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2008/06/30

『Harry Potter and the Deathly Hallows』を読んでいる

『Harry Potter and the Deathly Hallows』を読んでいる。
言わずと知れた、「ハリー・ポッター」シリーズの最終巻である。

1週間ほど前のある日、カミさんが「日本語訳が出る前に結末を知りたい!」ということで(かなり前に)買った原書が居間のテーブルの上に置かれていたので、読み始めた。
何となく読めるのである。
そりゃまぁ、イギリスの小学生も読める本だからね。

……ということで読み始めたら、判らない単語がたくさん出てきた。
そのたびに電子辞書を引くので、読み進むスピードは遅い。
目標は1日1章であるが、残業の日は帰ってくると目がショボショボなので辛い。

しかしまぁ、なんで小学生でも読めるはずの本なのに、こんなに辞書を引かにゃぁならんのだ、と考えて、気付いたことがいくつかある。

中・高・大と英語を勉強してきても、出会う単語の数はたかが知れている。
大学のときは生物学のテクニカル・タームに苦しみ、ここ十年ほどはIT関係のテクニカル・タームに苦しんだ。
それでも、英語圏の人たちが日常使う単語には、出会っていなかったりするのだ。
肩をすくめる、ぶつぶつ言う、射すくめる、目をそらすなどの生活上の動作に関する単語、判りますか?

また、中・高で習う英語は、じつは英語ではなくて「米語」である。
インターネット上の英語も、大部分は米語である。
だから、marquee という単語を見たら、劇場のひさしに掲げられた映画のタイトルが目に浮かぶ。
ついでに、Internet Explorer 独自の HTML タグである MARQUEE 要素も浮かんだりする(文字が横スクロールするヤツだね)。
ところが、ウィーズリー家の庭に marquee があって、中に人がいっぱい入る、という描写があって、ワケが判らなくなった。
辞書を引くと、サーカスで使うような大きな天幕だそうだ。

こういうところで躓くから、なかなか先へ進めない。

結局、半ばまで読んだところで日本語版が発売されてしまったので、日本語版を読んだ。
……ということで、英語で読んだところを日本語で読み直すと、物語の流れは「だいたい」つかめていたが、細かいニュアンスや複雑な説明が把握できていないところも多かった。

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2008/06/23

天気予報と傘

梅雨だからといって、必ず毎日雨が降るわけではない。
ここ数年、「男性的」な梅雨が多いようで、ドバドバ降るかと思えば、晴れる日もある。
もちろん、ここ数年の傾向と地球温暖化との関連は定かではないし、生物学的な男性の性格は「男性的」と言えないのではないか、という疑問もあったりするが、それはさておき。

朝、家を出るとき傘を持って出るべきかどうか、その判断材料は何かは、人により異なるだろう。
天気予報の降水確率を参考にするだろうか?
ワシは、参考にする。
ただし、鵜呑みにはしない。
必ず天気図も見る。
気象庁や気象予報士が予報の根拠にしているものを知りたいのだ。
停滞前線によるものなのか、低気圧の接近に伴うものなのか、寒気の流れ込みなどにより大気の状態が不安定になっているからなのか。

そして、自分の暮らす地域の特性も加味してみる。
南寄りの湿った風が吹いているなら、朝晴れていても、午後には山から雲が下りてきて降るかも知れない、とか。

そのときに重要なのはもちろん、観天望気だ。
空を見上げて、とくに西の空の様子をうかがう。

ここまでやって初めて、自分の判断で傘の有無を決め、誤ったら自分の責任で納得して濡れることができるというものだ。

ところが、世の中にはどうやって判断しているのか疑わしい連中もいるのではないか。
ワシが見たところ、必ず雨が、しかも大雨が降ると予想されるのに、自転車で通学している高校生とか。
……高校生に限らないけど。
しかも、自転車のフレームにはビニール傘が挿してある。
こういうバカは、雨が降ると傘をさして運転するのである。

