだけど仏になっていない人が家についてくるのをふせぐためだったのか。
それもよく考えると失礼な話だよね。
死んでから仏になるまでの間は亡者だか幽霊だか、とにかく人に憑くような下等な霊になっちゃう、というのだから。
死んだらすぐに仏になる、だから何かついてくると心配する必要はない、というのは良いね。

もっとも、ワシは不信心者だから、死んだら無になるので何かついてくるわけがない、と思っているからどうでも良いのだが。

無宗教な人や、人は死んだらすぐに仏になる(もしくは天国などに行ってしまう)と思っている人なら、清めの塩がなくても気にならないだろうが、死んでもすぐには仏にならないと思っている人は、やっぱり清めの塩がないと不安になったりしないのだろうか?
要するに、自分の信じる宗教とことなる儀式を容認できるか、ということだが。

そういう儀式や作法や解釈の小さな違いを容認できなくて、戦争になった例もあるのだろうなぁ、などと思ったのだった。

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