雨降りに傘をさして自転車に乗ることほど、バカ丸出しの行為はないと思うのだが、どうだろう?
傘をさしたところで濡れずに済むのは(バカな脳みそを内包する)頭だけで、体は濡れる。
片手運転で安定性を欠き、ブレーキも効きにくい上、視界も悪くなる。
事故に遭う可能性が高くなるので、危険この上ない。

おい、てめーらが死なずに済んでいるのは、親切で聡明なドライバーの配慮のお蔭なのだぞ。
どうせ濡れるんだから、傘なんかささずに潔く濡れんかい! このハンパモノめが!!

……な~んてことを言ってみたいのだが、どうせバカだから理解できないと思うので、言ってあげないのだ。

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2008/06/19

ナメクジウオと進化

今朝の朝日新聞に、脊椎動物の祖先はナメクジウオであることが確実となった、という記事が載っていた。
これまでは、ナメクジウオと脊椎動物は、現在のホヤのような共通の祖先から分かれたと思われていたのだ。
しかし、遺伝情報の解析結果明らかになったことは、逆に、ナメクジウオ(の祖先)から、脊椎動物とホヤが分かれた、ということだった。

ナメクジウオには、そしてオタマジャクシのような形をしたホヤの幼生にも、脊索という背骨のような器官がある。
触ってみたことはないが、骨のように硬くないらしい。
もちろん、(祖先が共通なのだから)われわれ脊椎動物も発生の過程で背骨にあたる部分に脊索を持つ。
生まれてくるまでの間に、背骨(脊椎)に置き換わってしまうのだが。

さて、ここで、「脊椎を持つ動物は脊索しかない動物よりも進化している」などという言い方をすると間違っている。
非常によく間違えて用いられるが、生物学的な進化には、「良い」「優れている」という意味は微塵もない。
その証拠に、ナメクジウオもホヤも、元気に生活しているではないか。

進化は単に、経済的だったり(洞窟の魚の目が退化するように)、繁殖に有利だったり(クジャクのオスの羽のように)するから起こる「変化」に過ぎないのだ。

ねぇ、みんな、「進化」を「進歩」と混同するのはやめようよ。

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2008/06/18

里山に響くイソヒヨドリの声

イソヒヨドリと言えば、海辺の鳥だと思っていた。それこそ、磯や岸壁、海岸通りの家の屋根の上などで、大きな澄んだ声で鳴いているのをよく目にするからだ。
沼津・三島の街中でも、その声を耳にする。屋根の上や電線にいるので逆光で見づらいが、よく見ると原色の赤と青の派手ないで立ちである。
さて、日曜日の夕方、こんを連れて公園の裏手の里山の脇の道を散歩していたときのこと。里山、といっても、谷戸はほとんど住宅地になっているが、そこに澄んだ大きな声が響いていた。
最初はオオルリが囀っているのかと思った。でも、オオルリらしからぬ環境だし、特徴的な語尾の「ジュリ」という声がない。そこでしばらく悩んでいたのだが、会社の近くでイソヒヨドリの声を聞いて、なんだコイツだったのか、と納得したのだった。

(参考)
イソヒヨドリづくし:イソヒヨドリ好きによる、イソヒヨドリ好きのためのサイト
なお、さえずりについては、動画投稿サイトにいっぱい上がっている。

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2008/06/16

扇風機を買った

先日、古い扇風機と壊れた扇風機を捨てたので、新しい扇風機を買った。
古い扇風機が日本製でものすごく長持ちで(四半世紀以上!)、壊れた扇風機は中国製でダメダメだったため、国産の扇風機を買おうと思って家電量販店に行った。

ところが、国産の扇風機など、まったく無い。皆無なのである(同義反復だなぁ)。
有名メーカーのロゴが付いていても、Made in China なのだ。

中国製にはうんざりした経緯から、意地でも中国製は買うまいと、支柱の後ろに貼ってあるラベルをムスメと一緒に確認しまくった。
その結果、三菱だけが Made in Thailand、タイ製だった。
値段も手ごろだったので、その製品を買った。

家に帰って梱包を解いてみると、やはりプラスチックの表面の仕上げなどは、数段落ちる。
厚みが均一でないらしく、透かしてみるとムラがあるし、台座の裏側のバリも取りきれていない。
とりあえず、ファンの回転は均一だし、固定用のネジ(手で回せるところ)はスムーズに回り止まるべきところで止まる。
まぁ、あとは元気に長く動いてくれれば良しとしよう。

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2008/06/15

災害救助隊に戦車は要らない

岩手・宮城内陸地震の震源付近を家族で旅したことがある。
青森へと向かう途中、オートキャンプ場に泊まり、温泉に入りに行ったりした。

今回の地震直後の映像をTV報道で見て、見覚えのある道沿いの風景の変貌に驚いた。
まったく、自然災害の脅威には敵わない。
被災地の復興が早からんことを望む。

それにしても、災害のとき、自衛隊はじつに頼もしい。
自衛隊という名前は返上して、「災害救助隊」にしてしまったほうが良いのではないか。
防衛省も「国土国民防衛省」というように解りやすく変えることを提案したい。
そうすれば、漁船を沈めてしまうようなことはできなくなるだろう。

冗談はさておき、土砂崩れに襲われた駒の湯温泉の捜索活動を見ていて思ったこと。
道路が寸断されているので、重機が持ち込めないため、自衛隊の皆さんは現場へ徒歩で向かっていた。
しかも、現場付近は泥に囲まれているので、アプローチは極端に悪い。
必要な機材や被災者の輸送には、ヘリコプターを使うのだろうか。
……そこで思ったのだ。

自衛隊には、ヘリコプターで輸送でき、泥の中でも走行できるような車両はないのだろうか?
救助作業中に土石流が発生しても(火砕流……は無理かも知れないけど)、耐えられるような装甲の車両ならなお良い。
そういう車両があれば、日本の被災地ではとても役立つと思うのだが。
いや、日本だけじゃなくて海外の被災地でも役立つに違いない。
戦車みたいな役立たずの兵器に費やす金(税金!)があるなら、そういう救助車両の開発に使ってもらいたい。
メーカーもそのほうが皆に喜んでもらえるよ、きっと。

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2008/06/10

殺人者の論理は解からん

秋葉原で起こった大量殺人事件。
若い男にありがちな挫折、被害妄想によるものか。
仕事の悩みや人間関係の悩み(とくに異性に関するもの)などは、報道をみる限り「ありがち」である。

ワシだって25歳のころは職を失ったり(というか辞職したのだが)一人苦しんだり、まぁいろいろあったが、人を殺そうとは思わなかった。
しかも、恨みのある特定の人物を殺すのではなく、「誰でもよいから殺す」などという幼稚なことは考えもしなかった。
ふつう、成長し社会経験を積むにつれて、どんな人にも人生があること……それぞれに喜びや悲しみを抱え、家族や友人と関わりながら生きていること……を知るようになる。
それゆえ、他人を思いやることができるようになるはずなのだ。

だから、「誰でもよいから殺す」という殺人者の論理は理解不能だ。
さらに訳が解からんのは、「殺せ」と命じる人間が、「塀」の外にいるということだ。

挫折したからといって人を殺すのは変だが、「国・宗教・思想信条が違うから殺せ」というのは、もっと変だと思うぞ。

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2008/06/08

こんが目の色を変えるモノ

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2008/06/05

ツバメの幼鳥を保護した。

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2008年6月4日の朝、通勤途上の道端にいるツバメの幼鳥(ようちょう)を見つけた。
はじめは枯れ葉か何かと思ったのだが、通り過ぎてからツバメの幼鳥だと気付き、クルマを止めた。
住宅地の中とはいえ車道なので轢かれかねないし、止めたクルマのすぐ前をネコが横切って行ったくらいだから、危険である。

そこで「保護」することにしたのだが、もちろん、ウチに連れて帰ったりしたわけではない
拾い上げて近所の家の石塀の上に置いてやっただけである。

巣立ったばかりの野鳥を育てるのは難しい。
餌をやるのが大変とか、そういう意味ではなく、育て上げることができず殺してしまう結果になりかねない。
手当てをしないと死んでしまうような病気や怪我でない限り、野鳥は飼おうと思わないほうが良い。
野鳥を飼うには知事の許可が必要だしね。

近くで親が見ているはずなので、安全なところに避難させるのがベストなのである(もちろん、何もせずに放置する、という方法もある)。

通勤の道すがら駅でムスメを降ろす都合があったので、写真を撮る余裕もなく再びクルマに乗り込んでその場を去った。
それにしてもどうして、巣立ったばかりの幼鳥というヤツは、地上に落ちるとあんなにも無力でされるがままなのだろうか。

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こんはベランダも好きなのだ

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こんは2階のベランダで憩うのも好きである。

朝、カミさんが2階の洋室の雨戸を開けているとベランダに出て、おもての様子を眺める。
それからおもむろに散歩に行こうとワシを誘う。

散歩から帰って、足の裏の汚れを拭いてやると、2階へ上がってしまう。
何をしているのかと様子を見に行ったとき、ベランダへの掃き出し窓が開いていると、ベランダに居る(ベランダに出られないときには、ムスメどもの布団の上に寝ている)。

学校へと向かう小学生の群れを、安全な高みから見物しているのである。

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2008/06/02

シートベルトと携帯電話

後部座席のシートベルト着用が法制化された。
高速道路を長時間走行中、後部座席で子供たちを野放しにしておく、なんてことができなくなるのである。

……んなもん、ウチの子供は18年前からキチンとシートベルトを着用してきたわい。
どんなに泣き叫ぼうが、ベビーシートやチャイルドシートにくくりつけて、何百キロも移動したものである。

子供の生命を守るためには、当然のことである。
後部座席から飛んでくる子供の体で、ワシが殺されないようにするためにも、当然のことである。

実際、クルマが大破して廃車になるような事故でも、シートベルトをしていたおかげで家族全員無事だった、という事例を聞いたことがある。

どんなに子供をしっかり抱いていようと、時速20キロ以上で衝突すれば、子供は飛んで行く。
これは科学的な事実であって、愛情とは無関係だ。

……ということで、子供に対する愛情があれば、シートベルト着用を家庭のルールとするのは、当然のことなのだと思う。

ちなみに、子供(3歳まで)がシートベルトをしたがらないときには、恐怖を味わわせれば良い。
駐車場内など安全なところで、子供を野放しにしておいて時速数キロで走り、急ブレーキを踏むのだ。
【注意】運転者以外にサポート役の大人が同乗して、怪我なく恐怖体験できるように留意のこと。

さて、ふと思ったのだが、「子供にシートベルトを強要できない親」と、「子供に携帯電話を安易に与えてしまう親」とには共通項があるのではないか。
子供の安全を考えれば、「我慢させる」ことが重要なのだが、それができないのではないか。

ちなみに、子供がネットで危ない目に遭わないようにするためには、やはり恐怖を味わわせれば良い。
親の目の届くところで、子供(小学校高学年~中学生)に自由にインターネットを使わせる。
遅かれ早かれゲーム攻略サイトなどを見に行って、スパイウェアあたりをもらう。
そこで、パソコンに「セキュリティ警告!」というように表示がされたら、大目玉を落とすのだ。
その上で、「安全なインターネットの使い方」を教えれば良い。
インターネットを安全に使うリテラシーが養えれば、携帯電話についても同様であることは容易に判るだろう。
【注意】Windowsのセキュリティパッチの適用やウイルス対策ソフトの導入、バックアップの作成など、充分な準備をしてから子供に触らせること。

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